3+1+かしまし談義 −序章−


「これはまた……ずいぶんな量だな。軍隊でもやってくるのか」
「懇意にされているよしののさんの方々がお見えになりますので、何かお出ししようかと」
  屋敷を切り盛りするメイド、榊 明香はエプロンを羽織りながら言った。
  亜麻色の髪は目元まで伸ばされ、その表情を覆い隠している。異邦人である証、深いグレーの瞳を隠すための姿。初めはそのためのものだった。今は、それが日常の顔となっている。
  胸の内に抱えたいくつもの秘密。この仮面でさえもその一つに過ぎない。けれども、主である六道がそれに関心を示すことは殆ど無く、明香はありがたく思う反面、拍子抜けもしていた。
  そもそも六道は自分自身にも感心がない。放っておくと餓死するのではないかと思うほどだ。
  そんな六道ではあったが、今日は珍しく上下の背広姿だった。
「お出かけの予定ですか?」
「ああ。人と会う約束をしている」
  六道は普段綿のシャツにスラックスという姿でいることが多いが、正装しているということは今日逢う人物はよほど重要な人物なのか。
「ではお車の用意を」
「もう頼んである」
  六道の答えを受けて、いくつかのプランが瞬時に明香の脳内を奔る。来客があるなら、そのための用意もしなくてはならない。
「お帰りはいつ頃に?」
「夕方には戻る。友人とやらにはゆっくりしていくように伝えて構わない。男が居ない方が話が進むこともあるだろう」
  つまりは、出かけるが客を連れてくる意志はない、と言いたいようだ。六道は持って回った言い方をするが、彼なりの気の使い方なのか、偶然そうなっただけなのかは判らない。真意の窺い知れない人物だと明香はいつも思う。もっとも、相手もまた明香をそう思っているのかも知れないが。
  六道は食堂を出て行った。
  やがて外でエンジンの音が遠ざかっていくのを耳にする。察するに自家用車ではなく、タクシーを呼んだらしい。
  自分がタクシーを呼ぶつもりだったが、手間が省けた。自家用車を使って迎えに行けば、道中の話の種にもなろう。
  手早く材料の山に手を伸ばす。あまりのんびり作っている時間はない。準備は万全に。時間は正確に。
  客を待たせてはメイドの名折れだ。
 
  瀬戸 志野枝と織部 釉希の二人は長い旅路を終えて駅に降り立った。
  電車を降りたのは、二人を含めて両手の指に余る程度だ。駅前のロータリーにはタクシーが数台止まっている。商店街も営業しているところはまばらで、一番活気がありそうなのは改札を出てすぐのコンビニエンスストアという有様だ。
「うーん。典型的なベッドタウンって感じね」
  織部はバッグを下ろし、辺りを見回しながら言った。
「たしかに移動手段がないと大変そう」
  周囲に交通手段らしき物がないことを確認した瀬戸も同意する。
  二人がもらった地図によれば、目的地は徒歩で行けるような場所ではなく、バスなどの交通機関もないらしい。
「待ち合わせは駅前でいいってことだったけど」
「あ、あれじゃない?」
  ひときわ目を引く亜麻色の長髪、それに女性にしては長身の体躯は、それだけで十分目立つシンボルだった。明香もまた瀬戸・織部の両名の姿を見止めて小さく手を振っている。
「こんにちは。お世話になります」
「迎えに来てもらって悪かったわねー」
「いえいえ。うちのお屋敷は正真正銘山の中ですので、タクシーだと割高ですから。では、こちらへ」
  明香に連れられて歩いていくと、その先では黒塗りの自動車が陽光を浴びて輝きを放っていた。
「おおー! ベンツだ」
「中身は別物ですけど。防弾処置を施してるので車体が重いんですよね。ロケット弾を撃ち込まれても平気、と運転手の方が仰っていましたが、そんなに頑丈にしなくてもいいと思うのですけどね」
  改造のほどは外観からは全く判らないが、そう言われてしまえばなにやら凄いマシンのように見える。
  明香はロックを外し、ドアを開けた。
「私は助手席が良いな」瀬戸が前面に回りながら言った。
「じゃあこっちは後部座席でVIP気分を味わうわ」織部もあっさりと権利を譲る。
  席に滑り込んだ瀬戸がダッシュボード脇のスイッチ群に目をとめた。レバー式のアナログスイッチはダッシュボードからハンドルの脇まで隙間無く並んでおり、車の状態を示す物なのか速度とは無関係と思われるタコメーターもいくつか存在している。
「何かスイッチたくさんあるね」
「私も全部把握しているわけではないのですけれど、色々出来るみたいですね。空調の他にも窓ガラスの濃度やサスペンションの固さなんかを自動調節できるのだとか」
「へえー。それは凄いね」瀬戸は興味深そうに航空機のようなコンソールを眺める。「ねえ、この車は喋らないの?」
「残念ながら。主が『ナビがなければ道に迷ったと言い訳できるから付けなくていい』と頑なに拒んでいまして」
「野島 昭生の声で喋るようにすれば良かったのに」
「山寺 宏一でもいいですね」
「あんたら何の話をしてるの……」織部が呆れ顔で突っ込む。
「だって織部、車が話したら格好いいじゃない」
「どうせなら変形した方がいいわ。トランスフォーマーみたいに」
「うふふ。そうだったら面白かったかも知れませんね。では、参りましょうか」
  そして装甲車並みの強度を持つ六道家自慢の自家用車は、その車体重量からは信じられないほど滑らかに走り出した。
 
