第19話 宇宙番長対妄想ファイター


 練馬市役所。
 その最深部であり中枢部でもある市長室。
 だがその執務室は至ってシンプルで、豪奢な感覚はいっさい無い。
 赤い絨毯にアルミの本棚と机が一つ。それに直通の電話が一つ。
 宇宙の司令室とも言うべき練馬市長室がこれほど質素なのは意外に感じるかも知れないが、毎回挑戦者が来るたびに机やらなにやら壊された日には金が幾ら有っても足りない、というのが本音である。
 ということでこのような内装になっているわけだ。
 そして宇宙番長は一日のほとんどをここに拘束されているのである。
 高さ2メートルほどに積まれた書類が朝から宇宙番長を待ちかまえているからだ。 
 一応、週替わりで秘書がついているがもっぱら監視役であまり仕事の助けにはなっていない。
 ほとんど電話番だ。
 朝っぱら第一番から直通電話が鳴る。
 秘書の仕事はほとんどこの電話番と監視に費やされると言っても過言ではない。
「宇宙番長を出せ。そこにいるはずだ」
 出せ、というのは穏やかではない。
 トラブルか。
 しかしそれを処理するのは自分の権限を越えている。
 週替わり秘書の清水妙子は迷うこと無く宇宙番長へ電話を回す。
「市長、何か苦情みたいな電話が入っていますが」
 中身も読まず山積み書類に適当に判を押しながら、宇宙番長は答えた。
「バカめ、と返答してやれ」
「はぁ……………」
「俺は忙しいんだ」
 清水は躊躇いつつも、落ち着きのある低音ではっきりと返答した。
「バカめ」
 そしておもむろに切る。
「いいんですか、こんな対応で?曲がりなりにも直接の苦情ですし……………」
「そんなに大事な用件なら総務とか通してくるだろうが。直接電話ってのは大抵ろくでもない用件だ」
「そんなもんでしょうか」
「違っても気にするな」
  宇宙番長は顔を上げ、清水を見つめた。
「答えたのは俺じゃないしな」
非道い上司である。

 中山一洋27歳。
 電話の主はこの男であった。
 一方的に電話を切られた中山は、闘志を燃やしている。
「フッ………クククククク。貴様の挑戦状、しかと受け取った。ならば私自ら打って出よう」
 自らも何も部屋には中山一人しか居ないのだが、突っ込んではいけない。
 こういう台詞は素直に「格好いい」と信じてあげるのが人情と言うものだ。
 挑戦状じゃないぞ、と突っ込むのもいけない。夢がない。
 何より話が進まないではないか。
 受話器を置いて中山は立ち上がった。
 俺にはやり遂げねばならないことがある。
 時刻は9時を過ぎている。
 出勤時刻は8時半と定められているが、些細なことだ。
 この宇宙の広大さに比べれば時間など。
 と考えるのは大いなる間違いである。
 時間にルーズな上結構ぐうたらにやっていても偉大な人物に育った人間はいるが、ぐうたらな人間が全員ビッグになれるかというとそれとこれとは全然別。
 しかし中山は余裕だった。
 遅刻、という概念は俺には当てはまらん。
 ドアを開け、悠然と歩み出す。
  怖れる者など何もなし。
 こういう態度で皆が出勤してきたら社会は未曾有の混乱に陥ることは間違いないのだが、こんな奴、そうはいないので大丈夫。
 ということで、止せばいいのに中山は徒歩で会社へと向かった。

 結局会社に着いたのは11時を完全に過ぎたあたりだった。
 無茶苦茶怒られたが気にもせず、机の引き出しからノートを出すと一枚破り、ボールペンでなにやら文章を書き留める。
 隣で覗き込んでいた同僚の一人がその内容に驚愕し、制止した。
「おい、何考えてる!やめとけよ」
「止めるな。男が決めたことだ」
 中山は自信に満ちあふれた顔で同僚を振り切った。
 何処にでもいる普通のサラリーマン。
 それも今日までのことだ。
「部長。世話になったな・・・・あんたの説教、心に響いたぜ」
 心に響くも何も冬休み明け初日に半日も遅刻した上、全く気にもとめず仕事もせずに内職していたことに対する文句だったのだが、そんなことをいわれると人間誰しも悪い気はしない。
 机に辞表を叩きつけ、中山は5年間勤め上げた水原美容健康株式会社を退社した。
 宇宙の支配者。
 その響きのみが持つ妙なる感触は、全人類の、いや全生命の憧れと言っても過言ではない。
 権力や名声などどうでも良かった。
 己が頂点に立つ、ただこの一点のみが男を、戦士を突き動かす。
 全てを失うことだとしても、挑む価値はある。
 中山はそうした男の一人だった。
  俺に失うものなど何もない。
 既に機は熟した。
 狙うはただ一つ、宇宙番長の首。
 この5年間、耐え難きを堪え忍んできた成果を今こそ見せるとき。
 スーツ姿のまま中山は練馬市役所へと向かった。
 着替えている時間が惜しい。
 身体を駆けめぐる熱い血が、中山を駆り立てていた。
 待つことなど耐えることなど一秒たりとも出来ない。

