太陽に手を伸ばし

 遠い遠い過去から、彼らは存在していた。
 それはおとぎ話に登場し、歴史の闇で暗躍し、畏怖と、嫌悪と、恐怖と、あるいはそれらがない交ぜになった羨望で語られてきた。
 曰く。
 血を吸う。霧やコウモリに化身する。闇夜に乗じて家宅に忍び、好んで女性を襲う。
 流れ水を渡れず、十字架やニンニクを嫌い、太陽の陽を浴びるか白木の杭を心臓に刺されると滅びる。
 太古の伝承より人類の敵として語り継がれて来た吸血鬼。
  だが彼らは滅んでなどいなかった。
 その恐るべき会合がここ現代でも行われようとしていた。

 郊外にある二階堂蔵人の邸宅。
 夜の闇に紛れるように、一人の男が静かに門をくぐった。
「こんばんは、アルフレド様」
 玄関先で、メイド服姿の少女が出迎えていた。その肌は陶磁のよう、というよりはむしろ青白い。氷を思わせる冷たい美貌の口元には僅かながら笑みが浮かんでいる。
「久しいな、エスレイン。変わりはないか?」
 対する男もまた、人目を惹くような美貌の持ち主だった。すらりとした鼻梁と涼やかな目元、それにプラチナブロンドの髪の織りなす調和がギリシャ彫刻のような完璧な美を形作っている。不自然なほどに。
 これが吸血鬼の能力の一つだった。餌となる人間を性的に惹きつけやすいよう、一族はみな人外の美を与えられている。
「はい、おかげさまで」
 エスレインと呼ばれた少女も美しいが、吸血鬼には僅かに劣る。それは彼女が一族では無くその僕となる夜魔であるからだ。
「それはなによりだ」
 アルフレドは扉をくぐり、屋敷に足を踏み入れた。

「おっす、アルフレド」
「お前は変わらないな、二階堂」 
 短く黒髪を切りそろえた、人懐っこい顔の陽気な青年がこの屋敷の主、二階堂蔵人だ。彼自身もまた、数百年の時を生き抜いてきた吸血鬼であり、アルフレドにとっては200年ほどの付き合いになる。
「お前の話を耳にしなかったから滅ぼされたかと思ったぞ」
「最近外にはあんまり出てないからなぁ。家の中だけで全部用事が足りてるし」
「投資か?」
「いや、ネットゲーム」
「それでどうやって暮らすつもりだ」
「リアルマネートレードってやつ。ゲーム内の通貨を現実で売って稼ぐんだよ。ああいうゲームって物価高いから、ゲーム内で金稼ぐ時間が無いやつは代わりに現金でゲーム内の通貨譲って貰ったりしてるわけ」
「仕組みは判ったが、よく飽きんな」
「一晩中遊んでられるから、趣味と実益兼ねてる感じ。あと下僕とかからレアアイテム巻き上げて転売とかで、結構な金になるんだよ」
「それで良いのか、お前」栄えある吸血鬼の一員として。
「いやー。人からチヤホヤされるっていうのはいいもんだよ」
 吸血鬼は長命ゆえに広い人脈を持ち、多くは経済や政治に関わりながら人目を忍んで暮らしている者が殆どだ。
 だが、こんな方法で暮らしているのはたぶんこの男ぐらいだろう。
「それで、今日私に話があるというのは?」
「そうそう。実は画期的なアイデアを思いついたんだよ。……太陽の克服について、だ」
 太陽の克服は、全吸血鬼にとって憧れである。十字架も銀をもはね除けても、日の光の下ではひとたまりもない。ごく一部の吸血鬼は陽光下での活動も出来るらしいが、その力は大きく失われ、不死性さえもなくなってしまう。
 日光は不滅の存在である吸血鬼の唯一にして共通の弱点だった。
 もちろん、それに挑み続けた者は数多い。だがいまだにそれを完全に乗り越えた者は居ないのだ。
「お前まだ諦めていなかったのか」
「当たり前だ。俺たちの永遠の命は、何度でも挑戦できるように与えられている。俺はそう思っているからな」
「今まであれだけ失敗したのにな」
「今度は違うぞ。コレを見ろ」
 二階堂がテーブルの上に置いたのは、薄い茶色をしたプラスチック製の容器だ。
「見たところ、市販の乳液に見えるが」
「ああ。だがこいつは5年連続で日焼け止めのセールスで一位をとり続けているという優れものなんだ」
「それで?」
「と言う事は、だ。こいつの太陽の光を遮断する効果は抜群だ、と言う事になる」
「いささか極論だが、そうとも言えるな」
「だろう? ということは、これを塗れば俺たちは太陽の光でも大丈夫だ、ということになる」
「それはたぶん無理だと思うが……第一、試してみたのか」
「いいや。実は明日初めて試す。だからお前を立ち会いに呼んだんだ。歴史的瞬間のな」
「やめろと言っても無駄なんだろうな」
「ああ。俺はいつだって本気だ」

