諺と格言の社会学



Don't cut off your nose to spite your face.(他の誰かに復 讐するために、自分を傷付けるような行為をするな)。

  

 直訳すれば、「顔の醜さに腹 を立て、鼻を切り取るな」とな る。しかし、それは、一般に、 「腹立ち紛れに自分の損にな ることをするな」とか、「隣人に 意趣返しをするために自分の 体を傷つけるな」とか、「他の 誰かに復讐するために、自分 を傷つけるような行為はする な」と意訳されている。

 交換の社会学の提唱者であ るホーマンズは、人間行動の 一般命題のひとつとして、「攻撃是認命題」を挙げている。それによると、人は期 待を裏切られたり、予期せぬ罰を受けると、腹を立て、今までの報酬を投げ捨て て、攻撃的な行動をとるようになる。
  この命題は、人びとの感情的な行動が解発される条件について、また、人びと が、今まで得ていた報酬よりも、攻撃的な行動をすることの方が価値あると思うよ うになる条件について述べている。その条件とは「期待への裏切りや予期せぬ罰」 という条件である。
 期待の中でも、社会行動の研究で特に重要な期待は、正義(分配の公正さ)へ の期待である。私たちの日常的な生活では、不公平な分配によって解発された怒 りは、責任者への陳情、時には、職を賭けての抗議などのような行為形態をとる であろう。それらの行為は成功もするが、時には、失敗し、職を失うこともあろう。
 このことは、大社会のレベルでも起こる。この正義への期待が国家によって裏 切られた時、人びとは、反射的に、怒りを見せる。もちろん、そ の怒りの度合いは人によって異なるが、しかし、不正の度が増 せば、怒りの度合いも増大し、「堪忍袋の緒が切れる」時が来 る。その時、人は、このような状況の中で生きるより、死んだほ うがましだと思いようになり、すべてを投げ捨てて、権力者に立 ち向かっていく。時には、その行動は、多くの人々の支持を得 て、権力を打ち負かし、新しい国家を生み出す。しかし、その攻撃的行動は不成 功に終わり、財産も命も失うという悲劇となることが多い。
 これらの失敗から、教訓的な諺が生まれてくる。Don't cut off your nose to spite your face.(他の誰かに復讐するために、自分を傷つけるような行為はす るな)。「短気は損気」だ。
 しかし、怒りは人間関係において大きな働きをする。先に、人々の間の勢力差を 生み出す条件、「利害関心最少の原理」を見た。「関係の維持存続に関心の少な い人が大きな勢力を持つ」という原理である。怒りの人は、かつては、その関係の 維持存続に大きな利害関心を持つ人、すなわち勢力の弱い人であったが、怒りに よって、どうなってもいいという無関心な人に変わった。もしその人が相手にとって 大切な人であるなら、勢力は逆転し、今度は、彼が大きな勢力を持つ人となる。
 かつてこんなことが身近で起こった。衣食住のほとんどを父親に依存し完全な父 親の支配下にあった娘が、父親のあまりにも理不尽な干渉に耐えきれなくなり、す べてを捨てて家出した。父親は寝食もとらずに探し回り、やっとの思いで娘を見つ け、家につれ帰った。その後の父親はかつての頑固親父の面影はなく、娘の言う ままの父親となった。「どうしてそんなに弱気になったのか」と聞いたら、「私の生き 甲斐そのものである娘にまた家出されたら生きていけないからね」と答えた。ここ では、勢力が完全に逆転している。父は娘の勢力下にある。
 しかし、家出がこのように終わらず、大きな悲劇となっていることを、私たちは 日々の新聞やテレビで知っている。やはり、Don't cut off your nose to spite your face. 「腹立ち紛れに自分の損になることをするな」、「短気は身を亡ぼす 腹きり刀」、「堪忍五両」という諺を肝に銘じておくべきかもしれない。

参考文献
 拙著『交換の社会学』(世界思想社 2005)第2章と第9章を参照




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