なつやすみの宿題・うろうろ日記のつづき
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7月31日(火)
文字が多すぎるぞと エディタに拒絶された(えーいこの根性無しめ!)ので 窓 追加。
早朝5時半 そうじのおばはんに起こされた。 「はい、終わりだよ。」
えらい早いでんなぁ・・
でもまぁ 割とよく寝られたね。
6時に なんか食って
とりあえず国道1号のしっぽを目指して出発します。
帰りは あまり迷わないように すなおに1号を通るのを基本として行きます。
あー、ゼネプロ寄るなら この辺からなら近いよなぁ・・ でも朝早いので開いてない。
まぁ5月に行ったばかりだから いいや。
5月に がっこうの名古屋見物行の折、短い自由行動時間を利用してゼネプロ行ったもんね。
新快速とか活用してピイーッと桃谷行ってなんか買ってわきめもふらず大急ぎで宿の門限までに戻った。
いま考えると、1号通るなら門真の「海洋堂」へも立ち寄れる感じでしたね。でも海洋堂はディープすぎて
恐い ちゅーイメージが有ったので 機会あらば寄る・ちゅー気になってませんでした。
それに、
この紀行中は割とワイルドちゅーかアウトドアちゅーかネイチャー指向になっていたっぽいので
あまり都市部とか商店とかに滞在したくない なーんて気分になっていたのかもしれませぬ。
さて・・・・
そんなこんなで
短距離ばいくによる遠乗りツアーは
自由気ままな のんびり帰りみちー のモードへ移行する予定だったのですが、
・・ここでおもわず訃報が入って、のんびりしてはいられなくなりました。
じーちゃんが死んでもーたので葬式へ向かわねばなりません。
久し振り(ちゅーか紀行中初めて)に家へ電話して「これから徐々に帰るから」て言おうとしたら
「どーこをほっつきあるいておるか!きのうじいさんが死んだ。至急、葬式に向かうべし!」だって。
なんとまぁ・・そこまで悪い感じじゃ無かったのに・・ でも思えば 往路で最期に会えたのも 大阪に長居
しなかったのも じーちゃんが呼んでいたのかもしれないねぇ。
ちゅーても メイト乗り捨てて鉄道で駆け付ける程いそいでもしょーがないので、焦らず急いで向かいます。
9時半 琵琶湖。ちゅーか大津。
12時 名古屋でひるめし。
詳細すっとばして(ちゅーか記録ナシ)18時10分 富士川河口近くの じーちゃん宅へ到着。
なんだい、やろうと思えば けっこう短時間で着けるじゃん。 たいしたもんだ。
わての母父は 既に来ていた。 あ、久居の叔母さん一家、また会いましたね・・
こーいう場合・・まぁいわゆる「寝ずの番」とかするわけですが・・ わたしゃ久し振りに畳の上へ
寝られたもんだから・・ かなりしっかり寝させて頂いたような気がします(笑)。 (わらうな)
8月1日(水)
きょうは出棺して 焼き場へ行きます。 焼き場は くるまで5分位の 近所にあります。
このへんの主流は・・こうなのかな?わからんけど、
立派な霊柩車なぞ使わない、実に質素な「霊柩バス」による焼き行きでした。
中型バスの 床下に棺を格納して 死んだ人も生きた人も みんないっしょに移動できます。
観光バスの床下収納・の感じ。バスの右からも左からもアクセスできる。観光バスとおなじ。
すなわち棺桶は横向き(鉄道好き人には「まくら木方向」と言った方が分かり易いかも)に収納されます。
すぐに焼き場に到着。
わー、この 焼き場ちゅーのがまたシンプル。ちゅーかオープンな造りです。
割と広めな 砂利の駐車スペースというか広場。(今は何も停まってません)
焼き施設は 平屋で横長。 そこに3つの窯が並んでいます。 3つ並んでる・なんてナゼわかる?
オープンなんですよー。広場が有って、屋根ちゅーか軒下が有って、すぐ窯。
これって
バスでスカーーッとつっこんで、ザザザーっと90度スピン停止(スキーで急制動するみたいに)したら
横から棺桶がポーンと飛び出して窯にスポーーーーン!!って入らないか??
とか思って見てたんですけど、私ってダメですか?
8月2日(木)
10時 じーちゃん宅を出発して 横浜へ帰ります。
12時半 平塚で休憩
ずいぶんペース速いなぁ。箱根も越えたのに。まぁ1号バイパスは高速道なみにとばせるから
不可能じゃ無いのだけど。 急いで帰る理由も無いのにね。
13時半 よこはまでめし。 とメモに書いてあります。
もうちょっとで帰宅できるのにねぇ。 推測ですが・・家が近付いたところで、いろいろあった
ツアーが終わってしまうのを惜しいと思って ちっと立ち止まったのかもしれません。
さ、 ちゅー事で、 抵抗も空しく(?)14時10分 とうとう帰着しました。
のんびりしたり急いだり 寄ったり逃げたり いやぁ、けっこうバラエティーツアーだったのですね。
けっきょくタウンメイトは何km走ったんだ?? わー、かんじんなソレの記録が無いや。(だめじゃん)
そこでわては・・バタンキュー・・する訳で無く、なんか細々やってました。寝はしなかった。
夕刻、友人が二名で訪ねて来ました。さっき帰って来たばかりなので、旅の話は あまり整理できず、
うまく伝わらなかったかもしれません。
後日 聞いた話によると
その日のわては 以前にも増して 焼けて黒くなっており、
そんなわてを見て 「うわー・・ドロ焼けだ・・」と思ったそうです。
おしまい
ほんとの提出日: 2006年9月27日 グッシー堅太郎
とびらページヘ。