「いっけええええ!」
  振りかぶった戦鎚を気合とともに振りぬく。
  対象に浄化魔法の「面」を押し当てる「カタルシスハンマー」、ココノの魔法によりさらに強化されたその一撃を防ぐため、女王は構築途中の魔法を放棄するしかなかった。
  純粋な斥力。呪文による構築ではなく魔力をそのまま物理的な力に変えての防御。
  爆発かと思うような負荷が接触面にかかる。
  それは斥力による防御膜を突き破り、危うく女王自身の肉体にまで及ぶところだった。
  信じられない力。
  いや術さえ構築できれば、防げないことはない。だが、逃げられない。
  純粋で単純であるが故に、術式に「切れ目」が存在しない。術式を読み取り綻びを作って破るという手段も、その構成要素が単一の「願い」だけで構成されていては無理だ。
  別の術を割り込ませる余裕などどこにもない。呪文を介さない防御手段のせいで、女王は自分の魔力が急速に消耗していくのを実感する。本来、魔力というものはこんな使い方をするものではない。
  見事な奇襲だった。これだけの精度で短距離転移が出来るとは。あのバーバラという少女の才は並々ならぬ物がある。
  そして躊躇せず最初の一撃に全てを賭けるこのカレンという少女もだ。
  潔く、筋もいい。成長すればいい魔法使いになっただろう。
  大魔法の行使にこだわっていれば早々に決着がついていたかも知れない。
  使いたくなかったが「奴」を使うしかない。
  魔力を放出しつつ、女王は己の左手に嵌めた蛇の腕輪をかざした。
  ただの作り物かと思われた蛇の目が光り、赤黒い光がカレンの右太ももをかすめる。
  全てを攻撃に転化していたカレンに防御魔法を展開する余裕はなかった。
「あうっ!」
  思わず目に涙が浮かぶほどの激痛。掠めた程度なのに、肉を抉り神経に針を突き刺したような痛みが下半身に広がる。それはまだ幼いカレンにとって攻撃を中断するのに十分すぎるほどだった。
  女王ほどの熟達者がその隙を逃すはずがない。衝撃波を放ち、カレンをはじき飛ばす。
  カレンはきりもみしながら墜落した。

「あかん、防がれてもうた!」
「いや、まだ負けたわけじゃないぜ。あの眼を見ろ、カレンはまだやる気だ」
  妖精たちもまたカレンの勝利を信じていた。

 落下から体勢を立て直し、カレンは女王と対峙する。
  痛みは右足を痺れさせるほどに酷いが、立てないわけではない。カレンはまだ戦う意志を失ってはいなかった。残存する魔力は十分。まだ戦える。
  消耗しているのは女王も同じだ。感知できる魔力は、最初よりもずっと少なくなっている。
  一対一の勝負だ。
  先の女王の攻撃を模倣する。魔力の球を複数形成し、あらゆる方向から同時に射出。魔力弾による飽和攻撃。
  だが、いとも簡単にそれは防がれる。女王が張り巡らせた球状の防御膜は全方位からの攻撃にも耐えるようだ。
  女王が腕を振るった。そこにはいつの間に出現したのか、茨の鞭が握られている。
  加速の魔力によって倍加した速度で、先端がカレンの喉元へと伸びる。
  斥力発生。傾斜構築。カレンは咄嗟に障壁を展開してそれを受けた。
  いや、受けたつもりだったが、その威力は自分の戦鎚にも劣らない。あるいは、それ以上。
  破られる!
  離れるのと障壁が砕け散るのはほぼ同時だった。
  障壁の強度には自信があったカレンだったが、これほど容易く破壊されるとは思わなかった。改めて実感する女王の力に、気を引き締める。防戦に回ったら間違いなく負ける。
  女王が立て続けに閃光を放つ。
  あの攻撃力の差から考えれば、障壁で防ぐのは不利だ。
  カレンは空中に力場を生成してトランポリンの要領で不規則に跳び、それを避ける。
  狙いを付けさせないようにしてはいるが、こんな物は時間稼ぎにしかならない。
  範囲攻撃魔法を仕掛けられたら、ひとたまりもない。
  女王に詠唱させまいと魔力弾を形成して撃ち込んでみるが、結局は女王の防御に阻まれ有効打にはなり得ていない。
  着弾の爆風に紛れてカレンの眼前に何かが飛んでくる。
  咄嗟に杖で受けたが、飛んできたそれは柄の部分にしっかりと絡みついた。
  あの茨の鞭か。
  手にしたのさえ気がつかなかった。自分たちの魔法と違って出し入れ自在の代物らしい。
  先端が絡まっただけのはずなのに、いつの間にか杖の中程まで伸びている。
「成長してる!?」
  この鞭は、正真正銘の植物か。
  十分な保持力を確保したと見たか、女王が鞭をたぐり寄せる。
  杖を奪う気だ。
  カレンにかすかな焦りが生まれる。杖を奪われたら万に一つの勝ち目もなくなる。
  とはいえ、大人と子供の膂力の差は著しい。
  両手でしがみつくように杖を引き寄せるが、このままだと自分の身体ごと引っ張られて行ってしまう。しかも、茨は成長を続けており、カレンの手元まで迫っていた。
  それならば。
  女の子としては許容しがたい魔法だが、力で敵わぬのならこの手でいくしかない。
  杖にしがみついたまま、短く魔法を詠唱する。
  重力倍加。
  さらにそれを重ね掛けしていく。
  自重を増したカレンに引っ張られる形になり、先程とは逆に女王が踏みとどまる。
  一方、カレンの杖も数十倍に増えた体重のためにたわんできていた。これ以上はまずい。
  鞭を切り離さなければ。
  逡巡する。焼く。腐敗させる。切る。
  植物なら切るが妥当だ。風の魔法で切るか。しかしそれは自分の反属性だ。扱うのは難しい。
  閃く。
  極小の障壁を構築。身体を二、三度振って勢いを付ける。結界に接触した茨に切り込みが入る。極薄の障壁の縁を刃物代わりにしたのだ。切れ目はカレン自身の重さでみるみるうちに広がり、間を置かず引きちぎれた。
  勢いよく落下を始めたため、途中で自重の増加をキャンセルする。
  これで仕切り直しだ。

