「悪魔と踊れ」


「十六夜という男がそれほど優れているとは思えんのだがな」
 エクセル・エンタープライゼスの危機管理部部長、モスクは手元の資料を投げ出しながら言った。
「成果は上げているが、とても潜入に向いているとは言い難い」
 デスク脇にあるモニターが映像を映している。
 俯瞰視点なのは監視カメラの画像だからだ。
 いま、画面には黒ずくめの男がセキュリティを突破しようとしている光景が写っていた。
 男の目の前にある扉はきっちりと閉じられ、赤外線センサーと網膜投写型のID識別装置によってロックされている。本来ならば、まず扉脇の認識装置に瞳を写してIDをクリアしたあと、キーで赤外線センサーを解除するのが正式な手順だ。
 任務達成率、実に9割以上というA級トラブルシューターでもある能力者がそれをどうクリアするか。
 モスクはそのシーンを、大した期待もせずに見ていた。
 結末を知っているからだ。
 男はまず、網膜擬装用コンタクトをはめたもののIDの識別に失敗し、そのまま赤外線センサーにもかかった。
 天井に設置されていた侵入者捕獲用のパラライザーが投射され、男はそれを慌てて避ける。生体機能を狂わせる特殊波長の麻痺音波が目標を失って扉のコンソールを破壊する。
 配電盤がスパークし、警報が鳴り響く中、男は逃げまどうのだ。
 大勢の警備員を連れて。
 モスクはモニターの電源を切った。
 黒ずくめの男の正体は、十六夜という男だった。
 元ダウンタウンの実力者。現在はフリーのトラブルシューターとしてネゴシエーションや潜入任務などをこなしている。都市管理局「能力者ランキング」Bクラス。取り立てて優秀な能力者とはいえない。
 この後どさくさに紛れて機密の書類を取り返し、一応十六夜は依頼を達成した。
 だが、それは潜入というスマートなものではない。
 ドタバタ喜劇だ。
 実績はあるが、その仕事ぶりは有能とはとても言い難い代物だった。 任務達成率は高いものの、凄腕と呼ぶにはほど遠い。実績だけがある、妙な男だ。
「君がこの男を推薦する理由が判らないよ、マリィ君」
 マリィ、と呼びかけられた男は苦笑した。
「僕の推薦が不満だとでも?」
 親しげに話してはいるが、モスクには判っている。
 それが意味すること。
 世界経済の覇者といわれ、イクスィードと肩を並べるほどの超巨大企業トリニティ・コーポですら、この人形使いの意には逆らえない。
 人形使いが好意の代償に何を要求するのか。
 それは考えても答えの出る物ではなかった。
 この世に神や悪魔の類が居るとするならば、まさにこの正体不明の人物のようであっただろう。
 モスクの目の前にいる男は人間ではなかった。
 人の形こそすれ、それは肉を持った人間ではない。色つやのない肌と、ぎこちない表情、時折聞こえてくる小さな駆動音。それが意味する物は一つ、目の前の人物がリブロイドと呼ばれる人型の駆動体であることの証明だった。
 畏怖と共に呼び習わされる悪名高き「人形使い」マリィ・マギ・マクドゥーガル。
 ここにいるのは、彼の忠実な下僕であり、エージェントである人形だった。
「彼は使える男だよ。どんな過程であれ、目的は達成できる。この件だって、相手の施設に壊滅的打撃を与えるというおまけ付きだしね」
「しかし、どうにも優れているとは言い難いが」
「ノンノン。君は判っていないよ。
  単なるドジなら、天井に隠されたパラライザーをあれほどの反応速度で避けられると思うかい? 
