リブロイド


 分子工学と機械工学の粋を集めて作られた人型の駆動体の俗称。
かつてのような電気的な駆動だけではなく、化学反応を用いた人工筋肉や疑似生体組織を使用して比較的人体に近い素材、構造で作られた物など多種多様である。
また人工頭脳に模擬人格OSを搭載することによって、人間とのコミュニケーションも円滑に行えるようになっている。
その用途も長時間労働の必要な医療現場や家事援助、総合インフォメーション、ボディガードなど多様である。またOSを独自に改良したり、外観をカスタムしたりと熱心なマニアも数多く存在するため、各メーカーはそれぞれの仕様の違いや改良に余念がない。
リブロイドには外観上の規制はないが、デザイン的に人間と見分けが付かない物が多くなってきたため「必ずマーキングを見える部分に施すこと」という事が義務づけられている。(主に顔に刻印されることが多い)
ただ一体あたりの値段はまだ高価で、労働に使用する場合はメンテナンスの手間も含めて人間を雇った方がずっと安い。生産工程の複雑さからある程度の量産は可能になっても安価な代替労働力となるのはまだ当分先のことである。


 リブロイドが何故人型なのか、という疑問はもっともである。
しかしこう考えることも出来る。リブロイドが人型でなかったら、どんなことが出来たであろうか。

 リブロイドが人型をしているのは非常に多様な理由による。
理由の一つは、人間の認識だ。人間は、物事を関連づける場合、「対象そのもの」を記憶するのではなく、何かに抽象化させて記憶する。例えば、大きさ60センチ程度の箱に四脚で自立した物を見たとき、大抵の人間は動物やテーブルのような物を連想し、それを母体として記憶する。頭に当たるような突起があれば間違いなく動物に当て嵌めて考えるだろう。小さければ猫のような、中程度なら犬のような、ある程度の大きさなら馬や牛のような。
このような認知学的な観点から言って、「人と同じ様な動作が可能で、人と同じ作業をこなし、人とコミュニケーションする」動体をデザインする場合、やはり基本とすべきは理解の対象者である人間自身である。
もう一つの理由はインフラ(社会基盤)である。
物を書くと言った場合、人はペンのような物を使う。これはほぼ万人が使える物で年齢、性別、人種といった制約はほとんど無い。リブロイドに物を書かせる場合はどうだろうか。専用のアタッチメントを付けて字を書かせたのでは費用がかかりすぎる。整備の手間も増える。しかし人間と同じ物を使えるなら、何の苦労も要らない。リブロイドと人間とで道具を共有出来る。
人間の手(指)というのは非常に高度なエンドエフェクター(効果器)である。手に持つことによって如何なる道具も付け替え可能で、利便性、適応性が高く、それ自体でも高度な作業をこなすことが出来る万能の道具である。もちろん、人間の手に持つよりは腕ごと換装した方が効率がいい場合もある。そのため、リブロイドのマニピュレーターは肘先からユニット化されているものが多い。

 また、道路や建物といった場所は、「人間用に」最適化されている。そこにリブロイド専用の通路を作ることになったらどうだろうか。費用もさることながら、作業自体が膨大な物になり、どう考えても割に合わない。リブロイドのような新参者が社会に根付くためには、先住者たる人間に合わせるのが一番効率が良く、費用もかからない。
話が前後するが、人間と同等の作業をこなす存在が、あまりに異形のデザインであった場合、社会に受け入れられない可能性が大きい。もしリブロイドのデザインが5本指のマニピュレーターを持った巨大な球体だったら、社会的に認知されたかどうかは疑わしい。心理的な圧迫感を低減させる意味でも、人型というのは都合がいいのだ。 


 リブロイドという名称の由来は様々だが、有力といわれているのはヘンリー・マクドーウェル博士の故事である。
リブロイドの歩行アビオニクスを研究していた博士は、実験中に数百キロの義体を思わず支えそうになって下敷きになり肋骨を折る大怪我をした。その入院生活中に思いついた動歩行の理論によってリブロイドの歩行能力の基礎ができあがったわけだが、後に研究者同士の会合でマクドーウェル博士の肋骨からこの理論が生まれた、というジョークがあり、そこから付けられたというものである。
「リブ」が肋骨を意味することから聖書の「アダムの肋骨から作られたイヴ」と掛け合わせたのだろう、という説もあり、リブロイドの名称には肋骨に何か由来があるという説は根強い。


