諺と格言の社会学
No cross no crown(十字架なくば、冠なし).
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”No cross no crown” 直訳すれば、「十
字架なくば、冠なし」であるが、意訳すれば、「艱難
なくして栄光なし」となろう。この言葉を有名にした
のはウイリアム・ペン(William Penn, 1644-1718)で
ある。
キリスト友会(クェーカー)に入信したウィリアム・
ペンは、1668年(24歳)、イギリス国教会を批判し
た冊子、『揺らぐ砂の礎』(Sandy Foundations
Shaken)を無許可で出版した廉で、ロンドン塔に九
ヶ月近く収監された。1669年(25歳)、その獄中
で、彼は冊子 No Cross No Crown, (『十
字架なくば、冠なし』) を書いた。このタイトルは、
彼をクェーカーに導いたトーマス・ローが彼に与え
た別れの言葉、「愛するものよ、あなたの十字架
を担いなさい。やがては神が、誰も取り去ることのできない永遠の栄光の冠をあな
たに与えるでしょうから。」からヒントを得たものであった。
キリスト友会とは、17世紀半ぱ、イギリスにおいて、ジョージ・フォックスによって
始められた、一般にクェーカーと呼ばれているキリスト教の一派である。クェーカー
(友会徒)は、すべての人の心のうちに常に神の力が働いていると信じた。このこ
とを「内なる光」、「内なるキリスト」という。これがキリスト友会の信仰の基本であっ
た。この信仰は、制度や礼拝形式や教理を重んじるイギリス国教会のあり方を批
判することになり、国家から激しい迫害を受けた。
イギリスの有名な海軍提督を父に持つペンにとって、クエーカーに入信すること
は、現在の、そして将来の恵まれた社会的・経済的・政治的地位を捨てることであ
った。父は、「お前の考えることはわしにはまるでわからない。お前は廷臣や大使
になるように養育されて、そうしてクエーカーにな
るんだからな。・・・お前は地位もあり、あらゆる特
権を持っているのに、今それを皆投げ捨ててしま
おうとするのか、しかも何のためにだ」と詰問す
る。 しかし、このクェーカーの信仰を通してしか
「永遠の栄光の冠」を得られないと信ずるペンに
とっては、約束されたこの世の栄光を捨てるとい
う苦渋も、牢獄に繋がれるという苦難も甘受し、
それを自分の十字架として背負って、この茨の道を歩んで行かねばならないので
ある。「十字架なくば、冠なし」である。彼の父は、ペンの将来を心配しながら、
1670年、49歳の若さで他界した。
入信以来十年間、ペンは信教の自由のため身
を捧げ、説教して歩き、国会、判事、教会、そし
て一般民衆に熱心に説き、ついにはそのために
牢獄にまで入った。しかし、その結果は絶望であ
った。「イギリスでは見込みがない」と見た彼は、
「海のかなたの新しい土地へと眼を向けた」ので
ある。
ペンは、父からの遺産として、父が国王チャー
ルズ2世に貸した大金の証書を受け継いでい
た。1681年、彼はその返済の代わりにアメリカの
植民地ペンシルヴァニア(ペンの森の意、王が
命名)の領地を与えてくれるよう王に請願し許可され、ペンはその領地の知事とな
った。彼はこのペンシルヴァニアを信仰と良心の自由の地にして、迫害に苦しんで
いる人を助けようと決意した。こうして、ペン知事の手によって、1682年(38歳)、
歴史上未だかつて建てられた事のない、「信仰の自由の国」が建てられた。この
試みをペンは「聖なる実験」と呼んだ。ヨーロッパ各地から信仰の自由を求めてク
ェーカーを初めとする多くの人がペンシルヴァニアに移ってきた。1699年(55
歳)、ペンは歴史上初めて個人の信仰と良心が、国の統制下に置くことのできな
い不可侵の権利であると宣言する法律を制定した。ここに基本的人権が法律を制
限する近代憲法の精神が生まれた。 まさに、ペンは重い十字架を負うことによっ
て、神から永遠なる救いの冠を与えられただけではなく、後の人々からは民主主
義の先駆者としての栄誉を与えられた。1718年、ペンは66歳でイギリスで亡くなっ
た。
ペンほど劇的ではないが、私たちも、多くの日常の生活で、一方を選択すれ
ば、他方を放棄せざるを得ないという選択的な状況にある。交換の社会学では、
このような状況において、選択した方の行為の結果を報酬(reward)と言い、諦め
た方の行為の結果をコスト(cost)と言う。私たちはある報酬を得るために、コストを
払っているのである。報酬は只では手に入らないのである。言い換えれば、私た
ちもそれなりの冠を得るために、十字架を負うているのである。
ペンは、永遠なる救いを得るためにクェーカーとしての信仰の道を選択し、大き
な世俗的な報酬を捨てた。私は酒を飲むために、本を買うのを諦めた。両者の状
況はともに選択的であることでは同じであるが、しかし、この内容の落差は大き
い。
参考文献
E.G.ヴァイニング(高橋たね)『民主主義の先駆者 ウィリアム・ペン』(岩波新
書 1950)
拙著『交換の社会学』 (世界思想社 2005) 第2章参照
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