何故か、時間の感覚がいつもより早い。気が付くと、約束の時間が迫っていた。不吉が慟哭となって胸をかすめる。
念のため、予定より早く部屋を出て、その足で昏倒したままのゴールディを拾ってから「地図なし」へと向かった。昏倒してても睡眠時間と呼べるかは知らないが、十分に摂取したことだろう。
俺は珍しく奮発して、高級なハイヤーを呼んだ。少しでも早く店に着かないと、この不安感は拭えない。
店の前に降り立った時、時計の針は時間よりかなり前を指していた。高級時計なのだ、時間はさぞかし正確に刻まれているだろう。ゴールディのだけど。
なのに。
双子は既にいて、待ち伏せの不意打ちで歓迎された。
『遅いぞ、十六夜〜』
「ぐはっ!!」
……俺が悪かった。だから、能力を使うのはやめてくれ。
いや、俺は全然悪くない。かなり早いはずだ。
黄連雀と十二紅は、俺とゴールディを交互に見やり、眉をしかめてヒソヒソ話を始めた。
「何かあったのかなぁ?」
「人間関係の機微は、Hで全ての謎が解ける!」
「きゃ〜、大胆〜」
……頼むから、そんなもので解かないでくれ。
最強の味方と最悪の敵を同時に抱え込んだように感じる。
……この人選にはやはり欠陥があったのでは?
俺は思わずマリスを見つめたが、当の本人は楽しそうに二人と戯れている。
負けじと俺もゴールディといちゃつく……訳にもいかないか。
ぼろ人形のように動かないゴールディの頬をべしべし叩いてみるが、全く目を覚まさない。
少なくとも、この不幸は二人で共有しようと思ったのに。
「おおジュテーム目を覚ましておくれ……」
「きゃはははは」
二人が俺の行動に勝手に台詞をつけて楽しんでいる。
……前途多難だ。と言うか、もっと良い面子がいる気がしてならない。
けれど、この二人ならば、という期待もある。整いすぎた一連の図式を、この二人ならかき乱してくれるだろう。
……壊されないように気を付けないと。
「ねぇ、ジュテームが起きないよ〜」
「じゃあ、無理やり起こそうか〜」
『キャッ、名案〜』
黄連雀と十二紅が掌をかざすと、ほぼ同時にゴールディが飛び起きた。
それぞれが、熱と光を操る強力な能力者なのである。一瞬のことではあったが、ゴールディの中では爆発にも似た衝撃があったのだろう。
「い、一体、何が起こったんだ!?」
現状を認識していないものの、やっと手に入れた仲間に、俺は最大限の親愛の情を込めて手を差し出した。
「くそ……なんだと言うんだ一体」
ゴールディは俺の腕に引かれて立ち上がるが、眼前の人物を見てそのまま硬直する。
「……!!」
「紹介しよう。知っているとは思うが黄連雀君と十二紅君だ。今日から我々と一緒に行動してくれる。」
『よっろしく〜』
ゴールディはひきつった顔で180度旋回すると、そのまま歩き出す。
「おい、どこへ行く」
「帰る」
「帰るなよ」
「十六夜……私を嵌めたな!?」
「人聞きの悪いことを。俺は説明したが、お前が聞いてなかっただけだ」
「気を失ってたのに聞けるかっ!」
「その通りだ。自業自得だろ?」
ゴールディは押し黙ってしまった。こういう時は、大抵ろくでもないことを考えている。
どうして分かるかって?