  それに、あれだけの数のガードマンに追われながら、彼は捕まることもなく書類を奪取し、しかも無傷で脱出している。
  彼が如何に優れた能力の持ち主か、決して相手が悟ることはない。それが、彼の凄さだよ」
「なるほど」
  それはいささか過大評価ではないのか、という言葉を飲み込み、モスクはうなずく。
 人形使いが推すほどの男だ。確かにただ者ではないのかもしれない。
「しかし恨まれることも多いだろう」
「でも、こうしてまだ生きている。
  信じられるかい? カーマイン社の人工能力者部隊を滅茶苦茶にしたのは彼の仕業だよ。しかも故意ではなく、偶然に」
「危険な男のようだな」
「報酬さえきちんとやれば、あとは扱い方次第だよ。彼は誠意をとても大事にする」
「誠意、ね。もし、我々が使い捨てにしようとしたら?」
「彼は『心臓へ向かう折れた針』になるだろうね。彼を御するなんて事は考えない方が君のためだよ」
 マリィは小さく笑った。
「なるほど」
「彼の凄さは生きようとする力そのものにあるのかもしれないね。
  彼の逃げっぷりや追いつめられたときの暴れ方を見ていると時々彼が不死身なんじゃないかと思えるほどだよ」
「つまり、そうせざるを得ない状況にすることで力を発揮するタイプか」
「そのとおり」
「しかし、誰がお膳立てする」
「まぁ他ならぬ君の頼みだからね。
  僕が一肌脱いであげようじゃないか。彼の扱い方は多少は心得ているからね」
 いつもの人形使いの言葉とは思えなかった。
 この魔物に、そうまで言わせる十六夜という男は、いったい何者なのか。
 当然のごとく浮かんだ疑問を、モスクは口に出した。
「君の人形でも事が足りるのに、何故この十六夜という男に固執するのだ?彼も、君の人形の一人なのか?」
「いいや。貧困に喘いでいる友人に仕事を斡旋しようという、麗しい友情だよ」
「麗しい、ね」
 モスクは皮肉な笑いを浮かべ、立ち上がった。
 この怪物にそんな人間らしい感情があるとは思えない。
 考えてみれば、この十六夜という男もこの魔性に捕らわれた生け贄にすぎないのだろう。
 人形使いに親愛の情などというまやかしの感情が存在しているはずがない。
「ではこの件は君に任せよう。私としては目的さえ達成されていれば、過程などどうでもいいからな」
 二人は軽く握手をして、マリィは部屋を出た。

「というわけで、君に仕事を取ってきてあげたよ」
「お前の心遣いは大変嬉しいんだがな」
 俺は周囲を見回した。窓も何もない薄暗い部屋に居るのは俺とマリィの二人だけだ。
 しかも、二人とも縛り上げられている。
「捕まる前に言えよ」
 飯を奢る、というマリィの誘いにのこのこ応じた俺がバカだった。
 言われるままに指定の場所へ向かった俺は、どう見てもレストランとは程遠い研究所のような所に辿り着いたあげく、そこであまり品のよろしくない奴らに捕まってロープでグルグル巻きにされ、何処かの部屋に放り込まれたのだ。
 マリィと一緒に。
 床は冷たく、腹は減るし、ロープは痛いしで最悪だ。
 しかも、今日は家賃の支払日と来ている。
 大家の奴、俺が家賃惜しさに夜逃げしたのかと勘違いしないといいんだが。
 ………………帰りてぇ。
 なんでこんなことに。
「いやぁ。話そうとする間もなく捕まったねぇ」
「捕まったねぇ、じゃねぇだろ。何の依頼だったんだ」
「エクセル・エンタープライゼスの、割のいい仕事」
 捕まる時点で割がいいとは絶対言えないぞ。
「機密資料を盗まれたから出来れば取り返して、あと研究所を焼き払って欲しいって」
「どこが割のいい仕事だ。俺の仕事は揉め事を円満に解決する事であって、破壊活動じゃねぇ」
 稀にそうなってしまうこともあるが、別に狙ってやっているわけじゃない。話し合いに行ったらもっと上の方で揉めていて見せしめのために俺が殺されそうになったので、やむを得ず身を守ろうとしたら本社ビルが火災になったとか、そういう場合だけだ。
