暗闇の中、雨が降っていた。

 叩きつけるような雨、というわけではなく、しとしとと降り続ける雨。

 その雨は約2時間降り続け、辺りの地面はすっかり湿っていた。

 そんな雨の中、アスファルトの道路に横たわる少女が一人。

 勿論アスファルトの道路も濡れていたが、横たわる少女の衣服は雨を吸い取り、

より一層濡れていた。

 少女の歳は15〜16といったところか。

 高校の制服らしきものを着ており、セミロングの髪の、なかなかの美少女だ。

 横たわる少女は雨に打たれながらも、何故だかぴくりとも動かない。

 死んでいるのか−−−。いや、僅かではあるが、少女の体がぴくりと震えた。

「い・・・痛い・・・よ・・・。」

少女はそううめいて、かすかに身じろぎした。

「あ・・・雨?」

少女はたった今気が付いたらしく、雨が降っていることにも今まで気付かなかった

ようだ。

 ようするに、少なくとも2時間以上、少女は気を失っていたということだ。

 少女の名前は佐夕里(さゆり)。

 約2時間半前、佐夕里はこの道路で事故に遭った。

 この道路、普段は滅多に車が通らない。

 人通りの無い山間にある上、佐夕里が横たわっているこの辺りは、うっそうとし

た森が広がり民家も無い為、夜ともなると、本当に一台の車も通らない。

 実際、佐夕里が事故に遭ってからは一台の車も通っていない為、佐夕里のこの状

況を知る者は、本人を除いて誰一人としていなかった。

(私・・・どうして・・・。)

佐夕里は自分が現在の状況に至るまでを、懸命に思い起こそうとした。

 −−−そうだ。私はいつものように陸上部の練習を終えて、家に帰るところだっ

た。近道しようとして道路を横切った瞬間−−−右からきた黒いワゴン車に撥ねら

れたんだ−−−。

 こんな山間の家から歩いて高校へ−−−?そう疑問に思う方もいるだろう。

 しかしこの辺りの山間では、特に珍しいことではない。

 バスも通っていないこの辺りでは、自転車も通れない山道も多い為、一番近い山

一つ向こうの高校へ、徒歩で通う高校生も、決して少なくは無いのだ。

 佐夕里も、いつも約1半時間かけて、山一つ向こうの高校へ通っていた。

 陸上部で鍛えた足でなければ、2時間はかかるところだ。

 しかし滅多に車の通らないこの道路で、横切った瞬間車と鉢合わせとは−−−。

佐夕里は、余程不運な星の元生まれたと見える。

 佐夕里を撥ねた黒いワゴン車は、そのままどこかへ走り去ったようだ。ようする

に轢き逃げ−−−。

 目撃者もいないこの山間であれば、そのまま逃げ通すのも容易であろう。

 佐夕里は全身を襲う痛みに顔をしかめながらも、首を少しだけ持ち上げ、自分の

身体を見下ろした。

 −−−右腕と左足が、有り得ない方向に曲がっている。内臓でも破裂したのだろ

うか、身体を動かそうとすると、鳩尾(みぞおち)の辺りに激痛が走る。額を触っ

てみると、血でベットリと濡れていた。

 しかも、先程からの雨で急激に体温が奪われ、佐夕里はまさに瀕死の重傷であっ

た。

 −−−ホントついてないな。この間高校に入って、これから高校生活をエンジョ

イしようって時に・・・。私って昔っからそう。たまたま遅刻した時に遅刻取締週

間で、正座させられるし・・・。たまたま乗ったバスは事故を起こすし・・・。

今度はひき逃げされて瀕死の重傷・・・。

佐夕里は、自嘲気味に笑った。

 そして無駄だと悟りながらも、救いの声をあげる。

「誰か・・・助けて・・・。」

無論、誰も答えなかった。

 激痛の為大きな声が出ない上、この時間辺りに人がいる可能性は全くといってな

い。誰かが助けに来ることは、奇跡でも起こらない限り有り得なかった。

 −−−私、ここで死ぬんだ・・・。

 佐夕里は自分でも驚くほど、自分の「死」を素直に受け入れていた。

 次第に意識が朦朧とし始める。

 確かに佐夕里の死は、時間の問題かと思われたが−−−。

 暗闇の中、突如として人影が浮かび上がり、横たわる佐夕里に近付いて来た。

「・・・君はここで死ぬべきではない。」

その人影はそう言って、佐夕里の前で膝を突く。

 −−−誰?

