ベトナムの青い鳥



その日、僕はフエの駅前のカフェにいた。
ベトナムのコーヒーもラオスのと同じく、コンデンスミルクを少し入れたコップの上にアルミ製のフィルターを乗せたもので、店の人はただ、この状態のものにお湯を注いで客に持ってくるので、すぐには飲めない。コーヒーが落ち切るのをじっと待つ事になる。
そして、僕のコーヒーはというと、実はもう2杯目だ。
朝、ゲストハウスのお兄ちゃんが欧米人の旅行者と共に僕を車で駅まで送ってくれ、
その際に

「まだ、時間があるから、朝食でも食べて待っていたらいい」

と、ここへ連れて来てくれたのだ。
僕の手には「フエ〜ヴィン」の列車のチケットがあり、ここから北部の町「Vinh」を経由し、ラオスとの国境「ケオヌア」を抜け、ラオスに入る予定だった。
ベトナムは7年ぶり。加えて、列車に乗るのは初めての事だった。

しかし、予定時間が近づき、僕が2杯目のコーヒーを飲み終えた頃、異変は起きた。

「列車が4時間遅れている」

東南アジアではよくある事だ。
むしろ、1〜2分遅れただけで

「乗客の皆様には大変ご迷惑をかけまして…」

などと謝る日本の列車のほうが世界的には珍しい。

いつもだったら、

「そうか、それだったら、町に戻って暇をつぶしてこよう」

となるのだが、今回はそういう訳にはいかなかった。
と言うのも、今回はプライベートではなく取材で来ていて、その工程はまだまだ半分にも届かないという状況にあった。
更に、他のスタッフとはラオスの首都、ヴィエンチャンで落ち合う事になっていて、ベトナムでウダウダしてる訳にはいかなかったのだ。

「それなら、車で行ったらいい」

僕の話を聞いたカフェの親父が、僕に英語でそう言う。

「知り合いに運転手がいるから、安く行くように頼んでやるよ」

「わかった。でも英語ができる運転手を頼む」

ところが、来たのは英語のできない運転手だった。
どこでどうなったのか、途中経過が良くわからないのだが、カフェの親父曰く

「君が行きたいとこ、必要な事を言ってくれ」
「それを今、ちゃんと彼に伝えるから」

どうもそれで問題ないと思っているらしい。

「彼はいい運転手だ」

親父は他に当てがないようだった。

この時、僕がやらなければならなかったのは、ベトナムからラオスに向かう場合のバスや国境での手続き、料金の取材。
その為、まずは国境から最も近い大都市(であろうと思われる)「ヴィン」のバスターミナルへ行き、時刻表などをチェックしなければならなかった。

親父はその事を僕から聞き、それをドライバーにベトナム語で伝え、確認する。
親父は完璧に理解しているが、果たしてドライバーが理解しているのかどうか?は僕に確認する術はない。

30分後、僕はカフェの親父に見送られ、フエの町を後にした。

相変わらず縦横無尽に走るオートバイの群れにクラクションを鳴らしつつ、それでもきちんと整備された国道を、僕らの乗る年代ものの日産ブルーバードは北へ北へと快適に向かった。
しかし、見ているとどうもベトナムでは、バックミラーを見る習慣がないらしく、本来、弱者であるはずのバイクも後ろなんか見ないで突然車線変更したりする。
当然、後ろから来た車などはクラクションを鳴らす訳だが、特に驚くでもなく、悪びれる風でもなく、ベトナムで運転する際には前の奴をかわすテクニックが必須なんだなと思わされる。

さて、ベトナム語ができない僕と、英語が話せないドライバー。
車内はいたって静かである。
「〜がしたい」
という場合、僕はガイドブックの後ろのほうに申し訳程度に載っている会話集を頼りに話をする訳だが、ほんと、言いたい言葉に限って載っていない。
僕はとにかく窓の外に広がる田園地帯の風景と車、オートバイの洪水を見ているしかなかった。

カフェの親父は
「英語はできないが、運転は上手い」
確かにそう言った。

しかし、彼は運転も駄目だった。

車に乗りながら、何度も
「うわ〜!」
と思ってはいたのだが、彼はブレーキングが遅いのである。

そして…
ついに事件は起こった。

小雨の降る中、つたないながらも会話をしていたところ、
前を走っていたトラックが急に停まった。

例によって遅いブレーキ。

あ、危な〜い!
「ひえ〜!」
既にタイヤはフルロック。
しかし、元々つるつるのタイヤに制動力は期待できなかった。

ガッシャーン!

