大河悠々
〜多国籍軍が行く〜

ラオスのホームページなのに、ラオス話がない!
という指摘から、古いもので恐縮ですが、メコン下りの話を一つ…。



 ルアン・パバーンから首都ヴィエンチャンに戻るには、三つの方法がある。空路、陸路、水路である
(速い順に書いてみました)。
飛行機で飛べば、1時間とかからない。バスは現在(98年)12時間まで短縮された。
舟(「船」じゃないところがいいでしょう?)
舟はねえ…運が良ければ2泊3日かなぁ…。

 メコン川を舟で下るルート(水路)はいくつかあって、一番ポピュラーなのが、このルアン・パバーン〜ヴィエンチャンルートである。
 一昨年、この水路を選んだ僕は、早起きして町外れにあるバスターミナルに行った。(バスターミナルと言っても、ただの原っぱなんだけど)
 一応、方面別にチケット売り場があって、(と言ってもただ、木の机があるだけなんだけど)
そこで、とりあえず、港まで行くバス(トラックバスだけど)を探した。
 港町の名前は「パコーン」。ここからバスで3時間とのことだ。

 バスを待っていると、フランス人の女性がやってきたので、
「ハーイ!」
と声をかけて、(こういう時は、バックパックを持っていることでお互いが旅行者だとわかるから、自然と声をかけ合う。社交事例というか、礼儀みたいなもんだな)
話をしてみると、彼女も舟でヴィエンチャンに行くと言う。
 しばらく話をしていると、そこにまた一人、旅行者がやってきた。髭を貯えた見るからに東洋人。てっきり、日本人だと思って
「こんにちは」
と言ったら、彼は韓国人だった。ワーキングホリデーでオーストラリアに行っていて、ラオスを旅したあと、本国へ帰るんだそうだ。
彼も同じルート。さらに、バスが出発する直前になって、フランス人のカップルと、同じくフランス人の女性がバスに飛び乗ってきた。
 バスは、最初の内こそ快調だったが、峠に差し掛かるとガクッとスピードが落ち、なかなか前に進まなくなった。雨が降ったせいで、道がぬかるみ、タイヤが空回りしている。
「悪いけど、一度降りてくれる?」
雨期のラオスでは、よくあること。
 僕等、外国人はバスから降りて、この時初めて自己紹介をした。長身のフランス人男性ピーターとその彼女(名前忘れた)、僕が最初に話をしたスイス系フランス人ジョセフィーヌ、韓国人のアン、最年少20歳のマリー。
僕がラオス語をできるのを知ったラオス人の男性が、マリーに恋人はいるのかどうか聞いてくれと言う。
「いるわ」
マリーの返事にラオスの男共はガックシ。しかし、これをきっかけに、僕等は車内でもよく話をするようになった。

 パコーンには、3時間と言われたが、実際には4時間かかって到着。すぐにスピードボートの船頭達が交渉に来たが、僕等の狙いはスローボートのほうである。あまり時間がないらしいマリーだけが、最後まで熱心に交渉していたが、値段が折り合わず、結局は彼女もスローボートに乗ることになった。
 舟は明確な出発時間が決まっていないらしく、そのへんが「フランス人ってしっかりしてるなぁ」と思ったのだが、船頭が
「じゃ、行こう」
と言っても
「食事がしたいから、ちょっと待って」
ときっぱり言い放ち、食堂の席に座ってしまうし、(ま、最初に座ったのは、実は僕だったりするのだが…) 値段交渉もフランス人達が一番しつこかった。僕はこの時まで、あんまり深く考えたことがなかったんだけど、やっぱり、こういう旅は女性にとっては大変なんだろう、食堂でコーヒーを飲んでいると、ジョセが僕のところに来て、他の人には聞こえない小さな声で
「トイレに行きたいんだけど…」
と言ってきた。
この店にはないと言うので、彼女と一緒に、近くの比較的立派な家にも行って、聞いたのだが、ここでも
「ない」
という返事。さらに
「どこでもいいんだよ」
などと言われたので、それを、そのまま英語に訳して彼女に伝える。
「……」
一瞬の沈黙のあと、彼女は
「Ok I'll try」
と言って、街の外れのほうに歩いていった。