 佐夕里は懸命に首を動かし、その人影の顔を拝もうとする。

 そしてその顔を見た瞬間、佐夕里は絶句した。

 −−−その人影は、青年だった。

 歳は19〜20だろうか。黒っぽいマントのようなものを着ている。

 身長180近い、スラリとした体躯。ハンサムというより美麗といった感じの、

まるで女性のような美しい顔立ち。

 美しい黒髪が、肩まで垂れ下がっている。

 ハーフだろうか、目は青みを帯びた藍眼で、エキゾチックな雰囲気も漂わせてい

た。

 こんな場所には、とても似つかわしくない青年だ。

 −−−昨日読んだ少女漫画の、主人公みたい・・・。

 佐夕里はこんな時にも関わらず、そう思わずにはいられなかった。

 青年は横たわる佐夕里の身体に、両手をかざした。

 青年の両手から淡く青白い、不思議な光が湧き出す。

 まるで佐夕里の身体自身が光っているように、不思議な光は、佐夕里の全身をす

っかり包み込んだ。

 −−−え?

 佐夕里は身体が軽くなるような、不思議な感覚を味わった。

 その感覚と共に全身を襲う激痛も消え、折れたはずの右腕と左足が、元に戻って

いく。

 頭の怪我も、いつのまにか直っていた。

「・・・こんなことって・・・。」

すっかり元気になった佐夕里は起き上がり、青年の顔をまじまじと見る。

「あなた・・・何者?」

佐夕里の問いに、その青年はただ一言。

「俺はデュエル。」

 

 

 

次の朝、佐夕里は自分の部屋で、いつもより早く目が覚めた。

 前日の夜、早く眠ったからだ。

 勿論、昨日の事故で疲れていたせいであるが、デュエルという青年のせいでもあ

った。

 あの後、佐夕里が何を聞いてもデュエルは答えず、ただ一言。

「いつでも側で守ってやる。」

そう言い残して、デュエルは暗闇に溶け込むように去っていった。

 佐夕里はその後30分程で帰宅し、友達と話し込んで遅くなったと両親に言い訳

した。

 本当のことを話しても、信じてもらえないと思ったからだ。

 しかし佐夕里の中では、デュエルに対しての好奇心と疑念が渦巻き、それを考え

ているうちに、眠ってしまったのだった。

(本当に・・・側にいるのかな?)

佐夕里はそう思い、部屋の東側にある窓のカーテンを開ける。

「う・・・。」

差し込んで来た朝日の眩しさに、思わず目を瞑る佐夕里。

 そして徐々に目を開け、窓の外を見ると。

「あ・・・。」

朝日の中、門柱の影に立つデュエルの姿が見えた。

「本当に・・・側で守ってくれてるんだ。」

佐夕里は何だか嬉しくなった。

 まるで騎士に守られているお姫様の様な気分なのだ。

 かなり部愛想で無表情な騎士なのが気にはなっていたが、とにかく佐夕里は浮か

れていた。

 

 

 

佐夕里は学校へ登校する為、いつものように山間の道を歩いている。

 その後方5メートル程を、騎士よろしく尾いてくるデュエルがいた。

(本当の騎士様みたい・・・。)

佐夕里がそう思い、デュエルを振り返った瞬間。

 何故か前方から、居眠り運転しているトラックが、佐夕里に向かって突っ込んで

来た。

 −−−うそ!?

