もうひとつの週末 1999年度記録      1999.1.9〜12.18

 正月明けて、戻ってきたらびっくり!ちがう番組か?と思うような内容変化でした。初めは、珍しさで聞いていましたが、そのうち段々不安になって来ました。お便りコーナーは?今までのパターンに戻ってほしい!と祈りつづけました。
 九月過ぎにお便りコーナーではがきが読まれた時は涙が出る程うれしかったのを覚えています。でも、今考えるとこう言うパターンも良いかな?と思ったりします。

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1999/1/9放送分 (第54回) ゲスト・山田パンダさん

 (1曲目)「神田川」

 パンダさん「神田川をレコーディングした時初めは歌謡曲っぽく過ぎたので入れるのやめようかという話もあったんです。でもこれが無ければどうなっていたかなぁ」
 聖子さん「お金もいっぱい入りましたよね。」
 パンダさん「実家の長者番付にこうせつもしょうやんも入っているのになぜ入っていないのか聞かれました。」
 パンダさん「予約で50万枚も入ると印税計算をしてしまいます。で、アルバムにこの曲を入れてくれとこうせつに頼んだ事もありました。かぐや姫は、もともと3年の約束ではじめました。で、解散が決まって一番あせったのは僕でした。ツアーの最後の時一人で泣いていました。こうせつがステージで耳元にきて「パンダさん泣いている場合ではありません」と言われました。 その後、ソロ→パンダフルハウス→ソロとなって、その後「サリー」のプロデュースをしたりしました。」

 (2曲目)「僕の胸でおやすみ」→生歌です!聖子さんのコーラス入り!

 パンダさん「聖子さんの顔見ながら僕の胸でおやすみ、最高だね!パンショーも盛り上がって来たかな?」
 聖子さん「ところで保父さんもやっているんですよね?」
 パンダさん「自分の息子を育てていてそれが終った時に子供たちと遊びたくて始めたんです。サザエさんとかドラえもんとかギターを弾きながら歌ってます!」

 (3曲目)「おはよう、おやすみ日曜日」


1999/1/16放送分 (第55回)  ゲスト・沢田知可子さん

 聖子さん「年に何回かライブをやっているので久しぶりって感じがしませんね。仕事って感じもしなくってプライベートの話をしますよね。」
 知可子さん「仕事の話はあまりしないで普通の話を2、3時間していますよね。」
 聖子さん「意外とアーティスト同士の横のつながりって少ないですよね。」「私も2,3人しかいませんね。」

 (1曲目)「恋人と呼ばせて」

 知可子さん「この曲はデビューしてだれもまだ知らない時に銀座だけ1位になったんです。」
 聖子さん「デビューのきっかけは?」
 知可子さん「もともとOLやっていて、アマチュアでバンドやっていてデモテープ作って売り込みをかけていました。OLをやめる時も1年以内にデビューするためにやめました。そして1万日記念日迄に大きいホールで歌っている事を目標にして現実にしました。」
 聖子さん「(計画的で)すごいです!耳が痛い・・・。」


 (2曲目)「逢いたい」

 聖子さん「この曲ライブでやるとみんな喜んでくれますよね。」
 知可子さん「歌手でやってきて良い曲に出会いたいと思っていました。なぜ売れないといけないかって言うとたくさんの人にまず自分の名前を覚えてもらうことが必要だと思ったからです。3年間草の根運動的に地道に回って有線からじわじわヒットしていったんです。」「アコースティックにやっていて初めて曲、メロディが聞こえてくるんです。」

 (3曲目)「一粒の夢」


1999/1/23放送分 (第56回) 浜田省吾特集

 聖子さんはラジオ番組で1度だけ会った事があるそうです。(つまりゲストではないです)

 (1曲目)「路地裏の少年」

 初期のバージョンは、2番までしかなかったのですがこのバージョンは、3番まであります。亡くなった省吾さんのお父さんが好きだった曲です。亡くなる前に代々木でのコンサートに来てもらい熱唱したそうです。

 (2曲目)「Jボーイ」(3曲目)「ラストショー」

 以前聖子さんが会ったのは10年位前でした。その時に「聖子って聖なる子って書くんですね、良い名前ですね」って言われて感激したそうです。また、ちょうど独立したてだった聖子さんは、励まされて握手をしてもらいまたまた感激したそうです。

 (4曲目)「悲しみは雪のように」


1999/1/30放送分 (第57回) 1999/2/6放送分 (第58回) ゲスト・村下孝蔵さん

 聖子さん「つい最近、長電話しちゃいましたね」  
 孝蔵さん「電話でいつも打合せ済ませしますね」 
 聖子さん「本当に村下さんギター好きですね」  
 孝蔵さん「ギターなしでは、私の人生考えられませんね」
→ここから親愛なる人へのあのフレーズは、出来たみたいです(Gan)

 (1曲目)村下孝蔵「松山行きフェリー」

 この曲のエピソードは、孝蔵さんの恋のお相手が本当に松山出身の人で別れてしまった思い出からだそうです。加山雄三に憧れていた村下さん、初めて作ったギターはラワン材で作ったそうです。初恋にも、実はモデルになる女性がいるそうです。

 (2曲目)村下孝蔵「同窓会」→生歌です。

 「同窓会」のカップリング「素直」実はこの方がテーマソングになるはずだった曲だそうです。富良野に行った孝蔵さん、キタキツネと遭遇しました。聖子さん「まだ、見たこと無い・・。」

