「冗談でこんなこと言わないわ」
 ゆきなは寂しげに微笑んだ。
「その気があれば私はかまわなかったのに」
「冗談はやめろ」海はもう一度言った。「妹出来て早々に浮気なんてもってのほかだ」
「固いわね」
「本気でも無いくせに」
「別に冗談でもなかったんだけど。海さえよければ、その選択肢もあったと思うのよね」
 思わぬ告白に海は驚く。
「宮影は本当にそっちの人なんだなあ」
 その反応で、ゆきなは気がつく。
 一緒にいるのが自然すぎて忘れていたが、自分が同性愛者だと言うことを海には話していなかった。
 それは驚かれても仕方がない。
「軽蔑する?」
 というゆきなの問いに、海は首をかしげた。
「なんで?」
「そういうのって、嫌悪されたりするものだけど」
 事実そうだ。
 自分たちはマイノリティだ。
 それは受け入れられない。押し隠すしかない。
 寛容だ、というのは嘘だ。私たちは「いないもの」だ。受け入れられているのではない。理解しがたいもの、それを視界の隅に追いやっているだけの許容だ。
 ちょっとした悪ふざけのつもりだったが、本性をさらけ出したのは軽率だった。
 それでも海は、考え込むようなことをせずに即答する。
「誰それかまわず手を出してたらそうしてたな。でも宮影そういうことしねーじゃん。別に軽蔑なんてしないさ」
 今度はゆきなが驚く番だった。
「あなたは本当に器が大きいわね」
「難しいことを考えるのが苦手なだけだよ」海は照れ笑いする。
「上手くいかなかったら海に乗り換えるわ」
 ゆきなは冗談ではなく、そう言った。
「始まったばっかりじゃないか」
「用心深いのは性分なのよ。姉妹なんていったって仮初めのことが多いんだし」
 海はぽんと手を打った。
「ああそうか、宮影も『姉』いたんだった」
「昔の話だけどね。楽しかったけど、置いていかれる時なんてあっさりしたものだったわ」
「女子高じゃよくある話……か。姉様姉様騒いでいたくせに、男に告られてあっさり流れていくのが多いからなあ」
 結局の所、姉妹関係というものはその程度のことだ。
 姉も妹も、突然訪れる別離を肩をすくめてやり過ごす。男が居るなら仕方がない、女は男とくっつくものだし、いずれは自分もそうなる。だからこれは当たり前なのだ、と。
 修羅場になることなど滅多にない。
 少なくともゆきなが学園に来てからそれを見たことはなかった。
 過去の事として噂に聞いたことがある程度だ。
「読子ちゃんはそうじゃない、とは思うんだけど、ね」
 彼女がずっと自分を見ていたことは知っていた。
 それが真摯なものであることにも察しがついた。
 それでもなお、その先がある。
 人は変わる。仮面の下の素顔が怪物でない保証はない。
 ひょっとしたら、自分に友人といえる人間が少ないのはこの慎重さのせいなのかもしれない。
「へえー読子っていうんだ、妹の名前。可愛いじゃない」
 実際に可愛いのだと思ったが、それを口に出すのは憚られた。
 ただの惚気と思われるのがオチだ。
「いい娘よ。いつも難しい本読んでる勉強家だし。前に話したときはソロモン王がどうのとか言っていたから歴史に興味があるみたいね」
 ゆきなは述懐するが、読子の指していたレメゲトンなる書物は悪魔召還の魔術書である。もっとも、魔術の知識の無いゆきながそんなことを知るはずも無かった。
「ふーん。なんだかんだで、結構気にかけてたんじゃない」
「悪くはない、とは思っていたけれど」
 それでも相手からあのような行動に出るとは思っていなかった。紛れもない不意打ちだ。
 言い換えるなら、自分はあれで落とされたようなものだ。自分が手に入れたのではなく、自分は奪われた立場だ。
 奪った方は、そうは思っていないだろうが。
「後輩は妬くだろうなあ」
「そうねえ」
 嘆息する。
 ゆきなの身辺には、手芸部の後輩がくっついていることも少なくはない。
 長身で面倒見の良い先輩というイメージは憧れの対象になるようだ。
 だからこそ、手芸部の後輩同士がいざこざを起こさないようにある程度距離を置いていたのだが、別の部に妹が出来たと知られれば面倒なことになるかもしれない、という海の危惧も判らなくはない。
「宮影としては、これからどうするつもりなんだ?」
「まだ決めてないわ。そう思いたくはないけれど、一時的な憧れに過ぎない事だってあるんだもの。 ただの憧れなら、遠からず終わりが来るわ」
 手にした物が強固な鎖なのか、細い麻糸に過ぎないのか。
 それは彼女自身にも判らない。
 しかし丈夫さを試すというのは愚かな選択肢だ。
「でも『あんまりべったりには出来ないから、時々逢いに行く形で』って言い含めてあるから大丈夫じゃないかしら?」
「あたしの耳にも届いているって事は手芸部の方でも知られているって事だから、気になると言えば気になるところだな」
「まあ、うまくやるわよ」
「あたしはそっち方面は疎いから相談相手にはなれねーけど、話を聞くぐらいは出来るぜ」
 海は海で時々ゆきなの琴線に触れてくるので油断がならない。
 色恋は抜きにしても、彼女が魅力的な女性という事実は揺らがない。
「あなたがルームメイトで良かったわ」
「あたしも宮影がルームメイトで良かったと思ってるぜ。あたしが赤点取らずに走ってられるのは全部宮影のおかげだもんな」
「そんなに持ち上げられるほどのことはしてないわ」
 陸上に注力しているせいではないだろうが、海の成績はあまり芳しくないらしい。どの程度か具体的には知らないが、本人が事あるごとに赤点の心配をするということから察しは付く。
 ゆきなに出来ているのはせいぜい試験のヤマを教えるぐらいなものだが、海にとっては救いの神に等しいらしい。
「あたしは大助かりだよ。赤取ってなきゃ推薦狙えるかも知れないし」
「机に向かって呻いている人間を放っておけないわよ」
「前の部屋の奴はうるせえって言うか無視するかどっちかだったんだぜ? 宮影と同室になったことを3日で感謝したよ」
 うんうん、とうなずいて、海は急に真面目な顔でゆきなの手を握った。
「頑張れ宮影。あたしは応援する」
「ありがと。そう言って貰えると心強いわ」
 難しいことを考えるのが苦手なだけ、と言うがそれは違う。彼女は自分で正しいと思ったことだけをする。社会や規範に囚われない、それは強さだ。
 強くなければ、優しくは生きられない。
 感謝しなければならないのは自分の方だ。
 人を救うのは神なんかではない。人を救うのは人だ。
 それでも彼女は神に祈り、感謝せずにはいられない。
 自らを包む、優しい力に。
「ああ、やっぱり勿体なかったかも知れないわ」
「何か言った?」
 海の問いかけにゆきなは肩をすくめて答えた。
「ただの独り言よ」
 ゆきなは再び編み棒を手に取り、作業に没頭し始めた。


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