諺と格言の社会学




「今日はみんなでポトラッチしよう」(岡本太郎)

岡本太郎 
 「今日でも未開社会に、俗に『ポトラッチ』と呼ばれている儀式 が行われるところがある。部族の勢力者が、みんなに厖大な贈 り物をし、大盤振る舞いをする。また、財宝を積み上げて惜しみ なく焼いたり、海に投げ捨ててしまう。・・・ソルボンヌの学生とし て、私が文化人類学の講義に通っていた時分、クラス仲間にこ の言葉をはやらせた。『今日はみんなでポトラッチしよう』など と、なけなしの金をハタきに、カフェへ繰り込んだりしたものだ」と語るのは、天才 画家 岡本太郎(1911-1996)である。マルセル・モース

 彼は、1931年(20歳)のとき、両親と一緒に渡仏した後、フラン スに一人残り、1940年(29歳)までパリに滞在した。その間、絵 の修業だけでなく、1938-9年には、パリ大学の学生として、マル セル・モース(Marcel Mauss 1872-1950)に師事して、文化人類 学(民族学)を学んだ。養女の岡本敏子が「パリではもう、あんま り絵をやらないで民族学をやってたんだから」と述べているよう に、彼の民族学研究は本格的なものであった。このモースの講 義に彼を誘ったのはジョジュル・バタイユ(Georges Bataille 1897-1962)であ ったと言われている。

  ポトラッチ(potolatch)という儀式を有名にしたのは、マルセル・モースの『贈与 論』であった。ポトラッチとは「食物を供給する」とか「消費する」を意味するチヌー ク語であるという。それは贈与・消費競争の儀式である。アメリカ北西部の先住民 (クワキゥトル族など)の酋長たちは、多くの部族民のいる祝祭の場において、@ 相互に交換する贈物の量で、A部族民に対する贈物の量で、B破壊する財の量 で、競争し合う。もし同等あるいはそれ以上の贈物を返せない時、また、部族民に 同等あるいはそれ以上の物を贈れない時、また、同等あるいはそれ以上の財産 を壊せない時、その酋長はポトラッチの敗者となり、相手に「従属し、家来や召使 になり、、小さくなり、より低い地位(従僕)に落ちる」のである。それ故、酋長たち は「負けじ」と競争するのである。その競争があまりにも過激になったので、カナダ 政府によって1884年代から1951年代まで禁止された。
            

 岡本太郎は、モースの人類学の授業が終わると、「今日はみんなでポトラッチし よう」と仲間と連れ立ってカフェに繰り込み、見栄を張って奢り合いや、高価なコー ヒーの注文合戦をするのである。奢る金がなく、また、安いものしか注文できなか った人は面子を失い、敗者となるのである。

ジョジュル・バタイユ バタイユはこのモースのポトラッチ研究から大きな示唆を受けた。ポトラッチの意味する非合理的な非生産的な消費(例えば、 奢侈、葬儀、戦争、祭典、豪奢な大建造物、遊戯、見世物、芸 術、快楽としての性行為など)は近代においてもっとも『呪われた 部分』であった。近代の西欧社会は生産と蓄積と生産に貢献する 消費を重視してきた。しかし、バタイユは言う。 これらの活動は人間の生にとって手段であ り、人間の生の真の目的は非合理的な非生 産的な消費(消尽)にあると。生産、蓄積、生産的消費という合 理的な経済のサイクルにとどまっている「従来の経済学」から 脱却して、富の獲得と消尽をともに包含する「普遍経済学」を 構築すべきであると、バタイユは主張した。

 SF作家かんべむさしは(1948〜)ポトラッチの財産(貴重品) の破壊競争に着目して、人間の戦争の歴史を見直し、『ポトラッチ戦史』、『笑撃★ ポトラッチ大戦』を面白おかしく書いた。しかし、SF小説だからといって、笑い飛ば せない真実をそこに読者は見つけるであろう。さすが名門関西学院大学社会学部 出身の作家である。

 社会学者ホーマンズ(1910-1989)は、その交換の社会学において、ポトラッチ 「互酬性の規範」(norm of reciprocity)の一例として取り挙げる。
  日々の生活において、相互に同等なものを授受し、同等なものを誇示している 人々は、地位の対等な者として知覚される。同等なものの交換と対等な地位との 間の関係が繰り返し観察されると、その関係が当然なものとなり、さらには、規範 となる。Sein(存在)がSollen(当為)となる。対等な地位にある人は同等なものを 授受したり、誇示しなければならないという互酬性の規範が発現する。
 このような状況において、もし対等な関係にある人が、相手から贈られたものと 同等なものを返せない時、あるいは、その他者と同等な行為を周りの人々に誇示 することができない時、すなわち、互酬性の規範から逸脱する時、地位の対等さ の喪失、劣位の告白、落ちぶれること、恥をかくこと、面子を失うというサンクショ ンを受ける。これは当人にとって大きな罰であり、その回避は大きな報酬である。 そこで、人は他者と同等な行為をしようと懸命になる。この典型的な例が酋長の 間でのポトラッチの儀式である。 このような例は私たちの周りにも見られる。仲 間の誰かがブランド品のバッグを買えば、他の仲間も「負けじ」とそのバッグを買 う。買わなければ、恥をかくことになる。対等な人々よりなる集団では、負けたくな い、同等でいたいという願いから、競争が激しくなり、同じものを持ち、同じものを 身につけ、したがって、相互に似てくる。こうして、いろいろな流行が始まる。まさ に、流行は庶民の間での現代版ポトラッチである。

 さあ、今日は同僚と居酒屋にでも行ってポトラッチするか。
 これぞ、しがない大学教師の人類学的社会学的お遊びで ある。

参考文献
 岡本太郎 『岡本太郎の眼』(朝日新聞社 1966) pp.286-291.
  M.モース(有地亨他訳) 『社会学と人類学 1 』(弘文堂 1973) p.227. p.384.
  G.バタイユ(生田耕作訳)『呪われた部分』(二見書房 1973)
 酒井健 『バタイユ入門』(ちくま新書 1996)
 酒井健 『バタイユ 魅惑する思想』(白水社 2005)
 かんべむさし『ポトラッチ戦史』(講談社 1977)
 かんべむさし『笑撃☆ポトラッチ大戦』(講談社青い鳥文庫 2003)
 G.C.ホーマンズ(橋本茂訳)『社会行動』(誠信書房 1978)
 橋本茂 『交換の社会学』(世界思想社 2005)「 第7章 地位体系」参照 




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