何度聞いても嫌な音である。

僕らの乗るブルーバードはトラックのバンパー下に突っ込む形で停まった。
ドライバーはすぐに車から降りて見に行った。
ところが、トラックは行ってしまった…。まるで何事もなかったみたいに。
やはり、前を走ってる奴には全く責任がないのだろうか?
よくわからないぞ、ベトナム。
しかし、一つだけよくわかったのは、僕らの車が壊れたという事実である。

目に見える損傷は、とにかく
「ヘッドライトのガラスが全部なくなった」
という事。

しかし、先へは進まなければ。

ドライバーは(自分が悪いのにも関わらず)さすがに不機嫌だ。
正直、
「車が壊れたから、もう行けない」
とか言い出すんじゃないか?とも思った。

だから僕も、
「何、やってんだよ!」
なんて事は一言も言わなかった。根は小心者なんでね。

ドライバーもいつまでもそこで車を眺めている訳にもいかなかった。
眺めていたって、ただ、ヤジ馬が集まってくるだけで車は直らない。

「行こうか」

僕らは再び車に乗り込んだ。

しかし、走り出して30分。

ゴン!

今度は、エンジンルーム内で嫌な音が聞こえた。

キュルキュルキュル…

こ、今度は何だ!?

僕らは再び車を降りた。

と、僕は信じられないものを見た。
なんとラジエターのファンが外れてエンジンルーム内に落ちているのである。
これが先ほどの追突によるものか、元々腐っていたのかは知らないが、ファンの真ん中にあるシャフトが根元から折れている。
ドライバーは最初、なんとかそれを元の位置にはめ込もうとしていたが、やがて、無理だという事がわかると、その大きなファンをエンジンの上にひょいと乗せ、そのままボンネットを閉めた。
え?ファンなし?自然空冷?大丈夫なのか?それで。

事故を起こしてからも平然と運転しているドライバーに、僕は少々疑問を持っていたが、さすがに、この事態では…。

やがて、エンジンからシューっと煙があがって…
という事が誰でも容易に想像できる。
ライトのガラスがないのとでは訳が違う。
必要だから付いている部品だ。

15分後。

ドライバーはトラックを解体しているような、修理工場と言うよりは現場と言ったほうがいい、よくわからないところに車を停め、何やらベトナム語でその解体業者達と話をした。
どうやら、やっと修理する気になったらしい。

そりゃ、そうだ。
僕は思った。

が、その修理は荒っぽかった。
まず、ヘッドライトのガラスは全部取り去った。

「いさぎい〜い!」

で、ATM荒らしがよく使う「バールのようなもの」を使って、できるだけ目の前を照らすように無理やり光軸変更。

「男だね〜」

更に、問題のファン。
これはとにかく溶接。
多少、ガクガクしながらも、回転はする…。

「や〜、直った、直った。ハッピーだな〜」

修理代は…



足りない…。

10000ドンを支払う。

「なんでやねん!?」

ここで修理に2時間ロスした分を取り戻そうとドライバーは飛ばしに飛ばした。
辺りは既に日が暮れ真っ暗。
しかし、僕らの車にヘッドライトは点いているものの、ガラスはないので、まるでランタンを灯して走っているようで全く見えない。
そんな状態にも関わらず100km/h以上のスピードを出すこいつの神経は一体…。
何度も歩行者や自転車や荷車や犬や暗くてよくわからないが何かの動物を轢きそうになる。
「た、頼むからゆっくり走ってくれ〜」

そんな僕の恐怖をよそに、彼は
「トゥデイ、ビン、オーケー」
などと言う。
いやいや、OKじゃないだろ?この状態で。
「ノー。アイ、ウォント、トゥー、ステイ、アト、ハーティン」
ドライバーは行けると言うが、僕の神経が持たない。
この日は、ハーティンという町のホテルに泊まり、僕らは翌日、改めてラオス国境を目指した。

僕はこの旅で、改めて日本の工業製品の凄さと人間の強さを実感した。

へーき、へーき、根性があればなんでもできる。
これが、数々の試練を乗り越え、なんとかラオ〜ベトナム国境に辿り着いた
「ベトナムの青い鳥」。(白いけど…。)
果たして、ちゃんとフエの町に戻れたのだろうか…。