 リブロイドの研究はもともと技術的な総括と人体の理解、という二方向から進められてきたものである。

 リブロイドの実用化に当たっては、情報の抽象化と動歩行の実現が二大柱とされてきた。
コンピューターにアナログな思考をさせるのは非常に難しく、リブロイドに何らかの仕事をさせるときには人間のように情報を曖昧化することが不可欠だった。
例えば食事を運ぶと言った場合、料理は皿に載っており、トレイを使えば複数の物を一度に運べる、といったことを人間が理解するのはごく簡単だが、これをコンピュータに認識させる場合、「料理は皿に乗せてある」「皿を持てば料理も一緒に運べる」「作業を効率化するためにトレイを利用する」という最低3つのことを理解させなければならない。しかし「料理は必ずしも皿に載っていない」「料理を載せず皿だけ持っていく場合がある」「料理の量によっては動かす勢いを微調整する必要がある」という事例も当然存在するわけで、そのための膨大な凡例を打ち込んでいくとなると、ほぼ無限に近いパターンを入力しなければならない。
また「食器の形状」「この料理は何なのか」「これを食べるにはどんな食器が必要か」といったことだけでも相当な量になる。人間の場合、そういった情報は「この系統のものにはこの対処方法」というように適度に曖昧化されており、個別の環境情報を入力しなくても行動出来る。コンピュータにはそういったことが難しいのだ。
現在、リブロイドのOSはかなり改良されており、この曖昧な判断に於いても10歳児程度の能力があるとされている。とはいっても、リブロイドが人間のような自己判断力を持ったという事ではない。問題を解決する際に、データベースの情報とパターン認識で得られた情報を照合しつつ「帰納」「演繹」「推定」の3つを基盤として複数のプランニングを行い、それを片っ端から推論処理、目的にあった方向性で最も効率的なものを選択する、という少々乱暴な方法である。

 勿論、全く何の命令も与えずに自律行動させるよりも、人間側から簡単な目標指示を与えた方が高度な命令を実行可能しやすい。
リブロイドの基礎OSは(かなり膨大な量だが)オープンソースとなっており、個人が入手することも十分可能になっている。また、メーカーはメンテナンスの際に学習経験で得たデータを回収し、統合することでOSの改良を行っている。


 動歩行が完全に実現したことはリブロイドにとって画期的なことであった。歩行には静歩行と動歩行の二種類があり、実用的なレベルでの二足歩行の実現にあたってはこの動歩行の再現が不可欠である。
静歩行とは歩行中に重心が支持脚の内側にある歩行方法で、途中で動きを止めても倒れることがない。これは多脚型のロボットに用いられていた方法で、転倒の危険性が少ないかわりに動きは非常にゆっくりなものとなる。(脚の数を増やせば安定した高速歩行も可能だが、面積が大きくなる。)二足でも静歩行は可能だが脚部の設置面積を大きくして重心を安定させる必要があり、実用的とは言えない。
一方、移動しようと体を傾けると重心が支持脚からはみ出るため、それを支えるためにもう一方の足を前に出す。これを繰り返すことで歩行するのが動歩行だ。積極的に重心を不安定にするために安定性は劣るが、非常に速い歩行が可能になる。
リブロイドの動歩行は歩行の際に変化し続けるベクトルとバランスをリアルタイムで管理するソフトウェアの改良と、小型で高性能な駆動機関の実現によって完成した。駆動方法は当初小型のモーターを利用していたが、現在ではそれに高分子ポリマーを使った疑似筋組織やシリンダー機構による伸縮駆動など複合的な物が用いられることが多い。これは常時高出力は必要とされないので通常は電力消費の少ない駆動方法で移動し、動作の上で重い物を持ち上げたり、高い段差を比較的高速で移動するなど一時的に大出力が必要とされる場合に並列して駆動させることで瞬間的なエネルギーを生み出すためである。
しかし、骨格材料の進歩や出力の向上を考えても、「ジャンプ」に関しては関節部へのストレスが大きいためそれほど機能を持たされていない。日常動作の上でもジャンプ機能はそれほど重視される能力ではないため、製品によっては削除されているほどである。しかし、中には電磁加速スライドや圧縮空気を利用した跳躍・衝撃吸収力を持つものもあり、こちらは機械ならではの特性を生かした跳躍能力を獲得している。