 (3曲目)村下孝蔵「春雨」

 聖子さん「取材でいちごをもらって1パック食べました。とっても美味しかったです。 いちごをたくさん食べるコツは、スキムミルクをつけないで食べることです。」
 孝蔵さん「「初恋」は、デビュー曲ではありません、「月明り」です、本当はこの曲で東京へ行きたかったんですけど、広島暮らしで不安な日々を送っていました。デビューした時は、駅前ではっぴをきてラジカセで歌ったこともあります。」

(4曲目)村下孝蔵「初恋」

 聖子さん「やっぱり村下さんはライブできくのがいいですね。」
 孝蔵さん「これキー高いんですよ。ちゃんと歌わないと声がひっくり返っちゃうんです。」
 聖子さん「売れる前の生活は?」
 孝蔵さん「4枚目のゆうこまではすごく苦しかったです、給料は、13万5千円、東京へ出てきた時は食費1500円でした。朝はマック、夜はお銚子の1本も飲みたかった。ゆうこが売れた時に3000円の領収書を出しても文句言われなくなってうれしかった。初恋が売れてからは手のひら返し。やっぱり売れなきゃと思いました。」

(5曲目)村下孝蔵「ゆうこ」→生歌です

 聖子さん「明日から4日間一緒にライブですねよろしくお願いします。今年のライブの予定は?」
 孝蔵さん「クラッシックの方とライブとか七夕コンサートをやります。今年は9月から大きなライブをやります、気を引き締めてがんばります!とにかく9月のアルパムに気合を入れます。」

(6曲目)「同窓会」

 この後、6月に突然村下さんはお亡くなりになってしまいました。御冥福をお祈りします。(Gan)


1999/2/13放送分 (第59回) 1999/2/20放送分 (第60回) ゲスト・山木康世さん

 聖子さん「明日はバレンタインデーですね。私は、年々執着がなくなっています。(笑) 今日は、もとふきのとうの山木さんをゲストに迎えてお送りします。」

 聖子さん「去年は、山田パンダさんとかと、ライブを企画させていただきました。」
 山木さん「こういう企画もの初めてでしたね。やっぱりフォーク倶楽部出身としては、こういうライブが良いですね。」
 聖子さん「本当に山木さんは自分のスタイルを貫いていますね。ギターとかもご自分で持って移動したりすごいです。」
 山木さん「自分としては当然の事なんでしょうね。ゴルフバッグを担いで朝早くから移動する人のに比べれば、楽ですし。」

 (1曲目)「白い冬」

 聖子さん「私が12歳の頃でした。私と一回り違うのですね(笑)」
 山木さん「この頃あったら、すごい違いを感じたでしょうね。」
 聖子さん「デビュー曲からふきのとうは、突っ走っちゃたんですね。」
 山木さん「いい時代でしたね。でも、僕はもっとフォークソングやりたかったんです。」
 聖子さん「ギターはいつから初めたんですか?」
 山木さん「加山雄三さんからですね。でも、初めはウクレレでした。本格的には大学に入ってからですね。細坪さんは、倶楽部の後輩だったんです。やってみて、ハモリとか良かったんでやってみようと思いました。」
 聖子さん「ふきのとう解散してから一人になる潔さが素敵です。」
 山木さん「30代後半から考えていましたが、独りになると人を雇うのが嫌だったんで、それとこのままずるずると引っ張ると50まで続いて老醜をさらすことになってしまうと思いました。」

 (2曲目)山木康世「おいでよ僕のベッドに」(生です)

 聖子さん「北海道は、部屋の中は暖かいですよね」
 山木さん「暑いくらいですね。」
 聖子さん「山木さんは北で生まれた環境から今の音楽があるんですよね。」
 山木さん「そうですね。私の音楽はやっぱり北のイメージが基盤になっているんでしょう。実家は札幌ですが、最近妙に都会になってしまって嫌ですね。でも、かと言って山の中で暮らすのはもっと嫌ですけど。東京の都会の雑踏でひとり孤独感を味わっていたい(笑)」

 (3曲目)山木康世「西日の中を」

 聖子さん「山木さんも、以前カーモニー出ていただいた事ありますよね。」
 山木さん「ナビゲーターは、倫典さんでした。彼とは十数年付き合っています。」
 聖子さん「今日は、ふきのとうメモリアルブックを持ってきました。あらためてステージの人であると感じました。」
 山木さん「この時代はこれしかなかったんです。(笑) みんな、ステージに飢えていたのかな?良い時代でした。(地方では)たいしたPAとか無かったんですけど、プロデビューしていたのでしっかり演奏しました。」

 (4曲目)「風来坊」

 聖子さん「風来坊の拍手は、打ち込みではないんですね。」
 山木さん「みんなで集まって録りました。音楽の影響力は、大きいです。作り手もしっかり作らなければいけませんね。」
 聖子さん「山木さんは、人のプロデュースとかはしないんですか?」
 山木さん「機会に恵まれないので。最近の音楽は、リズム先行で機械的な音楽が多いです。」
 聖子さん「沖縄は、熱狂的なふきのとうファンが多いですね。」
 山木さん「そうですね。日本の端って事もあるのでしょうか?暖かい人が多いですね。」

 (5曲目)「デイゴの花」(生です)