 町の写真を撮っていたら、危うく乗り遅れそうになり、慌てて荷物を持ってメコン川への急な崖を降りる。舟はこの時初めて目にしたのだが、想像していたものより遥かに小さい。
定員およそ15人。幅がなく、二人が横に座るのが精いっぱい。屋根はなく、僕等のバックパックは船体の中央にまとめて置かれ、その上には青いビニールシートが掛けられた。
 メコンを行く舟は、大体が二人でチームを組んで、航行している。一人が船尾でエンジンのコントロールと舵取り、もう一人は船首に座り、舟の進む方向を決めて、それを手でうしろの舵取りに伝える。
雨期なら、それほど神経質にならなくてもよいのだろうが、水量のない乾期になると、あちこちで岩が露出していたり、流木が流れていたりする。この手のボートは縦に長いので、うしろに座っていると、前がよく見えない。船首の役目は重要なのである。

 しかし、この舟に乗っていると、自然を感じることができるなぁ、屋根がないから陽射しはもろだし、流れの激しい所では、水をかぶったりもする。途中では恐れていた雨が降り出し、みんなでビニールシートを被ったものの、ズボンはびしょびしょ。さっきまでは暑かったのに、今度は寒くて死にそうだ。

 夕方5時ごろ、船頭は小さな村に舟を寄せた。話は、何故か既についているらしく、この日、舟に乗っていた僕等外国人六人は、この村の村長の家に泊めて頂くことになった。バックパックを担いで村の急な斜面を登る。木造の高床式の家々の間の、滑りやすい土の道に気をつけながら登って行くと、村を見下ろす一番高いところに、村長の家があった。
木でできた階段を上り、荷物を置く。部屋の中から外が見える、要するに隙間だらけなのだ。この家に泊まるのは無料というわけではない。宿泊代1000キップ+夕食代が500キップで、計1500キップだと村長が言うので、僕はそれを全員に伝えた。
「Ok Ok anything is Ok」
これは、それを聞いたピーターの言葉。

 文化の違いだろうか? トイレに行く時は恥ずかしそうにしていたのに、濡れた服を着替える時は、平気ですっぽんぽんになって着替える。フランス人おそるべしっ! とは言っても、他に着替える部屋はないので、僕もみんなの前で着替えましたが…。
 本当はみんなで話がしたかったが、まず、村長が話好きだし、何故か関係のない村人達も集まり、遅くまで宴会(?)は続いた。(通訳がけっこう大変)
 どうやら、この家にしかテレビがないようで、テレビを見に来ている子供達もかなりいる。(電気が来てないので、バッテリーを使用している)
 村長は、最近になって、外国人が多く来るようになったので、自分の家を宿泊所として提供していると言うが、船頭との間で何か取り決めがあるみたい。
「もっと、もっと外国人が来てくれないかなぁ…。そうすれば、この村ももっと豊かになる」
なるほど、そうかもしれないなぁ。村長は村から出たことがないらしく、ラオス国内の地名でも、地図のとんでもない所を指差す。コリア、フレンチ、オーストラリア、ジャパン…。彼の口からいろんな国の名前が出るが、それらの国がどこにあるのか、きっと彼は知らないのだろう…。

 翌朝、僕等はメコンの水で顔を洗い、川のほとりにある掘っ建て小屋のような店で、モーニングコーヒーを飲んだ。ラオスの嬉しいところは、こういう田舎の村にも、必ずコーヒーの飲める店があるということだ。
今日は天気もいい。朝八時、僕等は再びメコンの流れに身を任せ、首都ヴィエンチャンを目指すことになった。
 僕はこの時、本を持っていなかったので、船上では何もすることがなく、仕方ないのでメコンの景色をひたすら眺めては、たまにカメラを出し、写真を撮ったりして過ごしていた。でも、これが意外と退屈しない。変化がないようで、よく見ると小さな発見がある。
小さな村に舟が寄る度、村人達が集まってくるし、子供達が無邪気に川に飛び込んで遊んでいたり、手漕ぎのボートで漁をしている人達もいる。メコンを中心に生活している人達。手を振ると、みんな手を振り返してくれる。

