白い。
 ただただ白く、殺風景な空間。
 六道はそのただ中にいた。
「なんだここは」
 いつもの悪夢とは違う。
 あの重苦しい雰囲気ではなく、むしろ解放感さえ感じるような暖かな場所。ただ、建造物はおろか草木一本すらない。
 奇妙な場所だ。
 乳白色の空と白い床が果てしなく続いている。その境界は一体と化していて、何処から何処までが空で、何処から何処までが床なのか見分けがつかない。
 距離も高さもまるで意味がないといわんばかりの白。
 あまりに白すぎて、明るいのか、はたまた暗いのか、それさえも判らない。
「待っていたぜ、六道」
 いつの間にか、後ろには人が立っていた。
 あり得ない。
 しかし、それは紛れもない友の顔。
「恭也・・・・恭也なのか?」
「そうさ、六道。お前に会う為にたった今、地獄から蘇ってきたんだぜ」
 地獄から蘇ってきた割には恭也の服装はきちんと整っていた。透けるほど薄いサテン地の衣服はいわゆる貫頭衣と呼ばれる類の簡単な構造の服であったが、縁には金の糸で精緻な刺繍が施されている。いかなる文化の物とも違う、不思議なデザインの衣服だった。
 とはいっても、やはり見た目通りの薄着であるらしく、恭也は大きなくしゃみをした。
「フゥ。天使ってのは薄着でいけないぜ」
「天使?」
「そう。俺はお前の守護天使なのさ。見ろよ、何処か神々しい感じがするだろ?」
 無神論者だったのに天使?
 六道は違和感を感じた。
 恭也は神も仏も信じない、現実主義者だったはずだ。
 これは夢だ。夢に違いない。
 羽も生えてないし。
 握りしめた拳に力がこもる。
 こいつは偽者だ。
 またか。またなのか。
 消え失せろ。今すぐ、私の前から。
 怒りのままに放たれた右ストレートは恭也の顎にクリーンヒットする。
 確かな手応え。
 恭也は大きく頭をのけぞらせたが、
「いてぇな、何すんだ!」
 反動をつけて向き直るとすかさず反撃の左フックを繰り出す。
 まさか幻覚が反撃して来るとは思わなかった六道は避けきれずにまともに直撃し、幻覚なのに何故痛みを感じるのだろう、と疑問に思いながら倒れた。

 気がつくと六道はまだベッドの上だった。
 本当に夢だった。
 何処かでがっかりしたような気がしながらも、ベッドから身を起こす。
 シーツが血だらけだ。
 何事かと思ったが、原因は今も自分の鼻から溢れ出る血だった。
 どうも枕元にある電気スタンドが倒れてきたらしい。
 何でスタンドが、と思ったが、先ほどの夢を思い出す。なるほど、手応えがあったのはそういうことか。
 朝日はとうに昇りきって、時刻は昼近い。
 カーテンの隙間から、突き刺すような陽の光が部屋に差し込んでいる。
 今日は来客があるのだった。
 六道は鼻へこよりにしたティッシュを詰めると、一階へ向かった。

 鼻にティッシュを詰め込んだ六道を見て、明香は笑いを堪えた。
「鼻血ですか?」
「見ての通りだ」
 失礼な女め。
「まぁ。お元気ですこと」
 揶揄するような明香の言葉に六道は顔をしかめた。
「元気で何が悪い」
「何も悪くありませんわよ?」
 明香の表情は「おかしな人」といいたげだ。 
 しかしそれを言いたいのは六道の方だった。
「お前こそ何だ、その格好は」
 明香は濃紺のドレスにフリルの付いた給仕用小さなエプロンという格好だった。いつもの地味なブラウスにフリーサイズのエプロンではない。ドレスには所々レースがあしらわれており、地味な色合いに絶妙のアクセントを加えている。
 とはいうものの、本当にこんな格好で家事をするつもりか、と思ってしまう。
 何よりスカートがいつもより短い。あれで廊下を雑巾がけしたりしたらどうなるのだろうか。つい目が行ってしまうのだが、そんなところに注目していると「むっつりスケベ」とか思われそうなので困る。
 いつもより露出が多いのでスタイルのいい足が丸見えというか生足。
 いや、そうじゃなくて。生足なのはどうでもいいのであって。生足は。 
 落ち着け六道。
 スマート&クールだ。
「やはりメイドといえばこの服でしょう?」
 明香は笑いながらくるくると回る。
 必要以上に短いスカートが遠心力で持ち上がり下着が見えそうになるので、六道は意図して上の方を見た。
 なんだか鼻に詰めたティッシュに血が滲んでいくような気がする。
「どうです?」
「何がだ」
「ムラムラ来ました?」
「来るか、馬鹿者。だいたい、その衣装はどうした」
「自前です。やはりメイドを職業にするぐらいですからこういう物も持ってないと。制服ですし」
「いいか。制服というものはだな、必要最小限の装飾と機能性を加味してこそ初めて制服といえるのだ。そんなフリルとか役に立たないエプロンとかをつけたような服は断じて制服とは認めん」
 それにスカートも短すぎる。
「必要最小限……………裸エプロンですか」
「なんでそうなる」
「だって必要最小限の機能というとエプロンだけ有れば事足りるじゃないですか」
「省きすぎだ」
 制服どころか衣服ですらない。
「てっきりそういうのが好きなのかと思いました」
「馬鹿を言うな。私がそんな破廉恥な行為を好むような人間に見えるか」
「そんなにむきになって否定しなくても。ただの冗談ですわ、うふふふふ」
 何でこの女は人の心をかき乱すようなことばかり言うのだ。
「ところで」
「まだ何かあるのか」
「頭にかぶるのは、フリル付きのボウとネコミミのカチューシャとどちらの方がいいでしょうか?」
「そんな物、被らなくていい」
「あら。メイド服には、ネコミミかフリルのボウというのは常識ですわよ?」
 そんな常識があるものか。
 お前の認識は間違ってる。
 どちらを選んでもろくな事にはならなそうな気がする。
「私はこのネコミミがいいじゃないかと思うんですが」
「それは勘弁してくれ」
 六道は本気でそう思った。
 というかネコミミのカチューシャも自前なのか。
 よもや尻尾とか猫スリッパとか肉球手袋とか、そういう物まで持っていたりはしないだろうな。
 あり得る。
 平凡かつ平穏に暮らすのが私の唯一の望みなのに。
 六道は頭を抱えた。
「どうなさいました?頭痛ならお薬をお持ちしますが」
「ほっといてくれ」