 音に気付いて、前方へと視線を戻した佐夕里であったが、避け切れない。

 佐夕里の脳裏に昨日の悪夢が甦り、思わず目を瞑るが。

 後方から風のような速さでダッシュしたデュエルが、佐夕里の身体を抱きかかえ

ながら、トラックの鼻先を紙一重で掠った。

 トラックはカーブを曲がり切れず、そのままガードレールに激突し、その下にあ

る谷底へと落ちてゆく。

「−−−君は余程、不幸の星のもとに生まれたと見える。」

デュエルはそう言いながら、佐夕里の身体を自分から離し、トラックの落ちた谷底

を覗いた。

 恐らく、トラックの運転手は即死だろう。

「そ、そうみたいね・・・。助けてくれてありがとう。」

佐夕里はまだドキドキする胸を押さえながら、そう礼を言った。

 ドキドキするのは、トラックが突っ込んで来たからばかりでは無かったが。

「これが俺の役目だ。」

デュエルはそう言ってまた、後方5メートル程に下がる。

(私の、ナイト様・・・か。)

佐夕里はほくそ笑んだ。

 

 

 

 しかしその日の佐夕里の不幸は、それだけでは終わらなかった。

 学校に着いたら着いたで、佐夕里が工事中の旧校舎の横を通ると、旧校舎の骨組

みが佐夕里に向かって崩れて来た。

 そして体育の授業で学校の周りの道路をマラソンしている時、またもや車に轢か

れそうになったりもした。

 しかしその都度、デュエルが間一髪助けてくれるのだった。

 

 

 

 佐夕里とデュエルが出会ってから一週間。

 この一週間、佐夕里が事故に遭いそうになってはデュエルが間一髪助けるという

生活が続いていた。

 さすがに友達等にデュエルのことを気付かれ、一体何者なのと聞かれたが。

「私のナイト様。」

佐夕里は笑ってそう答えた。

 自分だってデュエルの正体等知らないし、お姫様気分で浮かれていた佐夕里は、

そうとしか答えようがなかったのだ。

 勿論、そう答えられた佐夕里の友人は、何言ってるのと笑い飛ばしていたが。

「−−−そうだ、いつも守られっぱなしじゃ悪いし・・・今日特製ケーキでも作っ

てあげよう。」

佐夕里はそう思い、遠慮するデュエルを強引に自分の部屋へと招待した。

 

 

 

「さあ、召し上がれ・・・。」

佐夕里はそう言って、デュエルの目の前に焼きたてのチーズケーキを置いた。

「・・・何故、このようなことを?」

デュエルは無表情に、そう佐夕里に尋ねる。

「何故って、いつも助けてくれるお礼。」

「俺の役目だから助けるだけだ・・・。別に礼を言われることをしているわけじゃ

ない。」

「何でも良いわ。とにかく私の気持ちなんだから、食べてよ。」

「・・・分かった。」

デュエルはそれ以上断る理由もないと思ったのか、フォークを握ってケーキを食べ

始めた。

「・・・味、どう?」

佐夕里は少し不安そうに、そう聞く。

「なかなか美味い。」

デュエルは無表情にそう答えたが、逆にそれがお世辞とも思えなかった。

「良かった。」

佐夕里は素直に嬉しそうな顔をする。そして。

「・・・ねえ、どうして私を守ってくれるの?」

今まで聞きたくても聞けなかったことを、佐夕里は聞いた。

「役目だから。」

デュエルはただ一言、そう返す。

「そういうんじゃなくて・・・。」

佐夕里がもっと違う答えが欲しいとばかり、そう言うと。

「・・・君を死なせたくないからだ。」

デュエルは意外なことを口走った。

(・・・君を死なせたくないから?そ、それってまさか、愛の告白じゃ・・・。)

佐夕里は勝手にそう思い込み、思わず赤くなった。

 その時のデュエルの顔が、相変わらず無表情だったのにも気付かずに。

 

 

 