 聖子さん「山木さんの歌は、すごく詩が素敵です。」
 山木さん「毎日勉強していますよ。日常使う言葉とかではなく、普段から良い言葉とか言い回しを使いたいと思っています。」
 聖子さん「いくつになっても自分を追及していくって言うのはすばらしいです。」
 山木さん「昔は、若さっていう価値があり、今は(言葉の)深さでは負けません。」

 (6曲目)「思えば遠くへ来たもんだ」


1999/2/27放送分 (第61回) カーモニースクエア

 聖子さん「今日は先日のカーモニーコンサートの模様をお送りします。当日はなんと仙台市内でも雪が降りました。でも、中はとても暖かいライブになりました。」
 パンダさん「20数年ぶりにやってきました。仙台は本当に久しぶりです。まずはご当地ソング?苫小牧発仙台行きフェリーが出てきます。」

 (1曲目)「洛陽」 (2曲目)「好きだった人」 (3曲目)「うちのお父さん」 

−MC−
 「僕は、子供が大好きです。ここで、僕の好きな歌を歌います。」

 (4曲目)「約束」(パンダさんが歌う聖子さんの約束)

 聖子さん「ありがとうございます。」
 パンダさん「この曲が聖子ちゃんの曲で一番好きです。次はパンショーコンビでお送りします。」

 (5曲目)「加茂の流れに」(聖子さんハモッて、追っかけ) (6曲目)「妹」(聖子さん、コーラス、ハモリ)
 (7曲目)「なごり雪」(聖子さんハモリ) (8曲目)「僕の胸でおやすみ」(聖子さんハモリ、コーラス)

 聖子さん「昔私渥美清さんとパンシロンのCMに出ていたんですよ!」
 パンダさん「パンスト?(笑) 聖子ちゃんて芸暦長いね(笑)」

 (9曲目)「陽だまりの中で」


1999/3/6放送分 (第62回) 1999/3/13放送分 (第63回) ゲスト・イルカさん

 聖子さん「今日のお客様はイルカさんです。お久しぶりです。」
 イルカさん「本当に久しぶりですね。聖子ちゃんに番組呼んでもらえるの初めてね。りっぱな大人になってねぇ。」
 聖子さん「イルカさんも、先日おばあちゃんになったんですよね?」
 イルカさん「そうなの。おばあちゃんって呼ばれると急にふけたみたい(笑)」

 (1曲目)「なごり雪」

 聖子さん「今日早速おみやげ頂きました。ありがとうございます。小さな空のポストカードです。」
 イルカさん「本当は、陶芸とか絵を書くとかの道に進みたかったの。趣味で音楽が出来たらいいなぁと思っていました。」
 聖子さん「昔、プッシュピンってバンドで、外国の歌のコピーとか歌っていましたよね」
 イルカさん「よく知っていらっしゃる。さすが生き字引(笑)」
 聖子さん「その後、シュリークスでコーラスとかやっていましたよね。」
 イルカさん「さすが、詳しいですね。(笑) その後、イルカとしてソロでやっていくの初めは嫌だったんです。でも、今は快感に変わりました(笑)」

 (2曲目)「いつか冷たい雨が」

 聖子さん「この曲もともとタイトルが違ったんですよね」
 イルカさん「初めはタイトルが決まらなかったんですよ。色々あってこのタイトルになりました。」
 聖子さん「イルカオフィスから独立してから初めて大きさがわかりました。そうだ、今日はおみやげがあるんですよ!美瑛で買ったポテトチップス、美味しいんですよ!」
 イルカさん「うれしいじゃないですか。一日1枚ずつ(笑)」
 聖子さん「ところでイルカさんは、ライブ年何本くらいやっているのですか?」
 イルカさん「今は、60本くらいかな。なるべく皆さんのそばに行って歌いたいですね。そのためにしっかり体のケアもやっていますよ」

 (3曲目)「雨の物語」

 聖子さん「イルカさんデビューして何年目ですか?」
 イルカさん「今年で28年目かな?」
 聖子さん「イルカさんのお母さんはイルカさんに似ていますよね。(笑)ライブの楽屋に挨拶に行くとイルカさんは忙しそうなのでお母さんにご挨拶して戻ってしまいます。(笑)」
 イルカさん「同一人物ではありませんよ(笑)。父もバンドでサックス吹いていました。プップカプップップーって(笑)」

 (4曲目)「海岸通り」

 聖子さん「この歌のジャケット撮りの時に冬馬君が おなかの中にいたんですよね。」
 イルカさん「本当に良くご存知!さすが生き字引(笑) 小さい頃、家で、父とは音楽の話全くしなかったですね。」
 聖子さん「ところで、イルカさん旅行が趣味だそうですね。」
 イルカさん「旅行と言っても、年2ヶ月間いますから。1ヶ月はヨーロッパ、1ヶ月アジアです。目的は良くわからないですけどホームスティしています。あえて言えば自分を探す旅かな。」

 (5曲目)「Follow Me」

 聖子さん「この頃、私のラジオ番組に オフコースの小田さんとイルカさんはどんな関係なんですか?って質問が来ましたけどどんな関係だったのですか?」
 イルカさん「旦那の友達って関係(笑)でした。みんなで家にマージャンしに来た時につまみを作ってあげるとか・・。妻の鏡ですね(笑)。」
 聖子さん「ところで、最近、美川憲一さんとデュエットされているそうですね。」
 イルカさん「曲はもともと出来ていたんです。そして歌うときに、イメージが美川さんだったんでお手紙書いて、承諾してもらいました。」