 命を賭ける遣り取りだというのに、女王は笑みがこぼれるのを抑えられなかった。
  まさしく逸材だ。万に達する魔法の使い手、緋色の導師、世界の守護者とまで言われた自分に拮抗しうるのが、この幼い少女とは。
  魔法の構築に粗はあるが、機転も応用も素晴らしい。
  それだけに惜しい。彼女が自分の理想を理解してくれたならどれほど良かったか。
  彼女が傍らにいればどれほど理想の実現が容易かったか。
  されど、これは運命。
  大義を成す者の前には常に高い壁が立ちふさがる。理想のために守るべき者を屠れと言うのであれば、それを乗り越えよう。痛みはいつまでも棘となって自分の心に突き刺さったままになるだろう。
  それも覚悟の上だ。
  互いにもう退くことは出来ないのだから。

 苛烈を増す女王の攻撃に対し、カレンは押され気味になっていた。
  こちらからの攻撃は、鉄壁の防御によって阻まれている。
  どうにかしてあの障壁を破らなくては。
  考えろ、カレン。どうやったらあの防御を破れる。
  女王の火線を避けた一瞬を突いて呪文を詠唱する。
  全方位でだめなら収束して。魔力を鋭く形成し、槍に変える。貫通型の攻撃はバーバラが得意とする魔法だ。
「これでっ!」
  煌めく軌跡を残して射出される槍。
  加速の術式を複数織り込んだエネルギーは、女王の防御魔法に食い込みこそしたものの、障壁で停滞させられた上ですぐに無効化される。
  槍でも駄目か。
  力押しで叩けば破れるかもしれないが、鍔迫り合いに持ち込むのは危険だ。
  先ほどの腕輪の一撃は女王とは別個の意志で動いているように見えた。言わば三本目の腕だ。接近戦を挑んでも、本体に防がれれば先程の光線で反撃されてしまう。
  女王に浄化魔法を打ち込むには、瞬間的に防御を破らなくてはならない。
  砲撃ではだめだ。やはり、直接叩くしかない。距離を取っての戦いは相手の方に分がある。
  槍はある程度防御に対して有効だった。ならば。
  カレンは不規則機動を続けつつも魔法の行使を開始した。
  命中精度を上げるために幻惑。攻撃面積を上げるために分散。目くらましのため相殺されると発光する遅延魔法。
  浄化。中和。
  尖鋭化。圧縮。魔法封入。
  三つの魔法を同時に駆使する。
  一回だけだ。この一回で全部決まる。二度は絶対に通じない。
  何とか覚えた高速魔法言語をつなぎ合わせ、即席だが大量の矢を作り上げる。
「行って!」
  カレンの叫びと共に、数十本にも及ぶ魔力の矢が女王に向けて射出された。
  女王の張り巡らせた防壁。それに対する飽和攻撃。
  その堅牢な城壁を打ち破るべく、無数の矢があらゆる方向から打ち込まれ、爆発する。
  完璧な防御魔法というものは存在しない。
  完全に密封してしまえば酸素の供給が追いつかず、次元断層での防御は目視が難しいために覗き穴を作ることになる。無数の面を組み合わせる形式では繋ぎ目が弱くなる。完全な球形は上面と下面に綻びが生じやすい。何処かに必ず穴があるのだ。
故に飽和攻撃のち、薄い一点を見極めてそこへ術を割り込ませる……魔法界に伝わる対防御魔法戦術。
  女王は悠然とそれに対応した。
  弱点を知ると言うことは、強みでもある。
  そもそも知っていて当然なのだ。なぜならこの方法はかつて女王自身が編みだし、広めたものなのだから。
  無数に放たれた針の中の、真実を射貫く一本。僅かに遅延し、もっとも薄い部位と思われる場所に打ち込まれた一撃。それは取るに足らないものだ。
  そもそも、防御を貫通できるほど強力な魔法を複数放つのは、まだ少女達には無理だと言うことを女王は見抜いていた。
  少女とて、この程度の攻撃で破れるとは思っていまい。この一打は弱点を確かめるためのものだ。おそらくは次が本命。少女の全力をこの一点に注ぎ込んでくるだろう。
  カレンの矢は容易く女王の防御の前で静止する。
  薄くなった部位では弾き返せない。それでも魔法の発動を遅延させる程度のことは出来る。その間に術式を分解してしまえばいい。
  だが、静止させることがカレンの狙いだった。
  飽和攻撃を目くらましに、自身も接近して格闘戦を挑む。
  爆風の中、女王に肉薄するカレン。
  面に接して停滞する「点」。あと必要なのはそれを押す力。
  それはすでにカレンの手にある。
  浄化魔法で構成された「聖鎚」カタルシスハンマーが。
「インパクト!」
  振りかぶった一撃は女王の結界ではなくそこに静止された一点を打った。
  あたかも板に打ち込まれる釘のように、魔法の杭が撃ち込まれていく。
  杭は浄化魔法を媒介としてカタルシスハンマーを形成する魔力を吸い上げ、さらに推進する。
  面を点が穿つ。鉄壁の魔法防御でも、ただ一点に集中すれば撃ち抜ける。
  女王はその戦法に驚愕し、歯がみした。
  なんたる失策か。この少女が二段重ね程度の策など労するはずがなかった。かつて自分がやって来たことをさらに洗練して、この少女は穴をついてきた。
  子供だからそこまでの事は出来ないと侮っていた。慢心だ。
  防御を再構築している時間はない。
  ここに来て勝負は大人と子供の力比べで決する事となった。
  カレンは両手に力を込めて女王を押さえにかかる。魔力の全てを注ぎ込み、集中させる。
  凄まじい力だ。だが押し勝てる。女王は分析した。
  惜しいかな、その魔力量は女王がわずかに上回っていた。
  カレンのハンマーがじわりじわりと押し返されていく。
  さらば魔法少女。
  女王は禁忌の左手を再び稼働させた。蛇が不気味な輝きを放ち、再びカレンへ光線を撃たんとする。
  激痛と死の呪いを込めた光。それは少女の胸元を貫き、速やかな死の眠りをもたらす。
  はずだった。
  結界が揺れ、左手がそれる。それは風の魔力を込めた細い剣の仕業。
  驚きのあまり女王は剣の飛来した方向に視線を向けた。
 
