諺と格言の社会学
愛される
喜び母に欲しくなり
家出してみる反応いかにと(中三女子)
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今、私の手元に29年前に購入した本、『おやこ万葉集ーいま中学生は何を考え
ているかー』(矢野寿男 三笠書房、1979年)がある。これは、著者矢野氏が中学
生から寄せられた短歌を編集したものである。それらは「親に対する子どもたちの
心の叫び」を「三十一文字」で訴えたものである。
そのなかの一つに中学生の少女が詠んだ短歌がある(16頁)。
愛される
喜び母に欲しくなり
家出してみる反応いかにと
この短歌を見て、次のような情景が浮かんだ。
少女は、予期せぬことで母にひどく叱られ、カッとな
り、こんな冷たい愛のかけらもない家にいられないと
家出した。母は思いも寄らぬ子どもの家出に周章狼
狽し、すべてを放り出して子どもを探し回り、やっと見
つけ出した。母は娘を強く抱きしめ、叱ったことを謝
り、涙を流して再会を喜んだ。少女はこの時初めて
母の愛情を実感した。心理学的な言い方をすれば、愛に飢えていた少女は、その
時、家出という行為がその愛をもたらす行為であることを学習した。その後、愛が
ほしくなると、少女は家出をした。彼女の家出は、外から見れば、危険で愚かな行
為かもしれないが、しかし、少女にとって、それは最高の価値である母の愛をもた
らす唯一の行為であった。
ホーマンズの『交換の社会学』の一般命題の一つに《攻撃・是認命題》がある。
その一部が次の「欲求不満・攻撃命題」と言われるものである。
「 ある人の行動が期待した報酬を受けなかったり、予期せぬ罰を受けたりすると
き、その人は怒りを感じ、攻撃的な行動をすることが多くなり、また、そのような行
動の結果の方が価値あるものとなる。」
この命題は感情表出的な行為(怒りや攻撃)を解発する刺激状況について、ま
た、今まで得ていた報酬の価値はどうでもよくなり、その感情的な行為の結果の
方が価値あるものとなる刺激状況について述べた命題である。
この中学生の短歌はまさに攻撃命題の事例である。先に書いたように、その少
女は愛の感じられない冷たい家庭にじっと耐えていた。また、どうしたら母の愛情
を得られるか悩み、その方法を探っていた。そのような時に、予期せぬ母の叱責
に会い、カッとなり(怒り)、家を飛び出した(攻撃的な行為をした)。その時、彼女
にとって、今まで得ていた家庭からの恩恵はどうでもよくなり、家出の方が価値あ
るものとなった。こうして少女は他から見れば危険で愚かと思われる家出をしたの
である。
ところが、この家出が予期せぬ報酬をもたらした。それは少女が求めていた母
の愛という報酬である。ホーマンズの社会学には、《攻撃・是認命題》の他に《成功
命題》と《価値命題》がある。
「ある人の行為が報酬を受けることが多ければ多いほど、それだけその人はその
行為を行うことが多くなる」(成功命題)。
「行為結果が価値あればあるほど、人はその行為を行うことが多くなる」(価値命
題)。
少女が「愛される喜び母に欲しくな」ると「家出」を繰り返すこの行為は成功命題
と価値命題の事例である。少女は今まで母の愛を得ようといろいろな行為を試み
ても、母の無視に会い、何の効果もなかった。ところが、母の叱責にカッとなって
行った家出(表出的な行為)が予期せぬ母の愛情をもたらした。愛情獲得に成功
した。しかもその母の愛は大きな価値をもつ報酬である。そこで、少女は、成功命
題と価値命題より、母の愛がほしくなると家出を繰り返すのである。ここでは、家
出は怒りの表出的な行為ではなく、愛を得るための手段的・道具的な行為となっ
ている。
この少女の短歌を通して、私たちは《愛》が私たちにとっていかに価値のあるも
のであるかを知らされる。現代の問題は、愛を得る方法が分からないこと、あるい
は、愛を与える方法が分からないことにあるかもしれない。母は子どもを愛してい
る。しかし、その愛を子どもに分かるように行為で表現する方法がわからない。ま
た、子どもはその愛を求めて「トライ アンド エラー」するが、効果はない。子ども
には日常生活で愛を得る方法が分からない。そんな中で、偶然であることが多い
が、子どもは反社会的・非社会的な行為が愛をもたすことを学習する。そして、そ
のような行為を繰り返す。現代人の諸問題は、『愛と注目欠乏症候群』として、説
明できるかもしれない。
参考文献
池見酉次郎 『愛なくば』 光文社 1965 (日本心身医学協会 1979)
矢野寿男 『おやこ万葉集―いま中学生は何を考えているか―』 三笠書房
1979
池田誠二郎 『愛と注目欠乏症候群』 株式会社チーム医療 1999
拙著 『交換の社会学』 世界思想社 2005 第2章 一般命題 参照
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