深き少女


「おもしろい話?」
「ああ。ソフトウェアの専門家に意見を聞きたいと思ってね。うちの元エースに頼もうという話がきたってことなんだが」
 納期を終えて一息入れていた黒崎の元に映話がかかってきたのは、その日の夕暮れだった。
 相手はワーカーデトニクス社の技術部に所属しているリチャード・メイスン 。かつては同じ開発課に所属していたこともある。
 在職中も特に親交があったわけではないが、黒崎の腕を見込んで仕事を持ってくることも二度や三度のことではない。
 むしろ、こうしてフリーになってからの方が顔を合わせることが多いのは不思議な縁だと黒崎は思う。
「それで? どんなリブロイドなの?」
「聞いて驚くなよ………なんと、大破壊前に作られたリブロイドだ。地下3800メートルの廃棄されたジオフロントから見つかった。大破壊後にも稼働していたらしい」
「ちょっと、それすごいじゃない!」
「だろう? 君にこんな面白そうな話を黙っておく訳にもいかないと思ってね」
「どうしてそんなものが見つかったの?」
「メモリーディッガーさ。そんな深くに好きこのんで潜るのは奴らぐらいなものだよ。まあちょっとしたツテでね、オークションにかけられる前にうちが引き取ったというわけさ」
 興味をそそられることとはいえ、仕事の話で主導権を握られるわけにはいかない。黒崎は呼吸を落ち着け、努めて平静を装った。
「中身次第では大発見ね」
「もちろん、謎の扉を開けるのは口が堅くて腕のいい技術者でないと困る」
 私の所に話をもってきたのは勝算ありと見込んでのことだったらしい。
 この手の話をちらつかされれば、是非この目で見たいと思うのが技術屋だ。
「なるほど。そんな面白そうな話、聞いた以上は乗らないわけにはいかないわね」
「話が早くて助かる。すぐにホテルを手配するよ。契約についてはそこでどうだい?」
「ディナー付きで?」
「もちろんだとも」

 ディナーの話はジョークのつもりだったのだが、先方が用意してくれるというなら喜んで出向くつもりだった。
 こういうレストランで食事をするというのは気軽に出来ることではないが、仕事の上でなら必要経費という素晴らしいもので懐を気にせず戴くことが出来る。
 このあたりが企業と個人事業主の違う所よね。
 などと言うことを黒崎は思う。
 プラントで合成された肉は品質的にも自然のものに劣るわけではないが、均質でムラのない肉質は不自然なものだ。食材にはムラがあってこそ料理が活きる。
 もちろん、気分の問題も多分にあるだろうが。
 それでも、ミディアムレアに焼き上げた上質のヒレステーキの味は、高品質を謳うプラント製のものとは雲泥の差だ。赤ワインで調えられたソースも素晴らしい。
 毎日食べたいとは思わないが、年に一回は口にしたい。そういう味だ。
「会社のほうはどうなの?」
「可もなく不可もなく、と言ったところだね。君と博士の手がけた「スメラギ」と「ミコト」のセールスも悪くない。警備のためのサーバーとしてミコトを購入していく会社もある。とりあえずは護衛用リブロイドの足がかりとしては好調だよ」
「個人的には『シズク』もセットにしておきたかったわ」
「あれは仕方がないさ。コンセプトとしては理にかなっているが、護衛のためとはいえ積極攻撃のためのリブロイドを開発するわけにはいかないよ。シズクの設計は条約違反も甚だしい」
「でもスメラギとミコトだけでは防げないものもあるわ」
「もちろんそれは判っているさ。しかしだね、人間の仕事が無くなることを恐れている層もあるのさ。シズクが不採用になったのは人間のSPに配慮した結果でもある」
「ナンセンスだわ」
「言いたいことは判るけど、発注元の注文は「人的損失を減らす」事であって人間の仕事を取ってしまうことではないからね。ミコトが探り、スメラギが守り、人間が捕まえる。共存とはそう言うものだよ」
「そうかしら」
「君はシズクに肩入れしすぎだよ。だから、トライアル用の駆体を手放せないんだろう?」
 図星だった。
 シズク、スメラギ、ミコトは元々3体1チームのコンセプトで作られた要人護衛リブロイドだ。
 広範囲の電子スキャン能力と対ジャミングシステムを持つミコト、モーフィング装甲を持ち防弾対爆能力に優れるスメラギ、そしてミコトからの情報を元に攻撃対象を排除するシズク。
 三位一体のシステムは護衛目標の生命を確実に保護するためのものだった。
 しかし、人間を傷つけてはならない、というリブロイドの保護規定に抵触する恐れがあり、実際シズクのトライアル用駆体に搭載された火器類のほとんどは確実な殺傷能力を持つものだった。
 このクレームに対し、武装を非殺傷のものに変更する、もしくは格闘性能を向上させて捕縛任務に応用する、と言う黒崎の意見は退けられた。
 その為、シズクは不採用となり、スメラギとミコトだけが量産されることになった。『守る』というコンセプトからすれば、この二体だけでも十分だったのである。
 廃棄処分になったシズクを払い下げて貰い、退職金代わりに持ち帰ったのは、それが納得いかなかったこともある。
「まあ無駄話はこれくらいにして、本題に入ろうかしら?」
「そうだね。今回君にお願いしたいのは、さっき話したリブロイドの頭脳から出来るだけデータをサルベージする手伝いだ。うちのチームが付きっきりであたっているが、どうもこれ以上はダイビングが必要らしい」
「有機メモリをそのままダウンロードしてしまえばいいんじゃないの?」
「残念ながら色々事情があってそう言うわけにはいかないんだ。詳しくは現場で、と言うことになる」
「いいわよ。興味はあるし、仕事もちょうど入っていないから」
「それと悪いんだが、社の方に泊まり込んで貰うような形になるみたいだ。秘密保持のためなんだが、申し訳ない」
 ホテルを予約すると映話では話していたくせに、これだ。
 ワーカーデトニクスのシェアは広くとも、それほど裕福な会社というわけでもない。何処かでケチってくるだろうと言うことは予想していた。
 が、まさか泊まり込みとは。
「ふう、まさかワーカーデトニクスを辞めてからまた仮眠室使う日が来るなんてね」
「レディにそんな部屋をあてがうしかないというのは本当に心苦しいよ。全く社の連中は何を考えているんだか」
「それだけ今回の品は貴重と言うことなんでしょうね。私はもちろん構わないわよ」
「文句の一つも言ってくれよ。君は物わかりが良すぎる」
「そう言うわけではないけど、仕事を選べるほど裕福でもないのよ。多少の不便には慣れっこだわ」
「たくましいなぁ」
  メイスンは笑ったが、黒崎はちっともおかしくはなかった。

