それは遠い過去のこと。
 すべてを終わらせ、戦いは終わったはずだった。
 だが運命の環は回る。
 封じたはずの災いが蘇ったとき、かつての衣装に身を包み、彼女は立つ。
 信じたもの、大切なものを守るために。
 

 幼稚園で働く花羽カレンの元に届いたのは、助けを求める悲鳴だった。
 それは耳で聞くのでは無い。感覚、そうとしか呼べないもので彼女に届くのだ。
 危機に瀕した人間の意思そのものが直接訴えかけてくるとでも言うべきか。ゆえにそれは言葉ではなく、切実な叫びとして彼女の精神に突き刺さる。
 それは魔法使いの資質。それは善なるものの軛。
 それを聞き逃すことは彼女には出来ない。いかなる場合であっても。
(ケロちゃん、場所の特定できる?)
 子供たちに毛布をかけながら、カレンは念話で相棒のカエルへ話しかける。
(今やっているところや。でもそう遠くは無いようやな)
 その答えに、カレンは少しだけ安堵する。
 困った人を助けることは使命だ。しかし自分の仕事もまた、使命だ。
 無職になったら生活できない。生活できなければ、戦いは続けられない。
 どちらも彼女にとっては戦いなのだ。
 あまりに遠くだとカレンは早退しなければならない。近くなら休み時間に抜け出せる。
(みんなを寝かせたらすぐに行くから)
(わかった)
  昼ご飯が終われば、大体の園児は眠りに付く。
  ただ一人、手ごわい奴を除けば。
「飯食ったからってすぐ寝れる訳ないだろー。それより先生、遊ぼうぜ」
  たけしくんは、ちょっとおませな四歳児だ。あんな真面目そうな両親なのに。
  昼寝しないのもいつもだ。こうして相手をしているとそのうち寝てしまうのだが、今日は時間が惜しい。
「寝ないと大きくなれないぞ。私が歌をうたってあげるからね」
「歌なんていいよー」
  なかなか寝ないたけしに、特性催眠呪文入り子守唄を聞かせる。
  言語の発音に特殊なイントネーションを封入することで、会話しながらにして相手を幻惑させる技術の応用だ。
「みどりいろーのーしばーふーにー」
  最初の一フレーズでたけしは卒倒した。
  効果絶大。大成功。
  魔法による催眠が子供への対応として正しいかどうかはともかくとして、与えられた仕事はこれで終わった。
  そっと毛布をかけた後に、不可視の呪文で姿を消す。
  出かけるところを見られると後々面倒だ。

