諺と格言の社会学
恋愛とはより多く愛した側が敗北する性的葛藤である。(野口武
彦)
|
|
恋愛という性的闘争で、より多く愛する者は敗北し、愛の奴隷
となる。そして、時には、アッシー君に、あるいは、ミツグ君にな
る。しかし、中には、肘鉄砲をくらい、振られる者もいる。
そもそも愛とは何であろうか。それは、相手との交際や関係を維持し続けたいと
願う強い感情のひとつである。しかも、その相手は他者でもって代えることのでき
ない存在である場合が多い。その感情が相互に等しいとき、二人は相思相愛にあ
り、その感情が一方的であるとき、その人は片思いにあると言われる。多く愛した
側とは、その片思いの人であり、言い換えれば、惚れている人である。
私たちはよく「惚れた弱みにつけ込む」という言葉を口にする。私たちは、日常生
活の経験を通して、惚れた方(より多く愛した側)が弱いことを知っていいる。
なぜ惚れた方が弱いのであろうか。今二人をA君とB子さんとしよう。A君はB子
さんに首っ丈である。傍にいるD子さんは無に等しい。B子さんは、A君と同じよう
にC君にも好意を寄せ、彼とも付き合いたいと思っている。この状況を仮に数値で
表わしてみよう。A君にとってB子さんは100の価値を持ち、D子さんはは0であ
る。B子さんにとってA君の価値は50であり、C君の価値も50である。これをゲー
ムの理論で使うマトリクスで表すと下図のマトリクス1となる。
マトリクス1では、B子さんはどちらの男性を選んでも得る報酬は50で等しい。
A君でもC君でもいい。彼女は選択に無差別(indifferent)である。ところが、A君
には選択の余地はない、B子さんだけ(100)である。しかし、このままでは、B子
さんはC君の方に行ってしまうかもしれない。A君はB子さんを失うことになるかも
しれない。どうするか。A君はBさんの選択(関心)が自分に向かうように努力す
る。彼は行動を変える。Bさんが自分と付き合うことによって得る価値が今(50)よ
り大きくする(100)ように行動を変える。B子さんのアッシー君やミツグ君になる。
「愛の奴隷」になる。この状況を示したのがマトリクス2である。A君がこのように
行為を変えることによって、B子さんの得る報酬は100になり、彼女はA君との交
際を選択する。こうして、二人の交際は維持され存続する。
A君はB子さんとの交際を維持継続するために、自ら進んで彼女の喜ぶ方向に
行為を変えている。この時、彼女は勢力を行使していると言われる。A君は自ら進
んでB子さんの勢力に屈している。この場合、彼女は非強制的勢力を行使してい
ると言われる。もちろん、A君が自分に惚れていることをBさんが知っておれば、彼
女は彼にアッシ君であることを、また、ミツグ君であることを強く求めたかもしれな
い。いずれにせよ、二人の間に勢力差を生み出す条件はマトリクス1によって示さ
れている。
一般に、社会学では、この勢力差を作り出す条件を 『利害関心最少の原理』
(principle of least interest) と呼んでいる。それは、「関係の維持存続に関心の少
ない人が、大きな勢力を持つ」という原理である。俗な言い方をすれば、『惚れた
弱みの原理』ということになろう。この原理について最初に論じた社会学者は近代
社会学の祖ジンメル(G. Simmel)であろう。彼は『貨幣の哲学』(1900)で次のように
述べている。「いかなる関係においても、関係の内容に執着することのより少ない
者の方が有利な地位に立つ。……愛を基盤とするあらゆる関係において、外面的
に見るならば、愛情のより少ない者の方が有利な地位にある」と。
もしA君がいろいろ尽くしたにもかかわずB子さんから肘鉄砲を受け、振られたら
どうなるであろうか。三つの場面が考えられる。第一の場面は、B子さんとの交際
を潔く諦める。第二の場面は、A君はその肘鉄砲という仕打ちに腹を立て、「俺と
交際しないと殺すぞ」といって脅迫する。ここでは、A君が強制的勢力を行使しよう
としている。第三の場面は、振られたA君は「僕と交際してくれないなら、自殺す
る」といって哀願する。ここでは、彼はシェリングの言う非合理的勢力を行使しよう
としている。この後の二つの場面では勢力関係が逆転している。B子さんが殺され
ることを恐れ、また、彼の自殺という悲劇を回避するために、A君の要求を受け入
れたなら、この性的闘争での敗者はB子さんになろう。もしB子さんが脅迫や哀願
に負けないで交際を拒否し、彼の勢力行使が失敗したら、どうなるであろうか。彼
女は殺されるかもしれない。あるいは、彼に自殺されるかもしれない。あるいはま
た、彼の言葉は単なる脅しで何も起こらないかもしれない。
私たちの出会いは、常に、相思相愛でありますように!
参考文献
Simmel, G., Philosophie der Geldes, 1900
(恒藤恭訳 『ジンメルの社会学』 改造社 1947)
野口武彦 『近代日本の恋愛小説』(大阪書籍 1987)
V 二葉亭四迷『浮雲』を参照
小谷野敦 『〈男の恋〉の文学史』(朝日選書 1997)
第6章 「男の片思い」の復活―二葉亭四迷 を参照
拙著 『交換の社会学』(世界思想社 2005) 第4章を参照
|
|
|
インバスケット
|