諺と格言の社会学



Suum cuique,To each his own, Jedem das Seine.
         各人に各人のものを

          
 Suum cuique (スウム・クィークゥェ)はラテン語であり、これを 英語に訳せば”To each his own” となり、ドイツ語に訳せ ば ”Jedem das Seine” となり、日本語に訳せば、「各人 に各人のものを」となる。
 この言葉を有名にしたのはキケロ( Marcus Tullius  Cicero、BC106〜BC43)であった。彼はその言葉を用いて、 「各人に各人のものを分配すること(suum cuique tribuere)、 これが要するに最高の正義である」と言った(Cicero, De officiis )。この成句は、正 に、「正義とは何か」に端的に答えた言葉である。 
 
 正義とは、各人にふさわしいものを各人に与えることであ る。これは一般に配分的正義(分配の公正)と呼ばれている。 これを最初に公式化したのはアリストテレス(Aristoteles 384 -322B.C.)であった。彼によれば、人Pが報酬Rを与えられ、 人Pが報酬Rを与えられた時、下記の公式が成り立つ時、 その報酬の分配は公正である。

                                 (Pは人の値打ち、Rは配分されるもの)

 これは、配分的正義の形式的論理的公式であり、この原理 の次元での同意は容易に得られる。しかし、これを現場に適 用するとなると、同意は簡単に得られない。卑近な例で考えて みよう。

 コンビニで二人のアルバイトが同じ販売の仕事をしており、そのうち一人は時給 850円を、他の一人は時給800円を店長から貰っている。私たちの見るところ、現 時点では、この時給は公正と認められているようである。その理由は、多分、前者 が年上の大学生であり、後者が年下の高校生であるからであろう。それを式で表 わせば下記のようになろう。

           
 
 ここでは、P>P 故に、 R>R であり、したがって、この不平等な分配が 公正である。
 しかし、高校生の中には、時給800円は不公正であり、自分たちも時給850円を 支給されるべきと抗議する者もいるであろう。なぜなら大学生であろうが高校生で あろうが、している仕事は同じであるから。しかし、この主張は少数意見であり、受 け入れらていないようである。この主張を公正の式で表わせば下記のようになろ う。

            

 ここでは、P=P 故に、R=R である。したがって、平等な分配が公正であ る。
 結局、問題は、人の値打ちをいかに測るかである。前者は学歴(教育的投資)と 年齢によって、後者は仕事によって、人の値打ちを測っている。どちらを正当な基 準とするかは、関係当事者間の勢力関係にあると思われる。コンビニのアルバイ ト市場を大学生が多く占めるなら、勢力は彼らにあり、したがって、店長は大学生 の要求を受け入れるであろうし、高校生が多数を占めるなら、彼らの要求が通る であろう。
 
  Suum cuique は、ドイツ語では、Jedem das Seine と訳されると上に書いた。 1998年、この言葉を用いて、ノキアが、ドイツで、携帯電話販売の宣伝をした時、 その使用に対し、ユダヤ人団体が強く反対し た。実は、この言葉はユダヤ人にとって、忌むべ き言葉のひとつである。この言葉 JEDEM DAS SEINE は、ユダヤ人を多く含む56,000人 以上の人が殺されたブーヘンヴァルト強制収容 所の鉄格子の正門に刻みこまれていた。この言 葉「各人に各人のものを」は、「《優秀なる》ドイツ 民族には繁栄を、《寄生虫である》ユダヤ民族に は死を」を意味していた。そして、ナチス・ドイではこれが正義であった。当然、ユダヤ人にとっては最大 の不正義であった。まさに、「力は正義なり」(Might makes  right.)である。
  
 右の「正義の女神」を見て欲しい。彼女は左手に天秤を 持っている。公正な配分を行うために、人の値打ちと配分 されるべきものを秤量する天秤である。しかし、彼女は目 隠しをしている(あるいは、させられている)。これでは目 盛りが見えない。その目隠しは、一般的に、その秤量に感 情が介入することを防ぐためであると説明されているが、 しかし、正義をめぐっての争いという現実から考えると、正 義の女神にも、実は、争いに決着をつける本当の正義が 分からないことを、この目隠しは意味しているようにも思わ れる。その証拠に、彼女は右手に剣を持っている。正義 の争いを鎮め、何が正義かを決めるのでは、実は権力で あるとを、この剣は語っているように思われる。
 
 いつまで、「正しいこととは、強者の利益に他ならない」という正義が存続するの であろうか。しかし、そのうち、賢明な権力者は、力に任せて、「強者の利益」として の正義を押し通せば、それ以上の罰が返ってくることを、世界の歴史と経験を通し て知るであろう。そして、自分らの権力維持のためにも、「他者の利益」である正 義を実践することが、自分たちにとって大きな利益となることを認識し、そのような 正義を行うようになるであろう。「情けは人のためならず」である。

参考文献
 プラトン『国家論』(山本光雄訳 河出書房 1965)
 アリストテレス『ニコマコス倫理学』(加藤信朗訳 岩波書店 1973)
 キケロ『義務について』(高橋宏幸訳 岩波書店 1999) 
 ホーマンズ『社会行動』(橋本茂訳 誠信書房 1978)
 拙著『交換の社会学』(世界思想社 2005)




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