 昼近くになって、舟はパクライという大きな街に着いた。接岸しないで、大きな屋根付きの船に横付けしたのだが、その船がヴィエンチャンに向かう船だった。出港するまでには、まだ時間がありそうだったので、僕等は荷物をその大きな船に移し、パクライの街に上陸した。
やらなくちゃいけないことがある。パスポートチェック。ラオスでは、外国人旅行者が、ある県を出て違う県に入る場合、一々パスポートを見せ、スタンプを押してもらわなくてはいけない。実にめんどくさいが、決まりなんだからしょうがない。パクライでも、僕等はイミグレーションオフィスへ行き、サヤブリー県のスタンプをパスポートに挟んだ別紙に押してもらった。

「ご飯を食べよう」
誰から言い出すでもなく、僕等は連れ立って近くの食堂に入った。やっぱり地上はいいよなあ。舟の上ではそれぞれが簡単な食料(パンとか)は持っているものの、ちゃんとした食事はできないから…。
フランス人達は、こうやって食堂でご飯を食べたりする時に、必ず僕とアンを挟んで座るというルールを作り出した。
「フランス人で固まると、どうしてもフランス語になっちゃうから…。」
なるほど。4人の中で一人、スイス系だというジョセは、英語があまり得意ではない(と言っても、僕よりはうまい)のだが、彼女がフランス語で話し出すと、誰かが必ず、笑いながら
「イングリッシュ」
と言い、僕等、東洋人の二人に気を使ってくれた。旅行をしていると、旅行者の間では、フランス人ってなんだか評判よくないんだけど、僕はこの時も含めて、けっこう感じのいいフランス人旅行者に会っている。
この食堂では、マリーが
「今、フランスでは日本の文化や、日本っぽいものが流行っていて、そういうのを習う教室もいっぱいある」
と言いだし、
「私もフランスに帰ったら、合気道をやるつもりなの。合気道知ってる?」
と聞いてきた。
「もちろん、知ってる」
と答えたのだが、横で聞いていたアンが
「何? 合気道って」
と、僕に訊ねる。口で説明するより、書いたほうが早いやと思って、紙に「合気道」と書いて見せたら、アンはすぐに理解してくれた。
「韓国にもあるよ」
「オ・ラ・ラー!」
これにびっくりしたのがフランス人達である。
「何? 君達、字、同じなの?」
「いや、まったく同じじゃないけど…」
僕とアンの二人で説明する。
「じゃ、あれもわかる?」
たまたま、この食堂は中国系の食堂だったらしく、入口の上に「千客万来」と書いた札が貼ってあった。
「わかる」
「うん、意味はわかるよ」
「オ・ラ・ラー!」
マリーがまた、目を真ん丸くして驚きの声をあげる。
このあと、僕とアンの間ではこの「オ・ラ・ラー!」がウケてしまい、なんかある度に
「オ・ラ・ラー!」
「オ・ラ・ラー!」
と言っていた。

しかし、実はとんでもないことが、このあと発覚。食事が終わり食事代を支払う段になって、鞄の中を見ると、
「か、金がないっ!」
昨日の村で、寝ている間に抜き取られたらしい。
 僕は、バックパックの他にウエストバックを持っていて、ラオスの金は量が多すぎて財布に入らなかったので、このウエストバックのサイドポケットに入れていた。もちろん、普段は小さな鍵をかけているのだが、この時ばかりは疲れていたため、鍵をかけるのを忘れ、そのまま寝てしまったのだ。
盗まれたのはラオス・キップのみ(日本円にして4000円程、ラオスでは大金)で、パスポート、米ドル、日本円は無事だった。
他の5人に
「金を盗まれたみたいだ…。」
と言ったら、
「え〜! 本当?」
「いくら、盗られたんだ?」
と、みんなして心配してくれたが、僕が、ラオス・キップだけで、あとは無事だったと言うと、
「ここの食事代はいいよ」
と、みんなで払ってくれ、僕の持っていた米ドルもラオスキップに両替してくれた。良かったぁ、一人じゃなくて…。
 普通だったら、ガックリ落ち込んじゃうとこだけど、この時、僕はフランス人達からプラス思考を学んだ。
「あそこの村長さぁ、君に、来年来る時は、日本人をいっぱい連れて来て欲しいなんて言ってたじゃない? もし、来年行ったらさぁ、僕は去年、前払いで宿泊料を払ってるからって言えばいいよ」
「4万キップもあったら、あそこの子供達、お菓子をお腹いっぱい食べられるねぇ」
「そうだね、そう考えれば、過ぎちゃったことだし、そんなに腹も立たないなぁ…。」