 (6曲目)「地上の愛」


1999/3/20放送分 (第64回) 1999/3/27放送分 (第65回) ゲスト・上田正樹さん

 65回分のみ掲載します。(64回情報お待ちしています。)

 聖子さん「今週は、プライベートでどんな生活をしているのかなって教えて下さい。」
 上田さん「ほとんどその辺のおじさんと変わらないです。(笑)でも、週末その辺に飲みに行くと言うよりは、友達を家に呼んでホームパーティしてしまいます。」
 聖子さん「アメリカ的ですね。と言うか国籍が無い様な気がします。」
 上田さん「そうですね。私のバンドは、日本人だけって事はここ数年無いですし、譜面もありません。」

 (1曲目)「わがまま」

 聖子さん「いろんな方とセッションされていますよね。」
 上田さん「世界中のアーティストとやっています。もちろん日本でも。最近は、森進一さんとセッションしましたよ。」
 聖子さん「今の日本の音楽に思うところは?」
 上田さん「良い音楽が流行ってほしいですね。僕ではなくても(笑) 最近は、台北とソウルでライブやりました。ソウルはすごかったですよ、1曲目から総立ち!やっぱり大陸はスゴイです。」
 聖子さん「上田さんの前世ってなんだったんですか?」
 上田さん「友人が、「きみは、せみだ」って言ってましたよ。(笑) これからは、大人が楽しめるような曲が流行るといいですね。」

 (2曲目)「豊かなくらし」

 聖子さん「本当に音を楽しむって感じが出ていますね。」
 上田さん「最近は、少しは出来るようになったので、楽しんでやっています。(笑) 音楽って言うのは本当にパーソナルなものなのでファッションよりも選ぶのは難しいかもしれませんね。昔ニューヨークで、ロバート・デニーロがレストランに入ってきたんですけど、スゴイカッコ良かったですね。なんか、大人が遊んでいるように感じました。」

 (3曲目)「I wonna be a Stair」


1999/4/3放送分 (第66回) 1999/4/10放送分 (第67回) ゲスト・谷山浩子さん

 聖子さん「お元気ですか?」
 浩子さん「はい、花粉症です(笑) 目の周りとか、顔の周りがかぶれるのも花粉症の一種ですよ。」
 聖子さん「昔から変わりませんよね。」
 浩子さん「変わっていますよ(笑) たまに会っているから気付かないだけ?」
 聖子さん「曲もアルバムも多いですよね」
 浩子さん「私はもともとソングライター希望だったんです。初めて作ったのは小学生のとき「星の夜」です。覚えていますけど内緒です(笑)」

 (1曲目)「カントリーガール」

 聖子さん「この曲前ジョイントして頂いた時に歌ったんですが、仙台のファンの人からもう歌わないで下さいってお手紙頂いてショックでした。」
 浩子さん「聖子さんの声がこの曲にあっていると思いますので、ぜひ歌ってください。」
 聖子さん「今度曲書いてくださいよ。」
 浩子さん「はい、うれしいです。」
 聖子さん「いろんな人にも楽曲提供されていますよね。」
 浩子さん「はい、その人に合った曲になるように考えて書いています。自分に書くときは、他の誰も気に入ってもらえそうも無いけど、私好き!って曲も書きますよ。」

 (2曲目)「風になれ」

 聖子さん「一番新しいアルバムのタイトルが、「カイの迷宮」ですよね」
 浩子さん「アンデルセンの物語、雪の女王をテーマにして作りました。お芝居をやりたくなって去年それを出来るようになりました。その時にこのテーマがちょうどぴったりだったんです。」

 (3曲目)「カイの迷宮」

 聖子さん「今日は、音楽以外の事も聞いてみたいです。谷山さんPC通信よくやっていますよね?HPアクセススゴイです。」
 浩子さん「最近は、インターネットですね。アクセスカウンターは、あれだけの人が全部来ているわけではなくて同じ人が毎日来てくれたりしています。HPは、一昨年くらいから立ち上げました。やっぱり自分のHP作るほうが他人のHP巡るより楽しいです。」

 (4曲目)「河のほとりに」

 聖子さん「この曲、今に比べると声が暗いっていうか、ハスキーですね。」
 浩子さん「デビューしてから、喉が痛くて元気が無かったんです。毎日、うれしくなく、寂しい気持ちだったんです。」
 聖子さん「一度目のデビューは?」
 浩子さん「15歳のときに、アルバムだしました。 その後 ポプコンで「おはようございますの帽子屋さん」で入選して2度目のデビューしました。それで、「河のほとりに」で3回目です。(笑) 初めは人前に出るの嫌いだったんです。自分が歌手デビューして、ステージをやるのが苦痛でした。お客さんが、怒っているようにみえました。でも、ある時に吹っ切れて、それから楽しくなりました。初めからちゃんと出来ている、他の歌手の方より大分遠回りしましたね。(笑)」

 (5曲目)「てんぷらサンライズ」

 聖子さん「この曲が転機だったんですよね」
 浩子さん「はい、深夜ラジオで生だったんですけど、半オクターブ高い声で話していました。(笑)」
 聖子さん「もう一人の自分が目覚めたんですか?」
 浩子さん「誰でも、多重人格ではないですけど、激動の時代でしたね(笑)」
 