 ワーカーデトニクスは作業用の非人間型リブロイドを主として開発しているメーカーだ。黒崎はかつてここでデザインと行動関連プログラムの製作をしていた。
 大勢の仲間と昼夜問わずに取り組むのは意義あることだった。楽しかった、と今でも思う。
 だが、ここにいるだけでは見えてこないものもある。それを教えてくれたのはシズクを設計したアレン博士だった。
 外注で頼んでいたその設計が届いた時、黒崎は衝撃を受けた。何者にも囚われない自由な発想、緻密な設計、大胆なコンセプト。
 それらからにじみ出る、「次世代のリブロイド」という思想。
 黒崎はそこに惹かれた。
 市井のリブロイドにはもっと面白いものがある。そして彼の工房で見た修理中のリブロイドはそれを裏付けるものだった。
 感化されたのだろう。開発が終了したシズクを引き取り、ワーカーデトニクスを退職したのはなにもシズクの廃棄処分に対する抗議ではない。
 抗議する気持ちが全くなかった、とはもちろん言い切れないが。
 黒崎はメンテナンスベッドで充電している雫に向かって語りかける。
「明日はあなたの生まれ故郷に帰るわよ、雫」
「工業製品である私に厳密な生まれ故郷はありません。強いて挙げるなら個々の部品の製造元が私の生まれ故郷と言うことになります」
「じゃあワーカーデトニクスは何なの?」
「むしろ養育施設の方が適切ではないでしょうか」
「口答えが上手くなったわね、雫」
「ありがとうございます」
 人との接触が、リブロイドの人格に揺らぎと幅を与えるという。
 黒崎は、雫が一体どんな経緯でこんな回答をするようになってしまったのか考え込んだ。

