諺と格言の社会学



恋は空腹で生き、満腹で死ぬ
  (L'amoure Vit d'inanition, et meurt de nourriture.)

 空腹のとき、私たちはパンをがつがつ食べる。満腹になると、パンを見るのも嫌 になる。恋も同じである。恋した人はその恋の成就を求め懸命になる。しかし、恋 が成就すると、その恋は徐々に色あせ、終わる。恋に生き、恋に苦しみ、放蕩と 快楽に命を賭けたミュッセ(Alfred de Musset, 1810-1857)は言う、「恋は空腹に生 き、満腹で死ぬ」と。
 
 経済学に、限界効用逓減の法則(law of diminishing marginal utility)と言われ る法則がある。それによれば、「財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分 から得られる効用は次第に小さくなる」のである。例えば、酒の好きな人にとって は、一杯目の酒は最高の美酒であるが、三杯四杯と重ねるにつれ、その酒もまず くなる。社会学には、空腹満腹命題と訳すこともできる剥奪飽和命題 (deprivation-satiation proposition)と呼ばれる行動法則がある。それによれば、 「ある報酬を受けることが多くなるにつれ、その報酬は次第に価値がなくなる」ので ある。これは物 的な財(報酬)だ けではなく、是認 や名声や恋のよ うな財にも適用 される。
 ミュッセの名言「恋は空腹で生き、満腹で死ぬ」は、まさに恋についての剥奪飽 和命題を述べたものである。似た諺として、「月と恋は満ちれば欠ける」をあげる ことができよう。 

 しかし、このミュッセの名言は、ジョジュル・サンド(George Sand, 1804-1876)と出 会い、恋に落ちる前のことであったように思われる。サンドと出会い、その女性観 は一変し、本物の恋に身をこがした。彼女との関係が深 まれば深まるほど、彼女の魅力はいや増し、恋はさらに 燃え、高まるばかりであっ た。その恋は日々新たにさ れた。しかし、サンドがすば らしい女性であればあるほ ど、多くの人も彼女に引か れる。恋が深まれば深まる ほど、彼女を独り占めしたい欲求が高くなる。しか し、その欲求は満たされない。欲求不満が高まり、 それが彼女への怒りとなり、凶暴となる。He cut off his nose to spite his face.(腹立ち紛れに自分の損になることをする)。サ ンドもミュッセに激しく惹かれながら、同じように強く嫌悪を感じるようになる。そし て、彼女は大切な髪を切って、ミュッセに送り、別れを告げる。この恋の破局に は、剥奪飽和命題は適用できないであろう。むしろ、攻撃是認命題を適用すべき であろう。

 恋の剥奪飽和命題について述べた日本の諺として、「女房と畳は新しい方が いい」を挙げることができよう。しかし、誤解を避けるために(誰の?)、私の好き な諺を急いで付け加えておきたい。「女房と味噌は古いほどいい」。 
 最後に、私の大好きなモンテーニュの言葉を引用しておく。

    美しい女にはやがて飽きがくるが、 善い女には決して飽きなどこな い。 

 参考文献
   拙著 『交換の社会学』 (世界思想社 2005) 第2章「一般命題」
   B.ショヴロン(持田明子訳)『赤く染まるヴェネツィア』(藤原書店 2000)
   モンテーニュ(原二郎訳)『エセー』(岩波文庫)





トップへ
戻る




インバスケット