「でも、お金が必要でしょ、ムッシュー。家賃も二ヶ月ほど滞納しているし」
「お前、何でそんなこと知ってるんだ。まさか人の個人情報盗んでいるんじゃないだろうな」
「そんなことしないよ。一文の得にもならないし」
「得になればするのか」
「もう。そう絡まないでよムッシュー。
  君のためを思えばこそ、こうして仕事取ってきてあげたんだから。
  だいたい、生活に困るほどお金を使い込んだりするから家賃にも困るんじゃないか」
「あれは先物が外れたからだ。無計画な浪費なんかじゃないぞ」
 あの取引さえ上手くいっていれば、1年はゆうに遊んで暮らせたはずなのに。
 あのとき、あと半日早く手を打っておけば何とかなったのだが今更それを悔やんでも仕方がない。
「……………そんなものに手を出すからだよ」
「うるせぇ。破産しようと俺の金だ」
「で、どうするの?受けるの、この仕事」
「受けるも何も敵陣のど真ん中だろうが。こんな所に誘き出しやがって」
「ここまでなったらもう無関係とか言っても絶対信じて貰えないねぇ。あははは」
 何を脳天気なことを言ってやがる。誰のせいだ。
 俺は全身の力を振り絞ってマリィににじり寄った。
 そして体をエビのように反らせてマリィに蹴りを入れる。
「いっ痛いよ、ムッシュー。そんな状態になってまで蹴ること無いじゃないか」
「蹴らずにいられるか!」
「だって仕事の説明するにも現地を見た方が判りやすいと思ったから、食事もかねて誘ったのにぃ」
「食事ってあんなところで食う気か」
「せっかく買ってきた乾パンと水が台無しだよ…………」
 よりによってそんなものかよ。
 というか、乾パンなんて前時代的な物、何処で見つけてきたんだ。嫌がらせにしても労力かけすぎだ。
 俺はありったけの嘆きを込めてため息をついた。
「ダグラスの持ってくる仕事の方がまだマシだぞ」
「おや、あのメガネ君とまだ繋がりがあったのかい」
「出世したらしいからな。人手不足なんだろ」
 あいつの持ってくる仕事もろくなもんじゃないが、都市管理企業イクスィードの仕事は金払いがいいので俺にとっては上得意様だ。
 俺は壁の方に体を寄せた。
 背中を思い切り反らせて勢いをつけ、肩を壁にぶつける。体が自由ならそんな事をする必要がないのだが、ロープで巻かれた状態だとそうはいかない。勢いを付けて二、三度ぶつけると、鈍い音がして肩から力が抜けた。
 肩の関節をはずしたのだ。
 すこぶる痛いがじっと我慢して、ロープを緩める。まぁこれがロープでなくて手錠みたいなものであったとしても、だいたい似たような方法で抜けられる。
 昔、場末のバーで会った奇術師にやり方を教わったおかげで何度命拾いしたことか。
 俺を本当に拘束したいなら、電磁ネットか薬でも使わないとダメだろうな。
 使われても困るが。
 外した肩を元にして、これで俺は自由の身、というわけだ。
「さすが、ムッシュー。さ、僕のもほどいてよ」
「なんでだ」
「つれないなぁ。友達じゃないか」
「やなこった。お前が囮になれば、俺はかなり楽してここから出られるし」
「でも僕を助けると良いことがあるよ」
「お前を助けて良いことがあったことは一度もねぇ」
「ひどいや」
「たまには痛い目を見ろ。自分の人生を振り返る良い反省材料になるだろ」
「友達だと思ってたのに・・・・・」
「うむ。道に外れた友人を更生させるのも、立派な友情だ」
 俺は電子ロックに手を添えると、ジャケットに仕込んであった解錠ツールを引っ張り出してカードキーの差し込み口に繋いだ。
 高度なロックになるとこんなツールでは外せないが、セキュリティレベルの低い扉ならものの数秒で開けられる。
