諺と格言の社会学
公平な、えこひいきのない分け方は悪徳に分類される強欲の所産である。
(きだみのる)
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最近、きだみのる(本名 山田吉彦 1895-1975)に関する著作が二冊出た。一
冊は、きだとの親交を中心に書かれた『永遠の自由人−生きているきだみのる』
(北実三郎著 未知谷 2006)であり、もう一冊はきだ論ともいうべき『自由になる
メソッド−きだみのる』(太田越知明著 未知谷 2007)である。これは、きだみの
るの復活の兆しかもしれない。
彼、きだみのるは1934年(39才)から1939年(44才)の5年
間、フランス政府給費留学生としてパリ大学に留学し、そこで
人類学者として高名なマルセル・モースに師事し、社会学、民
族学を学んだ。 帰国後、アテネ・フランスに勤めたが、1943
年(48才)に東京都南多摩郡恩方村(現 八王子市下恩方町)
辺名部落(14軒60人の集落)の廃寺である医王寺に疎開した。
結局、1965年(70才)までの22年間そこに住むことになり、そこ
が生活の拠点となった。
国際人であったきだみのるが、この辺境な「にっぽん部落」での22年間に及ぶ
生活で,、何を体験し、何を発見したのであろうか。今、私たち社会学者に求めら
れていることがあるとすれば、彼のその生活での知見(findings)を、彼の残した文
献から拾い集め、まとめ、体系化することであろう。
その彼の知見の一つがこれである。
「村人は強欲である。だからこの完璧な公平がなくては満足しないのだ。換
言すれば、この公平な、えこひいきのない分け方は悪徳に分類される強欲の
所産である。……強欲なため分配は公平でないと満足せず、即ち強欲という
悪徳を仲介として、公平或いは無私という反対物の善を生んでいる」(きだみ
のる 1975 265-266頁)である。
その具体例として、「寺の雑木山を切って参加の檀
家に分ける伝統的な分け方」を挙げている。立ち木
を倒すと枝や梢を切り落として丸太にし、それを運び
下ろし、上薪材と並薪材に分け、それぞれを「二杷
掛け」の長さに切り、棒計りで計って「一杷八貫」の
薪束を作る。こうして、参加檀家の数だけの薪束が
作られる。上薪と並薪が偏らないように、また、看貫
秤で重さが同じようになるように配慮して薪束を作っても、どうしても差が出、誰も
がほしがり、また、嫌がる束ができる。村人たちはこのような薪束を不満と羨望が
生まれないように、薪束に番号を付け、孟宗竹できた番号付きの籤を引き、自分
の薪束を当てる。
きだは言う。「薪を看貫にかけたり籤を引いたりする薪分けを見て、部落人たちの公平感、公正感に僕は感心した。それ
は生まれつき部落人がみんな公正な性格であっても生まれ得
るが、これは日常に部落人を観察している僕には事実と一致
しないように見える。それはむしろ部落人たちの生きようとする
意欲が強烈で、機会があれば、また人目を盗めたら遠慮なく
自分欲をかこうとする性格が互いに牽制し合い戦い合い、他
人の取り分を監視し合った結果生まれたとする方が部落の現
実にも進歩の観念にも一致する。
そしてこの意味の公正、平等感は部落生活の隅々までも支
配している。
薪分けのこの方法は長い部落の生活のある時期に、いちばん文句や陰口の出
ない方法として自部落或るは他部落が見つけ、それが部落の慣習となったもの
だ。僕の知った部落ではどこでも薪山ではこの方法を採用している(きだみのる
1967 70-71頁)。正に、分配の公正さは「悪徳に分類される強欲の所産である」。
きだと同じ立場をとる社会学はホーマンズの理論であろう。1961年に出版されたホーマンズの『社会行動』について、アメリ
カの著名な理論社会学者であるP. M.. ブラウ(Blau 1918-
2002)が、次のように批評している。
「『正義とは他者の利益である』とアリストテレスは述べた。ホ
ーマンズは『社会行動を最低二人の間における精神的あるい
は物質的な報酬あるいはコストとなる活動の交換と見る』と概
念図式化している。人間の行動を社会関係における交換取引
からの利潤獲得への関心によって支配されていると考えること
は、正義や他者の利益によって支配されているとする立場と真正面から対立する
ように思われる。ホーマンズは、彼の社会交換の分析に配分的正義の規則を導
入することによって、対立する傾向のものの並行を行っている。それは彼の議論
を非常に豊かなものにしている」(Blau 1964, p.193)と。
ホーマンズ自身、彼の論文集 Sentiments and Activities (1962)の新しい序文
(1988)で、彼が『社会行動』(1961)で一章を割いて《分配の公正さ》について論じた
ことが契機となって、正義論が大きな知的成長産業となったと述懐している。