  市内に入ってから数分。
  バックミラー越しに後ろを見た織部がふと口を開く。
「ねえ、なんか後ろの車近くない?」
  それぞれがサイドミラーで後ろを確認すると、赤いスポーツカーがわずか数十センチという間隔で車間距離を詰めている。
「あー。居るよね、高そうな車を見ると嫌がらせしてくる人」
「煽ってくるなんて品のない方ですこと」
  瀬戸は憤り、明香はのんびりと呟く。
「何様のつもりかしらね。危ないじゃない」
「大丈夫です。戦車ならともかく、乗用車にぶつけられたぐらいではびくともしませんからご安心ください」
「でもあんまり気分良いものじゃないよね。女3人で乗ってるわけだし」
「ご心配なら、その辺のスイッチで対応できますよ」
「これ?」
  指し示されるがままに瀬戸が『OIL』と書かれたスイッチを押す。
  小さな作動音の後、ぴったりと後ろについていた赤いスポーツカーが突如新手のブレイクダンスを踊り始めたように回転した。その光景がバックミラー越しに見えたので、瀬戸は速やかに視線を前方に戻す。
  後ろを見てはいけない。何か物凄い衝突音が聞こえたのは気のせい。ただの幻覚であり、爆発音のようなものはたぶんバックファイアの音だ。
  隣の『Missile』を押したらどうなったのかは考えてはいけない。

 滑るように地を駆ける自動車は、郊外を出て深い森を横断する道へ向かう。
「なるほど、確かにこれじゃバスは来ないわね」
「以前はハイキング客を見込んだバスが走っていたそうなのですが、不況で廃線になってしまったようです」
「なるほどねー。買い物にはちょっと困りそうだけど」
「最近は通販も充実してきていますし、ある程度まとめ買いもしていますので、生活面ではそれほどでもないですね。むしろ、お客様が屋敷に来るのに苦労なさるようです」
「たしかにそうだね。自前の交通手段があっても迷いそうだし」
「瀬戸なんか静かにしてるけど大丈夫? 酔った?」
「ご気分が優れないようでしたら少しお休みになりますか?」
「いや、そう言う訳じゃないんだけど……」瀬戸はためらいがちに口を開いた。「えっと、あのね、スポーツカーが」
「ああ、そう言えばいなくなったよね」
  織部は後部ガラスを覗き込みながら言った。
「よかったですね」
  明香も頷いて、少しスピードを落とす。
  気がついていないのか、それともスポーツカー油脂路面放出回転爆発炎上事件自体をどうでもいいと思っているのか。
  突っ込みは自分の領分ではない、と思いつつも全力で突っ込みたい気分の瀬戸だった。

 やがて3人の乗った車は、森の中を細く切り開いた坂を登り、目的地へとたどり着いた。
  森の中に無理やり押し込まれた豪奢な洋風建築の屋敷は、自然と文明という二律背反を同居させながらひっそりと沈黙を守っていた。
  明香は磨かれた真鍮の取っ手を引き、二人を屋敷の中へ招き入れる。
  年月と、歴史を感じさせる邸内。白い漆喰も光を増幅させることはなく、マホガニー色の古い柱が逆に影を強調する。見た目の豪華さ、建築の確かさとは裏腹な、どこか朽ちていくような雰囲気。二人はそれに圧倒されながら立ち尽くす。
  背後で扉が静かに閉まった。
  屋敷に立ちこめる重い停滞を振り払うが如く、明香はスカートの裾を持ってお辞儀をする。
「長旅お疲れ様でした。どうぞゆっくりとくつろいでくださいませ」
  たったそれだけの行為で周囲の温度が和らぎ、緊張が解けた。
  二人は安堵にも似た息を吐き、明香に促されるままに屋敷の奥へと進んでいった。


戻る