 残念ながら、俺は電子関係の技術には疎いので、このツールもどうやって外しているのか皆目見当が付かない。凄いプラグラムで有無を言わさずロックを解除している、ぐらいの認識だ。 改良したり、マニュアルで打ち込みが出来ればもっとセキュリティの高い扉も開けられるようになるだろうが、原理そのものを理解していない俺にはこの程度のツールが限度一杯だ。
 まぁこのツールを過信しすぎたせいで何度かひどい目にも遭っているが、便利なものには違いない。世の中は、別に原理なんて知らなくても恩恵は享受できるようになっているものだ。
 扉は無事に開いた。どうやら、それほど厳重な警備はされていないらしい。
 見張りも立って無いというのは不用心すぎ…………と思ったら、少し離れたところにいた男と目があった。
「なっ、お前ッ」
 あー。確かめもせずに扉開けた俺も人のことは言えんなぁ。
 だから俺は潜入には向いて無いと言われるんだろう。
 見張りの男は肩からつり下げたサブマシンガンを構え、セイフティを外す。遮蔽物も何もない通路でばらまかれたら、避けきるのはちょいと難しい。難しいと言うより、死ぬ。
 だが、そのセイフティを外す僅かな時間に出来ることは十分にある。
 例えば、一足飛びに間合いを詰めて一撃加えるとか。
 俺は考えるよりも速く体を動かしていた。距離にして5メートルほど。対応できる距離ではない、とたかをくくっているだろうが、この程度なら十分に間合いに入っている。
 僅かに腰を落とした体勢から一歩踏み込み、半身になりながら拳を突き出す。
 踏み込みの速度に加えて俺の体重、そして半身を捻ることで付いた遠心力、それらの全てが俺の拳、その中でも少しだけ突き出された中指に集中する。
 瞬間的な衝撃力は銃弾にも匹敵する拳を受けて、見張りの男は大きく吹き飛んだ。
 最初からセイフティが外してあったなら結果はまた違ったものになっただろうが、いつでも使えるようにしていなければ武器として意味がない。
 戦うことを生業とする者でも、武器や改造に頼っているおかげで俺のような生身、しかも丸腰の人間に対する警戒心は低くなりがちだ。だからこそ、格闘技というのは役に立つ。
 本物の拳士が放ったなら一撃で内臓は破裂し血は逆流するが、俺はせいぜい二、三日まともに起きあがれなくするぐらいが関の山だ。
 鍛えれば一流の拳士になれるといわれたが、そんなものに興味はない。人生の半分を修行に費やすなどまっぴらごめんだ。不心得者といわれようと、俺は酒飲んで適当に暮らす方が性に合っている。
 鉄板は破れないが、人間は倒せる。俺にとってはそれで十分だ。修行はめんどくさい。
 衝撃は鳩尾から脊椎へと抜けている。例え目が覚めても下半身は麻痺して動かないだろう。
 俺は気絶した男を部屋へ引っ張り込んだ。
「おーい、マリィ。寂しいだろうから話し相手を連れてきてやったぞ」
「どうして君は僕に対して嫌がらせばっかりするんだい」
「俺にたいしてやってきた数々の悪事を思い出せ」
 今回も騙そうとしたし。
 俺は男を縛り上げると部屋の扉をくぐった。
「ねえ。本当に置いていく気なのかい?」
「本気じゃないように見えるか?」
「僕を置いていったら後悔するよ」
「ここに連れてこられた時点で十分に後悔した」
「自由にしてくれないと大声で叫んじゃうよ」
「そんな事をすればお前もただじゃすまないぞ」
「うん、僕の場合は義体の電源切っちゃえばいいから」
「ぐっ」
 マリィは大抵の場合、生身の肉体かリブロイドの体を遠隔操作している。本物の奴に会ったことのある人間などおそらくいないだろう。いつも偽りの体で現れるからこそ、人は奴を「人形使い」の二つ名で呼ぶ。
 だから、やりたい放題やったあとダウンさせてしまえば本人は何の影響も受けない。
 迷惑を被るのは俺だけ、という事になるわけだ。
「でもほら、これだってただじゃないんだから出来れば持ち帰りたいんだよ」
