郊外の、一軒の屋敷。
 そこが私の居場所。
 古びた屋敷、小さな庭。
 見晴らしの良い丘。
 柵も何もない、丘の上の一軒家と呼ぶに相応しい、小さな屋敷。
 風が吹けば屋根の風見鶏が回り、空に輝く太陽が地上をあまねく照らし、喧噪も無く静かに時間が過ぎていく。
 まるで取り残されたように静かなお屋敷。
 そこで私は一人、待っている。
 彼を。
 ずっと待っている。
 たった一人で。
 しかし私はずっと一人だったけれど、孤独ではなかった。
 孤独、というものを噛みしめるには、その想い出はあまりにも甘美すぎる。
 ここには彼と共に過ごした想い出が多すぎる。
 人の記憶というものは風化していくものと思われがちだが、この歳になると案外そうでもないという事に気がつく。
 留めておこうと思えば、いつまででも留めておく事が出来るのだ。
 もっとも、繰り返し再生していると古いレコードのように曖昧にはなってくるのだが。
 いや、もっと的確な表現があった。
 色褪せていく絵の具の上から、新しい絵の具を塗り重ねる。それに似ている。
 形も色も似せているつもりだが、微妙に違ってくる。
 塗り重ねているうちに、鮮明さが無くなってくる。
 しかし、絵は残る。細部は変わっても、大筋は変わらない。違う色で塗り潰したりしない限り。
 記憶というものは、それに似ている。
 目を閉じれば、ものに触れれば、それが昨日の事のように再現される。
 想いの強さは情の深さの裏返しなのかも知れないが、強すぎるのも考えものだ。
 彼の容姿。
 彼の声。
 彼の笑顔。
 彼の体温。
 木漏れ日の中の、残照。
 宵闇に浮かぶ残映。
 見えないはずのものが見える。
 過去が、私の目に過去を映し出す。
 ときにそれは、今この瞬間に体感しているかのように、感情を強く呼び起こす。
 ふと我に返り、誰も見ていなかった事に安堵し、一人赤面する。
 妄想に近い空想だ。
 しかし、彼の愛用していた物に触れると、それはまるでテープレコーダーのように、過去を私の中に再生するのだ。
 お気に入りのマグカップ。
 似合わないネクタイ。
 私にくれた、小さなカフスボタン。
 アンティークの砂時計。
 エトセトラ、エトセトラ。
 一つ一つの物に込められた思いが、私の感情を呼び起こす。
 時にそれは楽しく、時にそれは苦しい。
 私と彼とを繋ぐ、細い細い糸。
 赤い糸、などというしゃれた事を言うつもりはない。
 もっと素朴な、たぶん木綿のような白い糸。
 物自体には価値など無い。
 骨董にもならない安物だ。
 けれど、価値とはそれを所持する者の想いによって決定される。
 私と彼は、この小さな物に込められた、時間と記憶によって繋がっている。
 金で買う事の出来ない、千金にも勝る価値。
 私はそれに触れ、過去へと戻り、それを懐かしむ。
 逃避と笑いたい者は笑えばいい。
 だが、想い出に浸る事を誰も笑う事は出来ない。
 誰しも過去があり、それは良くも悪くも己のルーツなのだ。
 人には、過去が必要だ。
 後悔も、喜びも共に全て受け入れる。
 逆に言えば、それしかできない。
 過去は、変えられない。今を生きるための、未来へ進むための、足場であり、原動力であり、道標であり、今の自分を形作る全ての要素だからだ。
 一人でいるなら、そんな偉そうな考え方も出来る。
 でも、本当は自分を奮い立たせるための言い訳なのかも知れない。
 臆病で虚ろな自分にかぶせた、仮面。
 こんな片田舎の小さな家でただ時間を浪費しているという見方も出来る。
 なるほど、私は何も生み出してはいない。
 生産というものが生ける者の仕事なら、私は子を成していないし、物を作らない。何かを作って人間社会の生活を支えているわけではない。
 新しい想い出を作ってもいない。
 私の身の回りにあるのは過去だけだ。
 だが遺物ではない。
 未来へ通じるための過去だ。
 彼は戻ってくるし、私もそれを疑ってはいない。
 私の元には月に一度、銀貨の袋が届けられる。
 たいした枚数ではない。
 何とか一月、生きていけるだけの額だ。
 それでもやりくり次第ではいくらかの余裕が出来るときもあるし、天気のいい日には彼の好物のプディングでも焼こう、という気分になる。
 二人分のプディングはいつも私一人で食べる事になるのだが、その奇妙な空疎感と幸福感は退屈な日常への小さな刺激になる。
 私には、待つ場所があり、待つ人がある。
 たとえ老いて死に、彼に会う事が出来なくても、私は誇りを持って終末を迎える事が出来るだろう。
 私は己の思うがままに成すべき事を成したのだと。
 その灯火の今まさに消えんとするその瞬間まで、己に課した役割を最大限に果たし、微塵の後悔もなく、その生涯を終える事が出来たのだと。
 しかし、出来ればそうあっては欲しくない。
 その物語が完成するには、あと何十年もかかる。
 いくら何でもそれは長すぎだ。
 待てないわけではないが、辛い。
 それに私が死ぬまではこの屋敷を維持できるだろうが、死んだあとの事を考えるといろいろ厄介だ。
 待っている時間は、これからの年月を考えれば、取るに足らない短い期間。
 ……………………………の予定だ。
 そうでないと、若干困る。
 待ち遠しい。
 その日がやってくるのが。
 しかし、私の目の前にあるのは、焦りにも似た願望と雑務に追われる日々。
 そうやって四季は巡る。
 だが、この家は何も変わらない。
 変えない。
 変化する事を私が許さない。
 彼が戻って来た時のために、何もかもをそのままの形で残しておく。
 流れる時をせき止める事は出来ないが、私はこの屋敷の時間を止めてみせる。
 そして、いつもと同じように彼を迎えるのだ。
 私が老い、彼が老いたとしても、せめてこの屋敷だけは。
 過去の、あの時の、あの瞬間のままで。

 日が沈み、夜が去り、朝が来る。
 振り子のように行ったり来たり。
 年月は、ただただ流れていく。
 私は待っている。
 ずっと待っている。
 あの扉を開けて、彼が戻ってくるのを。


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