 走りながら、呪文をつむぐ。
  衣類は分解され、圧縮され、代わりに魔力で織り成した衣装が身を包む。
  魔法少女、そういうにはいささか語弊のある年齢である。むしろ魔女と呼ぶべきだろう。
  それでも、魔法の国の掟、戒律を捻じ曲げてまで、彼女はその衣装をまとう。
  小学生の衣装を大人が着れば、当然布の面積が足らない。とはいえ、尻が半分見えてしまうスカートや胸がはみ出しそうなブラウスは、別にカレンが好き好んで着ている訳では無かった。
  魔物相手に戦うという事を考えれば、耐魔法処理のされた衣装を身に着けるのが合理的だ。その効果は彼女自身が数多の戦いで身をもって体感している。熱エネルギーを瞬時に分散し、防寒機能を備え、有害な光線を偏向させ、真空の影響をも遮断し、過大な圧力や衝撃は着装者の魔力を斥力に転換して軽減する。同等の効力を持つ物を何とか作ろうと試みたが、サイズはともかく瞬時に着脱できる機能だけはどうしても仕込むことが出来なかった。
  このように勤務中に出動する場合、着替えている時間は惜しい。また持ち運びの不便さもある。変換効率、防御力、増幅率、そういった戦いに必要な要素も総合的に検討した結果……彼女は当時の衣装をそのまま使うことを選択したのだった。
  どうにか大人用のサイズを入手できないか頼んでみたが、ケロちゃんいわく「魔法の国から派遣されるときは子供用の衣装しかない」かららしい。
  そもそも、こちらの世界の人間が魔力を維持していられるのはほとんどが10代前半までで、数少ない例外を除いて魔法少女として活躍出来る時期は限られている。それ故に、大人用の魔法の衣装は必要ないのだ。
  この衣装も横サイズの調整は出来るのだが、縦には伸びない。露出狂と思われそうな際どい格好は、やむを得なかった。
  唯一の救いは杖だけは伸縮自在でサイズあわせが出来ることだ。
  恥ずかしいのも、もう慣れた。
  たぶん。
  重力低減の魔法を使えば、カレンの速力は風に勝る。時間短縮と肉体的疲労の軽減を兼ねた合理的な手段。
  迅速に現場へ行くこと。またそのために必要な体力、魔力を温存すること。
  何よりも、戦い終わったあとちゃんと仕事が出来るようにすること。
  もう闇雲に戦い、全力を出せばすべてが良かった時代は終わったのだ。年齢的な意味で。
(敵は誰?)
(人間相手じゃないみたいやな。空から来るで)
  ヒキガエルの妖精ケロちゃんとは精神の深い部分でリンクしている。
  思念をたどって現場にたどり着くのは容易だった。
「おまたせっ! 狙われていた子は?」
「建物の中に逃がした。とりあえずは大丈夫やと思う」
  見上げる。
  雲ひとつ無い青空に、何かがいる。高すぎて全容はつかめない。
「あれはなにかしら」
「トンビみたいやな。一度地上に降りてきよったで」
「今日は動物タイプかー。それはそれでやりにくいわね」
  ペドリアン女王の手下は常に人間とは限らない。時には動物に魔法をかけて使役することもある。
  今回はそちらのタイプのようだ。
  かつて仲間と共に封印したはずの女王が何故蘇ったのか。その理由はわからないが、彼女はかつてと同様に子供だけの理想郷を作ろうとしている。そしてそのために『何か』を始めようとしている。それだけは確かだ。
  そしてその面影に、かつてカレンが感じた悲哀や苦悩を見て取ることは出来なかった。
  かつては魔法そのもので生み出した相手を送り込んできたが、今は違った。生物に術を施して下僕としている。それは人だけではなく自然の生物であることも少なくない。
  人間相手の場合、狡猾な罠を仕掛けてくることもあるために油断がならないが、動物タイプは罠などない代わりに力押しで来る。
  その突進力は侮りがたい。何よりも、周辺被害の危険性からすれば動物タイプのほうが厄介ともいえる。
  場所は住宅地。密集地を選ばなかったのは、おそらく獲物を攫いやすいから。
  人影は無い。ケロちゃんによる事前の根回しだ。
  ヒキガエルの姿とはいえ、れっきとした魔法生物である。魔法も使えるし、その使い方も心得ている。
  カエルに話しかけられる、という驚きはたぶん誰もが慣れないことと思うが、こう長年戦っていると周知もされる。
  避難がスムーズなのはありがたいことだった。
  窓から自分を見つめる視線を感じるが、なるべく気にしない。好奇の目は慣れたものだ。
  この格好はいずれ何とかしたいが。
  敵は大きく旋回している。
「来るで」
  ケロちゃんが低く警告した。
  小さな点だったそれは、大気を裂いて急降下してくる。
  大きい。トンビの大きさは翼長で1メートル半ほどだったと記憶しているが、降りてくるそれは優に2メートル、いや3メートルはある。トンビというよりはロック鳥だ。
  魔法で強化されているためか羽根は鋼鉄のような光沢を帯びており、機械でできた鳥のようにも見える。
  確認できたのはそこまで。捕食か拿捕か、どちらの意図かはわからないが爪を剥き出して滑空してくる相手をのんびり眺めているわけにはいかなかった。
  衝撃波と共に地上スレスレを滑空する猛禽の鋭い爪を何とかやり過ごす。