 リブロイドは歩行の際に人間と同じように腕を振って歩く。これは、足を大きく踏み出すときに発生する回転力を相殺するためだが、実は腕を振らなくてもリブロイドは歩行可能である。リブロイドが腕を振って歩くのは、前述した通り人に似せることで嫌悪感、違和感を軽減するためである。「人と同じジェスチャー」を行うことによって、リブロイドはその存在の特異性を消しているのだ。


 リブロイド完成のためには二足歩行の実現が不可欠だったと述べたが、現在市場に出ている全てのリブロイドが二足歩行を行っているわけではない。たとえば、医療現場でのサポート用に開発されたヤーン・イマジネーション・ドールズ社のリブロイド「メアリ」は一見すると人型だが、接触センサーを兼ねたフレアスカートの下は全方向移動型の車輪駆動である。これは病院内では凹凸が少ないこと、また二足歩行に比べて転倒の可能性が少ないこと、二足型に比べてコストが低いなどの理由からである。

 実際問題として、リブロイドに使われている技術そのものは、精度や出力が向上しているだけで根本的な部分では変わっていない。現在では、リブロイドの性能は「ソフトウェア」の性能と同義になりつつある。より人間に近く、より高精度に、正確に、便利に。感情表現の細かさやコミュニケーション能力の高さはそのままリブロイドの品質に反映される。 


 リブロイドの頭脳である演算装置の冷却問題は開発当初の悩みであった。
現在、この問題は演算装置を密閉された外装で覆い、内部に冷却剤を循環させることで解決している。
この冷却剤は同時に演算装置を衝撃から守る保護材の役割も果たしており、高価な物になると内部にナノマシンを混入させてハードウェアの面から機能保全を図っている物もある。
冷却剤は全身を循環することによって廃熱を行っている。機種によっては髪の毛なども放熱器として利用しているが、殆どはこの全身循環によって解決する。
副次的な効果としては、この廃熱によってリブロイドは「体温」を持ち、タッチ・コミュニケーションにおいて相手に温もりを与えることが出来るという効果を生んでいる。これはリブロイドという存在が社会参加するにあたって非常に大きなメリットとなっている。


 リブロイドに関する規制は数多い。
リブロイドの所有は必ず届け出が必要で、もしもこれを無視した場合は最大で銃殺刑という極めて重い物となっている(基本的に所有数に準じる場合が多い)。また不法投棄した場合も犯罪幇助と見なされ、やはり最大で銃殺刑である。これは、リブロイドの性能が犯罪に使用されることを恐れたためで、リブロイドをどんな軽度の犯罪に用いた場合であっても極刑は免れない。届け出自体は極めて簡単な物である。
人間以上の力を発揮することが可能なリブロイドは、人間を無闇に殺傷することが出来なくなるようなセイフティが必ず含まれている。もしもリブロイドが故意、または事故で人間を傷つけた場合、その責任は全て所有者の責任となる。また他人のリブロイドを破壊した場合、そこに含まれたデータベースの価値等も換算して非常に大きな補償の対象となる場合がある。
他にも一般によく知られているものとしては「マーキング条例」と「ソフトマテリアル条例」がある。
マーキング条例は冒頭で述べたとおり「必ず見える場所にマーキングをすること」である。主に、額や目の下など顔に施されることが多い。
ソフトマテリアル条例はリブロイドの外装についての条例で、その名の通りリブロイドの外装には柔らかい物を使用すべし、というものである。これはリブロイドが転倒した場合に内部の精密機器を衝撃から保護する目的もあるが、どちらかというと人間が下敷きになった場合でも傷つけたりしないようにするためである。外装は様々な改良されており、安価なシリコンスキンから、ナノマシンによって構築、定着されたナノ・スキンなど多種多様である。


