●今回のタイトルは珍しく、一文。普段だったら「もう笑わない!?東京タワーで待つ女」という感じなのだが。なぜなのだろうか。少し気になっている。
●東京に昔から住んでいる人間はあまり行かないと言う東京タワー、99年放送分で、安浦刑事も、横溝署長も東京タワーに登ったことがないという話があった。
●ということは、安浦刑事にとって今回の放送が人生初の東京タワーだったかもしれないわけである。
●田舎出身の私は東京タワーに何回登ったことがあるのだろうか、修学旅行でも行ったのかな?そうすると、展望台まで行ったのが2回?、港区芝に用事があって暇つぶしに東京タワーの一階で休んでいたくらいか?
●私のイメージだと、東京タワーといえば、モスラなのだが、他の人間ではどうなのだろうか。ちなみに、私は各地域の名所は怪獣とつながっていたりする。
●東京タワー=モスラ。芦ノ湖=ビオランテ。熱海=キングコング。京都の清水寺=向こう側にゴジラが歩いている。映画で見るまで行ったことがないところはそういうイメージが出来ている。
●名古屋のテレビ塔はバトラが破壊する前に行ったことがあったので、テレビ塔=バトラというイメージではないのである。
●今年のゴールデンウィーク映画の「クレヨンしんちゃん」では「イエスタディーワンスモア」に支配されたラジオからモスラの「聖なる泉(もちろんザ・ピーナッツ版)」が流れてきて「知らない曲だ」というシーンがあった。これはクライマックスとモスラとをタワーで引っかけたものだったのだが。
●幼稚園児はともかく、私と同じ世代の人間が「モスラの歌」をフルコーラスで歌えず、「モスラーやモスラー」までしか歌えないのに満足していたりするのは、大学生が分数計算が出来ないことよりも、由々しき事態だと思う。これは偏に、義務教育で怪獣教育を行わなかった現代日本の負の遺産であると考えられる。「ウルトラマンが怪獣を殴って爽快」というレベルでしか怪獣を見てこなかった人間がいずれ社会を背負っていくことを考えると背筋が寒くなる。ゴジラマーチに「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラがやあて来た」などと歌詞をつけて歌っている子どもを見るにつけ、日本が外交三流国である原因は案外そんなところにあるのではないかと考えてしまう。そもそも、怪獣は能や狂言、歌舞伎にならぶ日本の文化であるので、これからはそういう視点に立って教育改革を進めないと日本の伝統芸能はさらに衰退していくことだろう。
●上記は一部冗談が含まれています。
●一部かい!
●何にしろ、私にとっては「モスラの歌」「マハラモスラ」「聖なる泉」を歌えることは常識の範疇で、「小泉」よりも「聖なる泉」だよな。という認識です。
●今回の事件解決に重要だった部分は、東京タワーで、近所ではつくばでしか咲いていない花の種を見つけたことで、上原が東京タワーに行ったことの証拠になったということなのだが。
●つくばから東京タワーに行った人間が上原だけでないのだから、上原が東京タワーに事件当夜いたことの証拠にはならないし、安浦刑事は動機をさぐる手がかりになるというようなことを言っていたが、結果的には東京タワーで待ちぼうけを食らわされたことは動機と直接関係があったわけではないのだから、「うーん」という感じだった。
●しかし、リベートをくれないからといって、相手会社に言って会社を辞めさせるということが現実的に現在でも可能なのだろうか。個人の企業訴訟がそれほど珍しくなくなっているわけだから、よしんば会社を辞めさせられたとしても「会社を辞めさせられたのは、取引相手のリベート要求を断ったからであり、解雇は不当だ」という訴えを起こされたのならば、企業のイメージが地に墜ちるわけだから、そんな危ない橋はそうそう渡らないと思うのだが。
●里見刑事は、どうも三波主任と仲がよくないみたいですね。