その日は平和だった。
  急ぎの仕事もなく、天気は穏やか。
  来客もなく、聞こえてくるのは明香が家事をするためにぱたぱたと走り回るスリッパの音ぐらいである。
  六道は本棚から読みかけの本を取りだし、静かにページをめくっていた。
  平穏こそが至上という六道にとって、真の安息とはまさしくこのような日だった。
  かすかに目に疲れを覚えはじめた頃である。
  書斎のドアがノックされ、明香が顔を覗かせた。
「ご主人様、お手紙が届いていましたけど」
「ご主人様はよせ」
  そのような肩書きで呼ばれることを六道は極端に嫌う。六道は誰にも従わない代わりに、誰かを従えるつもりもなかった。
「旦那様」
「駄目だ」
「ダーリン」
「…………手紙を置いて下に行け」
「でも、たぶん読めないと思いますわよ?」
「何で判る。中身を見たのか」
「いえ、見るも何も羊皮紙がそのままポストに入っていましたから」
「羊皮紙?」
  六道は思わず振り返った。
「誰だ、そんなイタズラをしたのは」
「さあ。だいぶ古い物みたいですし、文字は古代アラム語みたいですね」
「読めるのか」
「ええ、まあ」
「なんで」
「通信教育で勉強しましたから」
「そうか」
「えー何ですかその反応は」
「いや興味が急速に失せただけだ」
「で、どうするんですか?これ」
「本当に読めるのか」
「読めますわよ」
「嘘だろう」
「本当ですってば」
「何が書いてあるんだ?」
「内容はエゼキエル書の抜粋と、意味のない音の組み合わせで構成されていますわね。ヘブライ語でないあたりが不思議ですが、何の意味があるのかは判りません」
「では読んでみてくれ」
「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。主はお前達の上に筋を置き肉を付け皮膚で覆い、霊を吹き込む。お前達は私が主である事を知る。ヤーヴァー・ウ・エル・エ・ヤルダ…………」
  読み上げる声が突然途切れ、明香の身体ががくがくと震え出す。
  制止する間もあればこそ、明香はばったりと仰向けに倒れた。
「どうした!?」
  思わず立ち上がる六道。
「シャアアア」
  明香は奇声を上げると仰向けのままブリッジし、そのまま動き出した。
  なんだこの斬新な動きは。
  いやそうではなくて、この奇妙な振る舞いは明香の新しい芸なのか。芸人じゃないけど。
  普通なら確実におかしい、と思うのだが明香は時々変な特技を持っているので演技の可能性も僅かながら残っているところが困る。
  しかしスパイダーウォークは悪霊に取り憑かれたときによくなるらしいので、やはりさっきの怪しげな手紙は悪霊でも呼び出す呪文だったのかと思っていたところに明香が飛びかかってきた。
  ブリッジをしたまま跳躍し、そして空中で身を捻る。
  フライング・ボディプレス!
  と思う間もなく六道は潰され、素早く明香によって腕をねじり上げられる。
  華麗なグラウンドプレイによってアームロックに絡め取られた六道は、痛みに耐えかねてタップしてみるが離してくれなかった。
  このままでは腕が折れる。
  六道は、申し訳ないと思いつつも明香を足蹴にしてアームロックから脱出する。
  明香は諦めずに執拗に六道へと襲いかかるが、六道も必死で抵抗した。遠くから見ると何やらじゃれ合っているようにも見えるのだが、むしろ一方的に殴られたり首を絞められているのは六道である。無論、六道が人並み外れて弱いというわけではなく、現在の明香が異常な腕力を振るっているためだ。
  頸動脈を締め上げる明香の指は、まるで万力のようだった。六道は顔を青紫にしながらももう一度明香を蹴り出し、間を取った。
  明香はそのままガラスを破って逃亡した。
  六道は呆然とし、痛む身体を横たえた。取りあえずの危機から脱し、呼吸を落ち着ける。
  あれはいったいなんだったのか。
  一体明香はどうしたのか。
  答えは出なかった。
  自分が面倒なことに巻き込まれているのは判る。しかしどうすればよいのか。
  警察にでも電話するか?
  探偵か?
