4月30日(水)

 大変な天気である。雨風共に台風並みの荒れよう。10時から市民相談に出かける。天気が天気なので雨合羽を着て出かけた。社家地域の5人の皆様とさまざまな話をさせていただく。ひとつには側溝のふたが外せず、掃除ができないらしい。確かに簡単には外せるようなふたではない。早速行政から業者に委託して清掃してもらうことを約束する。
 二つ目は、昨夜NHKのテレビで森林環境税の問題を取り上げた番組が放映されたらしい。
 私はあいにく見ていなかったので詳しい内容はわからないが、おそらく高知県等が取り組んでいる内容ではないかと思う。もしそうであれば海老名市としてはどのような考えを持っているのか、早速調べて報告することにした。
 三つ目にはゴミの放棄の問題。下今泉〜門沢橋線沿いの用水路に弁当の容器や紙くず等がかなり捨てられている。日本人のマナーの悪さの一端を見る思いがする。車からのタバコの吸殻の投げ捨てや、犬のフンの後始末などなど、ごくごく一部の人だろうがまさしく末期症状に近い。
 私もタバコを吸うが、必ず携帯用灰皿を持ち歩いている。一人一人がたとえ小さいことでもいいからマナーを守ってくれれば、この日本ももっときれいな町並みが保てるだろうに!

4月29日(火)

 久しぶりに時間をもらって身辺整理を行なった。書類の整理だけでもかなり時間を要した。飼っている金魚やハムスターも、餌やりだけであとはほったらかしだった。大勝利に免じて許してもらいたいと思いながらきれいにした。
 市民相談が2件。1件は電話にて対応、もう1件は明日10時に訪問することになった。選挙期間中もいくつかの市民相談を受けたが、ほとんどが少子高齢化に関する内容であった。 すべて対応したが、中には時間を要するものもあった。特に待機児童と介護施設の充実がらみ。待機児童対策は、昨年度より3ヵ年計画で、計15万人の受け入れを目指しているがまだまだ途上である。
 待機児童という定義はいくつかあるが、例えば自分が住んでいる地域には子どもを預ける施設はあるが、共稼ぎのため勤め先の近くで預けたいけど空きがない。このような場合は待機児童とは言わないようなことを聞いたことがある。
 世の中大変な経済状況である。共稼ぎを余儀なくされるご家庭も多いはずだ。にもかかわらず、働きながら子育てが難しい。ますます少子化に拍車がかかる。よくない連鎖である。国はもっともっと施設の充実に国主導で取り組むべきである。そうすれば雇用の創出にもつながるのでは。私も組織政党の利点を生かして、県、国に進言していきたいと考えている。

4月28日(月)

 午前10時より松沢けんじ祝勝会を行なう。平日にもかかわらず大勢の皆様に集まっていただいた。海老名からも、期間中応援をいただいた皆様が多く駆けつけていただき、我がことのように喜んでいただいた。最後の最後まで感謝にたえない。
 新聞報道によると、地方選前半後半合わせて、全国で2121人の公明党候補者が全員当選させていただいた。これで国会議員も含む公明党議員は全国で3488名の陣容になった。これからは国政の場で、また地域で公明党の政策を全力で実現させなくてはならない。「生活与党」として、また責任ある立場として、まじめに働く人が報われる社会をめざして、公明党議員全員がしっかり連携を取りながら戦っていかなければならない。そのことが、全国でご支持をいただいた皆様に対する最低限の御礼だと確信する。
 公明党をご支持いただいた全国の皆様、大変にありがとうございました。
当選おめでとう。市議会議員松沢堅二の誕生

4月27日(日)

 きょうのこの日のために約4ヶ月間戦ってきた。すべてやりきった。あとは開票を待つだけ!
 支持者の皆様と事務所で待機。なかなか票が開かない。午後10時半、やっと400票が開いた。しかしほとんどの候補が横一線。11時30分の第2回目速報で当確が出るかどうか微妙なところである。と油断して開票速報のテレビから離れ、支持者の方と雑談をしていたら、向こうから大歓声が上がった。当確の瞬間である。不覚をとった。その瞬間を見逃した。11時5分のことであった。
 綾瀬市議会議員松澤堅二が誕生した。すべての疲れが吹っ飛んだ。新人ながら堂々5位での当選である。みんな泣いた。遊説隊も涙を流して泣いた。
 松澤議員には、投票用紙に「松沢けんじ」と書いていただいた1720人の皆様の期待にこたえるために、そして更なる綾瀬市政の発展のために、本日より全力で議員活動を開始してもらいたい。
 ご支持をいただいた皆様、大変に大変にありがとうございました。