「そんなに重要な物には見えないが」
 どう見ても、汎用リブロイドのボディに申し訳程度のシリコンスキンをかぶせて人間に見立てた安物だ。ぱっと見ると人間に見えるが、ちょっと観察すれば表情や動きのぎこちなさ、皮膚の質感に違いが見て取れる。完全な人型のリブロイドというのはそこそこに値が張るが、マリィにとってはこんな物タダみたいなもののはずだ。
 そんなものを持ち帰ることに何の意味があるのか。
 という俺の疑問は、マリィの次の一言で霧散した。
「電源が切れると、半径5キロが木端微塵になる戦術破砕爆弾を内蔵しているんだ」
 …………そんなもの、内蔵するな。
「お前、前世は悪魔か何かだったんじゃないか」
「やだなあ。照れるじゃないか」
「褒めてるわけじゃねぇ」
 俺は渋々マリィの拘束を解いた。
 そんな物を爆発させられては、さすがの俺も死ぬ。
 こいつの発言に冗談はない。
「やぁ、自由は良いね」
 マリィは義体のくせにわざとらしく伸びをする。
「さっさとおさらばするぞ」
「おや、仕事は放棄かい」
「放棄も何も、引き受けたおぼえはない。余計な揉め事はご免だ」
「まぁそこまで言うならしょうがないね」
 マリィはすたすたと歩き出す。
「おい、何処へ行く」
「どこって勿論出口だよ」
「知っているのか?」
「だって、下見は万全にしてあるから。僕を誰だと思っているんだい?」
 マリィの端末はそこかしこに紛れこんでいる。少なく見積もっても数十体に及ぶ義体をどうコントロールしているのかは判らないが、ハイパーネットワークに漂っている物ではなく実際に現場から集めた物だから確実性という意味ではほぼ完璧に近い。この研究所もその例に漏れなかったと言うことだろう。
「いま地下3階ぐらいだから、人にさえ会わなければ結構楽に出られると思うよ」
「誰にも会わないで出るのは無理だろ」
「ま、その時はヨロシク頼むよ」
「お前もやれよ」
「見た目より非力なんだよ、この体。爆弾で結構スペース取られてるから」
 何の役にも立たないだろ、それじゃ。
 俺は激しい疲労を感じながらマリィに聞いた。
「それにしても何の資料盗まれたんだ」
「え?うーん、それは僕にもよく判らないなぁ」
 嘘つけ。

 しばらくあちこちを歩き回る。
 不思議と誰にも出くわさない。たまたま巡回ルートから外れているせいか、それとも泳がされているだけのか。
 だが、目の前の通路にはドアの開いた部屋がある。
 モニターで何かを見ているようだ。
「二人くらいいるね」
「どうするんだ」
「監視カメラで施設内を監視してるみたいだけど、見張りがいなくなったという事にはもうそろそろ気づくだろうね」
「黙らせるのか」
「そのほうがいいと思うけど…………」
「で、それは俺の仕事だと言いたいわけだな」
「手伝いたいのはやまやまだけど、この体じゃ足手まといだしねぇ」
 マリィは大げさに肩をすくめる。
 理にかなってはいるが何か釈然としない。
 立場は対等のはずなのに、いつも便利に遣われている気がする。…………たぶん、気のせいじゃない。
 俺は足音を立ないよう注意しながら男達の背後に忍び寄った。
 そして二人の首筋に手刀を打ち込んで気絶させようと思ったが、勢い余ってコンソールに向かって顔を叩きつけるような形になってしまう。
 もの凄い鼻血を出しながら二人とも動かなくなった。
 ……………こんなはずではなかった。もっとスパイ映画のようにスマートに決めるつもりがバイオレンス映画になってしまった。
 ま、いいか。結果オーライだ。
 可哀想なので鼻にティッシュを詰めて、ロッカーに押し込んでおく。
 しかしこいつら、よく見ると警備員には見えない。
 さっき伸した奴は薄い紺の制服を身につけていたが、こいつらはグレーのスーツだ。モニターも、監視カメラじゃなくて奥の測定器を映し出している。
 勘違いか?
