(「太平記絵巻」より、箱根竹之下の合戦図)
清和源氏・新田岩松一族の歴史を描く『太平記絵巻の世界』へお誘いし、
清和天皇の後裔である清和源氏一族の、姓と、新田岩松一族を紹介しています。
『太平記絵巻』(埼玉県立博物館所蔵)は、許可(教博第8-115号)を得て挿図しています。
清和源氏・新田岩松一族とは
、
源家の総領・八幡太郎源義家の孫である新田の初祖・源(新田)義重は、
群馬県新田郡の西部の空閑地を開発して新田庄を成立させ、さらに庄域を新田郡全域に拡大し、
そして、始めて「新田」を苗字とした。その子達は、里見、山名、世良田、新田(岩松)、額戸、と庶流を輩出し、
新田本宗を継いだ新田義兼は鎌倉幕府内での地位を安定させていった。
その新田義重に端を発した一族を「新田一族」と言い、その嫡裔家である義貞・親子二代は南北朝に
後醍醐天皇と運命を共にして敗れ零落した。南北朝の合一後は、新田の一族である岩松直国から
復活なって新田荘を継いで安定させていく。新田の二代目義兼の孫・岩松時兼からの
嫡庶の一族が、『新田岩松』と言う。
そして、『太平記』に記す「いずれの戦いに、いつも先(先陣)を行く」、田部井一族 の記録です。
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儀右衛門の横顔