スモーキーは白眼を剥いて震えているが別に寒いわけでもなければヤバイ病気でもない。
  今度は、さっきのようなソウルダイブではないただの睡眠状態ようだ。 こういう寝方をされると普通は激しく驚くが、俺は慣れているので別に気にもしなかった。
  一応、急用だった気がするので、平手で叩いてみる。
「起きろ、こら。食べてすぐ寝ると寿司になるぞ」
「それを言うなら牛やろ」
 すかさず起きてツッコミが入る。
 しかし、すぐ寝る。
 正確には、寝ていると言うよりはスモーキー本人の魂が出たり入ったりしている感じなんだろう。前にも似たようなことがあったのでこれも別に驚きはしない。やたら繋がりの悪い電話みたいなものだ。
 あの手この手を試してみるが、ほとんど意思の疎通になってない。というか俺の一人芝居だ。ちょっと空しい。
「むう、やるな」
 俺は流れ落ちる汗を拭った。
 仕方ない、奥の手だ。
「ふぅ〜、食後の一服は上手いなぁ」
 ぴくり。
 「一服」という単語にスモーキーが反応する。
 俺は煙草に火をつけ、吐いた煙を吹き付けた。
 あからさまな反応を見せる。
 かかったな。
「起きろ、ニコチン中毒」
 もっとも、ニコチン中毒という単語に関しては、俺もあまり人のことを言えない。
 スモーキーの手がひらめき、瞬く間に俺から煙草を奪った。
 すかさずそれを口へ持っていき、肺一杯に吸い込む。
「ぐほぉっ! ごほっごほふっ!」急に吸い込んだのでむせたらしい。
「そっち、火種よ」
マリスが冷静に突っ込む。
「何ぃ!」
俺が驚いて見ると、なるほどスモーキーは逆さにタバコを咥えていた。
「おい、出せ! 火傷するぞ!」
 その言葉を無視し、スモーキーの口が動いた。タバコが口の中に吸い込まれていき、それをモゴモゴと租借する。
 ごっくん。
「飲むなあああああああああああ!!!!」
 どうやら、まだ寝惚けているらしい。あんな物を食べたら、いくらニコチン中毒でも死んでしまう。致死量ではないのかもしれないが、大変なことになるのは間違いない。そもそも、俺の喫っているハスラーは市販の煙草の中でもかなりヘビーなものだ。
 俺は手をかけて、口の中を覗き込んだ。どうやら本当に飲み込んでしまったらしく、空っぽの口がモゴモゴと動くだけだ。
「美味い」
 うまいものか。
 いちいち手間のかかる奴だ。ほっといても大概は吐くらしいが、この状態でまともな生理反応を期待するのは間違っている。
 こうなりゃ緊急手段!
「おりゃっ!」
 渾身の力を込めたボディーブローがスモーキーの腹にめり込む。
「グオッ!」
 すごい呻きをあげてスモーキーが嘔吐する。
 げええええっばっちい!
 自分でやったこととはいえ、気分のいい問題ではない。煙草の繊維が混じった薄気味悪い肉のかたまりのようなものが逆流してきたので、まあとりあえず死ぬことは無かろう。
 白目剥いてるけど。
「それで、これからどうするの」
 どうしよう。
 はっきり言って、スモーキーは足手まといでしかない。こいつを連れて移動するのも難儀だが、だからといってダウンタウンに居続けるのも得策ではない。
「とりあえず、別の安全な場所に移動しよう」
 この店に不必要な迷惑をかけるわけにもいかない。バートの先見によれば、この場所が何らかの被害に巻き込まれる可能性が高いのだ。
 その時期までは断定は出来ないが、バートの能力では遠い未来のことでないのは確かだ。
 俺は気を失ったスモーキーを担ぎ上げた。ゲロは気になるが、既に少し被ったし。
 スモーキーの身体に付着するゲロが付かないように細心の注意を払いながら、ゆっくりと階段を下った。
「何だ、三人でお出かけかい?」
「邪魔したな」
「いやそれはいいが……なんか誘拐してるみたいだぞ」バートが突っ込む。
「気のせいだ」
 同意は得ていないがスモーキーの為だ。無駄な犠牲を築くのは俺の主義じゃない。
 客の不審な視線……というよりも、ああ、また闇のディアボロスが何か問題に巻きこまれているな、という感じの微笑ましい視線を浴びながら、俺達は店を出る。なんか、余計なお世話だ。古巣に帰って来た、家出少年の気分だ。
 とりあえず、安全な場所、か……。
 俺はスモーキーを抱えたまま、片手を挙げてタクシーを止める。
 通りがかった武装タクシーがきっちり店の前で止まる。
「営利誘拐なら協力しないぜ」運転手が言った。
 俺の顔を知らない、と言うことはここ最近降りてきた新入りなんだろう。
 まあ別に知られていようといまいと関係はないが。
「誘拐じゃないさ……テクノドームへやってくれ」
「ま、営利誘拐なら、こんなトコでしないか。で、テクノドーム? あんな危険なトコにカップルで行くのかい?」
「え、あそこ危険なの?」
 ということは、『電光のライ』はまだ不在と言うことか。
「ああ。ちょっと前は良い所だったらしいが、今じゃトップクラスのヤバさだね。あそこだと、送れるのは外苑までだな」