 一方そのころ、宇宙の支配者宇宙番長は六道家の入り口にいた。
「ここが裏社会の顔役と呼ばれる男、六道の屋敷か…………」
 宇宙番長は屋敷を見上げた。
 鬱蒼と繁る森の中に突然現れる洋風の建物は、まさに人目を避けた秘密の場所といった雰囲気が満載だ。ここに至る道も、広大な森を切り開いて出来た一本道。まるで意図して外界から身を隠すような作りだ。おそらく、公道から見たのではこの屋敷の存在さえ判るまい。
 しかし豪華な屋敷だな。
 こういう建物を見るたびに宇宙番長は思う。
 民間の人間がこんな屋敷に住めるのに、宇宙の支配者が1LDKのマンション暮らしというのはどういう事だ。
 まったくけしからん。
 とは言うものの、練馬市長である宇宙番長にはかなりの額の給料が支払われているのだった。
 戦うたびにあちこちを破壊するので、その修復費用が給料から天引きになっているだけである。つまり、自分のせい。
 屋敷に近づくにつれて、その警備の厳しさが判る。
 人こそ居ないが、至る所に隠しカメラや警報、センサーの類が仕掛けられている。練馬市役所にもこうした隠しカメラの類が大量に設置されているので何となく判ってしまうのだった。とはいえ、練馬市役所のカメラは宇宙番長が仕事をほっぽり出して逃げないように監視するためにあるので用途は全然逆である。
 なるほど。何か不振なそぶりをした瞬間に通報され、記録されるというわけだ。
 なかなかの用心深いな。
 宇宙番長は玄関にたつと呼び鈴を鳴らした。
 一瞬の間の後、扉が開く。
 中から現れたのは、マンガとかで見るのと全く同じ様な格好のメイド。
 濃紺のドレスには所々白いレースのカフスがあつらえてあり、給仕用の白いエプロンと相まって絶妙のアクセントを加えている。スカートの丈は短く膝よりもやや上ぐらいの位置で、眩しいくらいの白い太ももを惜しげもなく披露していた。
 スゲェ。本物のメイドだ。
 レースを主体としたのオーソドックスなスタイルか。
 ネコミミとかでも良かったな。
 でもそれには身長がありすぎか。
 あと肩のパフスリーブはもう少しボリューム控えめの方が胸のラインとバランスがとれてトータルバランスがいいなぁ。
 などと言うことを呆然と考える。
「宇宙番長様ですね。お待ちしておりました」
 話しかけられたので宇宙番長は我に返る。
「応接間でお待ちになっていますのでどうぞこちらへ」
 メイドは小さくお辞儀をして宇宙番長を中に招き入れた。