4月20日(日)

 いよいよ綾瀬市議会選挙が告示になった。朝からあいにくの雨である。前回(99年)の綾瀬市議選もたいへんなどしゃ降りだったが、きょうはそれほどでもないのだが、届け出順が24番目で手続きに時間がかかり、遊説カーが帰って来たのは11時近くだった。10時から予定していた出陣式は1時間近く遅れてしまい、集まってくださった皆様にはたいへんご迷惑をおかけしてしまった。心よりお詫び申し上げます。
 式が始まり、冒頭で私が事務長あいさつ。日ごろの海老名駅前での街頭活動が役立ったのか、それほど緊張もせず400名近い方々の前で話をさせていただいた。
 問題は候補のあいさつ。なにせ普段使わないような言葉であいさつするのは大変な重圧である。こちらがドキドキした。しかし見事にやりきってくれた。小泉首相ではないが、感動した。
 きょうより、候補共々死に物狂いで戦っていく決意である。
出陣式で事務長としてあいさつ

4月16日(水)

 終日市役所にて、市民相談の対応をする。いろいろ複雑な問題があり、ご期待に添えないことを申し訳なく思う。
 夕方から綾瀬の松沢けんじ氏と、選挙期間中のお騒がせをご理解いただくために、事務所近隣のお宅を訪問した。やはり反応はさまざまである。しかし全体的には好意的なところが圧倒的であった。感謝感謝である。
 応援していただける方々のためにも、松沢けんじ氏には市民のため、地域のために、当選の暁にはぜひがんばってもらいたい。いやがんばれる人だと確信する。
 告示日まであと4日。この日のために、長い期間多くの方々にご苦労をおかけしてきた。その恩にお答えするためにも残された期間、事務長として全力で松沢けんじ氏を押し上げていきたい。

4月14日(月)

 統一地方選前半戦である知事・県会・政令市の開票結果が発表された。全国道府県会178名、政令市146名、合計324名のすべての候補が当選。支持者の皆様に心から感謝を申し上げます。
 大和の益田はやお候補や瀬谷のかのう重雄候補のように直接かかわった選挙区については、結果が気になり結局昨夜は12時頃までテレビに釘付けになった。
 次はいよいよ一般市町村の選挙だ。夜、綾瀬の松沢けんじ候補決起大会に参加した。松沢けんじ候補のあいさつもすばらしかった。終了後責任者の方々と打ち合わせを行なう。
 22時ごろ帰宅した。昨夜遅かったせいかとても眠い。早めに休むことにする。

4月11日(金)

 朝から、大和益田はやおの支持をいただいているところのあいさつ回り。明細地図を頼りに1軒1軒訪問するのだが、なかなかはかどらない。10時から出発し、夕方までかかってやっと終了。途中益田はやおの遊説カーと遭遇。助手席には、座間の同僚男性議員が同乗していた。労をねぎらい、再びあいさつ回り。
 明日は瀬谷区に呼ばれているため、実質きょうが最後の大和の支援になる。天気予報によると、投票日は快晴になるらしい。投票率は高くなるだろうか。
 ここにきて、このページをデイリーで更新するのが非常に困難になってきた。地方選終了まで飛び飛びになってしまうことをお許しください。

4月10日(木)

 午前中議員全員協議会。冒頭、4月1日付けで人事異動された部長級の職員の方々の紹介が助役からあった。新しい職場での活躍を期待したい。
 統一地方選前半戦の県会・政令市の投開票まで残り3日となった。苦戦を強いられ、当落線上の候補が死に物狂いで戦っている。なんとしても全員大勝利させていきたい。我々は大和の益田はやお候補の大勝利をなんとしても勝ち取らなければならない。
 泣いても笑っても後3日。大和にどっぷりつかるつもりである。

