「おもーい」
南美は地べたに座り込んで、弱音を吐いた。
両脇にはブランドものその他いろいろを詰め合わせた大きな紙袋が横たわっている。
「それで?」
聡は表情を変えずに、目の前に恋人に問いかけた。
日曜日の買い物という事で無理矢理連れ出された聡だったが、無計画にショッピングを続ける南美に対して積極的に助けようという行動は起こさなかった。買い物につきあえ、といわれただけで、荷物を持ってくれ、とは言われていない。
荷物持ちのために呼び出されるなど冗談ではない。
自分は買い物につきあうと言っただけだ。
南美は全然納得していないが。
「アンタね、か弱い婦女子が重い荷物に喘いでいるって言うのにその態度は何?」
南美は腰に手を当て、仁王立ちになって聡を見上げる。
二人の身長差は15センチはあるので、どうしても視線が上を向く。
第三者から見ると子供がだだをこねているようにも見える光景である。
「いつも通りだ」
南美の剣幕に押された様子もなく、聡の答えは素っ気ない。
それが余計に南美を苛立たせた。
「別にあんた、何にも荷物無いんだから持ってくれたっていいじゃない。ハンドバッグとかワンピースとか靴とか、結構重たいんだから」
この男はどうしていつもこう、融通が利かないのか。「買い物に行く=荷物を持つ」は地球の常識である。
そんな常識はなくても、南美の世界ではそうである。
「なぜ俺が君の荷物を?」
「それが男の役割ってもんでしょ」
男は女の荷物を持つべきである、という絶対の信念は。
「勝手に役割にしないでくれ」
と聡の一言で一蹴。
正攻法で訴えたのではダメらしい。
仕方ないので南美は譲歩することにした。
「あとで膝枕耳かきしてあげるから」
「俺、人にやってもらうの好きじゃないから」
かわいげのない男だ。
「どうあっても荷物を持たない気ね」
「いいか。もしここが砂漠だったとして、不必要な荷物を持って困った奴が居たとしても、そいつを助ける奴はいない。それは自業自得だからだ。君が買い物を無計画に行った結果がそれなら、俺にそれを助ける義理はない。俺は買い物につきあえといわれただけだし、荷物持ちをしろなんて事は一言も聞いていない」
確かにだまし討ちのテイストは多少あるので聡の言うことももっともであるが、それで納得できるかというと全然別。だいたい、買い物に行ったら荷物が出るに決まっているではないか。
「鬼!悪魔!」
南美は率直に感想を述べた。
「恋人を無料奉仕させようという、その考えの方がよっぽど非道い」
聡も冷静に切り返すが、南美の耳には入らない。
入ったが反対の耳から抜けた。
「持ってー!持ってくんなきゃヤダーヤダー」
恥も外聞もなく南美が叫んだのを見て、さすがに怯む。
とんでもない女だ。
「子供かお前は」
「子供で良いから持ってよぅ」
聡はやれやれ、という面持ちで紙袋の一つに手を伸ばした。
放っておくと何をしでかすか判らない。
「え?一個だけ?」
南美はもの凄く不満そうな顔をする。
「半分持ってやるだけでもありがたく思え」
聡はすたすたと歩いていってしまった。
多分、この場に留まっていたくないのだろう。
南美は慌てて追いかけた。
半分になったとはいえ、結構重い。
このゴツゴツ感は、厚底のブーツの入っている方だ。
どうせなら両方持ってくれればいいのに。
「ねぇ。もう一つ持ってよ」
「両方持つメリットが俺には感じられない。君の荷物運びをして俺にどんな利益があるというのだ。貴重な休日を浪費して、君の荷物を半分も持ってやる。これは善意。ボランティアだぞ」
「うーん」
南美はしばし考え込んだ。
つまり聡は荷物持ちに対して何らかの報酬を求めているわけだが、キスでもしてうやむやにすると言う作戦がこの男に通じるとはどうしても思えない。
喫茶店でコーヒーでも奢る、という選択もあるのだが、資金は電車賃を除き全て使い切った。
あと部屋は飽和状態で聡には到底見せられない。家まで呼ぶのはマズイ。
見られるのは非常にマズイ。あそこはいま、非常に危険な場所だ。
この場で聡が喜ぶこと。
うーん。
アレだ。
「荷物持ったら結婚してあげる!」
聡はがっくりとなった。
「おい。そんなプロポーズがあるか!」
「斬新でしょ?」
「勢いだけでそんな事言うな!」
南美は首を傾げた。
何が不満だというのだこの男は。
「嬉しくないの?」
聡はちょっと言葉に詰まる。
「いや、嬉しくない訳じゃないけど、なんかこう、とても複雑な気分だぞ」
「嬉しいならいいじゃない。夫婦は喜びも苦しみも二人で分かち合うもんだし」
聡は手に持った荷物を掲げて見せた。
「分かち合ったじゃん」
「あー」墓穴掘った。「それはほら、ジェンダーというか何というか、あれ、えーと、男女雇用機会均等法じゃなくて性差別」
「自分でいってて意味判らないだろ」
「…………うん」
つまり、男と女では力が違う、という事を言いたかったわけである。
彼女が言わんとすることをなんとなく理解した聡は、手を伸ばして南美の持つもう一つの紙袋を脇に抱えた。
「あ、持ってくれるんだ」
「不毛な議論してても仕方ないだろ」
聡はなんだかんだ言ってもわがままを聞いてくれる。
文句を言いつつも、南美のことを優先してくれるのだ。
自己犠牲というほどのことではないけれど、少なくとも南美を喜ばせるために、自分のしたいことを我慢する程度に。
悪いとは思っている。
あんまり甘えてはいけないと判っているのだが。
「便利なのよねぇ」
「何か言ったか?」
「ううん。何でもない」
南美は首を振った。
こんなわがまま女につきあってくれるだけ、この男は懐が広い。
たわいないことを喋りながら、二人は駅までたどり着いた。
「どうせなら家まで持っていってやるよ」
聡の申し出に、南美は驚いた。
「いいわよ、そんな気を遣わなくっても」
「でも家まで持っていくの大変だろ?50メートル歩いただけで音を上げるぐらいだし」
事実、荷物は重い。
聡にとっては何でもない重さだが、南美にとってはそうではないだろう。
「聡、明日は仕事でしょ?ここまで持ってきて貰っただけでも助かったし」
あんたに来られると、私が困る。
「ここまで来たら大した違いはないぜ」
聡の笑みが、南美にはまぶしかった。
なんて余計なことを考えるのだ。
私の部屋は今ハルマゲドン級の汚れ方をしていて居住空間が絶無なのだ。
来ちゃダメ、絶対ダメ!
とはいえ、その状況に持っていったのは南美である。
そうだよなぁ。
普通、荷物を持ってくれって言ったら、家まで持ってきてくれるよなぁ。
持ってくれなんて駄々こねるんじゃなかったかなぁ。
荷物はないのに南美の足取りはどんどん重くなっていった。