「撃たせませんわよ」
  それはバーバラとアンナの二人が、残存するわずかな魔力をかき集めて行った遠距離からの精密射撃。
 
  不意を突かれて女王の防御がわずかに緩む。
  そしてさらに。
  カレンの魔法が突然勢いを増した。
 
「1回分って言ったけど、本当は2回分でね」決戦を見守るココノは強化魔法を遠隔作動させて言った。「本当の切り札っていうのは味方にも知らせないものさ」

 左手で杭を受けとめようとしたが、間に合わない。カレンの形成した魔力の杭は腕輪をかすめて砕き、そのまま女王の胸元へ吸い込まれていった。
「やああああああ!」
  渾身の力を込めてカレンはカタルシスハンマーを振り抜く。
  女王の体は横薙ぎに吹き飛ばされた。

 魔力による衝撃で加速しながら女王は、自らの胸に刺さる魔力の杭を見つめた。
  深く打ち込まれた魔力の杭は、女王の魔力を中和し、無効にする。
  魔法を行使しようとしてもそこから魔力は外へと漏れ出てしまう。
  出血はない。この期に及んでも、彼女たちは自分を殺そうとはしなかった。
  負けだ。この敗北は当然だった。
  自らの矜持を曲げて彼女たちを殺めようとした時点で、自分はすでに負けていたのだ。

「いまやっ」
  六体の妖精がその瞬間を捉えた。
  魔力を封じられた女王を殺すことは、妖精達の魔力でさえ容易かっただろう。しかし、彼らもまた女王を殺すことは選択しなかった。
  極小の亜空間の穴。複雑に編み込まれた「時間の存在しない場所」に女王を拘束する。
  本来ならば禁呪とよばれる「使ってはならない魔法」に属するもの。そこに閉じ込められた人間は、意志を知覚できず、死さえも実感することなく停止する。
  死でも生でも無い停滞。それは現実と虚構の狭間に存在する場所。

 封印される。
  それは一度や二度のことではない。次に目覚めるときこそ、世界は光と優しさに満ちているだろうか。
  少女たちの願いは叶っているだろうか。
  仲間たちと夢見た楽園が、こんどこそ実現しているだろうか。
  女王の時間は停止し、死に等しい静寂が女王の意識を包み込んだ。

 環が閉じた。
  ペドリアン女王は「何処でもない場所」へ送り込まれ、そして出口を閉じられた。
  不気味なほどの静寂があたりを包む。
「勝ったの・・・?」
  肩で息をしながらカレンは呆然とした。
「そうや。ようやったな、カレン。それにみんなも」
  妖精達がカレンを囲んでいた。魔力を使い果たした他の少女もカレンを迎えていた。
「そっか。勝ったんだ」
  呟いた後、カレンは気を失った。


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