「ボストン・エディソン会社(今ではその本当の名前を明かすことができる)の顧
客会計部門での私のフィールドワーク、すなわち、本書の論文「事務労働者間で
の地位」、「現金転記係り」、「地位の適合性」を通して、私は…地位と公正さにつ
いて考えるようになった。それはアリストテレスが『ニコマコス倫理学』でとった方法
とよく似ていた。分配の公正さの諸問題をめぐって歴史に記録された血生臭い争
いを考えるとき、それらに注意を払う現代社会学者や社会心理学者の非常に少
ないことが奇異に思われる。しかし、これらの論文や私の『社会行動』(1961,1974)
でのより一般的な議論に従って、その主題についての莫大な量の観察や実験的
研究が現れ始めた。そしてそれは主要な知的成長産業にまでなった。そして、そ
れは《公平理論》(equity theory)と呼ばれるようになった」(Homans,1988, IX)。と
しかし、ホーマンズの「交換の社会学」の重要な特徴は「人間行動を、その行動
のもたらす利益の関数と見る」点にある。人は何らかの自己の利益を最大にしよ
うとして行動するのである。しかも、「人が自分の利益であると思うものを追求する
のは、その相手の他者も同じように自己の利益を最大にしようとしているというコ
ンテクストにおいてである」(Homans, 1964 p.226)。したがって、そこでは〈利得的交
換〉が行われることになる。しかし、またそのような状況の中で、他者の利益を無
視して、自己の利益のみを追求するなら、他者から非難され、あるいはその関係
を打ち切られるかも知れない。そんなことが起これば、自己の利益の追求も不可
能になってしまうであろう。人は自己の利益獲得が第一であっても、そこでは他者
の利益を無視することはできないという事実である。ここに、他者の利益を配慮す
るところから〈公正な交換〉が生じる。そして、そのうち、「正義それ自体が交換さ
れる価値の一つ」となってくるのである(橋本茂 1969 48頁)。もし自己の利益を
追求することが悪なら、ホーマンズにおいても、正義は悪の所産ということになる
であろう。
私たちはまた、マンデヴィル(Bernard Mandeville 1670-1733))の『蜂の寓話』
(1714)の副題, 「私悪すなわち公益」(Private Vice, Publick Benefits)を思い出
す。彼は文頭の詩「ブンブン不平を鳴らす蜂の巣―悪漢ども化して正直者となる話―」
(The grunbling Hive : or, Knaves turn'd Honest) で次のように詠っている。
「悪の根という貪欲こそは
かの呪われた邪悪有害の悪徳。
それが貴い罪悪『濫費』に仕え、
奢侈は百万の貧者に仕事を与え、
忌まわしい鼻持ちならなぬ傲慢が
もう百万人を雇うとき、
羨望さえも、そして虚栄心もまた、
みな産業の奉仕者である。
かれらご寵愛の人間愚(おろかさ)、それは移り気、
食物、家具、着物の移り気、
ほんとうに不思議な馬鹿げた悪徳だ。
それでも商売動かす肝腎のの車輪となる」(上田辰之助 1987 F頁 )
この詩がアダム・スミス(Adam Smith 1723-90)の経済理論にに大きな影響を
与えたことは有名である。
「交換の社会学」からみても、きだみのるの「にっぽん部落」論には非常に重要
な知見が散在しているように思われる。その知見を整理し体系化すれば、モース
の優秀な弟子であったきだにみるのの社会学者としての貢献が明らかになるで
あろう。
参考文献
北実三郎 2006 『永遠の自由人−生きているきだみのる』 未知谷
太田越知明 2007 『自由になるメソッド−きだみのる』 未知谷
きだみのる 1967 『日本部落』 岩波新書
きだみのる 1975 『新放浪講座』 日本交通公社
三好京三 1976 「親もどき〈小説・きだみのる〉」(『子育てごっこ』所収)文芸春
秋社
P. M. Blau, 1964"Justice in Social Exchange," Sociological Inquiry, XXXIV,
G.C.Homans, 1961, 1974, Social Behavior, Harcout Brase Javanovivh..
(橋本茂訳 『社会行動』 誠信書房1978 )
G.C.Homans, 1964, "Commentary," Sociological Inquiry, XXXIV, 1964.
G.C.Homans, 1962, 1988, Sentiments and Activities, Transaction Book.
上田辰之助 1987 『蜂の寓話』 みすず書房
橋本 茂 1969 「正義の社会学的研究」 『明治学院論叢』 150号
橋本 茂 2005 『交換の社会学』 世界思想社 第1章と 第9章を参照
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