水を巡る旅
僕が初めてラオスに行ったのは1995年の事である。
タイの田舎が見たくて、タイ人の知り合いから紹介してもらった、彼の弟の家に転がり込んだ事から、隣のラオスにも足を運んだという訳である。
僕にとっては初めて経験した長旅で、思い出深い旅だった。
あとで考えてみると、この旅以降、僕のラオス通いが始まる訳だが、なんだか必然性を感じる不思議な旅であったのも事実だ。
初め、この旅に出る前、日本で知り合ったタイ人達に
「イサーンに行きたい」
と言ったら、
「それなら…」
という事で、自分の親戚や友人などを紹介してもらった。
その中で、僕が実際に連絡を取り、結果として転がり込んだのが、タイ、チャイヤプーム県に暮らすエットさんの家だった。
中国系だというお父さんに教わった漢方の知識を生かし、診察&漢方薬の調合を奥さんと二人でやっている人だった。
娘二人は自然と僕のタイ語の先生になった。
彼も以前は日本で働いていて、紹介してくれたお兄さんと入れ替わりにタイへと帰ってきた。
だから、彼の家には「日-泰辞書」があり、
「忘れた」
と言いながらも、一生懸命日本語で話をしてくれ、とても助かった。
日本で働いていた時、僕が知り合ったタイ人達は、俗に言う「現場」で働いていて、タイ人の名前は覚えられないとの理由で、彼にも、彼のお兄さんにも日本名が付けられていた。
彼の日本名は「川田」さんだった。
僕がこの旅で行こうと思っていた国の中に「ベトナム」があった。
出発前、知り合いの学校の先生に、
「どの辺を廻るの?」
と聞かれた時にそう話すと、たまたま知り合いが今、ベトナムのフエで大学教授をしているとの事で、紹介してもらった。
ちなみにこの先生、「川瀬」先生という。
「川田」さんの家にいる時、隣の県にも知り合いがいて、彼も前は日本で働いていたんだよ。という事で遊びに行った事がある。
彼の名前は「河本」さんだった。
そして、この旅で最も驚いたのが、タイ最南部スンガイコーロクの駅で、日本で同じ島に住む人から声をかけられた事。もちろん島での面識はない。
それが「川上」さん。学校の先生をしていた方で、その後、日本に帰ってから親しくするようになった。
まだある。
「川中」さん。
彼女はタイ、ホアヒンのゲストハウスで会った。
まだ17歳という若さで、自分の内気な性格を治そうと、思い切ってタイへ一人旅でやってきた。
ツーリストポリスが僕が泊まっていたゲストハウスに
「言葉ができないから助けてやれ」
と言って連れてきた。
このゲストハウスはスタッフとも仲良くなり、この旅の最中にも何回か泊まりに行った。カンボジアやラオスのビザを待つ間、僕はバンコクからバスに乗り、数日間をここで過ごした。
このゲストハウスで働いていたタイ人の女性と結婚したのが
「渡」君である。
僕が日本に帰る時には、わざわざ海老を買って来て、ゲストハウスのテラスでビールを飲みながら遅くまで話をした。
その後、日本でも再会を果たしている。
そして、この旅の最後のほうで僕が訪れた地がラオスだった。
初めて見た「大河メコン」。
僕はこの川を渡った。