「おや? こんな所に盗まれたはずの資料が」
 何やら引き出しをあさっていたマリィが数枚のディスクとファィルを引っ張り出す。
 そんな都合良く見つかるわけないだろ。
「お前、俺のこと嵌めただろ」
「とんでもない、たまたま間違っただけだよ」
 なんて白々しいヤツだ。
「盗まれた資料が何でそんなところにある」
「偶然」
 何の資料か判らないとか言っていたくせに。
「嘘つきは地獄へ堕ちるぞ」
「平気さ。こう見えても信心深いんだよ、僕は」
「ほう、初耳だ」
 神仏の類を信仰するようにはどう見ても見えないが。
「このあいだも『サン・モータル教会』に寄付したし」
 そこは最近、違法勧誘と寄付強制で問題になっている新興宗教団体だぞ……………。
「さて、証拠隠滅しないとね」
 マリィは手近な椅子をひょいと持ち上げるとコンソールに向けて放り投げた。
 感圧式のコンソールが砕け、火花が散る。それが引き金となったのかあちこちから煙を吐き、火を吹き始めた。
「おい、何か様子がおかしいぞ」
「自爆スイッチでも押しちゃったのかなぁ」
「物騒なことを言うな」
 そんなものが付いている研究所などあってたまるものか。
 しかし、何かまずい装置だったことは確かなようで、一斉に警報が鳴り響いた。
「せっかくこっそり逃げてたのに台無しじゃねぇか!」
「ほら、よく言うじゃない。「弘法も筆の誤り」って」
「お前の場合、確信犯だろ」
 もう怒る気力もねぇ。
「どうしよう、ムッシュー」
「まぁとりあえず警報は止めないとな。ガードロボットが出てきたら面倒だろ」
 深夜とはいえ、警備の数がこの程度のはずがない。確実にガードロボットの類が配備されているだろうし、奴らが動き出すと面倒だ。
 IDを無くしたら射殺された、という馬鹿みたいな事件もあるぐらいだ。事前に下準備してあるなら対策もとれるだろうが、あんな機械人形をいちいち相手にしていたらきりがない。
 ロボットは直せばいいが、人間はそうはいかん。
「でも制御コンピュータはかなり地下にあるし、そこまで行くのは大変だと思うよ」
「ここの動力源って何だ?」
「工業用プラントがあるから、多分地下の発電所で賄っていると思うけど……………」
「なら、それを止めちまえばいいな」
「止めるって、10階くらい下だよ?それに止めたとしても一本道だからじきに捕まっちゃうよ」
「ここからぶっ壊せばいいだろう」
「どうやって……………あ、そうか」
 マリィは納得したらしい。
 俺の『能力』は遠距離用だ。10階ぐらいぶち抜くのはたいしたことじゃない。
「警報機が赤い色で助かったぜ」
 警報で赤く照らされた壁に手を付いて精神を集中させる。
 俺の中から何かが引きずり出され、それが形になっていく。警報機の赤い光に触発されて、そこかしこから闇が滲み出す。
 気体のようでいて、物体の質感も備えた、この世ならざるもの。
 赤より生まれ、全てを喰らう闇。
 この世に在るもの全てを無へと帰す、究極の闇。
 それが俺の能力『アブソリュート』だ。
 精神を集中させながら、どんどん効果範囲を広げていく。
 闇は通路全体を覆い隠し、その発生源であった赤い警報灯をも飲み込んだ。非常電源に切り替えられ、薄いオレンジの光が辺りを照らす。
 俺は広げた闇を、下へ下へと動かしていく。
 通路を喰らい、厳重なシールドを抜け、さらにその下へ。
 地下発電施設の小型核融合炉。発電用の炉を丸ごと停止させれば、逃げるのは大分楽になる。
 その強大なエネルギー源を前にして、思念に似た何かが俺に流れ込んでくる。食欲、いや飢えというべきか。
 俺は命じた。
 そいつを残らず喰らえ、と。
 アブソリュートが急速に縮んでいくのを感じる。おそらく、核炉の炎で還元されているのだ。アブソリュートは赤い色に反応して顕在化するが、同時に赤い色によって還元される。赤い色なら何でもいい。ペンキでもライトでも、血でも、炎でも。
 だから、核炉を飲み込みながらその炎でまた自身を焼かれ、消えていくのだ。ただ、消えないように、消えにくくすることも出来る。俺が根性入れてアブソリュートの維持につとめれば。
 もの凄く疲れるが。