 (6曲目)「椅子」


1999/4/17放送分 (第70回) 1999/4/24放送分 (第71回) ゲスト・崎谷健次郎さん

 4/24放送分のみです。4/17の情報待ってます。

 聖子さん「お休みの時は何をしたいですか?」
 崎谷さん「海外旅行とか行ってみたいですね。まずは、食いしん坊なんで食からかな(笑)」
 聖子さん「好き嫌いはないんですが?」
 崎谷さん「くさやとドリアン以外は、何でも食べますね。」
 聖子さん「今まで行ったところで良かった所は何処ですか?」
 崎谷さん「ナポリかな。ナポリには、ナポリタンは無いんですよ(笑) ナポリタンは日本人の考えたものです。ピザが美味しいですよ。ちゃんと規格があって、一定の基準をパスしたものでないと地元では認められないんです。」

 (1曲目)「夏のポラロイド」

 聖子さん「いま行ってみたいところありますか?」
 崎谷さん「特に無いですけど、フランスにまだ行った事ないですね。」
 聖子さん「私は、一度パリに行ってエッフェル塔でお茶した時になかなかオーダーがこない事がありました。」
 崎谷さん「やっぱり、その国の言葉はある程度知っておく必要がありますね。私は、モネとか好きなんで、やっぱりフランスに行ってノルマンジー地方でその土地の美味しいものが食べたいですね。」

 (2曲目)「穏やかな愛があれば」

 聖子さん「曲が生まれるときってどんな時ですか?」
 崎谷さん「頭がすになっている時ですね。何も考えないでいる時かな。」
 聖子さん「最近はプロデュースにも力を入れているんですね。」
 崎谷さん「最近は力を入れています。次に聞いていただく歌も、アンナをプロデュースしたものです。」

 (3曲目)「ナオミの夢」


1999/5/15放送分 (第72回) 1999/5/22放送分 (第73回) ゲスト・鈴木康弘さん


 聖子さん「去年のカーモニースクエアーコンサート以来ですね。」
 鈴木さん「そうですね。最近は、曲作りに没頭しています。自分からアウトドアに行くタイプではないです。行けば行くんですけどね。」
 聖子さん「本当にやっさんは、まじめですよね。」
 鈴木さん「大学は、制御工学科でした。ロボットの手の部分を制御する研究とかやっていたのですが、学園紛争で1年間休校になりました。その時に、フォークソングブームだったので、目覚めてしまったのかな(笑) この頃小田さんとかとグループを作っていました。」

 (1曲目)「1億の夜を越えて」

 聖子さん「この頃、オフコース3人だったんですよね」
 鈴木さん「そうですね。小田さんと私と地主さんでした。その後2人になったり、3人になったりそのうち、杉田二郎さんのバックをやるようになったんです。」
 聖子さん「初めの頃のオフコースのMCはほとんど無いですよね。」
 鈴木さん「ほとんど、MC無しで歌ばっかり歌っていました。早くメンバー増やしてバンドでやりたかったですね。」

 (2曲目)「燃える心ある限り」

 聖子さん「なぜソロになったんですか?オフコース解散でしたっけ?」
 鈴木さん「いえ、オフコースは、私が抜けた後も5年くらい続いたと思います。出たのは、自分の音楽をやりたかったからかな。オフコース自体が小田さんのカラーが強くなったのもあります。でも、バンド組むよりもソロのほうが自分にはあっているような気がしました。その後、山本潤子さんと、吉川忠英さんとPPMのコピーバンドをやったりしています。」

 (3曲目)「孤独」


1999/5/29放送分 (第74回) 1999/6/5放送分 (第75回) 沢田聖子特集

聖子さん「今週でまる20年を迎えました。おめでとう、自分!今週来週は、私の20年の歩みを駆け足ですがお伝えします。」

 (1曲目)沢田聖子「風を感じて」

お便り 鬼首公民館 大沼さん「おーい、沢田聖子in鬼の蔵も今回で、8回目も迎えるぞ!鬼の蔵もリニューアルしたぞ、衣装のペイントも絵の具から資生堂に変えたぞ。」

 (2曲目)沢田聖子「シオン」 

 聖子さん「20年前の歌声今聴くと不思議な感じがしますね。でも、今のシオンも歌っていきたいですし、聴いていただきたいです。この頃は高校3年生でした。そして、その後短大に進学しましたが、この頃が一番忙しかったですね。次の曲を歌う頃に卒業したのですが、卒業出来るかどうか微妙だったので、アルバム「卒業」を出した本人が留年じゃしゃれにならないので卒業出来てよかったです。」

 (3曲目)沢田聖子「走ってください」

 聖子さん「この後、色々悩んで一度は、音楽活動を辞めようと思いました。イルカオフィスもやめて、海外移住を真剣に考えました。(笑)でも、趣味である音楽を続けようと思い、1988年にSMCを作って再開しました。次の曲は、この新しい出発の時に出した曲です。」 

 (4曲目)沢田聖子「ライフ」


1999/6/12放送分 (第76回) 1999/6/19放送分 (第77回) ゲスト・南こうせつさん

 聖子さん「今日から、オープニング曲が変わりました。もうすぐ、コンサートツアーが始まります。鬼首からスタートです、縄文音楽集団『鬼』との共演楽しみです。きょうは、南こうせつさんがゲストです。」