俺なら、こんな状況は絶対にご免だからだ。
とはいえ、こいつのやることなんて、「凶眼」以外にないのだが。
いつも通り、準備状態の猫目になる。色が違うのは、効果が気絶ではないからだろう。
だが、である。
「先生方、やっちゃってください!」
『らじゃ〜』
ゴールディは『凶眼』を向けるが、いつものように、あのふたりには通用しない。
『凶眼』の質を変えてみても効果がない。なぜなら『凶眼』は視覚を通して知覚に直接作用し影響を与えるものだが、あの二人の知覚レベルは通常人のものと異なる。付与された命令を理解できないわけで、要は馬鹿には効かないのだ。
それが余計には腹立たしいらしい。
「ふら〜っしゅ!」
黄連雀の手から、強烈な閃光が溢れる。
ゴールディはそれを直視し、視神経を灼かれて昏倒した。
毎回同じ結果。
……懲りないやつだ。
うーむ。たかが目潰しだが、異常に強力だ。
しかし、これ以上の不確定要素はあるまい。マリィに教えてやりたいくらいだ。
いや、何を考えているんだ、俺は。教えないからこそ面白いのだ。これでマリィに一泡吹かせてやれる。
……実際に行動する俺は、もっと最悪な気がする。気のせいで済むだろうか。
「ねえ、そろそろ話、始めましょ」
俺はゴールディを見た。可哀想に、彼はなんの事情も知らずに、命を捨てることになるかも知れないのだ。運命だな。
「天中殺〜」
……考えを読まないでくれ。
俺はウイスキーを注文すると、手近な席に腰掛けた。同じように女性陣が付いてくる。あのバカ姉妹が女性と呼べる生き物なのか、はなはだ疑問だが、とりあえず女性陣だ。
「さて、計画についての話を始めようと思う」
「それは僕の方が適任じゃないかな、ムッシュー?」
「ああ、頼む……って来てたのか!」
「当然だよ、ムッシュー」
俺の驚愕をよそに、涼しい顔で腰掛ける。何処が当然なんだ、お前に話してないのに。
そうか、マリス経由の情報か。そう思ってマリスを見たが、特に表情からは伺えない。ま、どうでも良いか。
マリィに対して嫌がらせできなかったのが残念だが、良く良く考えれば、俺が墓穴掘って酷い目に会うだけな気がするし。
「目的は簡単。人物を一人、連れ戻す。人を一人、社会的に抹殺する。それだけだよ」
それは要約しすぎだ。俺はすかさず補足する。
「殺す人間は、エクスィードの幹部の一人、ダグラスという男だ。ただ間違ってほしくないのは、敵はダグラス一人であって、エクスィードそのものじゃない」俺はそこでいったん言葉を切った。「仮にも大企業、下手に刺激すると面倒なことになるからな」
「で、どうしようっていうの?」
「ダグラスを孤立させる。エクスィードに、ダグラスを飼っておくのは割に合わないと思わせればいい」
「言うは簡単、行うは難し、ね」
「まあな。しかし、ダグラスは始末しちまっちゃダメなのか?」
「ううん、全然構わないよ。それは好きにしちゃって。殺す方が大変だと思うけど」
まあ、その対策を話し合うための集まりなのだが。
「それで、連れ戻す人って誰〜?」
そういえば、マリィからそいつの名前も聞いていなかった。
マリィは無言でメモリーディスクを取り出し、再生した。単体で再生可能という、無意味に高級なものだ。その上に、立体映像が浮かび上がる。
「本名、ローン・ド・ヴァル。通称、ランツエンレイター。僕の保有するランクZの中で、最強の破壊力を有している」
浮かび上がった姿は、長髪、美形で黒ずくめの男だった。映像だというのに、荘厳な感じさえ受ける。
「一応、今までに彼が関わったミッションの映像もあるから、参考にして」
次いで、仕事振りが披露された。
……死ねってことか?
伝説になるぐらいだ、強いとは思っていた。けれど、軍隊でも無理なのに、艦隊を相手に破壊の限りを尽くしているぞ。
誰もが無言だった。そりゃそうだろう、あんなのを相手にするのは無理だ。
「かっちょい〜」
「あれ欲しい〜」
か、かっちょいい?
これだけの戦力差を見せつけられて、その言葉が出るのは正常じゃない。
……というか、こいつらは本当にそう思ったのだろう。力のある者が同種の人間に惹かれるのはよくあることだ。ランクZがこいつらと同種でない事を祈る他、俺に出来る事は何もない。一緒にしちゃ可愛そうだ。
「で、こいつを捕獲するには、どんな生き物をつれてきゃいいんだ?」
恐竜、とか巨大ロボ、とかそういうものが必要だと思うのだが。
「残念ながら、今のところ有効な兵器、能力はない。それ故のランクZなわけだしね」
俺の皮肉に、マリィはまじめな顔で答える。冗談を言われても不愉快な状況だが、真面目に死ねと言われるのも不愉快だ。
「ナイフ一本で鯨と闘えっていわれてるみたいだな」
「戦えとは言っていないよ、ムッシュー。目的は奪還だしね。勝つのは無理でも、戦闘を回避する方法はいくらでもあるんじゃないかな」
「ということは、ダグラスはローンを完全に操れていないって事だな」
「ご明察の通りだよ、モナミ」
「それよりも、スピードスターを使った方が確実じゃないか」
おや、ゴールディが目覚めたらしい。それにしても、いきなりだな。
「何だよ、『スピードスター』って」
「……ランクZだよ。総合的な戦闘力では、ランツエンレイターに匹敵するはずだ」
なるほど、それを使えば……って、何で知ってるんだ、そんなこと?