 舟は、この街から屋根付きの大きな船に代わった。さすがにトイレまではないものの、自由に体を動かせるスペースがあるというのは、やはり嬉しいものだ。
船が大きいだけあって、客も今度は僕等だけという訳にはいかなかった。船の舳先の所で、みんなで写真を撮り合っていたら、それを見ていたラオス人の青年がなにやら話している。
「彼は、中国人じゃないかな?」
「あ、違うよ。僕は日本人」
僕が答えると、彼はびっくりして僕のほうを見た。
「彼と、彼女と、彼女と、彼女は、フランス人、彼は韓国人」
「で、君は日本人…。インターナショナルだね」
「イエス、ディス・イズ・インターナショナル・シップ」
横からピーターが答える。
 英語ができないから、みんな話しかけてこないけど、本当はラオス人って、すごく人懐っこい。船の中でもバナナやらお茶やら、いろんなものを頂いてしまい、写真のモデルにもなってくれた。(ラオス人ってシャイで、なかなか写真を撮らせてくれない。アジアを撮っている知り合いのカメラマンも「ラオスが一番難しい」と言う。カメラ向けると、みんな逃げちゃうんだよねぇ〜)

 この日の宿泊は、サナカームという街の岸辺。この旅初めての船中泊だ。昼ご飯は、簡単なものを船長の奥さんが作ってくれ、それをみんなで車座になって食べたのだが、夕飯は、せっかく岸についたことだし、上陸して店で食べようということになった。
薄暗い中、外国人の六人は懐中電灯を手に上陸。とりあえず明かりの見える方に歩く。船が着いた所の上は原っぱになっていて、街は岸からちょっと離れた所にあるみたいだ。
最初、家の軒先で焼き鳥を焼いて売っている所に行ったのだが、いつまで経っても料理が出てこないので、違う所へ行こうという話になった。ここの焼き鳥屋にいたラオス人の青年に
「どこか、ご飯食べられるとこ、知らない?」
と聞くと、僕等の船が停まっている、少し下流にレストランがあるという。またまた、みんなで大移動。
そこは、ラオスによくありがちな、リバーサイドのレストランで、けっこうちゃんとした所だった。何故かラオス人の青年もついて来て、僕等の隣の席に座る。彼の考えはすぐにわかった。
「ビールを飲んでもいい?」

 この時のことを詳しく説明すると、僕はまったく何も考えていなかったので、
「ありゃ? そうか、そういうことか」
と思った。で、他のみんなにも通訳したのだが、反応が思わしくなかったので、正直に
「彼を連れて来たのは僕だから、彼のビール代は僕が払う」
と言い、ほんとにそれぐらいだったら、払ってもいいと思っていた。
みんなは、ちょっと考えた風だったが、
「大丈夫、大丈夫、みんなで割り勘にしよう」
という話でまとまった。ところが、このラオス人青年、少し英語が分かるらしく、悪いと思ったのだろう、財布の中から自分の金を取りだそうとした。しかし、その財布には、ほとんど金が入っていない。ちょっとしか見てないが、とてもビールが飲める札の量じゃなかった。僕はこの青年の人の良さというか、おくゆかしさと、初めての経験に戸惑ってしまったのだが、真っ先に彼の行動を制したのはピーターだった。
「No! Ok Ok No problem」
と、彼の財布を押し戻し、ウインクして見せた。
青年もホッとした顔になり、財布を引っ込め、すまなそうに自分のテーブルに向き直った。
 食事も終わり、僕が料金を支払っていると、またまた青年がやって来て、なんでそんなに気に入られたのか知らないけれど、紙に自分の住所と名前を書いて来て、僕に手渡す。
「もし、またサナカームに来ることがあったら、是非、僕を訊ねて欲しい」
僕も、店の人に紙をもらって、自分の名前と住所を渡す。
「家にいない時もあるけど…」
と言うので、
「ああ、その時はさっきの焼き鳥屋を訊ねるよ。毎日あそこで飲んでるんだろう?」
と言うと、彼のまわりにいた店の人もどっと笑った。