  それとも神にでも祈るか。
  一番面倒がかからずに解決できそうなのは神に祈ることだろう。本当に神などという者がいるとすれば。
  しかしいったい何の神に祈ればよいと言うのか。警察のほうがよほど現実的だ。
  それに、こう痛めつけられていては立ち上がるのも一苦労だった。
  少し休んだほうがいい。
  六道は壁により掛かり、僅かのあいだ微睡んだ。
  ふと気が付くと窓辺から光が差し込んでいた。明香と揉み合った拍子に頭部を強打したために目眩がするが、目の前のそれは幻ではなかった。
「なんだ、これは?」
  光は太陽ではなかった。 光源はもっと近くにある。
  その答えは間もなく現れた。
  光は六道の眼前で一つの形を取る。
  それは、まさしく神話に描かれる天使。
  薄い青色の貫頭衣を身にまとい、背後には透けて通るような翼。頭上には、やはり僅かに視認できる環がある。
  発光していることもあってか、実体は定かではない。
  端整な顔立ちは西洋の人間を思わせるが、どこか中性的だ。
  そして光の天使は言った。
「貴方の切なる願いが天に届きました。私は天使」
「そんなものはいない」
  即座に否定する六道。
「え…………い、いやいるんだけど」
「私は神など信じない。故に天使も信じない。信じないものは存在しないも同然だ。故にお前はいない」
「今話してるじゃない」
「極度のストレスを感じたりすると、人格が乖離して状況を回避することがあると聞く。今はそう言う状況なのだろう」
  六道は疲れた顔で椅子に座った。やはり頭を打ったのは良くない兆候らしい。
  実際、雇っているメイドにボディプレスからアームロックなどという流れるような連携技を掛けられたのは生まれて初めてだ。
「んもー! 恭也君の頼みで助けに来たって言うのに何よこの男。死ね!」
  自称天使は額に青筋を浮かべながら悪態を付く。
  思った通り、これは天使のようには見えなかった。
  まして、どう見ても地獄に堕ちていそうな恭也に天使の友人がいるとも思えない。
「天使は死ねなどとは言わないぞ」
「本当に私は天使よ!」
「そんなことはどうでもいいから手助けをするなら早くしろ」
「もう助けないわよ!」
  天使は怒っているらしかった。
  しかしそんなことを気にする六道ではなかった。
  何故なら目の前にいるのは六道の下位人格だからである。六道のほうに主導権がある。
  と、少なくとも六道は思っていた。
「それは無理だ。何故ならお前は私の人格から乖離した下位の人格に過ぎない。上位自我である私の命令に逆らうことは出来ない」
「助けないもんね! 絶対助けない!」
「そうか。恭也の頼みを無碍にする訳か。悲しむだろうな、あの男は。強がっていても本当は寂しがり屋だ。きっと泣くに違いない。可哀相にな」
「て、天使を脅迫する気? そんな事したら地獄に堕ちるんだからっ」
「知らないのか? 私の名は六道、地獄の名前を持つ男だぞ。天使ぐらい脅せなくてどうする」
  本当は六道輪廻には天道や人道も含まれているので、実は地獄は六道の中の一つに過ぎなかったりする。
「で、どうするんだ」
  天使はあきらめ顔だった。
  協力はするらしい。
「とりあえず捕まえなくては話にならないわ。 追いかけるのよ!」
「車はいま車検に出しているから無い。移動手段がないからタクシーを呼ぶか、警察でも呼ぶしかないな」
「この人でなし!」
「その台詞は言われ慣れている。それに表沙汰になりそうになったときはもみ消すから平気だ」
  散々文句を言われたが、六道は聞き流して電話の前で待った。
  しかし電話は鳴らなかった。
  警察が保護してくれると凄く楽なのだが。
  天使の悪態を受け流しつつ一時間ほど待ってみたが、何も動きはない。
  やはり自ら動くしかないか。警察にも知り合いはいるのだ。交通課にでも動いて貰うか。
  六道が受話器を取り上げて連絡を取ろうと思った矢先である。
「ただ今帰りましたー!」
  玄関から明香の声が響く。
「帰ってきたようだな。それに正気に戻っているようだ」
「それはどうかしら?」
「どういう意味だ」
「悪魔が簡単に魂を手放すはずがないわ。あの子はまだ憑かれているはずよ」
「馬鹿め。悪魔などいない」
「じゃああれはどう説明するのよ」
「ただの自己暗示による一時的な錯乱だ。時間が経てば戻る。戻らなければ病院に連れて行く」
