4:羽ばたくこと、二度となし
共和国航空部隊の敗色は濃くなっていた。戦闘開始当初の機数では共和国の方が若干勝っていたが、帝国軍には精鋭部隊の“赤い翼”がおり、逆に共和国軍は相次ぐ後退に疲弊し練度も下がってきている。そして何より、軍司令部は帝国軍がこれほど早くにこれほどの戦力を投入してくるとは思ってなかったのだ。故に、共和国側の半分は爆撃を想定した装備になっており、それが混乱を生み付け入られる隙となったのだ。
ラルグの機体の至近を、シュミット少尉の放った火線が走った。狙いは粗雑で当たりはしなかったが、ラルグの動きを掣肘するには充分であろう。
「うるせえ……ッ」
思わずそちらに反撃しようとするラルグ。
「ラルグ、旋回ッ!」
カイトが通信機に叫んだ。反応してフットバーを蹴りつける。
刹那。
機体に衝撃が走った。バランスが崩れる。
(やられた!?)
すぐさまモニターに出力された損傷位置を確認する。左脚破損。加えて尾部と左主翼に損傷。行動不能というわけではないが、戦闘においては致命になりかねない被害だった。もちろん敵がこのような好機を見逃すはずがない。
「ラルグ、離脱するんだ!」
彼を守るようにカイトのプテラスが割ってはいる。
「よせっ、カイト……ッ!」
コックピット脇に増設した小口径レーザー機銃を乱射してクルーゲのレドラーを牽制するラルグの親友。無論、それは敵の注意を引きつけることになった。
「無茶は……」
言い終わらない内に彼の愛機は火線に包まれた。
「畜生、やられてたまるかぁっ!!」
神と悪魔を罵りながら必死になって敵を振り切ろうとする。しかし、思うように言うことを聞いてくれない。彼の機体は明らかに、要求に応えるだけの機能を維持していなかったのだ。
「ラルグ、無……」
唐突に通信が途切れる。そう、それはまさに唐突だった。彼は不吉な異変に気付き振り返る。
「…………」
ありうるべからざる状況がそこにあった。
黒い破片が散らばる。ラルグの刻が凍り付く。大きく開ききった瞳に、火炎に包まれ砕け散る親友のプテラスが映っていた。
「……おい、冗談だろう」
絞り出すような声。
「……脱出したんだろう?カイト、返事ぐらいしろよな……」
返答は無かった。
「カイト……」
耳鳴りがする。目の前が暗い。やがて、ラルグは大きく息を吸い込み一気に吐き出すと、思いっきり操縦板を殴りつけた。
だが、彼には悲しみに浸る時間はなかった。まだ危機が去ったわけではないのだ。それどころか、愛機が傷つき頼りになる戦友を失ったことで状況は悪化していると言ってよかった。
今や、彼の周りに味方はほとんどいなかった。
「カヴァン中尉!アーデルハイド中尉!誰か、誰か生きてるヤツはいないのか!?」
返答はない。
「敵!敵!敵!ここには敵しかいないのか!」
必死になって操縦桿にしがみつき、敵を振り切ろうとあがく。機体が軋み悲鳴をあげている。
「嫌だ、こんなところで死んでたまるか!俺は死なねえ!死なねえぞ!」
彼自身は気づいてなかったが、この時愛機は傷ついた体であるにも関わらず主の要求に対し忠実に答えようとしていた。恐らく、その働きは完全に整備された状況に迫る程であっただろう。
生への飽くなき執着。
いくつかの修羅場を潜り抜けた彼にとって、それは久しくわき起こらなかった。生きたいという思いが彼と愛機を突き動かしていた。
その時であった。
不意に、銀色の翼が視界を横切った。
と、同時に、一機のレドラーがバラバラになり、次の瞬間爆発四散した。
「ストームソーダーか!」
クルーゲ少佐は歯ぎしりした。九分九厘勝ちを手にしかけた状況で、恐るべき増援が敵側に現れたのだ。
「……隊長、どうします?」
「うろたえるな。戦果は充分なのだ。敵につけ込まれる隙を与えないように退こう。俺達の隊がしんがりになる」
この発言は彼が勇敢で、尚かつ勇敢なだけの単なる戦闘屋でないことを示すものだった。しかしこの判断が彼の命を奪うのだ。
クルーゲは“赤い翼”をとりまとめストームソーダー二個小隊と激しい空中戦を展開した。
「数で押せばいい」
そうは言ったものの、相手の速度からそれは容易ではない。しかし、彼は矢継ぎ早に部下へ的確な指示を出し巧妙に一機のストームソーダーを追い込んだ。練達の部隊ならではの妙技であろう。
「後ろをとったぞ」
スピードに差がある以上接近戦は禁物だろう。そう考えた彼は機銃による撃墜を考えトリガーに指をかけた。
刹那。
ストームソーダーの銀翼が折れた。機体位置をずらし一気に減速する。瞬間、後ろをとられていたのはクルーゲの方だった。
そして。
「ふ、やるじゃないか……」
――――――――加速する!