4月9日(水)

 朝8時から夕方6時まで、大和益田はやお候補の遊説カーに乗車。助手席から道行く方々に支援を訴えた。
 天気がよくて本当に助かった。昨日のような天気だとたいへんだった。このようなことを言うと昨日担当した方に大変申し訳ないのだが、でも正直な気持ちである。
 さすがに一日中乗っていると、体のあちこちが痛くなってくる。助手席から手を振る時のい姿勢はほぼ限られている。と言うことはずっと同じ姿勢ということである。明日の筋肉痛が不安だ。

 現在最も関心の高いイラク戦争。バグダッドが完全に制圧され、事実上フセイン政権は崩壊したらしい。しかしながらフセイン大統領本人はどこにいるか不明だし、最大の問題である大量破壊兵器がまったく確認されていない。イラク軍が自暴自棄になり、この大量破壊兵器を使うことなどないように祈りたい。

4月8日(火)

 きょうも嵐の一日。「春に3日の晴れ間なし」。正確ではないかもい知れないが、このような言葉を聞いたことがある。気温も三寒四温と言うのか寒かったり暖かかったりで、これでは体力の弱い人や、高齢者の方にはつらい季節かもしれない。くれぐれも体調には注意していただきたいと思う。
 きょうから新一年生が、登校班のお兄さんお姉さんたちと一緒に登校を始めた。始めての保護者の方たちにとってはとても不安だろう。自分の親意外の人と、しかも自分の足で学校まで行かなくてはならないのだから。特に門沢橋は渋滞が激しく、狭い路地にまで車が入り込んでくる。子ども達の登下校時の交通安全には充分な対策を望む。またどしどし提案していきたい。 

4月7日(月)

 午前中に小学校の入学式、午後からは中学校の入学式に参加した。去年は桜が早くて、入学式の時は散った後だったような記憶がある。それに比べ、今年はまさしく満開の中での入学式であった。天気も最高であった。きょう入学した児童・生徒の皆さんが、すばらしい学校生活を送れるよう、我々も側面から応援していきたいと思う。
 対峙するような話ではあるが、米英軍がイラクの首都に深く侵入したらしい。生々しい戦闘シーが繰り返し放映されていた。これ以上市民の犠牲者が出ないことを祈るが、独裁国家を維持するためにフセイン大統領は最後の最後まで投降などはしないだろう。となると戦争は長期化してしまうのだろうか。評論家も指摘するように、市街戦になると両軍兵士はもちろん、無抵抗の女性・子どもまでも犠牲になってしまうだろう。一刻も早い終戦と、イラクの平和と復興を願うばかりである。

4月6日(日)

 妻と2人で、大和の益田はやおの応援に。昨日とは正反対に、初夏を思わせるようなすばらしい天気だった。車の窓を閉め切っていると、汗ばんでくるほどだった。
 主に南林間をまわったが、やたらと一方通行が多い。そこを右に曲がればすぐなのだが、一方通行のためぐるりと遠回り。最後は妻に車に残ってもらい、歩いて回ることにした。
 結局30軒近く訪問し、圧倒的に留守が多くお会いできたのは数軒だった。サービス業にお勤めの方が多いため、土・日は会えないのが当たり前だろう。
 夕方から、近所の青健連の先輩宅で花見を兼ねたバーベキュー会に出席。有馬中学校の前校長、門沢橋小学校の前校長、現校長及び職員の方も出席くださった。私も少2の子どもを連れて行った。なかなか相手はしてやれなかったが、他の子ども達と一緒に遊んでいたようだ。ずるずる21:00頃までお世話になってしまった。たいへんにありがとうございました。楽しいひと時を過ごさせていただきました。

4月5日(土)