 むう。外苑からだと、かなり歩く必要がある。それじゃ無意味だ。
 テクノドームは12ディアボロスの一人『電光のライ』の管轄だが、奴は長らく領地を明け渡している。家出少年、という点において俺と奴はなかなか似たり寄ったりの状況だ。凶暴サイボーグのたまり場、違法改造の聖地ともいえるアンダーグラウンドを、実力と恐怖で統治してきた男。恐怖の方は、本人よりむしろ相棒の方に因るところが大きいだろうが。
 そろそろ戻ってきてもいい頃だと思っていたが、探検旅行からの帰国はまだのようだ。そうなると、頼れる人間というのは絞られてくる。
 12ディアボロスなどと呼ばれていても、別に仲良しグループというわけではない。むしろ、油断無く相手の様子を探る輩もいるのだ。クリムゾンとか。
「それじゃ、バラード・パークはどうだ? あそこも危険か?」
「バラード・パーク? マイナーなトコ知ってるなぁ。そうだな、あそこは安全だろうよ」
「じゃ、そこまで行ってくれ」
 ドアの開いたタクシーの中へ、担いでいたスモーキーを放り込む。
「今度は公園に行くの」
「ああ。『ガードレス』って、 12 ディアボロスの一人がいるんだ。……あんまり会いたくなかったがな」
「危険なの?」
「いいや。危険さとは無縁の男だな。あいつを始末するのは、ランクZでも難しいだろうし」
「それはすごいわね」
「強力な平和主義者って表現するのが正しいか。愛の力ってのは偉大だからな」
 バラードパーク自体が安全なのは、「ガードレス」の能力によるところが大きいだろう。
 あいつの能力は放出系だ。不随意で発動し、広範囲に維持される。敵に回すと厄介なタイプだ。幸い、敵ではないが。
「そのわりには嫌そうね」
 俺はため息をついた。
「何せ対象を選ばないからな。『ガードレス』の射程には、俺も含まれている」
 それが問題なのだ。
「つまり、範囲限定の放出系の能力を持ってるのね」
「ああ。奴のテリトリーに入ったら、今日から誰でもクリスチャンだ。しかも、かなり敬虔な」
 対象が任意でない精神攻撃。これは結構怖いものがある。
 だが、まあ、あれ以上安全な所もないだろう。
 それに、ひょっとしたら、あの能力の影響を受けてスモーキーが正気に戻る可能性もある。
「それなら妨害される心配はないわね」
「ああ、だが別の心配をしなけりゃならん」
 人類愛。そんな標榜を掲げてはいる。
 が、俺に言わせれば、バイセクシャルだ。クリスチャンという定義も結構怪しい。というか絶対に怪しい。
 身の安全は保証されるが、貞操の危機も同じくらい保証されるのだから。
 老若男女問わずベッドとか風呂とかに引きずり込まれるのは勘弁願いたい。
「気をつけろよ。気をしっかり持てば多少は何とかなる」
「どの程度?」
「そうだな……見境無く人に愛を説かないくらいには自分を維持してられるだろうさ」
 多分、その辺が精一杯だろう。
「楽しそうね」
「大丈夫だ。楽しむ余裕はない。全員本気だ。気をつけろよ」
 マリスはため息を付いた。
「死なない程度にやるわ」
「言っとくけど暴力は厳禁な。……まぁどちらにしろ無理だと思うが」
 愛に満ちた人間は、暴力など使わないだろう。「エデン」……誰がつけたのか知らないが、的を射た名前の能力だ。
 まあ、あんなのが天国というのは非常に嫌だったので、俺が「ガードレス」と名付けてやった。
 確かに、防御不能の能力だ。ついでに、あの能力がある限り、本人も防御の必要はない。
 そういえば、 12 ディアボロスと称される前、あいつも死にかけたこともあった。あの能力への唯一の対処法、狙撃である。
 が、不幸にも、狙撃手は照準を合わせようと凝視した瞬間、力の余波で恍惚状態に陥ってしまった。
 一応、引きがねは引いたけど。
 結果、死にかけたわけだが、その後が不味かった。
 俺は、止めを刺そうとしてしまったのだ。あんな奴を。
 そして、つい意志に反して助けてしまった。
 不覚だ。
 まあ、敵ではないから良いだろう。と思った。付き纏われるまでは。
 今でも甦ってくるおぞましい記憶。
 囁くような、なま暖かい愛の言葉。なま暖かい手つき。なま暖かい吐息。なま暖かいまなざし。
そう、とどめを刺そうなどと近づかなければ良かったのだ。そうすれば、あの能力の影響下にはいることはなかった。
 あの頃の俺は若かった。今でも後悔している。
 自分が一番強いと思っていた。そう思えた。そして、障害を排除することで自分が上に立てると思っていた。
 それは間違いだった。あのとき、俺は見捨てるべきだったのだ。
 あの一件は俺に貴重な訓戒を残してくれた。
「上には上がいる」
 そして
「触らぬ神に、祟りなし」
 諺というものは多くの真理を含んでいるものだ。


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