 そんなこんなで、僕は一人だけ店を出るのが遅れてしまった。
「みんな、どこ行ったんだろう?」
船のほうに向って歩いていると、船とは逆の道のほうから
「ぐっちぃ〜!」
と、ピーターの声がして、懐中電灯の明かりが点滅した。アンは、わざわざ戻って僕を探しに来てくれた。
「どこ、行くの?」
「ディスコ」
「え?」
「ほら、音楽が聞こえない?」
確かに、さっきから遠くのほうで、音楽がかかっている。

 暗い夜道を歩いて行くと、街の広場に巨大なスピーカーが積まれ、東南アジアのディスコでよく聞くディスコミュージックが大ボリュームでかかっていた。ミラーボールこそないものの、ディスコと言われれば、これも立派なディスコだ。真っ暗な中で大勢の人が踊っている。
「オ・ラ・ラー!」
でたぁ! マリーの「オ・ラ・ラー!」。
 彼女はなんの躊躇もなく、踊りだした。これにはラオスの人達もびっくり。突然、闇の中から外国人の集団が現れ、一緒になって踊りだしたのだ。
しかし、これはウケた。僕等もウケたが、ラオス人にもウケた。会場が「わぁっ」と湧く。何時の間にか、ラオスの太ったおばちゃんが二人、マリーの手を取り一緒になって踊っている。マリーとジョセの二人以外は踊らなかったが、僕等も見ているだけで楽しかった。

 そして3日目の朝、いよいよ今日がメコンの船旅最終日。朝、サナカームの街は昨日の騒ぎが嘘のように静かだった。
朝食は昨日の焼き鳥屋。朝は、パンとか簡単な食事とコーヒーが飲める。
 実は、僕は昨日の夜、あんまり眠れなかった。というのもアンの寝相が悪い。
最初はちゃんとしたスペースがあったのだが、だんだんアンに侵略され、すごく狭くなってしまった。(もともと狭かったのが、余計に狭くなった)
さらに雨漏り…。
「いやあ、大変だったよ」
な〜んて話から、ピーターが
「僕も寝れなかった」
と言いだし、彼の場合、原因は
「鶏の鳴き声」
だと言う。確かに早くから鳴いてたなぁ。このあと僕が、ちょっとした興味から
「鶏の鳴き声は、フランス語ではどんななの?」
と聞いたことから、各国語の鶏の鳴き声が披露されることになった。
「キッキリキー!」
「クッカリッキー!」
「コケコッコー!」
サナカームの街に響く、謎の外国人集団の雄たけび。店の人も大笑いしていた。

 ヴィエンチャンには、この日の夕方着いた。さすがに3日も一緒にいると、まるで昔からの友達のようになってしまい、それぞれが宿に荷物を置いた後、市内のレストランに集まって、みんなでビールを飲もうという話になり、僕等はそこでアドレス交換をし、それぞれの国の話をし、メコンの旅の感想を語り合った。
アンはこのあと、タイへ出てバンコクからソウルへ。ピーターと彼女は、カンボジアにいる友達を訊ねてプノンペンへ。マリーとジョセは、それぞれ単独でベトナムを目指すと言う。僕はもう一度ラオスを北上してヴァン・ヴィエンの街へ。
「じゃあ、ここでお別れだね」
 最後はしんみりとしてしまったが、なんと、僕は翌日、街で、バラバラだけど全員に会ってしまった。
ラオ航空に向っていたピーターとその彼女。街を歩いていたら、通りの反対側にマリーがいて、
「マリー!」
と声をかけて、二人で話していたら、そこにジョセが自転車に乗ってやって来た。
夕方なんか、僕がレストランでご飯を食べていたら、そこにアンがやって来たので、彼とは一緒にご飯まで食べてしまった。ん〜、ヴィエンチャンって、そんなに小さな街じゃないんだけどなぁ…。

 でも、楽しかった、この旅行。(舟に)乗る前は一人っきりで、システムもよくわかんないし、不安でいっぱいなんだけど、乗ってしまえばこうやって、自分と同じような旅行者がいる。これって心強い。
「絶対、安全」
とは言えないけれど、旅に出て
「恐いなぁ、どうしよう?」
って考えてる旅行者の皆さん、けっこう、同士がいるもんですよォ〜。