諺と格言の社会学




我田引水(我が田に水を引く)

 「我田引水」とは、田になくてはならない大切な水を、自分のところだけに引いてしまうという意から、 一般的に、他人の不利益になろうとも、自分に都合のいいように理屈付けや行為をすることを意味す るようになった。それは自分の有利になるように取り計らう利己的な行為であ り、他人のことはかまわず、自分の都合だけ考えて行われる「得手勝手」な行 為である。
 ところで、私たちの関心は、こうした利己的な行為それ自体ではなく、それに 対する他者の反応にある。ここでは、「我田引水」という文字通りの行為がどの ような結果をもたらしたかをみることにしよう。

 農民にとって、今もそうであるが、水は稲の生育には欠かせない大切なもの であった。日照りが続くと、農民は稲を枯らさないために、水泥棒をしてでも、 少しでも多く、自分の田に水を引き入れようとした。その結果、あちこちで、 争いが起こった。血を見ることもあった。もちろん、農民にとって、争いも流血も 避けたいことであった。それらを避けることは報酬であった。自分も満足でき、他者も満足できるような 分水の方法はないであろうか。水を公正に分配できる方法はないであろうか。これが彼らの切実な 課題であった。

 公正な水の配分を求めて、農業関係者たちは、大正年間より、分水樋といわれるような農業用水を 分配する施設を多く考案し、試みた。そのような試行錯誤の結果生まれた分水施設が、1941年(昭和 16年)、神奈川県川崎市高津区久地に作られた二ヶ領用水久地の「円筒分水」(えんとうぶんすい) であった。この円筒分水は、現在、「国登録有形文化財」に指定されている(左下の写真)。

 その円筒分水は、用水を水路トンネルに引き込み、その水を、サ イフォンの原理を用いて、トンネルの端の円筒状の設備の中心部 から湧き出させ、その水が円筒外周部から越流、落下する際に一 定の割合で分配される仕組みになっていた。
 それは農業用水を農民の耕地面積の比率に応じて公平に分 配することのできる分水施設の決定版であった。以降、同じ方式の ものが全国各地に造られるようになった。この装置の発明によっ て、どの田も公平に水を得ることができるようになり、農民間の争い は解消した。(右下の写真は大分県竹田市の円筒分水)。  

  我が田に水を引くという利己的な行為から、水争いが起こ った。それを避けようとして、農民たちは互いに満足できる公 正な水の配分法の実現を求めた。試行錯誤の末、彼らは円 筒分水という用水施設を発明した。農民たちはその発明を 「想い一筋、流れは八筋」(「丹沢平野小唄」)と歌って祝った。 これは水争いを解消させ、水の公正な分配を可能とさせる、 農民の生活の知恵の結晶であった。 


 これぞ正に、「利己主義から割り出した公平という念」(夏目漱石)の現実化である。


参考文献
 拙著 『交換の社会学』(世界思想社 2005)。「2章一般命題」 と 「9章分配の公正」 参照。
 夏目漱石 『我輩は猫である』(漱石全集第一巻 岩波書店 1965) 30頁
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「円筒分水」





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