 こうせつさん「お久しぶりですね、変わらないですね、お互いに!」
 聖子さん「はい、変わりませんね。でも、デビュー当時はセーラー服着ていたんですよ、覚えていますか?」
 こうせつさん「えー、そうだっけ。また、着て下さい(笑)」
 聖子さん「はい、でも今着ると・・コスプレ?(笑)」

 (1曲目)「けれど生きている」

 聖子さん「山田パンダさんの由来は、こうせつさんがあるライブで、山田パンダ!って紹介したんですよね。かぐや姫復活って話はないですか?」
 こうせつさん「かぐや姫は、夢の中にしまっておきたいですね。いま、やって夢を壊したくない(笑)ですね。」
 聖子さん「沖縄に、かぐやひもってかぐや姫のコピーバンドがあるの知っていますか?南こっせつさん、にせ正三、山田らくださんです。」
 こうせつさん「山田パンツにしてほしい(笑) でも、うれしいですね。
飛行機は、苦手です。オーバーランの経験もありますし、怖かったですね。今は、こわごわ乗っています(笑)」


 (2曲目)「夢のかなたに」

 聖子さん「歌の中に年輪は刻まれていますけど、変わらずにいつも暖かい歌声ですね。」
 こうせつさん「ありがとう。一度も、聖子ちゃんとはデートしていませんね(笑) 餃子まではおごりますよ(笑)」
 聖子さん「じゃあ、私がラーメンとチャーハンを(笑) 今回のアルバム良いですね。」
 こうせつさん「オリジナル13曲、ボーナストラック1曲です。7曲も作詞したんですよ。」

 (3曲目)「夕暮れまで」

 聖子さん「私は、未だに桜草をみるとこうせつさんの歌「レクイエム」を思い出します。それと少年と海のMCも。」
 こうせつさん「いまの子供たちは、こう言うのないのかなぁ。大分も飛行機から見ると川とか汚くなっていますね。」
 聖子さん「一番下のお子さんは、5歳ですよね、次はいつですか?(笑)」
 こうせつさん「うーん(笑) でも、この環境が悪くなったのは、政治でもなくて大人たちの責任ですね。子供たちのために少しでも良い環境を残す事が大切です。」

 (4曲目)「妹」

 聖子さん「いつ聴いても涙が出ちゃいますね。ほんと音楽ってスゴイです。でも、今の音楽事情はどう思いますか?」
 こうせつさん「良い音楽は世代を超えて、本当そう思います。この間、オーストラリアの人に聞いたらやっぱり今の若いやつの聞く音楽はわからんって言ってましたので事情は同じですね。」
 聖子さん「今度のアルバムはどんなコンセプトなんですか?」
 こうせつさん「日常の感じた事を書いているのが多いですね。でも、勝った人よりも負けた人のために応援してやろうって言う方が多いかな。」

 (5曲目)「すいちょるよ」

 聖子さん「こうせつさんの歌って、凄く歌詞を噛締めて聴くものと、こういう肩の荷を降ろして聴けるものがありますね。(笑)それと、ビックイベントを実現させていますよね。サマーピクニックやりますよね?」
 こうせつさん「はい、8月8日に、福岡の港で行います。20世紀最後の年に、ちょうどオファがあったのでやる事にしました。」
 聖子さん「ゲストも色々と来られますよね、伊勢正三さんとか、山本潤子さん、松山千春さんも!」

 (6曲目)「夕暮れまで」


1999/6/26放送分 (第78回) 1999/7/3放送分 (第79回) ゲスト・鈴木聖美さん

 聖子さん「雨が降っている時に洗濯物干すの大変ではないですか?私は、初めて乾燥機を買いました。すごく便利ですよ」

 聖美さん「初めまして!パブのママさんに似ているって?」
 聖子さん「はい、新宿の霊感の強いママさんにそっくりです(笑) 声も低くてハスキーです。」
 聖美さん「この声のおかげで電話だと、父と間違えられました(笑) そう言えば乾燥機買ったって?」
 聖子さん「はい、すごく便利です。」
 聖美さん「うちは、電気製品に関しては、出たらすぐ買うのでとっくにありますよ(笑)」

 (1曲目)「Taxi」

 聖子さん「この歌、スタジオで録ったけどライブバージョン。一発取りですね。デビューの時は衝撃的でしたね。」
 聖美さん「弟のバンドは、私がデビューする前は、シャネルズ。デビューした時は、ラッツアンドスターでした。デビュー寸前で結婚を優先して一度やめました。それでも、離婚して私には歌があると思い再び挑戦しました。」

 (2曲目)「Good-Bye」

 聖子さん「旦那さんは年下ですよね?」
 聖美さん「友達には、年下なんて・・なんて言っていたけど(笑) でも、年下とは感じないですね。喧嘩もしませんし。あなたのところも上手くいっているんでしょ?」
 聖子さん「はい・・・。友達関係ですから(笑)」
 
 (3曲目)「ドレスのままで」

 聖子さん「この間、海を見たい病にかかって鎌倉まで行って来ました。自然と笑顔になってました。今日も鈴木聖美さんをゲストにお送りします。」
 聖美さん「はい、海の日が誕生日夏女です(笑)」
 聖子さん「聖美さん、ペット好きですよね」
 聖美さん「初めは、柴犬がどうしてもほしくって買ってもらいました。当時3000円で高価だったのですが無理して買ってくれました。その子が16年生きて最後は眠るように亡くなりました。いまは、デブのゴールデンリトリバーを飼っています。」