 更に一週間。

 佐夕里とデュエルは、以前よりずっと打ち解けていた。

 あのデュエルが、佐夕里が話し掛けると、たまに笑ってくれたりもするようにな

っていた。

 時間が解決してくれる、ということもあるだろうが、人なつっこい佐夕里の性格

のせいも多々あっただろう。

 そしてある夜。

「・・・一雨来るな。いよいよ明日か。」

デュエルはそう呟いて、空を見上げた。

 デュエルは佐夕里の自宅の門柱の影に、相変わらず居座っている。

「・・・お疲れ。これ、差し入れ。」

佐夕里がそう言って、コーヒーをデュエルに差し出した。

「・・・ありがとう。」

デュエルは多少戸惑いながら、コーヒーを受け取る。

 戸惑う、という点からも、多少前のデュエルとは違うということが見て取れた。

「どういたしまして。雨が降りそうだから、気を付けて。」

佐夕里は部屋へ戻ろうとするが、そこで足を止め、そして。

「・・・お休みなさい。」

そう言って、デュエルの頬にキスをして、走り去った。

「・・・。」

デュエルは複雑な表情で固まっていた。

(何をやってるんだ、俺は・・・。役目を全うすることだけ考えなければ・・・。)

 

 

 

次の日。

 夕べからの激しい雨が、朝まで降り続いていた。

(やな天気・・・。)

佐夕里はそう思いながら傘を差し、学校へと急ぐ。

 勿論いつものように、デュエルも後方から尾いてくる。

 不思議なことに、傘も差していないのに、デュエルの身体は全く濡れていない。

(・・・やっぱり不思議な人・・・。)

佐夕里はデュエルを振り返りながらそう思う。

 辺りにせり出した崖が、夕べからの激しい雨で軟弱になっていた。

 今にも土砂崩れを起こしそうだ、と佐夕里が思った瞬間。

 案の定、佐夕里の目の前で土砂崩れが起こった。

 崩れた土砂が、佐夕里に向かって流れ落ちて来る。

(−−−大丈夫。私にはデュエルがついてるもん。)

佐夕里は目の前の状況に、特に危機感を感じていなかった。

 しかし、佐夕里の目前まで土砂が迫ってきても、いつものようにデュエルが助け

に来ない。

 さすがに不安に思った佐夕里は、デュエルを振り返るが。

 デュエルは元の場所からピクリとも動いていなかった。

(−−−デュエル!?)

−−−土砂が、佐夕里を飲み込んだ。

 

 

 

「デュ・・・エル・・・たす・・・けて。」

土砂から頭と左腕だけ出た状態の佐夕里が、目の前にたたずむデュエルに、そう救

いの声を掛けるが。

「それは出来ない。」

とデュエルは冷たく突き放した。

「どう・・・して。」

佐夕里はもはや息絶え絶えで、死は時間の問題であった。

「君はここで死ぬべきだからだ。」

「冗談・・・言わないで。誰が、そんなこと・・・勝手に決めたのよ・・・。」

「勝手じゃない。君がここで死ぬことは、主神によって、生まれる前から決められ

たことなんだ。」

「それ、じゃ・・・何で、今まで・・・助け、て・・・くれたのよ・・・。」

「君がここで死ぬべきだったからだ。君の不運ぶりは、どうやら主神にとっても予

想外だったらしい。ここで死ぬべきだったのに、予定より早く、何度も死にかけそ

うだということが分かり、それを防ぐ為に死神である俺が派遣された。」

「どうせ・・・死ぬん、だったら、いっそ最初に、見捨て、てくれれば良かっ、た

のに・・・。」

「そうはいかない。人が予定通りに死なないと、主神にとって色々不都合があるん

だ。俺はその意志を遂行するまでだ。」

「そん、なの・・・非道いよ・・・。私・・・あな、たのこと・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・デュ、エル・・・。」

佐夕里の呼吸が止まり、首がガクンと垂れた。

 程なくして、佐夕里の胸から青白い炎の固まりが沸き上がる。

 佐夕里の魂だ。

 もっともそれを視認出来るのは、死神であるデュエルだけだが。

 デュエルは佐夕里の魂を両手で包み上げると、主神に届ける為に歩き出す。

「・・・?」

デュエルは頬を伝う一筋の水滴に気付き、足を止めた。

「何だ・・・?何故俺は涙なんかを・・・。」

デュエルはそう呟いたが、特にこだわりもせず、そのまま空気に溶け込むように、

どこかへと去っていった。

 その涙の意味も気付かずに−−−。

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