 応接間に通された宇宙番長は、無表情に立つ男に出迎えられた。
 年は30過ぎといったところか。細身だが、頼りないという感じはない。表現するなら、抜き身の刀。切れ長の眼に収まった鳶色の瞳が、宇宙番長を真っ向から見据える。
 宇宙番長も目を逸らさずに見返す。
 不意に男は手を伸ばしてきた。
「六道だ」
 初対面の、それも悪名高い俺に対して握手を求めるか。
 噂通りの男だ。
 宇宙番長は握手に応じた。
「俺は宇宙番長。ま、名乗るまでもないか」
 そしてお互いにソファに腰掛けたが、宇宙番長は気づいていた。
 六道の鼻にティッシュが詰まっている。
 判らないようにしているつもりなのか、それとも単にそういう詰め方をしているだけなのか。詰めたティッシュは赤く、鼻血絶賛続行中という感じだ。
 突っ込むべきか、やめた方がいいだろうか。
 というか俺はまずいときに来てしまったのではないだろうか。
 鼻血が痛々しい。
 俺は悪くないのに、なんかもの凄く悪いことをした気分だ。
 テーブルの上に置かれた封筒から書類の束を取り出し、六道が説明を始める。
 しかし鼻のティッシュがもの凄い気になって全然耳に入らない。
 例のメイドがお茶を持ってきてくれたのはいいが軽く前にかがむとスカートがぎりぎりのラインまで持ち上がるので目のやり場に困るというか、見えそうで見えない。
 思わず身を乗り出しそうになって我に返る。
 この男、俺を試しているのではないだろうな。
 侮れない男だ。
 全然そんなことは無いのだが、勝手にそう思いこむ。
 一方、六道はといえば真剣な顔をして考え込んだりする宇宙番長をみて意外と真面目な奴だ、と評価を改めていたりするので世の中何がどう作用するのか判らないものだ。
 会談は思った以上に真剣な物となっていた。

 話は30分ほどで終わった。
 宇宙征服基金の諜報部門でも困難な情報を、六道はこともなげに僅か3日という時間で集めてきた。
 それは全てタイプ打ちされた書類として宇宙番長の手元にある。
 全然中身を理解できなかったというか話に集中できなかったので、必要と思われる物だけを素直に頂いていくことにした。
 覚えていることと言えばメイドの白い太ももぐらいで、でもあれはやむを得なかったと思う。見るなと言われても無理。
 なにはともあれ、とにかく書類さえ頂いていけばその分析検討は宇宙番長の仕事ではないのでどうでも良かった。
「助かった。礼を言うぜ」
「この程度のことならお安いご用だ」
 六道は余った書類の束を丁寧に整えるとテーブルの隅へ置いた。
「支払いの方は『宇宙征服基金』の方から出させる。振り込みで構わないな?」
「今回はサービスにしておく」
「気前がいいんだな」
「そうでもない。宇宙の支配者が私を頼ってくれるというのは絶大な宣伝効果だからな」
「なるほど。だが、こちらも役員会を通して予算を捻出した以上、払わないと言うわけにはいかないんでな。行為はありがたいが借りは作らない」
 どうせただにして貰っても俺が儲かるわけでもないし。
 変に出し渋ると後々面倒なことになりそうだし。
「これからもお互い、いい友人でいたいものだな」
 宇宙番長は手を差し出す。
「そういって貰えるなら是非もない」
 六道も表情を変えず、それに応えた。
 二人は固く手を握った。

「そろそろ迎えが来る頃だが………」
 呟く宇宙番長の前にリムジンがやってくる。
 時間どおり。
 だが様子がおかしい。
 サンルーフが開いており、そこから何か髪の毛のようなもの飛び出している。
 あのリムジンには何かが乗っているのだ。練馬市役所の職員にあんな大男は居ない。
 もはや見間違えようもない。
 リムジンを強奪して俺の所へ来たか、アンドロメダ番長。
 体長2メートルを超すアンドロメダ星人の彼が地球の規格の車に乗る為には、なるほどああせねばなるまい。
 悠長に名乗りをあげるのを待つような宇宙番長では無かった。
 先手必勝。
「ミラクル怪光線!」
 宇宙番長の額に光が収束し、目映い閃光と共に七色の破壊光線が放たれる。
 脅威の破壊力を持つ必殺のビームはリムジンのフロントガラスを貫通し、大爆発させながら工事中の奥多摩トンネルを開通させて工事費用を大幅に浮かせつつ南下。自転の遠心力によって微妙に角度を変えつつ太平洋の水を蒸発させ、そこから発生した水蒸気が干ばつに悩むアフリカ地区に恵みの雨をもたらした。
 アンドメロダ番長は運転できない為、運転席には地球人の運転手 安藤 康作が乗っていたのだが爆発によって自動脱出装置が作動し、上空500メートルの高さまで打ち上げられた後パラシュートによってカナダまで飛ばされたがその冒険譚はまた別の物語である。
 ちなみにアンドロメダ番長はビームが届く前に天井を吹き飛ばして逃げたので全然無傷。
「フフフ………よく気がついたな、宇宙番長。不意をつくとは貴様らしい」
「お前もホントにしつこいな。散々負けてるんだからいい加減諦めろよ。どうせやられキャラなんだから」
「余計なお世話だ!」
 そして二人の戦いが始まった。