「そう簡単に済めばいいけどね」
  六道が下に降りて行くと、果たして明香は夕食の準備をしていた。
  普通の買い物袋もあるが、手にしているのは何やら泥の付いた草やたったいま絞めてきたばかりの鶏などである。
  六道は思わず一歩引いた。
「ご主人様、すぐに夕食にしますから待っていてくださいねー」
  明香は甘ったるくヘラヘラと笑いながら手際よく鶏をさばいていく。
  六道は明香が未だ正気ではないことを悟った。明香はこんなに明るくない。あと女子高生みたいな変な語尾で喋らない。
  どうする。
「私の出番のようね。ちょっと身体を借りるわよ」
「断る」
  しかし自称天使は六道の身体に入り込むと、六道の肉体を勝手に動かし始めた。
「駄目だというのに」
  遠目から見ると不気味なパントマイム。
  六道=天使は両手を交差させるとおもむろに光線を発射した。
「殺人救済浄化ビーム!」
  そもそも殺してしまっては救済もへったくれもないのだが、明香には通用しなかった。
「効かないではないか」
「ネガティブすぎるんだわ。あなたの徳では彼女を救えない。あなたの魂はあまりに暗黒面に近すぎるのよ。どちらかというとそうね、悪魔寄りだわ。どうしてこんな堕落した魂が憑依されないのかしら」
  散々である。
「つまり自称天使とやらの力を持ってしても明香は救えないと言うことか。困ったな。このままだと殺されかねん」
  今はまだ大人しいようだがいつまた暴れ出すかわかったものではない。
「判らないの? 彼女は強靱な精神力で殺意を押さえているのよ」
「雇い主にアームロック掛けたら普通はクビだ。殺意がないのに襲いかかってくるのか」
「そうよ。殺意がないから、あんなじゃれ合い程度で済んだの。本来なら、あの悪魔はあなたに憑く予定だった。呪文を唱えたのが彼女だったから良かったけど、あなたのような堕落した魂に取り憑いたら最悪だったわ」
「堕落しているのではない。やる気がないだけだ」
「きっと、そのやる気の無さを周囲に伝染させてこの世から活力を奪い、堕落させるのね。悪魔は堕落した魂が好物なの。そして私たち天使はそんな悪魔と人知れず戦い続けているのよ」
  六道にはやる気がないのと堕落の区別がよく判らなかったので適当にスルーした。
「別にそんなことは聞いていない。どうすれば明香を元に戻せる」
「そうね。方法は取りあえず二つ。彼女を殺すか、魂を救うかね」
「殺すのは駄目だ」
  捕まってしまう。
  天使に命令されて殺しましたなどと言えば間違いなく病院送りだ。
  あと殺してしまうのは元に戻すとは言わない。
「そうなれば方法は一つね。 彼女の魂を救済する方法を考えましょう。聖餅か祝福儀礼用の香油か聖別された銀の弾丸とかあれば良いんだけど」
「心当たりはあるが取りに行くのは無理だな。それに銀の弾丸などあっても銃がないからダメだ。そもそも明香を殺す気かお前は」
「心臓に撃ち込めば大抵の悪魔は即死なんだけど」
  人間も即死である。
「取りあえず様子を見ましょう。何とかして悪魔を弱らせれば宿主から引きはがせるかも知れないわ」
「水道の水を聖水に変えたりは出来ないのか」
「信仰心のない人間にそんなこと出来るわけないじゃない」
「つまりお前は悪態を付くことと不可能なことを要求する以外に出来ることはないわけだな」
「本当に失礼な人ね。恭也君の頼みじゃなかったら、あんたなんて焦熱地獄に落としてやるのに」
「それはいい。バカンスにはもってこいだ」
「ごしゅじんさまぁ♪ もうすぐ夕食の支度が出来ますからねぇ」
  厨房から聞こえてくる明香の妙な声に六道は頭痛がした。
「そうだ良いこと考えたわ」
「バチカンから本物のエクソシストでも呼んでくるのか」
「まあ少し待ちなさいって」
  言われるままに六道は待った。
  待ったが、特に何も起こらなかった。
  そのうち夕食の支度が出来ましたわ、などと明香が呼んだので、それに従って六道は食堂へと歩いていく。
「このチャンスを利用しない手はないわ」
「どういう意味だ」
「あなたはこれから普通に食事をすればいいの。出来るだけ美味しそうにね」
  それは、いつもなら別段難しいことではなかった。
  しかし、六道の目の前に置かれたのは、何やら赤茶色した煮え立つスープである。
「食べるのよ」
「無茶を言うな。死んでしまうぞ」
