諺と格言の社会学



善は急げ・急がば回れ

 『善は急げ』。この諺は、文字通り、善いことのためには、躊躇せず、直ちに実行せよと、命じる。それに対し、『急がば 回れ』という諺は、急ぐときには危険な近道を通るよりも、安 全な回り道をして行けと命じる。
   アメリカの著名な社会学者ホーマンズは、行為の一般命 題として、価値命題(value proposition)と成功命題(success proposition)を挙げて いる。価値命題とは、「行為結果が価値あればあるほど、それだけ人はその行為 を行う」という行為パターンであり、成功命題は「報酬獲得に成功すればするほ ど、それだけ人はその行為を行う」という行為パターンである。

 諺『善は急げ』とは、価値命題に相当し、その行為結果が価値あると思われれ ば思われるほど、恐れず、直ちに行為せよと命じる。そこには、価値実現のため には、障害物があれば躊躇なく排除せよという命令が内包されることが多い。これ は、理想主義的な行為パターンと言える。
 諺『急がば回れ』とは、成功命題に相当し、たとえ時間のかかる回り道をしても、 成功の可能性の高い方の行為をとることを命じる。そこには、最善でなくても次善 のものでも我慢せよという命令が含まれることが多い。これは、保守主義的な行 為パターンと言える。

 一般に、人は合理的選択理論の一般命題が示唆するように、行為の選択的な 状況において、価値の度合に成功の可能性を掛けた値の大きい方の行為を選択 する。
 善に取り付かれ、理想に燃えた人にとっては、その善の価値は百すなわち絶対 であり、他の善の価値はゼロである。従って、その人には、選択の余地はない。 彼は、躊躇することなく、絶対的な価値を持つ善の実現のために実践する。さら に、価値の絶対性故に、すべてが許されると考える。ここに理想主義の危険があ る。悪人は一人殺しても、その罪に震えるが、善人は善実現のためには、それに 反対する人を何百何千人であろうと、平気で殺すことができる。なぜなら、そのこ とが理想の実現を早めることであり、従って、許されると考えるからである。もちろ ん、そのような行為は、多くの禍根を残して、失敗することが多い。『急いてはこと を仕損じる』のである。A short cut is often a wrong cut. Haste makes  waste.。
 また、成功確実な行為だけをとるという、失敗のない生活もあるが、しかし退屈 な人生であろう。『石橋を叩いて渡る』人生である。

 しかし、賢明な人は、ある時までは、このような退屈 な行為を繰り返しながら、少しずつ物的・社会的資本 を蓄積し、少々の失敗を恐れなくてもいいほどの余 裕ができた時に、理想実現のために冒険するという 道をとるであろう。  Hasten slowly. 


参考文献
  拙著 『交換の社会学』(世界思想社 2005) 第2章を参照




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