 明香が爆発音を聞いて六道の書斎に駆け込むと、その主は窓の外を凝視していた。
「外が大変な事になっていますが………」
「ああ。今見ている」
 こんな時でも冷静なんだな、と思ったがよく見ていると、いつも以上に目が虚ろだ。
 大丈夫か、この人。
「動揺してません?」
「問題ない」視線を庭に移したまま「薔薇園が燃えただけだ」
「え?あ…………た、大変じゃないですか!」
 イギリスから取り寄せたとかいう珍しい薔薇などが育てられていると言うことを大分前に聞いたような気がする。
 薔薇園は緑色の葉が点々と散らばっているほかは茶色い土の山と化しており、「これから畑にするんです」と言われたら納得するぐらいに荒らされていた。
 持ち主の六道はというと
「形有る物はいつか壊れるものだ」
 などと呟いているが、人に聞かせるというよりは自分に言い聞かせているような具合だ。
「何とかしないともっと大変なことになると思いますが」
「そうか………そうだな。なんとかしよう」
 ぽつりと呟くように言うと六道はふらりと応接室から出ていく。
 たぶん警察でも呼びに行ったのだろう。
 とりあえずは安心だ。
 明香は改めて窓の外の光景を見た。
 宇宙番長と怪物(恐らくあれが噂に聞くアンドロメダ番長だと思うが)は壮絶な戦いを繰り広げていた。
 「ミロのビーナス」のレプリカは、いろんな攻撃を受けて胸が削れスカート状の部分も無くなって男だか女だか判らない、ゴツゴツとした塊になっていた。
 凄くシュールで前衛的なオブジェになってしまった。気に入っていたのに。
 でも宇宙人と練馬市長の戦いは非常に面白かったので、これはこれで得した気分。
 生で、しかもただで見られるなんて。
 面白いのでもう少し見ていよう。

 激闘は続く。
 お互い手の内を知り尽くした二人の戦いは完全に膠着していた。
 宇宙番長のキックが舞い、アンドロメダ番長の豪腕が唸る。木々は倒され地はえぐれ、形有る物は皆壊れていくという有様。
 六道家の庭はもはや滅茶苦茶になっており、ブルドーザーが暴れ回ってもここまではならないと言うような具合で「奴らが通った後はペンペン草も生えない」という噂もあながち嘘ではなかった。
 接近戦ではもはや埒があかないと見たか、宇宙番長は大きく間合いを離した。
「これでも喰らえ!」
 宇宙番長の額に光が収束し、輝きを増す。
「ミラクル・怪光線!」
「当たるかっ」
 アンドロメダ番長はミラクル怪光線を大きく横に飛んで避ける。
 外れたビームは六道の屋敷へ向かっていた。
 六道家の窓ガラスは強化ガラスにアクリル板を挟み込んだ完全防弾仕様だが、5000メガワットの荷電粒子ビームに匹敵する破壊光線の前には紙切れ同然である。
 電話を掛けていた六道は直撃こそしなかったものの、その余波をまともに喰らい、玄関の吹き抜けを3メートルほど跳び上がった後、天井のシャンデリアに直撃。3つほど電球を割って玄関上部のステンドグラスを突き抜け、屋敷の外に吹き飛ばされた。
 勢い余った六道は錐もみしながら落下していき、庭のちょっと尖った石に後頭部を打ち付ける。
 もの凄く痛い、という事を実感しながら六道は気を失った。

「なんてことだ………」
 恭也は呆然としながら急速に衰弱しつつある六道を呆然と見つめた。
 倒れた六道の頭からはどくどくと血が流れ出しており、大変危険な状態である。
 六道はすっかり夢だと思っているのだが、霊となった恭也が六道の守護についているのは本当である。
 友を守らなければならない。しかしどうすることも出来ない。
 霊である恭也には生身に触れることすら出来ない。
 いやまて。
 方法はあるぞ。
 意識を完全に失った六道の肉体に入り込むことはそう難しいことではない。
 いわゆる憑依を行うのだ。
 守護霊の成り方ビジネスクラス3泊4日コースで学習した、こんな時の対処方法。
 このまま放って於いても死ぬだけだし、万一憑依に失敗してもベストを尽くしたって事で許せよ、六道。
 拡大し、希薄化した霊体を六道の肉体に重ね合わせ、霊子単位で肉体と融合する。
 感覚に乏しい霊体が徐々にその軽さを失い、かわりに温かい生命力が存在を満たす。
 初めての試みは難なく成功し、恭也は実に7年振りに肉体を持った身となった。
「これだ………忘れていたぜ、この感覚」
 全身にみなぎる生気。
 これなら六道を安全なところまで避難させることが出来る。警察を呼んであの二人を退けることも出来るだろう。
「…………いや、待てよ」
 恭也は思い直した。
 今、目の前には宇宙の支配者が居るのだ。奴を倒せば名実と共に宇宙の覇者。
 六道の肉体を使い、宇宙番長を倒し、かつて思い描いた世界征服を実現する。
 絶好の機会ではないか。
 六道にはちょっと悪い気もするが…………でもいいよな。友達だし。
 まさか死後にこんなチャンスが巡ってくるとは。人間、一度は死んでみるものだな。
 と恭也は思ったりするが、普通はこんな事は起こらないのでよい子のみんなは実行してはいけない。
 恭也は確かな足取りで戦場へと歩いていった。

