諺と格言の社会学
ノブレス・オブリージュ (Noblesse Oblige:位高ければ徳高きを要
す)
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私の社会学の師 ジョージ・C・ ホーマンズ(G. C. Homans , 1910-1989) は、ア
メリカ合衆国2代目大統領ジョン・アダムスとその息子の6代目大統領クインシー・
アダムスを父祖にもつ、ボストン上流階級の出である。いわゆる、典型的なワスプ
(WASP)であり、ボストン・ブラーミン(Boston Brahmin)である。 その「ブラーミン文
化」の一つが「ノブレス・オブリージュ」という行動規範である。
ホーマンズは自叙伝 Coming to My Senses (1984) で彼の父について次の
ように書いている。
「父の最も強い性格の一つはノブレス・オブリージュのセンスであった。彼のよ
うな人物はアメリカ社会のあらゆる恩恵を享受していた。したがって、彼らは、そ
の社会が危機に瀕したときにはいち早く責任を負って立つべきであった。この性
格から、彼の弁護士事務所の若い人々から彼は「古きローマ人」(the old
Roman)と呼ばれていた。他の多くの人々と同じように、彼も合衆国が第一次世界
大戦に参戦するものと思っていた。すぐに参戦しようとしないウイルソン大統領を
彼は軽蔑した。彼はドイツが英国とフランスを打ち負かことを恐れた。とにかく、彼
は自分でできることをしようと決心した。それは彼にとって軍隊に入ることを意味し
た。シンシンティ協会(Society of Cincinnati)の会員であることと、彼の先祖達
が国家の主要な戦争に従軍したという事実が彼の決心を支えたと思う。彼はすで
に40歳を過ぎ、結婚しており、三人の子供がいたから、召集があってもそれを避
けることは容易なことであった。利益の上がる弁護士業を捨てることになったけれ
ど、彼は参戦前にニューヨークのピッツバーグでの最初の仕官訓練キャンプに志
願し、そして、少佐に任命され、最後には、1918年6月、76師団と一緒にフランスに
派遣された」。
大著『ローマ人の物語』を完成した作家・塩野七生は、「ノブレス・
オブリージュの精神は、… 元老院が長くその機能を果たしていく
上でのバックボーン」であり、ローマ帝国が1000年続いた理由の
一つは支配階級である貴族が「ノブレス・オブリージュ」の規範に忠
実であったからだと言っている。ローマ帝国にも貴族階級と平民階
級との対立はあったが、しかし、国家緊急の時には、貴族は率先
垂範して最前方に出て戦い、また、公共の利益のためには貴重な
財産を社会に快く提供した。この貴族のノブレス・オブリージュに従う行為が、平民
との対立が決定的な国家分裂の局面となることを阻止したのである。塩野はその
ような貴族の見本の1人として、独裁官キンキナートゥス(Lucius Quinctius
Cincinnatus)を挙げている。実は、ホーマンズの父が属していたシンシナティ協
会のシンシナティとはキンキナートゥスのことである。
古代ローマの貴族のように、ホーマンズの父もアメリカの貴族階級ボストン・ブラ
ーミンとして、ノブレス・オブリージュの規範に従って、国家の危機に際し、家族も
仕事も捨て、率先して最前線に出て戦ったのである。事務所の若手弁護士たちか
ら「古きローマ人」と呼ばれる所以である。
新渡戸稲造は武士階級のノブレス・オブリージュとして
『武士道』(1899)を論じている。「ブシドウは字義的には武士
道、すなわち武士がその職業においてまた日常生活にお
いて守るべき道を意味する。一言にすれば『武士の掟』、す
なわち武人階級の身分に伴う義務(ノーブレス・オブリージ
ュ)である」。すなわち、 武士という高い地位にある人は、義、勇、仁、礼、誠、名
誉、忠義、の徳を実行しなければならないのである。この徳が守れないとき、その
武士は周りから非難を受け、その地位を損なうことになる。
ここまでは、国家レベルの社会での地位の高い人の規範として、ノブレス・オブリ
ージュを見てきたが、同じことが、小さな社会についても言える。ここで、相撲の社
会について考えてみよう。相撲社会の最高の地位は横綱である。第55代横綱であ
り、現在、相撲協会の理事長である北の湖は、『とっておき十話 第3集』で、横綱
におけるノブレス・オブリージュについて次のように語っている。
「あれほどあこがれた横綱とは、こんなに厳しいものであった
のか・・・・・11年間、綱を張り続けての率直な思いです。もし生ま