 やがて全てを食い尽くしたアブソリュートは俺が解くまでもなくこの世から消えていった。
 強い精神集中による目眩で、俺はずるずると床にへたり込む。アブソリュートという力の「ルール」に逆らうのは骨の折れる作業だ。
 「能力」というものは一見荒唐無稽な力にも感じるが、どれも特有の「ルール」がある。俺のアブソリュートが赤という色に反応するように、代償が体力であったり、命そのものであったり、また外的な要因だったりもする。
 何故そんな「ルール」が存在するか、俺には全然判らない。
 そのうち、どこかの偉い学者が解明してくれるだろう。
「大丈夫かい、ムッシュー」
 さすがにマリィが心配そうな声で呼びかけてきた。
「核融合炉なんて物を喰ったのは初めてだぜ」
 なんだか、腹の辺りが妙に熱い。
 俺自身もアブソリュートが喰った物が何処に行くのかは知らない。が、今回はかなりの大物を食ったわけだから、それから換算しても懐は相当広いのだろう。
 アブソリュートは捕食した物を俺自身に活力のような形で還元するが、エネルギー源そのものを喰うといつもよりもその活力の量も多いような気がする。
 精力剤を一気飲みしたみたいな、変な熱さがある。
 精神的な疲れは癒されないが、とりあえず走って逃げるぐらいの余裕は出来たようだ。
「おや、何かあちこち崩れてきたねぇ」
 言われてみれば確かに、建物が全体的に傾いてくるような感じがある。
 いきなり崩壊するような気配はないが、好ましくない状況なのは間違いない。
「発電区画を丸ごと食ったから、支柱部分も一緒に持っていったみたいだな」
「はやく逃げようよ」
「あたりまえだ。」
 こんな奴と心中はごめんだ。
 そして俺たちは混乱に乗じて無事に外へ出られたのだった。

「うーん、図らずも依頼どおりになったねぇ」
 燃えさかる研究所を見ながら、マリィが感慨深げに言った。
 大勢の人間が慌てて逃げ出している。大惨事だ。
 闇夜に炎の赤が映える。季節はずれの花火、と言うよりは巨大なたき火という感じだ。
 よく観察していると、さっき押し込んだ研究員とかも助け出されていた。
 おお、よく見つけられたな。
「いやぁ。
  やる気のないふりして依頼人の希望以上の仕事をする君はやっぱり素晴らしい男だよ。
  すごいすごい。君を推薦した甲斐があったってもんだよ」
 マリィが絶賛してくれているが、どうしても褒めているように聞こえない。
 軽く聞き流して、俺は改めて研究所に向き直った。
 あちこちで小爆発も起きているし、だんだん地面に沈んでいっているところを見ると、もうこの研究所は完全におしまいだ。
 懸命の消火活動にも関わらず火の手は止まず、爆発する、逃げる、野次馬は出る、と大変な盛り上がりを見せている。
 またやってしまった。
 研究所にしてみれば、変なのをとっつかまえたせいで資料はなくなる、施設は燃やされるで被害甚大だろうなぁ。
 まぁどっちにしろ盗んできた物らしいから自業自得といえばそうなのだが。
 要らぬところでまた恨みを買った気がする。
「んじゃ、お金の方は明日にでも振り込んでおくからね」
「ああ」
 予期せぬ労働のおかげで普段の倍は疲れた。
 この場に留まっていてもメリットはない。
 野次馬に紛れ、俺は静かに帰路についた。

 俺は久しぶりに落ち着いた休日を過ごしていた。
 エクセルからの支払いのおかげで家賃の問題も無事解決したし、思った以上の金額でしばらくはのんびりと過ごしていられそうだった。
 もし俺の窮状を知ってマリィが手を差し伸べてくれていたのだとしたら大変ありがたいのだが、あいつの性格からしてどうも素直に信用出来ない。
 なにはともあれ、おかげで久しぶりにウイスキーを買うことも出来た。
 それだけは感謝しないといけない。
 グラスに注いだウイスキーをちびりとやりながら、余暇を楽しむ。ただゴロゴロしていてもつまらない。久しぶりに外に出かけるか。「地図無し」で一杯やるのも悪くない。
 そう考えて外へ出ようと思ったときだった。
 呼び鈴が鳴る。防犯のために取り付けられたカメラが映し出したのは、例の爆弾義体で現れたマリィの姿だった。
 何のようだ?