「ぐわぁ」
 激闘の末、アンドロメダ番長は倒された。
 殴られて首の骨が折れたりしたが、アンドロメダ番長はほぼ不死身である。地球の倫理コードに引っかかるような無惨な殺され方をしても殺されていないので平気だった。
「だからいっただろう。わざわざ出てきてもやられるだけだって。お前人気ないしな」
「な、なにぃ」
「だって、お前宛の応援メール来たことないぞ。だいたい、宇宙人のくせに地球にやってきてと支配権を主張しようなんて考えが甘すぎるとは思わんのか。いきなりいつも襲いかかってくるし、「マーズアタック!」の火星人かお前は」などと精神的打撃を与えることも決して忘れない宇宙番長。
 アンドロメダ番長のどこを見ているか判らない瞳にきらりと涙が光る。
「む…………くくくくぅ…………復活したら、また逆襲してやるからな…………憶えていろ」
 宇宙番長はちょっと驚いて、それからニヤリと笑った。
「そうか。じゃあとどめを刺しておくか」
「えっ!? いや、ちょっと待………」
「ミラクル怪光線!」
 大爆発。
 アンドロメダ番長は木っ端微塵に吹っ飛び、一片が2ミリくらいの肉片となって飛び散るという18歳未満お断りシーンが大発生したが割愛。
 ともかくアンドロメダ番長はこれ以上ないと言うくらいバラバラになった。
 でも平気。
 きっと生きている。

 六道の肉体はすこぶる調子が良かった。
 頭部の傷から時々血が垂れてくることを除けばコンディションには何ら問題はない。
 十二分に戦える。
「悪いな。あんたの屋敷を少しばかり吹っ飛ばしたようだ。後で建て直させるから、勘弁してくれ」
 歩いてくる六道の姿を見て、宇宙番長は申し訳なさそうに言った。
 少し所ではなく庭にいたっては木端微塵である。
 六道は口の端を歪めて嘲るような笑いを浮かべた。
「その必要はないぜ。今お前をぶちのめして帳消しにしてやるさ」
 六道、いや六道に憑依した恭也は眼前で拳を固め、背を僅かに丸めた状態で半身の体勢を取る。
 少し変形だが、ボクシングのスタイル。
 そこには、先ほどの六道の感じは全く見受けられない。
 二重人格か?
 なるほど、こっちが本物という事か。
 勝手に勘違いした宇宙番長は、全身に気を巡らせ再び戦闘態勢を取った。
 まずは小手調べ。
 僅かに腰を落としたと見るや、爆発的な脚力でもって前方に跳躍、回転による勢いをつけて繰り出す必殺の跳び蹴り。
「宇宙キック!」
「フッ」
 鼻で笑うと恭也は宇宙番長のキックを軽く避ける。
 かわした!?
 驚愕する宇宙番長。
 何という反応速度。
 恭也はその隙を見逃さなかった。
 一分の隙もなく放たれた正拳は宇宙番長の顔を見事に捉える。
 その凄まじい破壊力は、宇宙最強の男、宇宙番長をも吹き飛ばすほどだ。
 普段から明香の手による栄養バランスの取れた食事を取っている六道の肉体は新陳代謝が活発になっており、リミッターの外れた今、もの凄いパワーが出せるのである。
 しかも、必殺技の名前を叫ばないので宇宙番長よりも素早い。
 さすがの宇宙番長も膝をついた。
「クッ………効いたぜ」
「久々の喧嘩だ。もっと楽しませてくれないとな」
 恭也は軽口を叩くが、その右腕はブラブラとあり得ない方向に曲がっており、明らかに変。
 自分の体ではないので痛くないのだった。
「あ、右が逝ってる」
 人ごとのように呟く。実際、人ごとだった。
 うーん、まぁいいか。最終的に宇宙番長を倒せば。なぁ六道。
 肘から下がブラブラとしている右腕を無理矢理押し込むと、「ゴキッ」という変な音がして元に戻った。一応大丈夫のようだ。ただの脱臼らしい。
 ちゃんと鍛えてないからなぁ。
 いつも部屋に閉じこもっているからこんなひ弱な体になるのだ。
 時々乗っ取って鍛えてやろうかなぁ、とか考える。
「驚いたぜ」
 起きあがった宇宙番長がにやりと笑う。強敵を前にして押さえられない、歓喜の笑みだ。
「口先だけの男かと思ったが、なかなかどうしてあんたもやるじゃないか」
 それは賞賛ではなかった。
 間を作るためだけの、軽口。
 腰と状態をひねり、突如繰り出されるハイキック。
 が、それすらも読んでいたというのか。恭也は普通ならば退くところをあえて前に進み、衝撃を殺して間合いに割り込む。
 その恐るべき蹴りを肩の筋肉で恭也は受け止めた。コンクリートをも砕く宇宙番長の蹴りと言えども、焦点をずらされれば凡百なハイキックと変わりがない。とはいえ、それでもその威力は伊達ではない。振り下ろされた衝撃で左肩がはずれる。
 すかさず右の掌打を放つが、これは宇宙番長に避けられた。
「今度は左か」
 呟くと、器用に左肩を嵌める。
 まるで痛みを感じた様子はない。
「なるほど、痛みを感じない体質か…………面白い。そのやせ我慢がどこまで続くか試してやる」
 格闘評論家の間では、宇宙番長が大技に頼らず基本のコンビネーションのみで相手を押さえ込んでいくスタイルを取ったときが最も恐ろしい、とされている。
 なぜなら、その速さ、重さ、的確さにおいてあらゆる格闘技のそれを超越するからだ。
 ヘビー級のフィニッシュブローに匹敵するジャブ。ブロックさえ出来ない破壊力を秘めたハイキック。そしてそれらを休みなく繰り出せる身体能力。相手の攻撃を物ともしないタフネス。
 つけ込む隙さえ与えられぬ猛攻に、いかなる者が対処しうると言うのか。
 その一つの答えが恭也だった。
 受けることをせずにあらゆる攻撃をスウェーバックでかわし、空振りのモーションに間合いを詰めて打撃を加えていく。
 かたやパワーに物を言わせて必殺の一撃を絶え間なく繰り出す宇宙番長と巧みなスウェーで攻撃を裁く恭也の戦いは、まさに剛柔の極みだった。
 いつ果てるともしれない死の舞踏は次第に白熱していった。

