第3部はいったい何年のできごとか?3部開始時は(1)1987年(2)1988年(3)1989年の3つの説があります。

 現実世界で3部が始まったのは1989年、2部から50年ということもあり当初は3部開始年は1989年だったと思われます。しかし4部開始時で承太郎は「仗助がDIOの影響で倒れたのは4歳の時」つまり1987年と言っています。また康一によるとこの時の承太郎の年齢は28歳、だとすると承太郎は3部開始時に17歳だったのでその年は1988年となります。

 後にストーンオーシャン内でDIOが承太郎に倒されたのは1989年と示されました。これは直接的に言われているわけではなく、『天国へ行く方法』を書いたノートが焼却されたのが1989年と言われています。承太郎がノートを持ちつづけている理由はないのでDIOを倒した直後に焼却したと考えていいと思います。

 結局は作品内で情報が統一されていないのが問題です。端的に言えば、プッチ神父を代表とする「DIOは1989年に倒された」という情報と、康一を代表とする「仗助が倒れたのは4歳(つまり3部開始は1987年)」という情報があり、これが食い違いとなっています。どの説をとるかはファン1人1人の好きです。web上での集英社の公式意見では3部開始年は1987年とされています。

 私は基本的に物語内で起こったことを年表つくりの土台とすることにしています。物語内では断定しきれない時にコミックスの補完ページやJOJO6251やJOJO−A−GOGO!を参考にします。ただし、特にコミックス掲載のスタンド表がそうなのですが、参考にしても信頼はしていません。書いてあることに多大な疑問があり、それがこのスタンド研究PAGEをつくったキッカケでもあるからです。それでも結構な齟齬(そご)はよく有るので、その時は私が勝手に判断します。

 年表の土台となった情報を幾つか挙げてみましょう。

○上で述べたようにプッチ神父と康一では意見が食い違います。究極的にはどちらを信じるかということになり、私はプッチ神父の意見を取ります。

○基本的に3部がいつだったのかというのは物語内では断定されていません、同時に承太郎の誕生年も示されていません。(承太郎の誕生年が1970年と初めて示されたのはJOJO6251から)

○DIOが海底から復活したのは3部開始年の4年前。ところでジョルノの誕生日は1985年4月です。ということは少なくてもDIOは1984年6月には海底から復活していることになり、3部開始年が1989年というのは完全に否定されます。

○ストーンオーシャン3巻28頁に承太郎が時を止めたのは18歳の時と書いてありますが、同頁の「あまりにスゴイスピードのため光の速度を越え(略)時を止めることができた」というトンデモ説明と相まって、私の中でかなり信頼していない情報です。そもそも光の速度を越えたから時を止めれたのではなく、時を止めたから光の速度を越えたのだと思うのですが…。

 私は次のことに対して別の意見を持ちます。

承太郎の誕生日は1970年 → 承太郎の誕生日は1971年。よって3部開始時の1988年には17歳、4部開始時には28歳。
仗助が倒れたのは4歳 → 
仗助が倒れたのは5歳。仗助の誕生日はさすがに動かし様がないので倒れた年齢を康一が間違って言ったと解釈します。


四一夜

承太郎のプロフィール