  風を巻き上げ、敵は再び空に舞い戻っていた。
  とてもじゃないが地上でどうにかできる相手とは思えない。
「速すぎる」
「さすがはトンビやなあ」
「関心してる場合じゃないでしょ。何か策はないかしら」
「トンビっちゅうのはな、あまり羽ばたかんのや。上昇気流に乗って飛ぶから上を取れればいけるかも知れんな」
「私の飛行魔法じゃ、あそこまで高く飛ぶのは無理ね」
「空戦ならローズのほうに分があるんやけどなあ」
  かつての仲間、魔法少女バーバラの娘ローズもまた類い希なる才能を持つ魔法少女である。6歳にして魔法を行使し、親譲りの空中戦もこなす才媛。だがその力は本来、彼女自身の身を守るために与えられた物だ。戦いには極力巻き込むべきではない。何よりも、彼女はまだ余りにも幼い。
「今お昼寝中なんだから呼んじゃ駄目よ」
「となると、あの手やな」
「あの手……ああ、あれね!」
  飛ぶ敵を相手にしたのは二度三度のことではない。
  かつてのような力はもう無い。だが失われる過程で得たものは、失ったものに勝る。
  二人はそれを知っている。だから、出来る。
「ちょいと時間稼いでや」
「了解っ」
  勇ましく答えてカレンは空を見上げる。
  本体は上がれずとも、魔法なら届く。
  声にならぬ声、意味を為す、人ならざる言葉。
  魔力を集め、織り込む。魔力を凝縮するのではなく、密度を高めた魔力の糸で球を織る。
  内部の空間へさらに炸裂魔法を封入しそれを空間に固定する。
  高速魔法言語と緻密な魔法式による複合魔法。
  同サイズの魔法弾に比べて破壊力は3割増し。消費魔力は4割。生成速度はほぼ同等。
  我ながらなかなかの手際の良さだ。
  魔力を圧縮して球にするのは式が簡単だが雑で発展性に乏しい。それでも昔は勢いでごまかせた。
  今は、そうではない。今在るものをかき集めて、形にする。その上でプラスする。それが大人のやり方というものだ。
「まともに当ってくれれば御の字なんだけれど」呟きつつ、杖を振りかぶる。「行け! マジックバレット!」
  打ち出した光弾は煌めく軌跡を残して空へと加速する。
  狙いは完璧だったのだが、相手の速度はそれを上回っていた。光弾は大きくそれて、やや離れたところで弾ける。
「下から狙い撃ちは難しいかなー」
  速度に変化をつけて立て続けに放つが、簡単に避けられてしまう。
  しかしそれは狙い通り。
  カレンが指をはじく。
  それを合図に、空中に打ち上げられた光弾が破裂した。魔力の糸で織った球は弾けて微細な魔力の矢となる。
  一撃で相手を落とすことはできなくとも、細い魔力の矢を面単位で撃ち込めれば相手の速度を落とすには十分だ、と睨んだのだ。
  が、針となった魔法の矢では相手の防御壁を貫通するにはいたらなかった。金属質と見た光沢は伊達ではないようだ。
「さすが鳥、簡単には撃ち落されてくれないわね」
  槍かミサイルのようなものを形成してぶつける、という手もある。多少の時間は必要だが、確実に相手を倒せるだろう。
  だが、万が一住宅地にあの大きさのものが落下した場合、被害が出る恐れがある。それは最も避けるべき事態だった。
  そんなカレンの心遣いではあったが、出来たことといえば彼女が明確な敵であると認識させたことぐらい。
  空から何かが降ってくる。
  防御壁を展開しようと思ったがやめた。なにかいやな予感がする。
  斥力発生。摩擦低減。飛んで回避するには時間が足らない。押す力を生み出し摩擦を減らすことで地を滑る。
  後方へと加速して行くカレン。元居た場所に何かが着弾する。
  べちゃ、という粘着質な音を立てて。
「キャー!」
  その正体を知り、カレンは悲鳴を上げた。
  勘は正しかった。防御壁を展開していたらその物体のど真ん中に埋もれるところだった。  
「レディに向かって糞を落とすとか信じられない!」
  動物相手はデリカシーが無いから嫌だわ、などと腹を立てる。
  地上のカレンを警戒するがゆえに相手の攻撃手段も限られるのだろうが、それにしたって排泄物とは。 
  飛行魔術の才が自分にあればいいのだが、いくつか変則的な手段を持ち合わせているとはいえ自由に空を飛ぶ相手と空中戦は出来ない。
  術式を整えている時間があれば、空間を閉鎖して地面に引き摺り下ろすのだが、そのための魔力を集めている時間もない。
  何より時間がない。早くしないと――――昼休みが終わってしまう!
  カレンにとって幸いだったのは、二発目が落ちてこなかったことだった。
  とはいえ、このまま逃げられても困る。
  あの鳥は、たぶん子供をもっと攫うはずなのだ。 
  逡巡するカレンの後ろで地響きがした。
「待ってたわっ」
  初めて見るものは卒倒するかもしれない。
  背後から現れたのは巨大なヒキガエル。
  カレンの随伴妖精、ケロちゃんの巨大化した姿だ。
「待たせたな、カレン。乗れ」
「お願い、ケロちゃんっ」
  カレンが飛び乗るが早いか、わずかに屈伸した後に巨大ヒキガエルは大きく跳び上がる。 
  下から押し上げられる圧力と、それに伴う加速。