  練馬市役所正門。
 通常ならばここを突破しなければ宇宙番長の元へはたどり着けない。
 だが、守衛は中山を素通しした。
「市長なら中庭にいるぜ」
「何故俺に情報を教える」
 守衛は口にくわえたシケモクを吐き出すと気怠そうに口を開いた。
「練馬市長とやり合おうなんて考えている奴を、たかが守衛が押さえられるとでも?
  それにここで足止めするのはフェアじゃないだろう」
 更に言えば、誰しも命は惜しい。
 どうせズタボロにされて来るのだから、何も自分が手を出さなくてもいいだろう。
 という理論である。
 それは守衛としての役割を果たしていないのではないか? と思う諸兄もいると思われるが、自分より弱そうな相手はしっかり遮断しているのでそれでいいのではないだろうか。
 いいのか?
「なるほど。いい心がけだ」
 いいらしい。
 それはともかくとして、難なく練馬市役所正門を突破した中山は何事もなく中庭へと到達した。
 ホウキ頭の男がコーラを飲みながらベンチでくつろいでいる。その特徴的なヘアスタイルはまごう事なき宇宙番長。
 3時のおやつを兼ねつつ休憩をとるため、宇宙番長はいつも此処にいる。
 午後の陽射しを浴びている宇宙番長を、中山の影が覆った。
「俺に何か用か」
「察しはついているはずだ」
「俺と一戦交えるつもりだろう。殺気は消せても目で判る」
「そのとおり。ならば早速お相手願おうか」
「フッ。貴様如きが俺を倒すなどとはよく言ったものだ」
 宇宙番長は立ち上がると同時に中山に仕掛けた。

「宇宙パンチ!」

 鋭く繰り出された鉄拳は、僅かに体をずらした中山の前に空を切った。
 中山は身を翻し、宇宙番長との距離をとる。
 それは動体視力でもって宇宙番長のパンチを見分け、避けたのではなかった。宇宙番長がパンチのモーションにはいる前から中山は回避行動をとっていたのだ。
「避けた」のではなく、「避けていた」のである。
「俺のパンチを避けるとは。貴様ただ者ではないな」
「貴様とはもう2000回以上やり合っているからな。どんなモーションであろうと、どんな技であろうと、全てを見切れる」
「何のことかわからんが、たいした自信だな」
 諸君は聞いたことがあるだろうか?
 イメージトレーニングというものを。
 人間は想像力によってあらゆる状況を想定したシミュレーションを行う力がある。「今日こそあの娘に告白肉薄突撃轟沈失恋傷心横転入院」みたいな。
 人生そう都合良くはいかない。
 というようなことを繰り返しイメージすることで、つらい現実に耐えたり、それを回避したり、立ち向かう方法を模索することである。
 中山こそは勤務中であっても常にイメージトレーニングに励み、課長から怒られても部長から怒られても社長から怒られてもトレーニングし続け、食事中も睡眠中も出勤途中で電信柱に衝突しても戦い続けたイメージトレーニングの鬼であった。
 当然、最初は連敗続きであった中山も、少しずつ対策を講じるたびに戦況は少しずつ好転し、500戦を超えたあたりで五分、2000戦を超えた今では99%の勝率を誇るようになっていた。
 宇宙番長の裏の裏まで知り尽くした戦闘マシン。
 中山は己をそう称していた。
 宇宙番長にとって不幸だったのは、「週間・格闘技」などの専門誌で必殺技を詳しく解説されていたことである。最新の必殺技もすぐ公開されてしまうので、研究熱心な者ならばそのモーションから戦術に至るまで、詳細に思い描くことが出来る。
 あらゆる戦術、あらゆる必殺技を研究し尽くした中山には、もはや宇宙番長など敵ではなかった。
「次の攻撃はミラクル怪光線」
「ならばこれを受けて見ろ!」
 中山が低く呟くのと宇宙番長が光線を発射するのはほぼ同時だった。
 当然、軌道も読まれている。
 あらゆる障害物を貫通したミラクル怪光線は紫外線によってその威力をゆっくりと減じていき、最後に堀越 力(89歳)の見事に禿げ上がった頭頂によって鏡面反射し大気圏を突破、バンアレン帯付近で完全消滅した。
 実はこれも中山の読み通りである。
 恐るべし、中山 一洋(27歳)。
 恐るべし、イメージトレーニング。
 宇宙番長は逡巡する。
 大技ではダメだ。コンビネーションで細かに攻め立てなければ。
 踏み込みの角度の微妙な差から中山はそれを察した。
 右ストレート。
 しかしそれは囮だ。本命は左のハイキック。
 最小限の動きで中山はそれをかわし、キックをブロックしながら宇宙番長に密着する。
 すかさず首を抱え、無防備な脇腹へ向けて膝蹴りを突き入れる。
 一発、二発、三発。抱えた宇宙番長の喉から、呻きが漏れる。
 4発目はなかった。
 首相撲を解いた中山はサイドへステップする。
 中山の元いた場所はミラクル怪光線が貫いていた。
 至近距離から放たれた光線は熱気と共に構造物を巻き上げる。
 爆発の中、中山は突進した。
 宇宙番長は両手を交差させて顔面を守っている。
 その僅かな間、僅かな隙間へ中山の手刀が突き刺さった。
 如何なる超人といえども決して鍛えることの出来ない急所、喉へ。
 宇宙番長は喀血し、倒れた。 

