私的予知論


 どこかに何回か書いたような気もするのですが、どこに書いたかは忘れたので予知に対する考えをまとめておきます。 


 予知について語るにはまず「運命」について語らなくてはなりません。
 JOJOワールドにおける運命とはすでに決定されているものです。これは運命論に沿った考えでしょう。ただし運命がガッチリと固定されているかと言われると、それはそれで疑問が残ります。例えば、解釈通りに顕現しない予知の映像…これは解釈の違いという「運命の変遷」なのではないかと私は思っています。本当にガッチリと固定されているのは「重要なポイント」のみで、そのポイントに行きつくまでの「過程」はある程度変更可能だと思われます。ただし、K・クリムゾンやGE・レクイエムのように明らかに運命を変えてしまうスタンドも存在します。


 では予知とは何か…「決められている運命を覗く能力」と言える。しかしある日思ったのだが、予知とは逆に「見ることで運命を決めている能力」なのではないかと。問題点はある…(1)運命を決めているのなら予知した本人に不利となる映像が顕れるのはおかしいのではないか?(2)決められた運命に対して、その運命を改めて決め直すことは何らかの矛盾を生むのではないだろうか?


(1)予知者本人の不利になる運命決定をするだろうか…と言う疑問は、私的にはそれほど深刻な問題点ではないと思います。「自分が不利」になる能力を持つ能力者は存在します。もっと幅を広げれば、ほとんどのスタンドが自分を傷つけることが可能なのでそう考えると不利になる能力というのは珍しくないと思います。それに「無意識/非制御」と言う要素が複合しているのではないかと考えられます。
(2)先に書いた通り、運命はすでに決められているとは言え特定のポイント以外に向かう「過程」は弛めなので、その「過程」を予知者が人為的に運命を決めると考えれば不自然ではないでしょう。


 予知についてまとめてみると
○予知能力スタンドは「未来の映像」を得られる。解釈によって予知の内容は変わるが、基本的に未来の映像は100%当たる。
○予知は、予知能力スタンドが運命を観ることで決定される。
○しかし決定される運命は予知者の任意ではない。
○ただし、その決定された運命自体を無にする能力者もいる。


 予知についてここまで書きましたが、まぁ少し考えすぎかもしれません。ちなみにこの予知の考え方は量子力学の「波動関数」「多解釈世界」等等を知っていれば簡単に思いつくものなのですがね(笑)。
 実は100%当たる予知というのは武器ではないんです、いや正確に言えば…100%当たっても自分の不利となる可能性もある予知は武器としては信用ならないのです。武器とするからには「制御」できなければならない、そう「両刃の剣」は武器としては失格なのです。予知というものは確かに強力ではありますが、使用するには大きな覚悟をするか、または対応策を用意する必要があります。そういう観点でこの様々な予知能力を見ていくともう一段階おもしろくなります。


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