 (4曲目)「夜明けのスターライト」

 聖美さん「小さい頃に、私は長女だったので親にあまえる事はあまり出来ませんでした。なので、自分の子供にはあまえさせてあげたいです。でも、子供が小さい時仕事で行かなくてはいけない時があって、泣いてタクシーの後ろを追いかけてきた時は辛かったですね。」
 聖子さん「そうですね、情景が浮かぶようですね。」

 (5曲目)「Touch the World」

 聖子さん「この曲デュエットですが、まさに音を楽しんでいますよね。」
 聖美さん「初め彼は忘れていたようですけど。(笑) 彼がフェイクしたりしてきたので対抗しました(笑)」

 (6曲目)「小さな願い」


1999/7/10放送分 (第80回) 1999/7/17放送分 (第81回) ゲスト・稲川淳二さん

聖子さん「早く梅雨が明けて、海に行きたい、山に行きたいと思っている人も多いはずですが、今日は夏といえば定番の稲川淳二さんをお迎えしてお送りします。」

 怖い話・・。

 淳二さん「お世話になります、稲川淳二です。この話は、タブーなんです。これ以上話すとまずいんですよ。本当の話なんで・・。」
 聖子さん「今ここでは言えないんですね。気になりますけど・・。続きは淳二さんのライブでですね。稲川さんはいつごろからこのような体験をするようになったんですか?」
 淳二さん「完全に意識したのは20歳の時ですね。伊豆でつりに行って私だけ一人寝てしまったんですね。そして朝方に不思議な体験をしたんです。無理心中した人と一晩過ごしたんです。それから不思議な体験が始まりました。」
 聖子さん「その他にどんな事ありましたか?」
 淳二さん「そのあと、山中湖で幽霊をみました。結構幽霊って早いんですよ、しっかり足もあるし。」

 (1曲目)「ミッシェル」

 聖子さん「この間テレビみました」
 淳二さん「昔、細木さんに当てられた事があるんですね。それから、風船で空飛んだ事もありますよ(笑)」
 聖子さん「いろんな体験をテレビでやっていますね(笑)」
 淳二さん「この前、綱無しバンジージャンプやりました。すごく怖かったですよ!」
 聖子さん「えー!スゴイですね。」
 淳二さん「北海道では、パラグライダーやりました。まだ一般的に知られる前に、しかも操作方法知らずに・・。」

 (2曲目)「Girl」


1999/7/24放送分 (第82回) 1999/7/31放送分 (第83回) ゲスト・タラコさん

 聖子さん「ゲストはタラコさんです。今週は、プライベートの話も聞いてみたいと思います。タラコさんの家では、犬を飼っているんですよね」
 タラコさん「ももじって言う、ゴールデンリトリバーです。47キロありま〜す。ダイエット命令でていますが、やせません。しかも、ペット禁止のマンションなんですが内緒で飼っています(笑)」

 (1曲目)「海を抱く空」

 聖子さん「タラちゃんは昔から曲を作っていたんですよね、山崎ハコさんとかジョイントしていますね」
 タラコさん「山崎ハコさんと共演したんですよ。一升瓶抱いているイメージありますが、一滴も飲めないんですね。」
 聖子さん「タラちゃんは強いんですよね(笑)」
 タラコさん「聖子さんには、負けますよ(笑)」
 聖子さん「お友達とか多いですよね?」
 タラコさん「はい、色々いますけど、芸能界には少ないですね。六本木とかは飲みに行かないですもの(笑)」

 (2曲目)「Be Rush」

 聖子さん「人に提供している曲も多いですよね。やっぱり他の人に提供している曲は、自分の曲と違いますか?」
 タラコさん「はい、聖子さんもそうでしょうが、自分でなかなか言えない事もこの子なら言えるって感じで書きます。」
 聖子さん「秋にお芝居やりますよね?」
 タラコさん「まだ、台本1ページも書けていません(笑) 自分を追い込むんです、夏休みの終わりの宿題のように(笑)」

 (3曲目)「悲しいほどやさしくて」


1999/8/28放送分 (第87回) ゲスト・emikoさん

 聖子さん「今日が(emikoの)最後の出演になってしまいましたね。」
 emikoさん「そうですね。1ヶ月お世話になりました。」
 
 聖子さん「この間、和歌山の南紀白浜に行って来ました。知っていますか?」
 emikoさん「知りません何処にあるんですか?」
 聖子さん「・・・和歌山。emikoは、本当に人の話を聞いていないですね。」
 emikoさん「穴があったら入りたい(笑)」
 聖子さん「お仕事だったのですが、マグロの稚魚のお刺身とか美味しかったです。あと、マグロ解体ショーとかあって中落ちをスプーンで食べました。これも美味しかった。」

 (1曲目)「夏色」

 聖子さん「線香花火って良いですよね、最後の玉をなるべく長く持たせるのって大変ですよね」
 emikoさん「10束を重ねてやるのも楽しいですよ、すぐ落ちちゃいまけど(笑)」

