「夢とシンクロニシティー」
〜大人になっても奇跡は起こるよ〜

(Phra Yuki Naradevoタイ在住僧侶)


  つい先日のこと、こんなことがあった。
その日、私は朝食を終え、僧房に戻りホッと一息。
そして、
『今春は昭和村を訪れることができなかったなあ。佐藤さんにも「じねんと」、送ってもらいっぱなしにしちゃって長いこと音信とってないし……ここいらでいっちょ手紙でも書こうかな』
とかなんとか思いながら手元のラジオのメイッチを入れたのだった。

  NHKの短波ニュースが始まった。
短波放送も聴ける小型ラジオを最近手に入れた私は、毎朝9時から15分間放送されるこのニュースを聴くのを大きな楽しみにしているのだ。
  ニュースの後、その日は日曜日だったので「ふるさと便り」という番組が続いた。
毎週どこか一カ所、地方のホットな話題をとりあげる番組だ。
  アナウンサーがこの日の話題紹介を始めた。
「今日は福島市で料理屋を営む会津出身の奥様が中心になって始めた『会津弁丸出し会』というグループの紹介です…・。」
「おお一っ、なんと!」
  それから約15分もの間、小型ラジオの小さなスピーカーから絶え間なく流れ出てきたものといえば、
そう、昭和村で何度となく耳にした、あの独特の懐かしいイントネーションの『洪水』だった。
  私の心がいっきょに海を越え、富士山を越え、4000キロの旅をして昭和村へとおもむ
いて行ったのは言うまでもない。

  心理学者のユングは、このような一見、偶然と思えることがらやできごとが結びついたり一致したりする現象、すなわち心(内面)と現実(外面)が一致するような現象を「シンクロニシティー(共時性)」と呼び、深く探求したという。

  誰にでも一度は経験があるだろう、昔の友人を思い出したら、その人から久々に手紙が届いて、おおーっ!。
恋人が風邪をひいているという夢をみて心配になって電話をしてみると、あにはからんや本当に風邪で寝込んでいて、おおーっ!…等々。
  ぶっちゃけていえば、「ちようどナントカでおおーっ!」っていう現象、これらすべてシンクロニシティーと呼ぶのだ。

  さて、このシンクロニシティーなる現象、最近私の身にもポンポンと起こってくる。

  少し前のことである。大学を卒業したばかりの日本人女性が瞑想を目的に寺を訪れた。
そして2週間の滞在の後チェンマイヘと発って行かれた。
  しかし彼女、2、3日もしない内にお寺へ舞い戻ってきたのである。
「どうしたの?」
「実は、昨日の朝、起きがけにサルが出てくる夢をみたのです。夢の舞台は教室で、壁を壊そうとしている男性、そしてそれを必死に止めようとする女性がいました。私はその二人の様子をしばらくじっと眺めていました。とそこへ突烈サルがあらわれ、机の上に立ち上がり『僕の話をもっと聞いてよ!』と叫んだのです。ビックリして目が覚めました。そのあとなぜか、「お寺に戻らねば」という気持ちが募り、いてもたってもいられなくなり慌てて戻ってきたのです…。」

  彼女はサルの夢をみたばかりに、その後のチェンマイ観光の予定をキャンセルし、一昼夜かけて1000キロ近い距離を舞い戻ってきたのであった。
  しかし、サルの叫ぴを聞いた後なぜ、「お寺に戻らねば」という気持ちが募りいてもたってもいられなくなったのか、それは彼女自身全く言葉で説明できないようだった。
  ただこみ上げてくる情動に突き動かされたという感じだったという。
なんとなくわかる気がした。
  自分もよく「虫の知らせ」とか「胸さわぎ」といった言葉を用い、そのような言葉にならない「感じ」を表現することがある。

いずれにせよ、その夢の舞台となった「教室」、壁を壌そうとする「男性」、それを必死に止めようとする「女性」、そして、僕の話をもっと闘いてよ!と叫んだ「サル」、それらはいずれも、言葉になりきらない深い層でうごめく彼女の心理を表現する夢特有のシンボルであることは確かに思えた。
そこで、この夢の解釈に、彼女と一緒に取り組んでみることにした。

  その意味を確認していった結果は次のようになった。
まず【教室】、これは「学びの場」を意味する。
  今回の彼女(Mさん)の旅はやはり「観光」よりも「学び」がメインだったようである。
自己をガードする気持ちは【壁】で表されたようだ。
【壁】をめぐる葛藤にMさんは揺れていた。