れかわることができたら、好きな相撲はもう一度取りたいが、横
綱にはなりたくないというのもまた、正直な気持ちです。・・・〈中
略)・・・なぜ横綱とは、そんなにつらいものか。土俵に上がった
ら勝つのがあたりまえ、負けることは許されないからです。 横
綱を張って11年、勝ってうれしいと思ったことは、一度もありま
せん。一つ勝ってホッとする。ああ、これで横綱の責任を果たせ
たと。負けるとみっともないというだけでも、すごいプレッシャーなのに、最低12勝
の成績を残さなければならない、という二つ目の義務がある。そのうえ優勝しなけ
ればいけない。
負けてはいけない、最低12勝はしなくてはいけない、優勝をしなければいけない
―――これがみんな重なちゃうわけですから、苦痛ですよ。」
平幕の力士であった時は、勝てば喜び、負ければ悔しがればよかった。しかし、
横綱になったとたん、一夜にして、勝たねばならなくなり、負けてならなくなった。周
りの人々からは堂々と相撲を取り、優勝することが期待され、負ければ綱をけが
したと非難され、さらに、勝敗だけではなく、日常生活においても品格ある言動が
期待されるようになった。これが横綱という高い地位のノブレス・オブリージュであ
る。この重圧が、名横綱北の湖に、二度と「横綱になりたくない」と言わせたのであ
る。しかし、周知のように、彼はその重圧に負けず、相撲に精進し、24回の優勝
を成し遂げ、歴史に名を残す堂々たる品格ある横綱となった。
ノブレス・オブリージュとは、フランス語「Noblesse(貴族)」と「Obliger(義務を
負わせる)」を合成した言葉であり、1808年、フランスの政治家ガストン・ピエー
ル・マルク(1764−1830年)が高貴な身分に伴う社会的義務を強調しながら初
めて使ったと言われている。日本語に訳せば、「貴族の義務」、「高い身分には義
務が伴う」、「位高ければ徳高きを要する」 となろう。これを、高い地位の人々の取
るべき行動について述べた規範としてとらえ、社会行動の一般理論に位置づけて
論じた社会学者がG.C.ホーマンズである。
人はすばらしい仕事(行為)をし、周りの人々から高い賞賛を得て、高い地位を得る。このような事実――すばらしい行為→高い
地位という関係――が繰り返し認知されると、高い地位の人はそ
のすばらしい行為をしなければならなくなる。人々がそのような行
為を期待するようになる。こうして、事実が規範となる。Sein (存
在)が Sollen(当為) となる。ノブレス・オブリージュはこのようにし
て生まれた規範である。もしこの規範から逸脱すれば、それは
人々の期待を裏切ることであり、厳しい批判を受けることになり、
その地位を失うことになる。人はその批判を避けるため、その地位を守るため
に、その規範に同調しようと努力する。かかる意味で、地位が人を作ることにな
る。したがって、北の湖を名横綱としたのは、彼の実力だけではなく、横綱という地
位であったと言えよう。実力とは関係なく、世襲で高い地位についた人はどうであ
ろうか。大根と言われていた役者が、父親の名跡を継いだ後、精進して、名優とな
った例もあれば、その地位の重さに押しつぶされ、自ら命を絶った人もいる。地位
は人を殺すこともある。
「男はつらい」という嘆きも、男が高い地位にあったからこそ言えた言葉であろ
う。この言葉の裏には、その地位に相応しく、困難に負けず、家庭を担って立とう
と努力した男がいた。女性の進出で、その地位から解放された男は、今やか弱
い、そして、努力しない、「慢心しきったお坊ちゃん」になってしまった。これから
は、「女はつらい」の声を多く聞くことになりそうだ。
参考文献
G.C. Homans, 1974、Social Behavior, Harcout Brase Javanovich.
(橋本茂訳 『社会行動』 誠信書房 1978)
1984, Coming to My Senses : The Autobiography of
a Sociologist, Transaction books. p.25.
塩野七生 2002、 『ローマは一日にして成らず』 上下 新潮文庫 下巻 40頁
塩野七生 2005、 『ローマから日本が見える』 集英社 75頁、92頁
新渡戸稲造(矢内原忠雄訳) 1938(2006) 『武士道』 岩波文庫、27頁
北の湖敏満 1989、『とっておき十話』 新日本出版、39頁
橋本茂 2005 『交換の社会学』 世界思想社 131―136頁
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