ラルグの機体が大きくバランスを崩した。警告音が鳴り響く。
「コンバットシステムがフリーズした……?」
この時になって彼ははじめて悟った。愛機が限界に達するまで自分の要求に応えてくれていたことに。
「……お前……すまねえな……」
ラルグは、操縦桿を、モニターを、シートを、いたわるように撫でた。
「そして、今までありがとよ……」
コックピットの脱出ボタンを押した。プテラスの頭部が切り離され、傷ついた胴体が煙を吐きながら雲海の下へと消えていく。ラルグはその姿を目で追いつつ、ゆっくりと敬礼したのであった。
「……そうか、クルーゲ少佐が死んだか」
帰投したシュミット少尉の報告を受けたパイパー准将は静かに目を閉じた。
「彼を二階級特進させ、大佐とする。他の戦死した者達にも昇進を約束しよう」
「……はい」
少尉の声は硬い。
「それと、クラフト大尉を少佐に昇進させ貴官等の新しい指揮官としよう。そのことを今から“赤い翼”へ伝えに言ってはくれまいか」
「……了解しました」
少尉はひとつ敬礼すると、くるりときびすをかえして部屋の扉の方へ歩き去ろうとした。
「少尉」
不意にパイパー准将が呼び止めた。数秒の間を置いて、ゆっくりと言った。
「私とて、クルーゲ大佐の死を残念に思っているのだよ」
「ガイロス帝国軍人としてですか」
「それもある。しかし、なんというかね、彼のような存在を喪失したことに対して寂寥の感は否めないのだよ……」
シュミット少尉は背筋を伸ばし、再度形だけは完璧な敬礼を施して退室していった。
彼が頑ななのにはわけがある。
少佐が戦死した後、帝国側の反応は真っ二つに分かれた。“赤い翼”の面々は復讐心に燃え、反撃を加えようとした。しかし、他の帝国軍パイロットの多くは、精鋭部隊の指揮官が戦死したことに動揺していたのだ。ストームソーダーはそこを衝き、動揺している者を集中的に狙い屠っていき、帝国側は一時後退を余儀なくされた。
シュミット少尉にはひとつの確信がある。
クルーゲ少佐は自らの死に納得していたであろうということである。あのストームソーダーのパイロットは間違いなく卓絶した腕を持っていた。ストームソーダーは優れた機体だが、使いこなすには相当の技量が必要なはずである。それを、あのパイロットは自在に使いこなしクルーゲを圧倒していたのだ。
シュミットは見た。クルーゲが完全に裏をかかれるのを。
機体性能の差はあれど、あのストームはクルーゲを凌駕していた。彼もそのことを悟っていたであろう。
とは言え、シュミットの中の復讐心が薄らぐわけではない。敬愛する上官の死は彼にとって痛恨事であった。
「見ていろ、今はまだ力が足りん。だが、近い将来に必ず復仇を果たしてやる……」
オスカー・シュミット少尉は誰にも聞こえないぐらいの声でそう呟いた。
荒野に黒い残骸と青い残骸が散らばっている。その中に、ラルグ・ノーツ大尉は一人佇んでいた。
無秩序に散乱する墓標。その中に、翼の破片が転がっている。
「……カイト・ディーグ……相棒……もう二度と、羽ばたくことはないんだな……」
風が抜け、彼の独語を運び去っていく。
ラルグは、金属製の一本の棒を拾い上げた。彼はそれを大事そうにハンカチで包むとポケットの中にしまった。
彼が手にしたのは、大空に散った親友カイト・ディーグが最後の瞬間まで握りしめていたであろう黒いプテラスの操縦桿の破片だった。
きびすを返したラルグは数歩歩くと、一度振り返り名残惜しそうに折れた翼を見つめた。
二度と大空に舞うことなき翼を。
墜ちた、翼を。
――終――
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