幾ら俺が詳しくないと言っても、ランクZのコードネームが知れ渡っているはずがない。
「おや、お久しいね、ゴールディくん。前にお目にかかったのは、監視カメラの映像だったかな?」
……なるほど。ヤツの羽振りが良かったのは、それに関わっていたからか。
一瞬、だったはずだ。ほんの一瞬、ゴールディから目を離した隙に、無数の拳銃とナイフが取り囲んでいた。
マリィの人形たち。
何処に潜んでいたのかは判らないが、相変わらず必要以上に用意がいい。
「『凶眼』にも耐性のある子たちだよ。可哀想に。陳腐な能力を過信しすぎたのかな、ムッシュー?」
だが、ゴールディは動じない。
「自分の仕事にケチを付けられる筋合いはない。こちらも相応のリスクを伴って完遂した仕事だ」
「こちらの損害は君の負ったリスク以上だよ」
「それは私の知ったことではない。逆説的な言い方をすれば、陳腐な能力者に出し抜かれた君の甘さを証明するようなものだと思うがね」
二人の間に険悪な気配が漂う。
「君とは友人になれそうもないね、ムッシュー」
「私もなれ合うつもりはない」
「マリィ、教えてくれ。ゴールディはいったい何をやった」
「僕のデータベースから、ランクZの情報を盗み出し、売ったんだよ。全部ね」
憎々しげ……には程遠い、のほほんとした表情でゴールディを見つめながら、マリィは言った。
「おかげで、侵入者用に作っておいたデータベースがパァだよ。折角、偽の情報に踊らされる人々を見て楽しんでたのに」
「……偽物だと?」
「当然だよ、ムッシュー。愚鈍な侵入者に対するプレゼントで、当たりの情報も混ぜてあるけどね。おかげで昨日は忙しかったよ」
パチン、とマリィが指を弾いた。それを合図に、四人の人形が進み出る。
「一人は昨日の刺客だから、二人は知ってるよね。隣の少女は、ダグラスくんの妹君。その隣の女性がゴールディくんの母君で、お隣が弟君。流石に、四人も改造すると飽きるね」
「……き……さま……貴様ぁぁぁぁぁあぁあああああ!!!」
「おや、怒ってるのかい? リスクとリターンの配分を考えると、妥当だと思ったのに」
ゴールディの顔が、証明に染められても尚、蒼白に輝いていた。本物、なのだろう。
「病気の母親と弟を担保にしたんだもの、さぞかし楽しいギャンブルだったんだろうね」マリィは不適に微笑んだ。
致死レベル……ではないな。最大レベルの『凶眼』とはいったい、どれほどのものなのか。不謹慎だが、ゴールディの底力には興味があった。
まあ、ゴールディの怒りも当然だし、マリィが死ぬ気もあまりしなかったので、自分の身を挺して仲裁したりはしない。下手したら俺だけ死亡だ。
ただ、それは唐突に遮られる。二人の人形によって。
「くっ……貴様というやつはっ!」
「有効な手札を使わずしてどうしようというんだい? 僕に逆らうときは相応の覚悟でこないとね、ムッシュー。それともまさか、君ほどの男が肉親を見殺しに出来ないとでもいうつもりなのかい?」
このまま二人のやりとりを見ているのも面白そうだが、仲間同士で潰しあってると俺の目的が果たせなくなる。
「その辺でやめとけ、二人とも」
「邪魔をするな十六夜。死にたいか」
「落ち着け。何のためにマリィが人形のままにしておいていると思っているんだ?」
「どういう意味だ」
「手を貸すならば、二人は元に戻す……そういう事だ」
「……本当か?」
ゴールディの目から殺気が消え、疲労の翳りに彩られる。人生に疲れたような、生気の抜けた目だ。
「勿論だ。なあ、マリィ?」
俺の問いかけに、マリィは肩を竦めることで応じた。可能だ、と受け取る。
「マリィも、悪ふざけが過ぎるわ」
「仕方ないよ、マドモアゼル。それが僕の存在証明だもの」
再びマリィが指を鳴らすと、ゴールディの母親と弟だった人形が粉々に砕け散った。
一瞬のことだった。ただ、ゴールディの顔が蒼白から土気色に変わるのだけが、酷くゆっくりと色褪せて見えた。
黄連雀と十二紅でさえ、押し黙っている。空気が、纏わり付くように重かった。
そう。これが「人形使い」と呼ばれる人物の、畏怖と共に存在する理由だった。