 嵐の一日だった。午後からPTAの新旧役員の顔合わせ会に選考委員として出席した。25日に総会を行なうが、例年だと前年度の会長が議長を勤めることになっているが、地方選投票日の2日前である。現会長に懇ろにお願いし、他の方に代わっていただくことにした。
 やっと本部役員選考委員の役目が実質終わった。やれやれである。しかし来年は私が選考委員長を務めなければならない。それが終われば、完全にPTAも卒業である。さびしい気もするが、やはり安堵感の方が大きいのだろう。
 夜、綾瀬の松沢けんじ候補の遊説原稿作成。新人である。実績等は皆無であるためなかなか難しかったが、抱負を前面に出し何とか作り終えた。早速松沢けんじ後援会の責任者の方にFAXし、後は後援会で精査していただくことにした。
 がんばれ!! 松沢けんじ候補

4月4日(金)

 いよいよ県議会と政令市の告示。朝から大和県会候補の益田はやお出陣式に参加した。平日ともあってさすがに参加者は少なめである。それでも遊説スタッフをはじめ、多くの支持者の皆さんが集まって下さった。ありがたい限りである。
 約40分の式を終え、益田はやおが元気一杯に遊説に出発するのを見届けてから、同僚の先輩議員と市役所の控え室で事務作業。明細地図を使っての作業であったが、この地図の文字が小さくて見えない。特に番地はこれ以上小さくしようがないくらい小さいのである。
 しかたなく、議会事務局に広報公聴課からルーペを借りてもらった。いよいよ遠視が進行してきた。以前から近くが見えづらかった。年齢的にも致し方ないのだろう。

4月3日(木)

 県議会告示を明日に控え、益田はやおの選挙事務所で打ち合わせを行なう。遅くまでスタッフが事務作業に取り組んでおられる姿を見ていると、いよいよの感がすると同時に、身の引き締まる緊張感を覚える。
 投票日は13日(日)であるが、実際には明日から不在者投票ができるのである。不在者投票といえば、ある自治体で開票作業の際この不在者投票の分を忘れていて、出直し選挙になってしまったところがあったようだ。

4月2日(水)

 議会事務局で、常任委員会の視察について意見交換。以前から1泊2日を提案してきたが、根強い2泊3日派の意見により、どうも2泊3日になりそうだ。視察内容は「中学校給食」「国分寺跡の整備」「少人数学級」である。海老名市の益になるよう、しっかり視察してこようと思う。
 ちなみに、聞いたところによると門沢橋小学校の新1年生は56〜7名で一クラス30人を切るらしい。黙ってても少人数になってしまう。ただ地域によって児童・生徒数が増えるところもある。少人数学級と言ってもなかなか難しい問題である。将来を考えると、今少人数学級と言うよりは、チームティーチングを充実させ来る小人数に備えたほうがいいような気がする。

4月1日(火)

 市役所内がざわついていた。人事異動で行く人来る人の荷物の運搬等でどうしてもざわついてしまうのは致し方ない。移動された方には、新しい部署でぜひともがんばってもらいたいと思う。
 午前中、巨人からニューヨークヤンキースに移籍した松井選手の開幕戦が中継されていたようだ。結果は4打数1安打1打点とのこと。なんでも第一打席でヒットを打ち打点をあげたとのこと。想像を絶するようなプレッシャーのなか、さすが日本を代表する打者である。
 環境も文化も違うアメリカでの選手生活スタートである。体調にはくれぐれも留意しながら、おおいに暴れまくってもらいたい。松井選手が大リーガーに挑戦したことにより、我々日本人にとってますますメジャーが身近になったような気がする。松井選手のみならず、メジャーに挑戦している日本人選手全員が、この一年活躍できるよう心より祈りたい。

3月31日(月)

 平成14年度最終日。明日から新年度である。気持ちも新たに平成15年度の海老名市政に取組まなければ。
 いよいよ桜も満開に近くなってきた。1年の中でも最も生命の息吹を感じる季節である。この写真は、通りすがりの桜の木を撮影したもの。空が明るいため桜の見事さがわかりづらいのだが、実際にはそれはそれはすばらしい咲きっぷりであった。早速パソコンの壁紙に使わせていただいた。
まさに満開の桜 

3月30日(日)

