「うむ。それは効率的だが、仮死状態じゃなくて気絶だな」
「問題あるの?」
「特にない。彼の生命活動を強制的に弱めればいいだけのことだ」
 スモーキーから溢れ出るオーラが、十六夜の体に吸収されて行く。なるほど、光で闇を弱めるのか。
 それにしても、だ。
「あなたは大丈夫なの?」
 スモーキーの様子がおかしい。みるみる衰弱していく。
「……タ、タバコをくれ……」
 仕方なく十六夜のポケットから箱を取り出すと、スモーキーはそれらをまとめて全部咥え、火をつけた。
 肺癌で死ぬな。それを食らうまでは、そう思った。
 口に十数本の煙草をくわえたスモーキーが、怪しく煙を吐きながら儀式を続行する。
「ぶはぁぁぁぁ」
 口から奇怪な気体を吐き出す。
 それは煙のようで煙ではなかった。
 比重がかなり重い。身体を伝うようにして沈んでいく。
 そのうち、口だけではなく目や鼻、耳からもあふれ出す。
「エクトプラズム?」
 怪訝な表情をしているのが自分でも分かるほど顔の筋肉が歪んだ。
 それは十六夜の身体をも覆い始め、白い殻のようになって十六夜の身体を覆い尽くした。
 繭のようだ、と思った。破壊すべきかどうかの判断は付かないが、ここはスモーキーに任せるしかないだろう。
 白い気体の量は徐々に増え、そして絶えた。
 思った通り、十六夜の体を繭のように包みこむ。その身体が、気体の容積に内包される。
 スモーキーは、放心したように動かない。
 ひょっとしたら、本当に放心しているのかも知れない。彼も仮死状態という意味で。