  それは、この世の物とは思えない刺激臭を放っており、いったい何の料理なのか想像も付かなかった。
  ついでに言うと、むしろ食べ物には見えなかった。
「いいこと? あなたの彼女を救うにはこれしかないの。あなたでは徳が低すぎて浄化光線の威力が出ないわ。
  そうなると、彼女自身の力に期待するしかない。彼女が作った料理を食べ、あなたが彼女に喜びを与えることによって悪意に侵蝕された彼女の光の力を取り戻すの。
  いうなれば、彼女自身の回復力を増加させることで悪魔を追い払うのね。悪魔を弱らせることが出来れば、別のものに封じ込めることができるわ」
「無理を言うな」六道はテーブル上の物を指さした。「これはどう見ても食べ物ではない」
「食べるのよ。食べないと殺されるわよ」
「食べても死ぬ」
「何よ。彼女の手料理ぐらい食べなさいよ。ほらほらほらほらほら」
  と自称天使は六道の手を操作する。
「や、やめろ、止めろヤメロ」
  抵抗はするものの、圧倒的に向こうの支配力の方が強いらしい。
  邪悪な笑みを湛えた明香の前で六道の手はのろのろと動きだし、スプーンを手に取る。
  そして沸き立つ赤褐色の液体をすくい取って六道の口へと運んでいくのだ。
  もちろん、口も勝手に開く。
  常識を超えた辛さが六道の舌を焼き、続いて猛烈な甘みがやってきた。
  全く異なる二つの味を両立させる、なるほど悪魔ならではの料理である。とはいえ、普通の人間の食べるような物ではなく、そして六道はその料理に心当たりがあった。
  以前食べたタイ風里芋の煮っ転がしだ。あれをもっと凶悪に人外の方向に発展させた物だ。最早それは料理ではなく、味だけを残して全く別の物になっているが確かに里芋の味もする。形はない。だが液体化したそれは繊維の舌触りを残しつつもまろやかな甘みを残して嚥下していくのである。勝手に。
「味に丸みを出すためにコンデンスミルクを使いましたー」
  テンション高く明香が答えたが、手にしているのはコンデンスミルクではなくてベビーミルクであり、あまつさえプロテイン入り。
「辛みはこっちー」
  エプロンから取り出したるは真っ赤なガラス瓶。見たところ唐辛子か何かのソースのようだが「デス」とか「ヘル」などと書かれている。しかも量が半分くらいに減っている。
  食べてしまった。
  というか食べ続けている。
  もはや辛さは痛みに変わり、そして脳を焼くような甘さが六道の脳を混乱の極みに押し上げる。顔が笑っているのは、もちろん笑うしかないからだ。人間、許容量を超えて酷いことが起こると笑い出す。
「喜んでいただけて光栄ですぅ」
  と甘ったるく語尾を伸ばしながら次々と皿が出てくるのである。
  『道ばたの草とドクダミの和え物地中海風』とか『ヨーグルトなまこチーズバジリコ添え』など普段の明香からは想像も付かないような奇天烈かつ珍妙な物が出てくる上、常識を超えた味がするのである。つまり美味しくないのだが、全く違う次元のまずさであり、食べられないこともないが死ぬ。
  個々の味は、材料や調理法に因らずそれなりだが、甘いのと辛いのが同居したり、甘いはずの素材でにがしょっぱいなど不可解極まりなく、六道は気が狂いそうになるのだが、取り憑いた天使の力によって正気を保っており色んな意味で地獄。
  それでもメニューはだんだんまともな物になりつつある。
  作るのが面倒くさくなってきたせいもあるかも知れない。
「小麦粉と溶き卵のオリーブオイル漬け」は明らかに途中で放り出したホットケーキの種である。味付けはメープルシロップとバターの塊。あとやっぱり唐辛子。
  幾度気を失い、強制的に目を覚まさせられただろうか。
  時刻は既に深夜を過ぎており、時間の感覚も肉体の感覚も最早失せ、曖昧とした状態のまま六道は椅子に座っていた。
  積み上げられた皿はテーブルを埋め尽くしており、意識の無い間に一体何を食べていたのか想像することも出来ない。
  しかし悪夢の晩餐会はついに最後のメニューとなった。
  永遠に思われる悪夢にもいつか終わりはやってくる。
「デザートは乾電池でーす」
  相変わらずテンション高く差し出されたのは、なにかのソースがかかった9v乾電池。
「ああ、そう」
  もう答える気力もない六道。
「で、どうするんだこれ」
  返事も凄く投げやり。
「食べてください」
  乾電池の横には「水銀O使用」と書かれているので食べたら十中八九死ぬ。