 少し訝りながらも、一応ドアを開ける。
「やぁムッシュ十六夜。元気そうだね」
「なんのようだ」
「つれないねぇ。先方が今回の結果に大満足しててね。それで、また君に仕事を頼みたいんだって」
「どうせろくでもないヤツだろ」
「いや、君の得意分野だよ」
「昼寝か?」
 俺の得意なものというとそれぐらいだが。
「違うよ。ほら、廃棄炉の解体工事」
「何でそんなものが俺の所に回ってくる」
 しかも俺一人でどうしろというのだ。
「先方がね、このあいだの仕事の時に発電区画ごと喰ったのを高く評価していてねぇ。
  ほら、大破壊の時の発電プラントはそろそろガタが来ているし、放射能も半減期待ったり廃棄物を処理したりするのにえらくお金がかかるでしょ?
  その点、君のアブソリュートなら時間も金も人員も省けるし、環境にもとっても優しい」
 まぁたしかに、放射能除去剤を使っても完全に毒性が無くなるわけではないし、半減期をかなり短縮出来るとはいえ結局処理した廃棄物は使えない。発電プラントは低放射能の核融合炉やパネル式の太陽電池といったものに変わりつつある。
 大破壊当時の軽水炉のような物は、はっきり言って管理の面から言っても邪魔なだけだ。あちこちで問題が起きてもいる。
 処理にかかる費用、時間を考慮しても、確かにアブソリュートで丸ごと処理するのは良いアイデアだとは思う。
 でもなぁ。
「お前、俺の能力をゴミ捨て場かなんかと勘違いしてないか?」
「大丈夫でしょ、放射能ぐらい」
「無茶を言うな。死ぬぞ」
 件の発電プラントを喰ったあとはしばらく体の調子が変だった。
 食い過ぎたあとの膨満感が続いているような感じはまだ続いている。
 それに、例えアブソリュートに放射能の影響がないのだとしても、俺は生身だ。近づいて処理するのは危険きわまりない。
「社会的にも役に立つ仕事なのに…………」
「この世界がどうなろうと知ったことか。俺が危ないのはダメだ」
「じゃあ仕方ない。この話は先方に断っておくよ」
こんな素直に引き下がるとは珍しい。
 ひょっとすると、本当に善意で持ってきたのか?
「そうそう。君のポストに手紙が届いていたよ。ほら」
 マリィは俺に手紙を渡すとさっさと出ていった。
 俺はベッドに寝転がりながらマリィから受け取った手紙を開いた。
 手紙は一枚だけ。簡潔な文面だった。
 俺が出資した会社が倒産したという内容だ。
 つまりである。
 銀行から金借りてまで買った株が紙切れになり、俺は丸損というわけだ。
「今がねらい目ですよ」とブローカーが言ったのを鵜呑みにしたのがまずかった。
 俺の乏しい貯金では返済など到底おぼつかない。
 なるほど、俺の所に仕事を持ってきたのはそういう訳か。
 俺は重い足取りでマリィの後を追いかけた。


end