  一方はMさんがこれから統合しようとしている「男性性」(夢の中の【男性】)
それは【壁】を壊し、自分をもっと広い世界に開いていこうと奮闘している。
  だが一方、慣れ親しんだ自己防衛的な意識(夢の中の【女性】)はオープンになることを恐れ、【男性】の行動を容認できず必死に止めようとする。
  そして【サル】。「サル」は進化をたどれば、知性を獲得し、意識を発達させた「人間」の一歩手前にある動物である。
それゆえ「サル」という象徴は、意識化される一歩手前の無意識の領域にある思いを表していると考えられる。
  したがって、「僕の話をもっと聞いてよ!」という【サル】の叫びは、意識化される寸前でうごめく何らかの思い、それ自身のMさんに自覚化を求める叫びであったとの解釈ができた。
「お寺に戻らなければ」という情動が起こってきたのもそれで納得がいく。
自覚化のプロセスを促進するにあたって、寺という環境がきっと本能的に求められたのだろう。
(ちなみに、 「夢辞典」によれば、「サル」は“本能”の象徴でもある。)

  夢の解釈作業を終えた後、Mさんは寺で瞑想を継続することに決めた。
そして帰国日までの残り二週間ずっと、寺で瞑想に励んだのだった。
  その結果彼女は無意識層にあったその何かをはっきり自覚に上らせることができた。
そしてとても深い変容体験を遂げ帰国の途についたのである。

  さて、話は戻ってシンクロニシティー。
(なんか「男は黙ってサッポロビール」にゴロが似てるな)
このMさんが上記の経緯でお寺に戻り、瞑想修行を再開してから数日後のこと、私は朝の
説法の中で、Mさんのこの『サルの夢』の話をとりあげた。
  そしてこの夢が契機となってMさんがお寺に戻り瞑想を再開することになったいきさつを述べ、
「夢も仏道修行の促進になることがある」
とその効用を村人に説いたのだった。

  説法を終え、ホッとひといき。
つい先ほど届いた私宛ての手紙を開封しようと封筒に手を伸ばしたそのとき!…びっくりした。
その封筒の絵柄は、なんと「サル」だったのである。

  またこんなこともあった。Mさんの帰国日も間近にせまり、寺を発つ前日のこと。
その前の晩、Mさんは村人のお宅に一泊した。昼過ぎ、私は彼女の房(部屋)を訪ねた。
ところが、鍵のかかっていない部屋に彼女の姿は見えない、リュックが置かれてあるだけだった。
『あれっ、どこへ行ったんだろう、南京錠もかけないままで。まだ村から帰ってきてないのかなあ。それにしてもカギもかけず不用心な…』
とそこへちょうどMさんが戻ってきた。
たったいま村から帰ってきたばかりだと言う。
「オイオイ、外出するときはカギしとかなきゃだめじゃないか!気をつけて!」。
私はなぜか、思いのほかきつい口調でMさんに注意してしまったのだった。
自分の僧房へ戻ってから、そのなぞが解けた。
『そうだ!つい2、3日前にこんな夢をみたんだ…』

  何かの用事で刑務所に行く。
牢屋にはなぜか鍵がかかっておらず、囚人が野放し状態。
コワイ顔をした囚人の一人が私の方に近寄ってくる。
オイオイ…恐くなってうしろへ後ずさろうとするが、うしろは壁で逃げられない。
と、その囚人にポカリと殴られる。そしてさらにお金まで要求される。
  私は必死で出口を見つけ、慌てて外に飛び出していく。
とそこには、民主党の管直人。
「いったいどうなってるんだー!囚人を野放しにしておくなんて。こういう問題こそ野党が率先して解決していくべき問題だろ!」
と、必死で訴える私。
「そうですね、善処します。」
訴えを聞き入れたようすの管直人。

『そうかあ、この夢のせいだったんだ。それでついつい鍵にこだわって、自分でも不思議に思うぐらい強い調子でMさんに注意しちやったんだ。な〜るほど〜』

  その日の夕方のセッション時、私はMさんにこの夢の話をし、おそらくはその影響もあって思わずあんなにもきつく注意してしまったのだろうと述べ、詫びた。
そして、
「夢ってこんなふうに日常の意識や行動にも影響を与えてくるからあなどってはいけないんだよ。」
と付け加えた。