 先日、全国の公示地価が発表された。住宅地はもちろん、商業地では隣の厚木市や大和市が大幅な落ち込みをしているようだ。反面我が海老名市は、中央1丁目の標準点が昨年に続き下落しなかった。下落しなかったのは神奈川県内で唯一海老名市の駅前だけである。これは昨年4月にオープンしたビナ・ウォークの恩恵である。当初、年間の来場者数を1700万人と予想していたが、昨年の12月に1700万人を突破し、最終的には2300万人程度になるのではと言われている。たいへんな人数である。この賑わいがいつまでも続くように、我々もソフト面でしっかり訴えていきたい。
 全国的に見ると、地価が下がるいわゆる資産デフレはたいへんなものである。一説には今回の下落で1000兆円の損失と言われている。そうなると、銀行等の担保割れで新たな担保を要求されかねない。国にはしっかりした対応をお願いしたいものである。

3月29日(土)

 来る4月7日の門沢橋小学校の入学式を気持ちよく迎えてもらおうと、青健連で学校内外の除草作業を行なった。校長先生も来て下さった。校長先生いわく「地域の皆さんが学校のためにいろいろやって下さっているのには本当に感謝します。このような活動には、校長である私はもちろんのこと、職員にも参加を呼びかけます」。
 終了後、自治会館で花見を兼ねたバーベキュー大会。もちろん会費制で。久しぶりに地域の人たちとじっくり話しができた。いつも声をかけてもらっているのだが、なかなか都合がつかず断ってばかりだったが、たまには付き合わないとそのうち声もかからなくなってしまいそうだ。

3月28日(金)

 定例の海老名駅前の街頭演説。きょうもイラク問題について訴えた。
 いよいよきょうからプロ野球が始まった。野球ファンの人にとっては待ちに待った季節である。私も「熱狂的」ではないがテレビ観戦する。息子がベイスターズファンということもあって、何となくベイスターズを応援している。
 昨年は「ヤクルトvsベイスターズ」戦を神宮まで息子と一緒に行ってきた。行ってびっくり!神宮球場外野席はタバコが吸えるのだ。愛煙家の私にはありがたい限りだが、吸わない人にとっては迷惑極まりないことだろう。なんでも今年からすべて禁煙になるような話を聞いた気がするが、はたしてどうなったのだろう。
 今年は横浜スタジアムに息子を連れて行くつもりである。

3月27日(木)

 3月度定例会最終日。平成15年度の各予算に対しての討論で、公明党海老名市議団を代表して登壇した。もちろん賛成の立場からである。
 イラク問題の件や介護保険事業のあり方を主張した際、ある会派の議員から野次が飛んできた。その会派の主張を真っ向から否定したのだから当たり前なのかも知れない。
 きょうで会期30日の3月度定例会が閉会した。2月26日から始まった今定例会。あのころはまだまだ寒かった。日暮れも早かった。きょうは今年初めて気温が20℃を超えたらしい。日暮れも長くなった。何となく季節の移り変わりを実感できないまま、と言うよりは実感する余裕がないまま時が過ぎていく。まだまだ議員3年目だ。そんな余裕があるはずがない。余裕があるぐらいだったら、もっと勉強しなければ!!
15年度予算に対する討論で登壇

3月26日(水)

 海老名市の職員人事が発表された。役職定年も含めかなりの大型人事だ。中には議員1年生の頃、懇切丁寧に説明をしていただいた、またいろいろなことを教えていただいた人が多く勇退される。さびしい限りである。
 この時期、さまざまな機関、団体の新旧後退の季節である。意外と暦でなく、各種総会の案内状をいただくことによって年度代わりを実感できているのかもしれない。そしていよいよ桜も北上してして来た。平成15年度の始まりを実感させる。その平成15年度の最も最重点課題は、統一地方選に大勝利することだ。全国、なかんずく神奈川の全候補が見事当選できるよう、我々統一外議員も全力で支援活動に取組んでいる。
 その結果が出るまで、1ヶ月を切った。

3月25日(火)

 明日は党の所要で一日中時間をとられそうだ。必然的にきょう中に「予算に対する討論」を完成させなければ、あさっての本会議に間に合わない。と言うことで、きょうは自宅にて原稿の作成と精査に没頭する。

3月24日(月)