 

 翌朝。
 太陽の陽が昇りきった頃、全身に日焼け止めクリームを塗り込み海パン一丁になった二階堂は自信に溢れた表情で玄関前に立っていた。
「よし。いくぞ、アルフレド。よく見てろ」
 意気揚々と陽光の下に出た二階堂は、叫び声を上げる間も無く瞬時に灰となった。
「ほれ見たことか」
「ええ、ですから何度もお止めしたのですが」
 エスレインは手慣れた様子で掃除機を抱えて外に出ると、かつて主だった灰を回収し始めた。

 吸血鬼は不死である。
 例え灰にされようとも、適切な環境を整えれば蘇る。
 156日ぶりに棺桶から蘇った二階堂は再びアルフレドを呼び出していた。
「聞いてくれ、アルフレド。名案を思いついたんだ」
「どうせ下らないことだと思うが、聞こう」
「太陽光線をカットする、という発想は良かったと思うんだ。だから、これを用意してみた」
 二階堂がテーブルに置いたのは、ゴム製のスーツだった。
「これ、ダイビングスーツだろう?」
「ああ。伸縮性のある素材で出来ているし、動きも妨げない。こいつを身に着ければ日中でも外に出られる。しかも、泳ぎに使うスーツだから水も平気なはずだ」
「そうか。無駄だと思うが頑張れ」

 

 お前も見に来いよ、と二階堂は誘ったがアルフレドは丁重に断った。
 案の定、当の本人は真夜中になっても帰ってこなかった。
「で、二階堂はどうなったんだ」
「調子に乗って川に入ったところ、身動き取れなくなって沈んでいます」
「エスレイン……馬鹿を主人に持つと大変だな」
「もう慣れましたので」エスレインは無表情に返し、携帯電話を手に取った。「もしもし、夜分に失礼いたします。実はダイバーの方に一つ引き上げを頼みたいのですが……」

 

 そして半年後。またしても呼び出されたアルフレドは、駐車場で奇異な乗り物を目にすることになる。
 自動車のおよそ半分ほどの大きさの箱に、鳥足のような形状の金属製の脚。モスグリーンに塗装されたそれは、コンセントに繋がれ充電されていた。
「棺桶ウォーカーだ」 二階堂は胸を張っていった。
「もう突っ込む気も起きないな」
「やはり今までの手段が古くさすぎた。これからはテクノロジーの時代だよ。こいつは鋼鉄製の外装に棺桶を収めたうえで、オートバランサー付きの脚でそのまま移動できる優れものだ。しかも棺桶にはカメラが内蔵されているから、中に入ったまま安全に運転も出来る……どこへ行く、アルフレド」
「帰る。余り騒ぎを起こすなよ、ニカイドー。エスレインが可哀想だ」
「はっはっは。心配するな。今回のは自信があるんだ」

 

「……ニュースをお伝えします。お昼頃、渋谷に突如現れた二足歩行の不審車両に対し、自衛隊は……」
 アルフレドは結末を見ずにテレビのスイッチを消した。

 