「彼は、ソウル・サルベージャーなのかい?」
 ガードレスの存在をすっかり失念していた。一度、死神モードに入ったせいで、場の力の影響はほとんど受けなくなっていた。
「そう」
「全く、十六夜ったら照れ隠しに嘘を付くなんて…………けど、それなら僕も何とかしてもらえるかな? あのままじゃ身体が使い物にならないけどそれさえ何とかなれば」
「再生なら、できるわ」
 薔薇のことを考えれば、何か別の依り代さえ用意すればガードレスの力でも再生できるだろう。
「再生? なるほど、肉体を再構成するか……考えたこともなかったな」
「十六夜がアレだし、こちらの条件次第ではあなたの身体の件、考えてあげても良いわよ」
 別の肉体を、魂との親和性の高い肉体を用意すれば移植はそう難しくはないはずだ。何せ今は植物に乗り移っているほどなのだから。マリィならば何とか出来るに違いない。
「それは願ってもない申し出だが、一体どんな条件をだされるのかな?」
「十六夜の護衛。それと、過去」
 一瞬の間が空く。
「高くつきそうだね」
「安くはないわ。その代わり、あなたに元の身体以上ものを提供できる」
 マリスの声は自信にあふれている。
「で、提供者は」
「マリィ・マギ・マクドゥーガル」
「マリィ・マギ・マクドゥーガル? どこかで聞いたことがあるような気が……」
 そうか。ダウンタウンで12ディアボロスと呼ばれる彼らも、やはり井の中の蛙でしかないのだ。
 彼の名前を知る者は限られている。本名かどうかなど、誰もしらない。楽園に閉じこもっていた彼は、より顕著だろう。
「人形使い、と言えばわかる?」
「……人形使い……ああ、一部のデッガーの呼び名だね、って、ええっ!」
 どうやら、分かったようだ。
「も、申し訳ないが、遠慮させて頂くよ! それでは、取引として成立しない!」
「どうして」
「どうして? キミが提示した条件を差し引いても、高いとかいうレベルの問題じゃないじゃないか!」
 ガードレスは激昂した自分の声に驚き、調子を落とした。
「彼は魂も過去も全て弄り回す魔性の存在だよ。
 そんな甘言を鵜呑みにするほど僕は馬鹿じゃあない。
 魂も、過去も、信仰も、それは全て僕だけのものだ。僕が作り上げてきたものだ。
 それを掻き回されるというのは取引にならない。人形使いがそうしない、と言う保証はないんだ」
「どうして? 過去なんて引きずるだけ無駄よ。魂も然り、と思うけど」
「君は、魂の死を怖れないのかい?」
「そんなもの、最初から信じてないわ。どうすれば仮面か素顔かを見分けられるかなんて無駄なことでしょう」
「なるほど、君はリアリストなわけだ。しかし私の魂は神のものだ。神の名に従い、神の名の下に行う。私にはそれが真実なんだ。神が存在するかという実存主義的な考えとは無関係にね」
「神なんて居ないわ」
「しかし、私にはいる。そして必要だ。……私は弱い男だからね」
「十六夜も同じようなことをいってたわね」
 弱い男。しかし、その弱さを認められるのは強さではないのか。十六夜と同じように。
 胸が痛む。
 自分は弱さを認められない。ただ殺意で塗りつぶすだけだ。
 認めたら、きっと潰れる。耐えることに、耐えられない。
 リアリスト?
 そうじゃない。
 興味がないだけ。その余裕がないから。
「まあ、魂云々は比喩で、僕の精神論はどうでもいいんだ」
「……なら、何故?」
「僕は一度、人形使いの人形と戦ったことがある。あれは地獄だった。本人の意志とは全く関係なく操られているんだ。
 そいつには、可哀想なことに自我が残ってた。残っているにかかわらずどうしようもないんだ。
 とてもじゃないが、あんな事をする人間の用意できるものを信用するなんて言うのは、正気の沙汰じゃない。犬か猫にでも取り憑いた方がマシだよ」
「戦ったのなら、彼の実力もわかるでしょ」
「実力は分かるが、彼は理解できない。
 彼の用意した器を用いるということは、同時に彼に何をされるかも分からない。繰り返すが、あの人形使いなら、それくらいは間違いなくするはずだ」
「今、この瞬間に私と話しているあなたが本物という保証は何処にもないのに?」
「そう。問題はそこだ」
 風が吹き、薔薇が揺らいだ。
「私が私であることが信じられなくなったら、私という個はもはや私ではいられないだろう。
それが真実かそうでないかとは関わりなく」
「力が欲しい訳じゃないのね」
「力は欲しいさ。だが、リスクを負うのはごめんだ。
 力の有無は人間の全てじゃない。誰かを救うためにそれを行使できるなら僕はそうするだろう。
 それが僕の信仰であり、与えられた力の拠り所だからだ。
 けれども多くを望むために自分自身を捨てるのは間違いなんだよ」
「力が無くて誰かを救えなかったら?」
「そう言うことは幾度もあるさ。誰だってそうだ。何もかもを救える訳じゃない。手から零れるものは諦めるしかないんだ」
 そんな理屈がまかり通るなら。
 マリスはそう付け加えたかった。
 弱さ故に救えないことは罪ではないのか?
 今ここで、十六夜が死んだとして、ガードレスも自分もそれを悔いずにいられるだろうか?
 そんなことはあり得ない。手を伸ばして得られるなら掴み取るべきだ。零れたものはかき集め、抱え上げるべきだ。
 その為なら、自分の意を貫くためなら、どれほどの力があっても足りない。自分自身が持つ死の力、これでさえ足りないのだ。
「少なくとも判ったのは、私と貴方は決定的に違う、と言う事ね」
「そのようだね。残念だよ。しかし友達にはなれる」
 博愛的。彼のような人間をそう表現するのか?
 マリスには判らない。
「さて、十六夜の処置が済むまで歓談と行きたいところだが、そうも行っていられない事態が起きたよ」
「どういうこと?」
「バラードパークにやっかいな奴がやってきた。しばらく姿を見せなかったんだけれど、どうも狙いは僕か、十六夜のどちらかだと思うね」
「十六夜たちを動かせないかしら」
「思ったよりも質量がある。僕の力では無理だ」
「貴方の力でそいつを遠ざけられないの?」
「無理だね。 信者たちにお願いしてみても無理だろう。残念ながら君に頼むしかなさそうだ。気を付けたまえ、そろそろ彼の射程に入る」
 ガードレスの警告と同時に、何かを察してマリスは身を離す。
 見えない刃が図書館の一角を分断する。
「惜しいな。真っ二つだと思ったんだがなぁ」
 物陰から現れたのは、蒼いジャケットに身を包む、痩せぎすの男。
 気配はなかった。
「短距離だが、この男は空間を『跳べる』んだ。僕は薔薇のネットワークでおおよその位置を探れるから事前に警告できるんだけどね」
「それと遠距離系の切断能力、ね」
「察しがいい。僕に手助けできるのはこれ位だけど」
「ケッ。死に損ないがベチャベチャとォ」
 男は闇雲に薔薇のツタをなぎ払うが、もちろんそれぐらいではガードレスには何の影響もない。
「君の殺人嗜好癖は治っていないようだね、『迷いの風』のセラフ」
「ヒヒヒ、生身のオメェをなますに出来ないのが残念だゼェ」引きつったような笑いが響く。「十六夜を片づけたらサラダにして喰ってやるから待ってとけョオ」
 セラフ。知る由もないが、多分12ディアボロスの一人なのだろう。
 少なくとも、ガードレスの空間で力を使えるのなら、それが実力の証明だ。
「彼はとある理由で大きな精神外傷を負ったんだが、治療が裏目に出てこんな有様さ。
 目覚めた殺人嗜好は、僕の能力でも緩和できない。
 なにせ彼にとって、あれが幸福の状態だからね」

 なるほど。殺人行為が幸福表現か。生粋の変態だ


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