  今まで生きていられたのが不思議だが、これは死ぬ。
「無茶を言うな」
「電気ってすっごくおいしいんですよ」
  食べるのが自分でなければ凄く独創的だ、と褒めていたかも知れない。
  でも自分がそうされるのは嫌だ。絶対嫌。
  しかし、体は勝手に動くのである。
  ねとねとしたソースにまみれた乾電池をつまむと、六道は乾電池を口にくわえた。
  上部にある電極に突起に舌が触れた瞬間、予想はしていたが、舌を中心として凄まじい電流が身体を駆けめぐり、六道は自分の目から火花が出るような感触を味わいながら意識が遠のくのを感じた。
「よし、憑依が弱まった!」
  そんな声を聞きながら。
 
  宴は終わった。
  六道は病院におり、天井はどこまでも白い。
  全身にはチューブがつけられており、手足は何故か拘束されている。
  看護士は誰も居ない。
  明香も居ない。ついでに天使とやらの気配もなかった。
  入院していなければ、今までのあれは夢だとすませたいところだ。
  しかし、記憶は鮮明であり、運び込まれて胃洗浄やらされたのは判る。
  ベッド脇にいたのは明香ではなく、六道が蛇蝎の如く嫌悪している西遠寺 悦也だった。
  何故、とは思ったが、六道の関係者で見舞いに来る人間がいるとすればごく限られた人間しかおらず、決して認めたくはないが西遠寺はその一人だった。
「目を覚ましたようだな。だいぶ暴れていたみたいだが」
「何故お前がここにいる」
「そういうな。明香にずっと付きっきりでいろというのも酷な話だろう。幸い今日は暇だったので私が代わりにここに来た」
「帰れ」
「そう邪険にするな。大変だったんだぞ? 明香はパニックを起こしているし、お前は床で痙攣しながら変な動きをしているし」
「ちょっとした食あたりみたいなものだ。お前には関係ない」
「医者の話でもそういうことだったな。辛いものは少し控えておけと言っていたぞ」
「余計なお世話だ」
  別に食べたくて食べたわけではないのである。
「まあ意識が戻ったなら、そう心配もないだろう。 由梨香もだいぶ気にしていたからな。あまり心配を掛けるなよ」
「余計なお世話だ」六道は繰り返した。「こんな事がそうあってたまるものか」
「ならいいんだがな。そういえば、ポストに入れておいた物は見たか?」
「何の話だ」
  六道は胃のあたりに不快な物を感じた。
「お前が古書集めてると言う話をきいたからな。ベルギーからわざわざ取り寄せたんだ。なんでも悪魔を呼び出す呪文とか書かれているらしいぞ」
「そうか。あれを送りつけたのはお前だったのか」
「まあ直接届けてもよかったんだがな。門前の問答をする時間が無くなったからな。取り急ぎポストに放り込んでおいたのさ。お気に召したか?」
「ああ、そうだな」
  六道の全身が震え出す。
「どうした? 具合が悪いなら誰か呼ぶが」
「いや大丈夫だ。そこにいてくれ」
  六道の額に血管が浮き、全身はわななく。
「あれがお前の仕業だったとはな…………これで私も決心が付いたよ」
  後に西遠寺は述懐する。あれはまさに悪魔が取り憑いたのだと。
「死ねぇぇぇぇ!」
  激情に駆られた六道は、驚くべき力で拘束具を引きちぎり、西遠寺悦也に襲いかかった。
「ぎゃー!」
 
  普段温厚な六道の怒りは凄まじかった。
  とてもではないが未成年には見せられないような残酷シーンが続き、騒ぎを聞きつけた看護婦が警備員や警察を呼んで大きな混乱が起こった。
  西遠寺は全治2ヶ月の重傷で集中治療室に移され、六道は隔離病棟に移動。
  ここに天使と悪魔の戦いはひとまず終わりを告げ、地上には束の間の平和が戻ったのである。
  隔離されたとはいえ、六道の身には平穏が訪れ、全ては解決したかに見えた。
  だが、彼らは知らない。
  悪魔が封印されたのは、まさしく六道自身の肉体であった事を。
  そして六道へ取り憑いた悪魔によって誕生した究極邪悪魔王スーパーうっかりデスサタン六道と、正義の美少女仮面(一部年齢詐称あり)エンジェルメイカーの戦いが後に川崎周辺限定で繰り広げられることを。
  しかし、それはまた別の物語。
  世界はひとまずの平穏に包まれたのだった。

  一部を除いて。


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