その週末はひたすらに由梨香に振り回されて終わった。
  面接とは名ばかりで、由梨香の友人とおぼしき女学生達と引き合わされ、よく判らない勢いで食事に連れて行かされ、私が話すまでもなく由梨香が彼女らと話し、別れた後で「あれは駄目だ」というのだった。
  私は殆ど何もしていなかった。
  市内に出てきて、食事を驕らされているだけだ。
  喫茶店、レストラン、ドーナツ屋、そういう場所を回りながら、由梨香は品定めをしているようだった。
  何を基準にしているのかは判らない。
  私本人が出向くのではなくて、財布だけ由梨香に渡せば話は済んだのではないか。
  そんな思いにすら囚われる。
「今ので全部か」
「だいたいね。やっぱり駄目ね、甘っちょろい環境で育ってきたお嬢育ちは」
  凄いことを言う。
「何が駄目なんだ」
「じゃあ、おじさまは誰が良かったの?」
  そういわれると誰も思い浮かばない。
  印象に残る人間がいない。
「誰でもいいんじゃなかったのか」
「誰でも言い訳無いじゃない。だいたい、驕ってくれるなんて理由でホイホイ来るような時点で駄目だわ。マナーもなってないし」
  意外と細かい。
  ついでに言えば、本人もさしてマナーは良くなかった気がするが。
「しょうがないわね。やっぱりおじさまの屋敷を任せられるような人間なんていないわ」
「お前がそういうのなら、仕方ないのだろう。掃除だけなら、業者を入れるという手もあるわけだからな」
「それじゃ駄目だって」 由梨香は、少し落胆した表情で呟いた。「それじゃ駄目なんだから」
「もうすぐ日も暮れる。送っていこう」
「うん」
  車に乗り込んだ由梨香は、どこか沈んだような表情だった。
「これで駄目なら、本当の本当に誰も居ないって事になるのよねぇ」
  由梨香はしみじみ言う。
「まだいるのか」
「ま、私の一番のお友達ってところかな。お婆ちゃんの所に日曜礼拝のお手伝いで来ているオルガンの先生なんだけど」
「その人は、他にも仕事があるんだろう」
「うん。だから、本当の本当に、最後の一人なの。出来ればそんな大変な話を持っていくのも悪い気がするんだけど、このまま行くとおじさま遠からず栄養失調で死にそうだし」
「死ぬものか」
「おじさま、鏡は見たほうが良いわよ? 間違いなく顔色悪くなっているもの」
「外に出ないからだろう」
「…………そう」
  そんな話をしているうちに、由梨香の済んでいる施設へと辿り着く。かつての、私の家。今は過去の一部でしかない。
  日は落ちかけ、霞んでいく陽の光が空を染め上げている。
  風は僅かにそよぐほど。
  門から先にみえる木造の古い教会は、風雨に耐えて痛んでいるとはいえ些かも風格を失ってはいない。信者達によってペンキは幾度となく塗り直され、細かい部分の補修もされてきている。
  かつては、自分と恭也もまたそこでの作業に従事したものだ。
  早くに父親を亡くし預けられた自分と、妾腹で遠ざけられた恭也にとって、ここだけが家と呼ぶに足るものだった。
  互いの道を進み、自らの足で歩くようになってからでさえ、心の支えであった時期があったことは否定できない事実だ。私に唯一郷愁と呼べるようなものがあるのだとすれば、それはこの教会を除いて他にはあるまい。
「たっだいまー」
  由梨香が手を大きく振りながら門をくぐる。
  私もまた、久しぶりに門をくぐった。
  夕日。それは教会の庭先までの細い小道も、淡いオレンジで照らしている。
  赤みがかった、金色の残照。
「おかえり、おねえちゃーん」
  子供達も手を振り返す。
  日曜日で、託児所代わりに子供を預けていく親もいる。
  しかし、彼らの何人かには親がいない。かつての自分たちと同じように。
「おみやげだよー!」
  由梨香が高々と掲げたドーナツの箱に、子供達が色めき立つ。
  歓声を上げて駆け寄ってくる者さえいる。
  その中に、私は見慣れぬ物を見た。
  全てが茜一色に染まっているなか、その中にあってなお、淡く輝く亜麻色の髪。
  子どもたちの環の中に、その女は、居た。
  子供の一人にドーナツの箱を渡し、由梨香は笑みを浮かべて振り向いた。
「ああ、彼女がオルガンの先生。すっごい料理が上手でね、掃除も得意なのよ。彼女なら、結構頑張ってくれると思うんだ」
  由梨香が自慢げに言う。
「雇い主としては面接する必要があるでしょ? 行って来てよ」
  どん、とやや乱暴に背中を突かれ、二三歩前に踏み出す。
  そうなると、自然に足が前に出た。
  歩調はどんどん速くなる。
  だが、ほんの短い距離。
  私は彼女の一歩手前で立ち止まった。
  女は何もせずにそこで立っていた。
「前任者が途中で仕事を投げ出していてな。住み込みで、屋敷の管理をしてくれる人間を捜している」
  口調が早くなる。
「給与休日は応相談、福利厚生社保完備。日払いも可。何なら手の空いている日だけ来てもらってもいい。交通費も支給する」
「魅力的なお話ですわね」
  その女は、口元にどこか謎めいた微笑を浮かべながら、淡い色の瞳で見つめ返してきた。
「住み込みでずっと、と言うわけにはいきませんが、週三日ほどでしたら」
「では契約成立、と言うことでいいかな」
「はい。喜んで」
  右手を差し出して、尋ねる。
「何処かで会ったことがあったかな?」
「さあ? 私のような女は、何処にでもおりますから」
  彼女の細い指が、しっかりと私の手を握った。
「私は六道」
「初めまして、六道さん。榊 明香と申します」


 

■終わり■

 

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