  彼らには何らかの知性(我々で言うところの「魂」に相当するようなもの)がある、という報告が成されている。事実、自己学習プログラムと自己診断プログラムをうまく操作しながら会話すると、人間で言うところの「メンタルケア」と同様の効果が得られることが判明している。日常動作の上でのぎこちなさは、この「メンタルケア」でかなり改善されることは前々から言われていたが、統計の結果それが実証されたのはごく最近のことである。
メーカーはこの事実を早くから認識しており、OSにある程度の遊びを残しておくことで、個人との対話を通して自然にカスタマイズされていくように設計されている。限定された環境下ではあるが、自己判断能力の向上も見られるようだ。
人間のような自己保存本能は駆動体の損傷によって情報が欠損するのを防ぐ、というオートセイフティから生まれているようだが、それ以外でも極限環境用リブロイドにはある種の職人が持つような誇りや使命感らしきものが見られた事が知られている。最も有名なのはトラブルによって明らかにスペック以上の作業が発生したとき、リブロイド側が自己判断によって作業の続行を提案、実行したというマインノア発電プラントの話である。その時の会話ログでは「これまでの作業状況の統計から見て、現在最も効率的に作業が続行出来るのは私だけだ」というリブロイドの言葉が残されている。
一見すると論理的なようだが、スペック以上の作業が出た場合では一度引き返して対策を練る方が正しい。たとえ可能であったとしても駆動体に掛かる負荷や損壊に伴うデータ欠損の可能性を考慮すれば明らかに危険である。そしてそのことを承知の上で、作業の続行をリブロイドが訴えるのは論理的行動ではない。自己保存プログラムに反する行動である。今となっては推測するしかないが、「彼」にとって作業とは自己の存在証明であり、破損や失敗の恐れは二の次であったのではないだろうか。
しかしこれは、あくまで我々の感覚からの想像である。任務達成と引き替えに破壊された「彼」の中でどんな思考が芽生えていたのかを確かめる術はない。


 運動能力、計算処理能力等においては人間を数段上回るリブロイドだが、彼らが人類に変わる種であるか、また人間を超えた存在であるかどうかという議論は当然成されてきた。
しかし、現在ではリブロイドは人間を超える者、人を継ぐ者ではない、という意見が多数である。
その理由の一つとして、リブロイドの知性があげられる。リブロイドと人間では状況を認識する方法そのものが違う。個人を認識する場合、人間は顔つき、言葉遣い、容姿などから総合的に判断するが、リブロイドの場合は顔を数百の画像に分解しそれらを部分的に照合、さらに声のイントネーションと波形を解析し、場合によっては遺伝サンプルを採取して個人を判断する。
人間は視覚、聴覚、触覚といった感覚器から送られてくる膨大な環境情報を適度に捌くために情報をかなり曖昧に解釈することが出来るが、コンピュータにはその「曖昧」という概念がない。あくまで物事をデジタルで考えるため、人間にとっては紛れもない事実でもコンピュータにとっては「極めて正解に近い推測」でしかない。一見するとコンピュータの方が精密な答えを出せそうだが、この三次元世界は極めて不正確かつ流動的であり、様々なセンサーを動員したとしても得られるのは大量だが不完全な情報だけである。
これらの情報から「完全な答え」を出そうとすると、それだけで処理能力はオーバーし、リアルタイムでの行動が起こせなくなる。パターンとあまりに違う行動が連続して起きた場合、あらゆる問題を予測した結果「行動的なジレンマ」によって「何もしないことが問題の最良回避手段」という判断を下してしまいリブロイド自身は動けなくなる事さえある。
非常に高度な処理能力を持つ演算装置を装備していたとしても、複合的で瞬間的な判断力に於いては人間に一歩譲らざるを得ない。しかし、これはリブロイドが劣っているという意味ではない。リブロイドという存在にとって、そういう曖昧な処理が苦手である、というだけである。
例えば「如何なる方法を用いても対象をガードせよ」といった要人護衛などの単一目的に用いる場合の状況判断力は極めて優れたものである。これは物事を複合的に判断する必要がないためで、対象を一つに絞れば途中で思考が分岐することが無くなるからである。
先に述べたようにリブロイドの自律的状況判断能力は10歳児程度であるとされているが、その判断基準となる情報は客観的に見ても人間の10歳児どころか成人以上の精度であり、答えの有無は別としても入手出来る情報の純度は人間とは比べ物にならない。結果のみでその対象の性能を評価するのは間違いであり、リブロイドの判断過程は少なくとも人間のそれを凌駕している。 
このような観点から、リブロイドは人間の後継者ではなく、また人に劣る物でもなく、人型をした全く別の知性である、という位置づけがされている。(当然の事ながら、一般ユーザーにとっては便利なお手伝いロボットぐらいの認識である) 


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