 窓の外で繰り広げられている光景に、明香は目を疑った。
 なんてことかしら。
 六道が戦っている。
 その動きはまさに鬼神のごとしで、あの宇宙番長相手に善戦している。
 まるで六道の体に何かが取り憑いているかのようだ。
 もちろん明香は六道に恭也の霊が取り憑いているなどと言うことは知らない。
 まさか、先ほど「何とかして欲しい」といったのを真に受けたのか。
 絶対無理。
 むしろどうにかなってしまう。
 とハラハラしていたら、六道は殴られて屋敷の中へぶっ飛んでいく。
 明香は救急箱を抱えてあわてて階下へ降りていった。

「くっ。流石だな。普通の奴ならとっくにくたばってもいいはずなんだが」
 だが全くの無傷ではないはずだ。
 数ならこちらの方が倍は叩き込んでいる。
 六道の体にもうちょっとパワーがあれば押し切れるところだが。
 バタバタとスリッパの音が響いてくる。振り返れば、そこには救急箱を抱えた明香の姿があった。
「お怪我は大丈夫ですか、六道様」
 その言葉に一瞬戸惑ったが、そう、今は六道の肉体なのだった。
「明香か。下がっていろ」
「下がっていろって…………怪我しているし血も出ているじゃないですか。後は警察にでも任せて病院へ行きましょう」
「ここで引き下がれるか。やられっぱなしと言うのは俺の性にあわないんでな」
 六道は傷ついた体を引きずり、なおも立ち上がって戦いへ赴こうとする。
 だめだわ。原因はよく判らないけど錯乱している。
 血走った六道の目を見て、明香は思った。
 頭の打ち所が悪かったのだろうか。頭からはうっすらと血が滲んでいるし、その可能性は十分ある。
 いつもの落ち着いた雰囲気ではなく、錯乱状態の六道もワイルドな感じがして、これはこれでなかなか魅力的だが、どう見ても重症だし、ただの人間が宇宙番長に立ち向かうというのも到底無理な話である。
 何より、死んでしまうと給料が貰えない。
「まだやれる。女は引っ込んでいろ!」
 取りすがる明香を振り払って行こうとする六道。
「もう。おとなしくしなさいっ」
「ほぐぅ!」
 ついカッとなって手に持っていた救急箱で殴ってしまう。
「……………あ」
 再び後頭部を強打された六道の体は、ショックを起こしてまた昏倒する。
 当然、憑依していた恭也も強制的に引きはがされた。
 ふさがりかけていた頭部の外傷からまた出血し、白目を剥いて震えている。
 瀕死。
 ビクビクと痙攣し始めたので明香は慌てた。
 大変だ。
 急いで救急箱から脱脂綿を取り出してあふれる血をぬぐう。
 出血がひどい。誰のせいかといえばもちろん明香のせい。
 しかしあそこで止めなければ確実に六道は死んだ。
 と思う。
 裂傷は縫わなければならないだろうが、処置している暇はないのでとりあえずガーゼを当てて包帯を巻いておいた。そのうち血は止まるだろうがすぐに病院に連れて行った方がいいだろう。
 問題は、あの暴れん坊だ。
 猪突猛進を絵に描いたような人間だと言うことは全世界の誰もが知っているので穏便に引き下がりそうもない。
 見つからないうちに何とかしないと。
 明香は気絶した六道を食堂へ引きずっていった。
 戦うなどと言うことは出来ないから、とりあえず時間が稼げるようにしておこう。
 食堂まで引きずった血の後があるからそれを追ってくるはず。
 後は少し細工をしておいて、裏口から逃げ出そう。