  翌日。いつものように本堂での早朝4時半からの読経をすませ、自房に戻り一息入れていた。
とそこへ突然、Mさんがやってきた。
「どうしたの?」
私が訊ねると、Mさん答えて曰く、
「やられちゃいました…」
「えっ、えっ???」
「読経を終えて部屋に戻ってみたら、リュックにしまったと思っていた荷物が外に出ていたんです。変だなあと思って急いでリュックの中身調べてみました。そしたらやっばり。バンコクまでの旅費などにあてようと思ってとっておいた700バーツが無くなってました…。」
「部屋のカギ、しとかなかったの?」
「はい。」
「やれやれ…」
Mさんが読経に出ていたスキをつかれ、カギのかかっていない部屋に侵入されお金を盗まれたわけである。
パスポートや両替していない日本円はウエストポーチの方に入れており難を免れたのは不幸中の幸いだった。

  犯人のだいたいの目星はついていた。村には一人「Y」いう盗癖のある男性がいるのである。
しかし証拠は何もない。
『う〜ん、万事休すか…』。
一応Mさんにはバンコクまでの旅費を工面してあげた。

  少したって、本堂へ行くとお寺に住む女性Sさんがいた。
そのSさん、なんと今朝の泥棒を目撃したと言う。
逃げ足早く捕まえられなかったがちゃんと犯人の顔も見たという。
「誰だった?」
と尋ねると案の定、常習犯のYということだった。
『やっぱりそうか。よ〜し、何としてでも今回はYを取り押さえ警察へ、まあそれが無理でも最低限盗んだお金は返してもらい、厳重注意しよう』

  目撃者のSさん、そしてMさんを連れ、まず副村長の家へと向かった。
そして、副村長に会うやいなや、私はすごい剣幕で訴えた。
「今朝、また泥棒が入った。Mさんが700バーツ盗まれた。犯人はSさんがちゃんと目撃撃した。やっばりあのYだ。いったいどうなってるんだ、あんな男を野放しにして!こういう奴を捕まえるのが村のリーダーの役目だろ!絶対に捕まえてくれ!…あ、あれ?…どっかでおんなじようなこと言ってたおぼえが…あっそうだ、あの夢!」

  そう、私が村の副村長に必死で訴えるそのシチュエーションは、数日前にみたあの「管直人直訴の夢」と実にぴったりシンクロしていたのであった…。

  結局この件、その後どうなったかというと…
私の強い訴えを聞き入れ、
「よし、今度こそ絶対にYを捕まえ警察へつきだしてやるぞ!」
とその気になった副村長と共に、私はY宅へと向かったのだが、惜しくもひと足ちがい。
すでにYは高飛びしてしまった後で、残念ながら取り押さえることできず、Mさんのお金も戻ってこなかった…。
と、こういう結末に終わったわけだが、Mさんは、お金が戻ってこなかったという落胆よりも、自分の身に起こったその出来事の深い意味合いにうたれ、感動すらおぼえている様子であった。

  その後、私は托鉢に出た。
その間にMさんは寺を発って行かれた。
  托鉢から戻るとMさんからの置き手紙がカギと一緒に残されていた。
そこには走り書きでこう記されていた。

アチャンユキ様
あんなに今回来た最初から、かからないと思い込んでその思い込みにしたがって行動してきましたが、最後に房を出る時に見てみると、かぎがかかりそうに見えます。
同じかぎで試してみて下さい。
心(何と表現するとよいか、てきとうな言葉が今、思いつきません)のかぎも、自由に開けたり閉めたりできそうです。閉めることも開けることも自由にできると気づいたことで、もう、今までのように、開けっ放しにして苦しむこともないし、閉めっばなしにして苦しむこともありません。
よい学びの機会を与えて下さって、ありがとうございました。M

  食事のあと、Mさんの泊まっていた房を訪れてみた。
早速南京錠をかけてみる。
が、しかし、竹を用いて最近建てられたばかりのその房、錠をかける部分に竹が出っ張っていてまくカギがかからない。
力を込めるとやっとかかった。
『なるほどね。Mさん、カギをかけなかったのではなく、カギがうまくかからなかったんだ…。』
そのあと、出っ張っていた竹を少し折ってみた。
簡単に折れた。
するとカギはスムーズに難なくかかるようになった。
『最初にひとこと言ってくれたらな…。』
と考えて、そのあとすぐ思い直した。
『でも、これがMさんにとって自分のこころの「かぎ」に気づくための大切なプロセスだったのかな…』

  シンクロニシティーに始まり、そしてシンクロニシティーに終わった。暑い日々の続いたそんな山寺での一幕が閉じた。
大好きなユーミンの歌が、こころの中でやさしく流れた。

小さい頃は神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても奇跡は起こるよ
カーテンを開いて、静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたならきっと
目に映るすべてのことは、メッセージ…♪♪

(1997/7/22)