 ワーカーデトニクスはアナトリアの上位地区、工業ブロックの南西に位置する小さな会社だ。
 生産工場はダウンタウンに近い下層区にあり、生産と設計部は分業されている。
 耐久性の高い非人間型リブロイドを多数生産しており、その品質は一定の評価を得ている。
 とはいうものの、工業用リブロイドのシェアは汎用性の高い人型リブロイドに押されつつあり、小規模なメーカーとしては常に技術力でリードしていかなければならない。
 一方で、出過ぎれば簡単に買収されてしまう。
 企業間のパワーゲームの隙間を縫って操業を続けるのは生やさしいことではない。弱くても強くてもつぶされるのがこの世界だ。
 汚れた社屋は、それでもメーカーとしての矜持を失わないという現れなのかもしれない。
「里帰りだね、雫」
「ご無沙汰しております、リチャード・メイスン。お元気そうでなによりです」
  雫は会釈しながら挨拶した。
  彼女自身の美貌と相まって、それは見るものを魅了してしまうほどに絵になる光景だ。
  が、黒崎としては面白くなかった。
「最近、雫は反抗期なのよ」
「ははは。そんなのは聞いたことがないな」
「まあ普通は信じないでしょうね」
  雫の人格プログラムは特別なものではない。持ち主に反抗する、と言う「演技」は含まれていない。そうすることで人に似せるものもあるが、あくまで演技に過ぎないと考えられているのだ。
 それは反抗ではない。ポーズでしかない。
  黒崎とて、雫の全てが心に基づくものだという確証を得てわけではない。
 第三者がそれを反抗などととるはずはなかった。
「機材の持ち込みはこれだけかい?」
「ええ。ほとんどは雫に内装してあるの」
「なるほど、ウエポンベイを拡張機器のスロット代わりにしているのか」
「そう。もともとシズクは必要に応じてミコトの補佐にも回れるように設計してあるから、汎用性ならミコトやスメラギよりも上よ」
「面白い使い道だなあ」
「今更採用して欲しい、なんて事は言わないけどね。もう雫無しで仕事できないわ」
「ふーむ。自立歩行するサーバーか。君の独創性には恐れ入る」
「商売にするつもりはないわ。新商品のネタ出しにでもどう?」
「詰まったらそうしよう」
  文字通り汗と涙の詰まった場所なのよね。
 何処か雑然とした仮眠室に入り、黒崎は感慨にふける。
 着替えを入れたバッグを床に置くと作業用の繋ぎに着替えてすぐに仮眠室を出る。
ぜひともその骨董品に触れてみたかったのだ。
 開発室にはいると、懐かしい顔ぶれが何人か居た。
 だが、軽く片手を挙げて挨拶をするぐらいですぐにモニターへと向き直る。
 納期が近ければ、呑気に雑談している時間も惜しい。社を離れた黒崎がその空気を共有することは出来ない。
 それが自由と引き替えに黒崎が切り捨てたもの。
 別に後悔はない。
 黒崎は彼らの脇をすり抜けて、奥のラボへと足を進める。
 二重ロックが解放され、無機質な空気が足下から流れ込んできた。
 先に来ていたメイスンたちは、すでに測定用の機器を取り付け始めていた。
 ラボに安置されたそのリブロイドは綺麗に洗浄されていたが、各部の損傷はそのままにされているようだ。
 事前に渡されていた仕様書に目を通す。明らかになっている仕様や規格はリバースエンジニアリングの結果だ。技術的に目新しいところはない。ただ、その設計は大幅な改変が施されている。
「どうかな? コネクタそのものは統一規格のものだが、コーデックは見たこともない形だ。大破壊前のものかな?」
 少女の後頭部にあるコネクタへ有機メモリの拡張ユニットを取り付け終えたメイスンが尋ねる。
 仕様書に有機メモリのデータに関する項目が抜け落ちているのは、まだそこまで解析できていないからだろう。
「たぶん。独自に作られたものか、自分で改造したものなのかも。有機メモリに直接アクセスしないと何とも言えないわね」
 古いマシンや小さなメーカーのものだと、既存のコーデックに独自の改良を加えた規格を使っているところも多い。一から組み直すのは大変だが、仕様変更ならコストが安く済むからだ。
 しかし、ライブラリがなければデータの読み取りは難しい。大破壊の際に古いコーデックの多くは失われている。
 黒崎が今からやろうとしているのは、類似したコーデックをライブラリから拾い出し、バイパスすることで有機メモリのデータを読み出す作業だ。
 しかしそれを手作業でやるとなれば、膨大な時間を要する。
 故に黒崎はブレイン・マシン・インターフェースを通じて自分の脳を媒介とし、コーデックの類似性を視覚化して行うのだ。
「よろしく頼む。ブレイン・マシン・インターフェースを君ほど上手く扱える人間もいないんでね」
「いいわ。雫、サーキットコネクタの起動準備。この骨董品にダイブするわ」
「了解しました」


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