 お便り「私の夏の思い出としては、蚊取り線香なんです。小さい頃、実家には蚊帳をつって寝ていました。若い方には蚊帳って言ってもわからないでしょうが、聖子さんは知っていますよね。そして、その周りには蚊取り線香をたいて寝るんです。朝になるとこのにおいが髪の毛についたりしてそのまま学校に行ったりしていました。」

 お便り「夏といえば、バーベキューとかして、みんなでわいわいやって夏の思い出を作っています。」

 (2曲目)沢田聖子「約束の場所」

 お便り「高校時代、珠算部に入っていました。全国大会が8月にあったので暑さ対策のため、閉め切ってストーブをたいて練習していた思い出があります。」
 
  聖子さん「そろばん暗算で出来る人は便利ですね。飲み会の時とか(笑) でも、暗算でやっている人の前で架空のそろばんをいたずらしたら計算できなくなって不思議に思いました。」

 お便り「やせたいと思い、スポーツクラブに行きました。一生懸命運動して1ヵ月後に体重計に乗ったらなんと体重が1キロも増えていました。インストラクターに尋ねたら、筋肉がついたと言われました。筋肉は脂肪よりも重いのだそうです。」

 emikoさん「良いじゃないですか、結果的にはナイスバディになったし(笑)」

 (3曲目)「いとしのエリー」

 聖子さん「emikoさん、1ヶ月ありがとうございました。今後の目標はありますか?」
 emikoさん「シングルCDを出したいです。まだ、顔がジャケットにのった事ないんです。ガンバリます。」


1999/9/4放送分 (第88回) 1999/9/11放送分 (第89回) 村下孝蔵さん特集

 聖子さん「村下幸蔵さんの特集を行っています。全国各地で行ったライブの色々なエピソードも一緒にお送りします。」

 聖子さん「6月に急にリハーサル中に倒れて、そのまま永眠されました。その時私はちょうどライブ中だったのです。ちょうど初めて村下さんと行ったカーモニーコンサートの時に撮った写真を今もって来ています。
 この業界の人は朝弱い人が多く、あまり食べない人が多いのですが、村下さんは、朝からエビフライとハンバーグを食べていました。その後、楽器屋さんを見て周りその場で借りて、ベンチャーズを弾いたりしていました。その時の村下さんは少年のようでした。」

 (1曲目)「この国に生まれてよかった」

 聖子さん「村下さんの魅力はたくさんあるのですが、人間性がそのまま曲に出ている事もと思います。そして、歌詞がとっても綺麗です。」

 (2曲目)「初恋」(同窓会バージョン) (3曲目)「素直」

 聖子さん「村下さんは、ベンチャーズと加山雄三さんが好きでした。この曲は、その雰囲気が出ていますね。」

 村下さんのファンのお便り「今年は、20周年でしたので大変残念でたまりません。私はこれからも村下さんの曲を聴いていきたいと思います。」

 村下さんのファンのお便り「私は、15年前初恋を聞いてからファンになりました。今まで村下さんの歌に勇気づけられました。」

 聖子さん「村下さんのおしゃべりも楽しくてジョイントの時は私は1ファンとして楽しんでいました。でも、私たちは曲として自分の軌跡を残せます。生の村下さんのライブをもう聞けないのは残念でたまりませんが、いつでも曲を聞けるのは幸せだと思います。」

 (4曲目)「引き算」


1999/9/18放送分 (第90回) ゲスト・小谷のぶ子さん

 聖子さん「だんだん涼しくなって来ています。私は、この時期切なくてしょうがありません。みなさんは、いかがでしょうか?」

 聖子さん「ラミューズ・ミューの紹介からしたいと思います。」
 のぶ子さん「今年の5月から、ラミューズ・ミューとして活動しています。その前は、ラミューズとしてやっていました。もともとがフランス語です。いま、ツアー中です。仙台は10/30です。」

 (1曲目)「Be Rush」

 聖子さん「SHOW-YAをほうふつとさせる感じですね。どういうきっかけでバンドをやろうとおもったの?」
 のぶ子さん「もともと、同じ事務所の仲間でみんな声優です。あるラジオドラマがきっかけで始めました。そのドラマの設定がバンドだったんです。」
 聖子さん「のぶ子さんは、何でこの世界に入ったのですか?」
 のぶ子さん「もともと、戸田恵子さんにあこがれてこの世界に入りました。」

 (2曲目)「Forest」

 聖子さん「この曲が入っているアルバムが5月に発売されたんですよね。」
 のぶ子さん「新生ラミューズ誕生と言うアルバムです。」
 聖子さん「アフレコって大変ですよね。」
 のぶ子さん「自分の中にこのキャラを入れなきゃいけないんです。結構これが大変ですね。」
 聖子さん「新しい場所でのライブは、お客さんの反応とかがわからないので大変ですし楽しいですね。」

 (2曲目)「Someday」


1999/9/25放送分 (第91回)



1999/10/2放送分 (第92回)



1999/10/9放送分 (第93回) ゲスト・谷山浩子さん



1999/10/16放送分 (第94回)



1999/10/23放送分 (第95回) ゲスト・八反アミカさん



1999/10/30放送分 (第96回)



1999/11/6放送分 (第97回)



1999/11/13放送分 (第98回)



1999/11/20放送分 (第99回)



1999/11/27放送分 (第100回)



1999/12/4放送分 (第101回)



1999/12/11放送分 (第102回)



1999/12/18放送分 (第103回)



1999/12/25放送分 (第104回)




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