「宇宙キック!」
 半開きになっているドアをわざわざ蹴り飛ばして宇宙番長が突入してきた。
 必殺技の名前をいちいち叫ぶので非常にわかりやすい。
「ぬう。どこに隠れた」
 屋敷内へと突入した宇宙番長だが、追い求めていた六道の姿は見えない。
 隠れたか。
 どこだ。
 見回してみるが、見事に気配が消されている。いや、手がかりはあった。
 床に残る血痕。引きずったような様子から、かなりのダメージを受けている。おそらく足を痛めたな。
 行き先は…………あっちか。
 ドアを開け、一歩踏み出す。
 足下の摩擦抵抗が突然無くなった。
「なにィ!?」
 宙を舞う黄色い物体には十分見覚えがあった。
 バナナの皮だとっ!?
 堪えようと慌てて足を踏み出すが、その時何かを引っ掛ける。
 何を、と思う間もなかった。上から落ちてきたタライが宇宙番長の頭を直撃する。
 幸いにして宇宙番長のそそり立つ髪の毛はダイヤモンドに匹敵するほどの硬度を持っているので、落ちてきたタライはそれに刺さる程度で済んだ。
「くそっ。ここはトラップハウスか」
 流石だ、屋敷内も罠だらけとは。
 感心しながら頭に刺さったタライを引き抜く。
 途端に大量の小麦粉が降り注いだ。いやに重いと思ったら、タライには小麦粉が入っていたのだ。
「ぶはぁっ」
 むせる宇宙番長の背後で突然ドアが閉まる。
 閉じこめられたか。
 だがこんな程度でこの宇宙番長を捕らえた気になって貰ってはこまる。
 視界は不明瞭だが敵はそこにいるはず。ならば受けてみよ、宇宙番長最強の必殺技。
「ミラクル怪光線!」
 同時に大爆発が起こった。
 凄まじい轟音と爆風に包まれて宇宙番長の体は投げ出され、玄関まで吹き飛ばされる。
「馬鹿な…………ミラクル怪光線が暴発するだと?」
 今までそんな事はなかった。
 何か未知の攻撃なのか。
 そうではなかった。
 その正体は先ほど部屋に充満した小麦粉である。密室に可燃物が飽和状態になると起きる粉塵爆発。宇宙番長を吹き飛ばした爆発の正体はそれであった。
 爆風のダメージは深刻だった。肉体的な損傷は少ないが耳がキーンとして聞こえないし、爆発の光のせいで視界もおぼつかない。
 最初から俺の視界と聴覚を奪うのが目的か。
 恐るべき男だ、六道。
 と勝手に勘違いしているのだが、爆発したのは宇宙番長のせいである。
 視界を奪われた宇宙番長は警戒しながら進んでいるのだが、実はホールのようになった玄関をグルグルと回っていただけで、全然進んでいない。
 不意に人影を見るや
「ミラクル怪光線!」
 と必殺技をお見舞いするものの、それは鏡に映った自分の姿だった。
 破壊光線は鏡を溶解させ豪華な応接間までを貫いたが、反射したいくらかの余波が複雑に跳ね返って天井のシャンデリア基部を撃ち抜いてしまい、宇宙番長はもれなく下敷きになって大ダメージ。
 何とかシャンデリアの残骸からはい出してきたときにはかなり弱っていた。
「クッ。さすがに乱発しすぎたか。これほどまでの防衛設備が整っているとはまさに要塞だ」
 大威力のミラクル怪光線を乱発した事に加え、さんざん自分から罠にはまったり、自爆したりしたお陰で流石の宇宙番長の体力も底をつきかけていた。
 いったいあの男はどこへ消えたのか。
 あれだけの深手ではそう遠くには逃げられないはず。
 壁の構造材がパラパラと落ちる音のほかには至って静かだ。人の気配もない。
 どこだ。どこに隠れている。
 辺りを見回す宇宙番長の目にとまったもの。
 さんざん破壊しまくったおかげで極めて風通しの良くなった六道邸の、無数にあいた風穴からそれは見えた。
 車庫に誰か居る。視界がぼんやりとしているせいで判別はつかないが、人であることは確実だった。
 いったい誰か。
 いや、考えるまでもないか。
 逃がさんぞ。
 宇宙番長は走り出した。

 とりあえず六道を病院に運ばなくては。
 宇宙番長はなんか勝手に罠にかかっているようなので、その隙に六道の体を車に乗せてエンジンをかける。
 屋敷の中が荒らされるのはたまらないが、六道の命には代えられない。
 さて、善は急げ、ね。
 アクセルを踏んで車庫から出ようとすると
「待て!逃がすか!」
 宇宙番長が飛び出してくる。
 だが、車は急に止まれない。
「ぐわぁ!」
 宇宙番長はアクセル全開で発進した六道家のベンツに思い切り跳ねとばされ、きりもみしながら上昇していった。
 普通の車ならまずそんな事はあり得ないのだが、防弾仕様で各部を鉄板およびケプラー樹脂で補強されているベンツは通常のものに比べて600kg以上重くなっており、破壊力は絶大。さしもの宇宙番長も出会い頭をはねられては為す術がない。
「あら、たいへん」
 全然緊迫感のない声で呟くと明香はギアをバックに入れて切り返し、宇宙番長を避けて敷地から出ようとする。
「ギャー!」
 運悪く車の後ろに落下した宇宙番長は全速力でバックしてきたベンツに思い切り背中を轢かれた後、
「グエー!」
 さらに前進してきたので合計2回轢かれた。
 これが冥土流惨殺奥義・鞭津往復横断殺である!
 かどうかはさておき。
「避けたつもりで轢いちゃったかしら」
 ベンツの振動から明らかに人を轢いたという事を実感したが、でもビーム出せるぐらいだし、車で轢いたくらいじゃ平気、平気。
 と根拠のないことを思いながら、明香は病院へと車を走らせた。
 助けもせずに。