  巨大な蛙に乗って宙を舞う、それは絵になる光景ではないのかもしれないが。
「飛べ、カレン!」
  20年来の相棒の言葉を受け、さらにその身を踏み台にして高く、高く飛ぶ。
  自重軽減。力場発生。障壁展開。3つの魔法の効果は極めて微弱。
  速度優先で組み上げた魔法式は本来あるべき効果の半分にも満たない。
  ただし、それらが互いに作用しあえば。
  およそ半分ほどに軽減されたカレンの肉体は。
  障壁によって空気抵抗を無視し。
  発生させた上方向へのベクトルに引き上げられ。
  一個の飛翔体となって魔鳥の高度を上回る!
  飛べる高さが足りないなら、二段階で跳躍する。
  見た目の華やかさは無いかもしれない。だがそれは、経験に裏打ちされた確実なる戦術。
  虚飾を捨て、実のみを追求した戦乙女の姿。
  かくして位置関係は逆転した。
  自由落下の最中、カレンは位置をコントロールしながら杖に向かって集中する。
「優しき大地のぬくもりよ…」
  カレンが呟くように、歌うように呪文を紡ぐ。
  長い試行錯誤の末、善なる魔法使いたちは儀式ではなくその場で魔を浄化する術を生み出した。それは手にした杖に浄化の魔法を循環させ、対象に触れることで邪気を消失させる近接格闘魔法。祓魔式のような祭壇も魔法陣も必要とせず、「聖なるもの」そのものを顕現させ対象へと叩き込むことで魔を祓うこの方法は、何よりも周辺への被害を最小に止めることができた。
  カレンの詠唱によって魔力が杖に集積し、高密度に圧縮された魔法は単なるエネルギーではなく物性をも備えるようになる。
  魔力という力、魔法という想い、呪文という願い、それらすべてが結実し形成されるカレンの武器。
  それは「切り裂く」のでもなく「貫く」のでもない。
  「面を押し当てる」ことで広範囲に、かつ可能な限り対象の内面を傷つけずに相手を短時間で浄化させるための形状。
  見た目の無骨さとは裏腹に、優しき元魔法少女の思いが形になった姿。
  聖鎚カタルシスハンマー。今、その聖なる一撃をカレンは振りかぶる。
  自分に向かって落下するそれを認識し、魔鳥は加速して振り切る。
  それでも、落下しつつ勢いを増すカレンのほうが速い。
「せーのっ」
  ありったけの魔力をこめて、さらに面を展開する。
  接触面を最大に。速度を最大に。すべてを解き放つ。
  形成された鎚がさらに、さらに巨大化する。
「インパクト!」
  キーワードとともに、もはや鎚と言うよりも巨大な拳のようにさえ見える一撃が魔鳥を襲う。
  とはいえ、先ほどの落下物に少々腹を立てていたカレンの手に、若干力がこもりすぎていた事は否めない。
  魔鳥は聖鎚の一撃を受けてその場で浄化されるはずだったが、街を越え、丘陵を越え、はるか山の彼方まで飛んでいく。 
  やりすぎた。
  地上に降り立ったカレンは、巨大化を解除して縮小しつつある相棒に問いかける。
「死んでない?」
「派手に吹っ飛んだけど大丈夫やろ」
  その一言で安堵する。
  動物とはいえ、何かしらの強い憎しみを抱いているものほど魔法の影響を受けやすい。
  森でまた落ち着いて生活してくれることを願わずにはいられない。
  今のところ怪我人や建物の被害は見当たらない。
  この巨大落下物は……これはどうにかしてもらおう。
  後始末に魔力を使いすぎると、立て続けに相手が現れたときに身動きできない。
  かつての経験からの判断だった。物量作戦はそうあることではなかったが、余力は残しておくに限る。
「大変! 昼休み終わってる!」
  不可視結界を張りつつ、走りながら元の姿に戻るカレン。
  魔法少女と仕事の両立は厳しいのだ。
  園内に入ってから結界を解除し、こっそりと子供たちのお昼寝室へと戻る。
  ばれてないかな、と思ったが甘かった。
「花羽さん、また遅刻?」
「最近多くない?」
  非難轟々である。事情を知らぬとはいえ、同僚の目は冷たい。
  魔法少女はボランティアだ。人には言えないし、言ってもいけない。
「えっと、ちょっとトイレ行ってて……えへへ」
「お昼寝が終わったら親がくるんだから本当にしっかりしてくださいね」
「はーい。気をつけまーす」
  とはいえ、昼休みに戻って来れるかどうかは相手次第なのだ。
  ああ、バーバラみたいな専業主婦なら融通も利くのに。
(すまんなあ、カレン)
  床下に戻っていたケロちゃんの念話が響く。
(それは言いっこなしだよ、ケロちゃん。これもお仕事のうちだからね)
  もはや日常的なやり取りになったこんな会話。
  子供たちが昼寝から目を覚ます。
  正義の代価が自分の青春だった。
  それでも子供たちを守ることが出来るなら、誰かの笑顔を守れるなら、それは無駄ではない。
  それが使命、運命だというのなら胸を張ってやり遂げよう。

「大変! たけしくんが目を覚まさないわ!」

「ええーっ!?」

「たけしくん! たけしくん! しっかりして!」  
  
  元・魔法少女カレン、29歳。
  戦いの日々は、もう少しだけ続く。


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