 終日市役所控え室にて、本会議最終日に行なう平成15年度当初予算に対する討論の原稿作り。なかなか進まず、3分の1程度がやっと終わった。本番まで中2日しかない。ペースを上げなければ。
 話は変わって、大磯町では議会が大変なことになっているらしい。平成15年度の一般会計予算案と4特別会計予算案が賛成少数で否決されたというのだ。反対理由は特別職の期末手当や市民団体への補助金等の取り扱いについて意見が合わないらしい。
 町村で一般会計予算案が否決された例はいくつかあるらしいが、特別会計予算案まで否決されたのは全国の町村でも異例のようだ。新聞報道によるとさまざまないきさつがあるらしいが、このままいくと義務的経費しか執行されないため町民の生活に多大な影響を及ぼすことになってしまう。反対派は速やかに対案を出すなどの処置をとり、主役である町民の皆さんに混乱を与えないよう善処すべきではないだろうか。いろいろな事情があるだろうから、どっちがいい、どっちが悪いをいうつもりは毛頭ないが、やはり主役は町民である。

3月23日(日)

 門沢橋小学校創立30周年実行委員会の打ち上げ総会に参加した。昨年10月に記念総会を行ない、その後最後の事業として、卒業生に校歌のレリーフ作りをお願いしてあったが、そのレリーフが先週の卒業式前に完成していた。
 関係者約20人程度で会計報告等を行ない、最後に校歌レリーフの下で記念撮影をしすべての行事が終了。まぁーいろいろあったが、終わりよければすべてよし。
 夜は小田原の親戚のおじさんと「選挙」・「小田原のまちづくり」で話しが盛り上がる。

3月22日(土)

 午後3時から、海老名駅前の自由通路で同僚議員3人で街頭演説を行なう。きょうは主にイラク問題について訴えた。終了後若い青年が私の所に話しかけてきた。どこかでじっと聞いてもらっていたらしい。彼いわく、「たとえ連立を離脱してでも、公明党は戦争反対を訴えるべきだった」。連立離脱は別として、「絶対戦争はいけない」と言う彼の意見はまったくそのとうりである。そのために、公明党神崎代表は渡米し国連アナン事務総長や米国パウエル国務長官に、平和的に解決するよう直談判を行なった。また浜四津代表代行はイラク周辺国に赴き、万万が一開戦した際、難民に対し最大限の支援を行なうことを政府に徹底して訴えることを約した。しかし残念ながら武力行使にいたった。
 一日でも早く終結し、復興を果たしてもらいたい。
 夜は公明党北側政調会長を招いて、大和の生涯学習センターで時局講演会。益田はやおもますます元気である。苦戦を強いられているのは変わりはないが、なんとか勝ち抜かなければ!!

3月21日(金)

 春分の日。きょうから3連休である。多くの人が行楽に出かけられることだろう。全国いたる所で渋滞が予想される。くれぐれも交通事故には注意してもらいたいものだ。
 イラク戦争の報道が毎日のようにテレビ・新聞等で繰り返し行なわれている。そもそも今回の戦争の原因はどこにあるのか?
 1990年、イラクはクウェートに侵略し翌91年湾岸戦争が始まった。もちろん国連議決を得てである。そして湾岸戦争停戦の条件として、イラクが所有する大量破壊兵器の完全破棄がうたわれた。しかしその後破棄が一向に進まない。以来17もの国連議決に違反し、国連視察委員会に対しての視察拒否や妨害等を行なってきた。12年間にわたってである。
 12年前の湾岸戦争のとき、自国民を大量に発電所に集めさせ攻撃を阻止しようとした、つまり「人間の盾」を実行したのは誰だったのか?
 化学兵器で少数民族クルド人を数千人殺害したのは誰だったのか?国連視察委員会のこれまでの視察結果でも、大量破壊兵器を所有している可能性が非常に高いとしている。そのひとつが炭疽菌という生物兵器である。スプーン1杯で200万人の殺傷能力があるとされている。この炭疽菌を1万リットル保有している疑惑がある。もし事実であればまさしく世界を標的にできる規模である。そしてこのような武器がテロやテロ支援国家に渡ったら、感情的に戦争反対と唱えていられない。もちろんこれは推測の域を出ない話である。だからこそイラクには大量破壊兵器を所有していないことを明確に証明してもらいたい。
 ともあれ、武力行使が始まったのは残念であり悲しい事実である。