 六道はベッドの上で目を覚ました。
 どうやら病院にいるらしい。
 午後の柔らかな日差し。
 ブラインドの隙間からこぼれる光が淡く優しく部屋を照らし出している。
 傍らに座る明香の亜麻色の髪がまるで輝いているように見える。空調の風で髪が流れ、光の粒子が零れていくような錯覚。
 服装はいつもの地味なものに戻っていた。さすがにあの格好ではまずいと思ったのだろう。
 過剰な装飾で着飾るよりは、彼女にはずっとこちらの方が似合っている。どこにでも居て、どこにもない美しさ、明香の美しさはそういう物だ。それ単体でこそ意味のある、脆い、儚い、それでいて気高い美しさ。
 明香はせわしなく手を動かして編み物をしていた。
 ふと、その髪を手で梳いてみたい、と欲求に駆られ明香に向けて手を伸ばす。
 が、動かしたはずの手はまるで感覚が無く、見ればギブスで固められ、吊られている。
 他にもなんだか全身至る所がおかしい。痛い。
 特に頭。
 爆発に巻き込まれて空を飛んだ記憶はあるのだが、そこから先は全然おぼえがない。
 目映い光に包まれて宙を舞う感じはまさに天国への階段という感じだったが。
 かなり重傷だったらしい。
「あ、目が覚めまして?」
 明香が編み物の手を止めてこちらを見る。
「私はどうなった」
「全治二週間だそうです。もう丸二日もお目覚めにならなかったので心配しましたわ」
「あの爆発に巻き込まれてこの程度で済んだのは僥倖というべきか」六道はぽつりと呟く。「つくづく私も死ねないように出来ているのだな」
 その様子を見て明香は驚き、そして喜んだ。
 憶えていないらしい。
 救急箱で殴ったことも忘れてる。
 これはラッキーだわ。
「屋敷の方はどうなった」
「ええ、さっき宇宙征服基金の人が来まして、ちゃんと直していただけるそうです」
「そうか」
 宇宙番長に破壊された建物は全部補償してもらえるというのは有名な話だ。
 もとより屋敷に未練はないが、それでも住む場所がないというのは困る。
「ところでお前が病院に?」
「え?………ええ、まぁ」
「そうか。世話になったな」
「何をおっしゃいます。六道様あっての私ですもの。当然ですわ」
 まさか自分がとどめをさしかけたなどとは言えない。
 嘘をついているようでちょっと心が痛んだが、結果的には助けたわけだから文句はないはず。
 うんうん、私は間違ってないわ。
「このザマでは仕事もできんな」
「帰ろうにも屋敷がああではどうにもなりませんし。私も近くにホテルを取らせていただきましたので、ご用命があれば何なりと申しつけくださいませ」
「そうか。苦労をかける」
「いいえ。最近ずっと忙しくなさってましたもの。たまには骨休めした方がいいですわよ」
 明香は微笑んだ。
「本当に何も覚えてらっしゃらないのですか?」
「いや」答えてから六道は少し考え込んだ。「気を失っているときに…………夢を見た」
「どんな夢ですか?」
「死んだ…………友人に会う夢だ」
「それはよかったですわね」
「なぜそう思う」
「現世では、死んだ人間には会えませんもの。夢だとしても、その人に会えたならそれは素敵な事じゃありませんか?」
「そう…………そうか。そういう考え方もあるのだな」
 夢。
 それが幻だとしても、
『楽しかったぜ、六道』
 その言葉が意味する物は何だったのだろう。
 私を許すというのか、恭也。
 その答えは、もはや誰にも出せない。あるいは、己の死に立ち会えば自ずと導き出されるのかもしれない。今はその時ではない、ということなのかもしれない。
「林檎でも剥きましょうか?」
 明香が訊ねてくる。
「いただこう」 
 午後の日差しはどこまでも穏やかだった。

 なお、宇宙番長は全身打撲によってかなりぐったりしているところを駆けつけてきた警備会社の人間に助けられ、その後監視カメラの映像から六道家で暴れ回っていたことが発覚、もれなく逮捕された。
 ついでに宇宙征服基金の人たちからもの凄く怒られた。
 記録では「アンドロメダ番長と交戦、辛勝」となっており、今回の戦闘記録は極秘かつ非公式、宇宙番長の戦歴には付け加えられていないとされている。
 後の「宇宙番長回顧録」では六道家について「たぐいまれなる胆力と大胆さを持った好人物」などと表しており、また「敵にしたくない相手の一人」などという評価から何らかの確執、あるいは交流があったものと見られているが、それ以外の記録はなく、詳細は不明である。


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