 アルフレドは長い旅に出ていた。
 人の世は移り変わりやすい。同じ地に長く留まると迫害されるが、時を経てあちこちに移動していれば人目に付きにくい。そして昔よりも交通手段はたくさんあるし、飛行機のお陰で海さえも軽々と飛び越えることが出来る。
 人は増えたし、少々の手間を掛けるだけで新鮮な血液も入手できた。
 吸血鬼にとっては暮らしやすい世の中になった、とアルフレドは過去を振り返って思う。
 大きな戦争もなく、平和に腐りすぎてもいない。
 もっとも、そうなるよう影ながら尽力しているのが我々のような闇の世界の住人だというのは皮肉な話ではある。だが、人間とは共存していかねばならないのだ。その折り合いはだいぶ前から付いていた。
 支配することもなく、狩られることもない。適度なバランスがあるからこそ、二階堂のような挑戦も可能になる。あまり派手に動かれて吸血鬼の存在が表沙汰になるようなことは避けなければならないが。
 そういえば、二階堂はいまだにあの挑戦を続けているのだろうか。
 永劫の時を生きる身にとって、過去と現在、そして未来にも意味はない。それでも二階堂を懐かしく思うのは、彼の挑戦に対して羨望のようなものを抱いているからなのかも知れない。

 

 二階堂の邸宅はかつてと同じようにそこにあった。そこに至る道は多少変わっていたが、懐かしい道のりだ。
「こんばんは、アルフレド様」
 夜魔の少女、エスレインもいつものように彼を迎え入れる。
 ただ、そこに二階堂の姿はない。
「ニカイドーは?」
「ご案内いたします」
 月明かりの下、アルフレドが案内された場所。
 そこには一本のサルスベリの木が植わっているだけだった。
「これはどういう事だ、エスレイン」
「これがご主人様です。太陽に対抗できる生物を探した結果、植物が一番適合性が高いとのことでご自身を灰にされたあと此処へ埋めろと」
「それで、これか」
 吸血鬼が蘇るにはその灰が必要だ。植物の滋養にされてしまっては復活は望めまい。
 これは自殺なのか、それとも彼自身の勝利なのか。
 アルフレドには判らなかった。
 ただ、サルスベリの花言葉が「愛嬌」である事を思えば、何とも二階堂らしいではないか。

 

「よう、アルフレド。元気そうだなぁ」
 二階堂の声が聞こえてくるような気さえする。
 吸血鬼の中では異端だったが、それでもいい友人だった。
 闇の世界の住人の魂がどこに行くのか定かではないが、せめて安らかであって欲しい。
「おーい、アルフレド」
 感傷に浸っているところに、二階堂の声が幻聴のように響く。
 いや、幻聴ではなかった。
 思わず顔を上げて見回すアルフレドの耳元で、再び二階堂の声がする。
「俺、俺。ここだよ、お前が見てる、その木だよ」
 アルフレドは驚き、木を見上げた。声は確かにサルスベリの木、それも風にそよぐ葉から聞こえていた。
「ニカイドー! おまえ生きていたのか!」
「あたりまえだろ」
 幹が微かに揺れた。たぶん胸を張ったのだろう、とアルフレドは解釈する。
「見ろ、俺はついに太陽を克服したぞ! 今や太陽無しでは生きていけないほどにな」
「お前……そんな身体で大丈夫なのか」
「うん。でも声が出せるようになるのに2年掛かったぞ」
「馬鹿だ」
「吸血鬼史上前人未踏の快挙だぞ。もっと褒めてくれよ」
「そんな格好で快挙も糞もないだろう」
「庭で水やりをしていたら突然話しかけられたので私も驚きました」
 エスレインは呆れ顔である。
「はっはっは。俺はやると言ったらやる男だぞ、エスレイン。お前も知っているだろう」
「2年間、ご主人様の自殺に手を貸したのではと自責の念に駆られたのが馬鹿みたいです」
「それでニカイドー、お前これから一体どうするつもりなんだ?」
「太陽を克服するって言う目標は達成したからな。後はここから元の姿に戻ってみせる!」
 自信満々で言い放つ二階堂にアルフレドとエスレインは大きくため息をついた。

 

絶対懲りない吸血鬼、二階堂蔵人(ミソハギ科サルスベリ)。
その冒険は続く!

 


終わり