 というのが中山のシミュレーションだったのだが、現実は違った。右ストレートを避けるまでは良かったが、密着しようと体を前に乗り出した瞬間に左のハイキックを中途半端な形で受けたのだ。
 中途半端とは言えビルをも砕く脚力である。
 中山は吹き飛ばされ、中庭の植え込みを二三本突き抜けたあと電柱に後頭部を打ちつけた。
 視界が暗くなる。
 まだだ。俺はまだ倒れるわけにはいかない。
 全身の力を振り絞って中山は立ち上がった。
 足下に妙な浮遊感があるのは、先のハイキックで脳を揺さぶられたせいだろう。三半規管が一時的に混乱しているのだ。
 攻撃力が違いすぎる。
 それだけは中山の想像を上回っていた。
 とすれば方法は一つ、カウンターだ。
 相手の勢いを利用するしかない。
 宇宙番長の勢いを最大限に利用したカウンター攻撃ならば、勝機は十二分にある。
 得意技である「いいかんじカウンター」を、お前はその身で受けることになるのだ。
 そしてそれは不可能ではなかった。
 俺は宇宙番長の動きが読めているのだ。戦い方が悪かった。
 見せるか、乾坤一擲。
 不敵な笑みを浮かべて立ち上がる中山に、宇宙番長はただならぬ気配を感じ取った。
 こいつ、何か奥の手を持っていやがる。
 しかし、攻撃能力において宇宙番長が圧倒的に上ということは先の攻撃からも明らかだった。
 ならば、コンビネーションの組立で十分に押せる。
 胸元で固めた拳から矢継ぎ早に連撃が繰り出される。
 秒間にして8発。
 人間ならば到底信じられない速度。
 しかし、宇宙の支配者、宇宙番長ならばこその拳撃。
 見える。
 そして判るぞ、宇宙番長。
 貴様の動き、拳、全てが。
 上体を捻り、踏み込みのエネルギーを加え、拳に伝達するのに極小のロスもなく、渾身の力でもって放たれる宇宙番長の必殺拳、宇宙パンチ。
 受ければただでは済まないその拳を、中山はギリギリまで引きつけ、そしてかわした。
 同時に繰り出される中山の右拳。
 こいつ、俺のいい感じカウンターを!
 宇宙番長の思考はそこで停止した。
 信じられない勢いで四肢は宙を舞い、練馬市役所西棟1階部分をぶち抜いて外壁部分に埋没する。
 中山一洋27歳、初めての必殺技。
 その名は。

「必殺。中山式寸隙カウンター」

  ということを思い浮かべながら中山の意識は薄れていった。

 現実をダイジェストで見るとこうなる。
 開始早々放たれた宇宙パンチ、ミラクル怪光線をかわした中山に対し宇宙番長がちょっと本気になったところ、右ストレートに続く左ハイキックを中途半端に食らい、予想以上に吹っ飛んだあと後頭部を打って失神。
 終わり。
 第一R8秒、KO。
 究極の秒殺試合であった。
 あまりに呆気なかったため宇宙番長は演技ではないかと10分ほど疑っていたが、痙攣し始めたので慌てて救急車を呼んだ。
 敗因。
 戦術面では完璧だったが、中山は持てる時間の全てをイメージトレーニングに費やしていたため全く体を鍛えておらず、攻撃力防御力共に一般人と同じにすぎなかったのだ。
 いや、むしろ一般人よりも痩せており筋肉らしい筋肉もなかったので一般人よりも弱い可能性が濃厚。
 はっきり言って無理。
 全盛期のゴッドハンド大山倍達とショッカー黒戦闘員並みの格差があるのだから生きている方が不思議である。
 事実、頭蓋骨の陥没骨折と脳震とうを同時併発した中山は即座に集中治療室に放り込まれた上、面会謝絶全治2ヶ月。
 しかも、危うく刑事事件に発展するところだった。
 何か弱い者いじめをしたようで、宇宙番長は一日非常に気分が悪かった。

 かくしてよく判らないままに勝利した宇宙番長
 だが、イメージトレーニングだけで良くやったといえば良くやった方。
 現実は理屈より厳しかっただけなのだ。
 これからもきっと予想外なだけの敵が現れるに違いない。
 それよりは宇宙番長が支配した方がいくらかましなので
 行け!宇宙番長!闘え!宇宙番長!


第19話、完