両掌から覗く、無数の歯を伴った口腔。
 成る程、喰う性能を特化させたような構造なわけか。
 気持ちの悪いものではあるが、この程度なら別にどうということもないと思うんだが。
「まあ、だが、思ったほど酷くもないな。ガードレス、どこが不服なんだ?」
「全てだよ。せめて人間と同じ姿にして欲しい、というのはそれほどの願いだというのか。おお、神よ」
 相変わらず大げさな。
「この身体は、『アバドン』からの防御膜でこんな色をしているだけだよ、ムッシュー。本体はコレさ」
 マリィが手を突き出す。
 すると、恥らうように、赤い口腔が移動した。
 マリィは服をはだけて、上半身を露出した。
 その姿。なるほど異形体とはそういうことか。
「……勘弁してくれ」
 上半身を塗り潰すように、無数の口が蠢いている。
 ほとんど平面状の存在なのに、口腔の中が肉体と繋がっているわけではないようだ。訳の分からない存在と言う意味では、確かにアブソリュートの親戚にでもあたるのだろう。イソギンチャクのようにゆらゆら揺れるのを見て、冗談じゃないと痛切に思った。
「冗談じゃねぇ」
 ついでに口から出た。
「なんだ、その化け物は」
「なにって、アブソリュートの近接特化型能力だっていったじゃないか。性質はアブソリュートとほぼ同じ。何でも喰うし、それが宿主の活力になるという点も同じ。ただね」
 マリィはそこで言葉を切った。
「黒いものがダメなんだ」
「なんだそりゃ。まるっきり正反対じゃねぇか。黒がダメで色は赤、俺の遠距離に対して近接能力………俺のクローン体とはにわかには信じがたいな」
「だから異形体なんだよ。どうしてこんな事になったのか僕にも全然判らないけど」
 気持ち悪い。と言うか、気色悪い。いや、そんな程度の問題じゃない。
 確かにアブソリュートの原理は解析不能だ。それを具象化したら、こんなものになるのかも知れない。
 まあ、いいか。どんなに気味が悪い能力でも、俺にはそれしか取柄がない。これなしの自分など考えつかない。
 それにしても、クローンでさえ能力がオリジナルとは反転している。
 俺の半身のような反転とは軸が違うが、そこに秘密が隠されているのかも知れない。ひょっとしたら、だが。
「どうでもいいが、早くその見苦しい身体をしまえ」
「これはキミでもあるんだよ、ムッシュー。その言葉はあまりではないかな?」
「そういえば、マリスはどうしたんだ?」
「また無視かい、十五夜」
「十六夜だ! 発音が全然違うだろーが!」
「類は友を呼ぶっていうじゃないか」
「友じゃねぇ」
「君の叫びはいつも魂から絞り出すようで甘美な響きがあるね」
 ガードレスが感心したように言うが、それは褒め言葉じゃない。
「うるせえ宿無し」
「それにしても、クローンとは言えここまで似ていると………いけない世界に落ちていきそうだよ」飛び出す変態発言。「ね、これはこれで一つくれないかな」
 放火するぞ薔薇野郎。
 相手と同じ容姿を手に入れるというのは究極的な自己愛の一つなんだろうが。
 俺以外でやれ。
「落ちるな」
 あと息を荒くするな。
俺はとりあえず突っ込んでから、先ほどの質問を繰り返した。
「マリスはどうした?」
「野暮用だって。大した用じゃないって言ってた割には殺気がみなぎってたなぁ」
 こいつにとっては世界のすべてが他人事なので、時として恐ろしいことを平気で言う。
「マリィ。マリスにまたいらないことを吹き込んだな?」
 俺の言葉にマリィは首を振った。
「いや、今回は何も。いくら僕が揉め事が好きでも、今は自重する時期だということくらいは心得ているつもりだよ、ムッシュー」
「本当か?」
 実に疑わしい言葉だ。
「もちろんだよ、ムッシュー。今は計画を練って、根回しをする時期だよ。不確定な要素は最大限排除しているよ」
 確かに、マリィは陰謀には凝るタイプではある。
 そういえば、バートがおかしな予言をしていた。クリムゾンとセラフ、それにもう一人、誰か得体の知れない奴。そいつらが襲撃すると。
 だが、クリムゾンは死んだ。バートの先見は完璧なのに、だ。
「そういえば、マドモアゼルにおかしな所はなかったかい?」
「さあ、気付かなかったが」
「僕は、彼女のバイオリズムをモニターしているんだけど、ランクZとの邂逅による霊核の乱れが生じていたようなんだよ」
「どういうことだそりゃ」
「一言での説明は難しいよ。霊核ってのは魂の根元そのものだから、実体があるわけじゃないし物理法則みたいに一定のルールがあるわけでもない。あくまで言えるのは乱れ、誤差、そんな曖昧なことだけさ」
「単刀直入にいってどういうことだ」
「簡単にいえばおかしい、ってことだね。精神か、肉体か、あるいは両方か」
「おかしいっていうあやふやなことを断言されても困るだけだな。具体的にいえば、何かしでかしそうって事か?」
「そうだね。殺人マシーン化したらそりゃあ大変なことになるだろうけど」
「呑気だな」
「自分が安全ならどうって事ないしねぇ。人間ってそういうものだとおもうけど…………おや、ムッシュー、何処へ行くんだい?」
「どれくらい大変なことになっているかリサーチだ」
 つまり、マリスはやる気満々だということだ。
 歯止めが利かなくなるとまずい。
 彼女自身もやばいがダウンタウンにおける俺の地位もやばい。
「だが、彼女ほどの達人ならば、何事も脅威にならないように思えるが」
 スモーキーの口からガードレスの言葉が飛び出してくる。なるほど、その疑問はもっともだ。
 まともに戦ってマリスに勝てる人間などそういるものではない。何せ相手は『死』そのものだ。それはあらゆる生命活動の停止と同義なのだ。
 生命の停止という概念を相手にして生物がとれる最良の手段は逃げる事だけだ。だから俺は今も生きているわけだが。
 ガードレスは真っ向から挑んで、相手の気まぐれで生き延びているレアケースといえる。
 まあ本体はとっくに死んでいるわけだが。
「そうだな。お前は、死神マリスに喧嘩を売って生き残った、稀有な人材だろうしな」
「それだけじゃない。キミが寝ている間に、彼女の実力の一端を見せ付けられたよ。風のセラフが、一瞬で灰と化したんだからね」
 懐かしい名前を聞いた気がした。
 というよりあまり思い出したく名前だが、他人から聞くのは久しい。


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