3月20日(木)

 午前中、PTA本部役員選考委員会。門沢橋小学校会議室をお借りして開催した。平日の忙しい中選考委員の皆さんに集まっていただき、これまでの経緯と結果を委員長から報告させてもらった。皆さんに快諾をいただいた。と言っても正式に決定したのではなく、来月のPTA総会の席上、PTA会員の承認をいただかなくてはならない。とにかくこれで体制は作ることができた。後は承認をいただくだけである。
 午後から市役所控え室において、15年度予算について財政課職員の方から詳細を聞く。最終日の本会議で、公明党を代表して15年度の予算に対する討論を行なうことになっている。
 不況下での予算組みである。緊縮財政ほもはや恒常的になっており、職員の苦労は大変なのもであろう。我々も心して取り組まなければ!

3月19日(水)

 門沢橋小学校卒業証書授与式に出席。昨年まではPTA役員として出席していたが、今年は市議会議員として出席させてもらった。
 卒業式といえば、主役の卒業生は入退場を除きほとんど保護者に背を向けている。お父さんたちはビデオやカメラを構えているのだが、なかなかシャッターチャンスがない。そのようなことを配慮してのことかどうかはわからないが、終了直前卒業生が自席から舞台に移り、全員が見えるように並んだ。つまりお父さん、お母さんに向き合ったのである。初めて見た。 そしてそのお父さん、お母さんにお礼の言葉を語っていた。何人もの女の子が泣いている。男の子も泣いている。声を震わせてお礼を言っている。
 不確実な時代と言われているが、君たちの、あなたたちのために未来があることは確かである。大きく羽ばたいてほしい。さようなら、62名の門小卒業生たち。

3月18日(火)

 所属の文教社会常任委員会に出席。9時から始まり、すべて終わったのが午後5時ごろ。途中の休憩でブッシュ大統領が、イラクに対し実質的な宣戦布告を表明したことを知った。武力行使に至った事は非常に残念であり遺憾なことである。
 折りから教育委員会の審議中でもあったため、急きょ教育長に今回のイラク戦争が子どもたちに与える影響について考えを聞いた。
 12年前の湾岸戦争の時は、米国の攻撃シーンがまるでテレビゲームの画面のように映し出されていたのを覚えている。先日卒業した中学3年生たちは当時2〜3歳。湾岸戦争の戦闘シーンをリアルタイムでは覚えていない。つまりはじめてリアルタイムで経験する国際的な戦争である。きょうからしばらくは戦争報道が映し出されることだろう。子ども達が、テレビゲームの延長で見ることのないよう、自分の子どもにも知っている範囲で語っていこう。

3月17日(月)

 終日、市役所控え室にて明日の予算委員会の対応を行なう。2所管と打ち合わせ。文教社会常任委員会では副委員長をさせていただいている。委員会での質問は、副委員長は一番最後にするのが慣例になっている。と言うことは、自分が質問したい項目を他の委員が質問した場合予定が狂ってくる。同じ質問を繰り返すもの非効率的である。
 明日はハードで長丁場の委員会になる。きょうは早めに休もう。

 

3月16日(日)

 意義ある3,16.
 きょうは瀬谷区、目黒区のメンバーと、かのう重雄支持拡大の活動をさせていただいた。しかし瀬谷区は道が狭い。一歩奥に入るといたるところ車1台がやっとである。家が張り付いている以上拡幅は無理なのだろう。
 午後4時ごろ瀬谷駅でお礼を申し上げつつお二人と別れる。海老名駅に降り立つとなんと外は雨。仕方なくコンビニでビニール傘を購入し帰路につく。夜は綾瀬松沢けんじ氏の選挙公報原稿作り。大体出来上がったので、あとは地元のメンバーで精査してもらうことにする。
 話しは変わり、昼間あるところから携帯電話にメールが何通か届いた。発信元は知らないところではない。こちらのメールアドレスを知っていてもおかしくはないところである。とは言っても、何ともデリカシーのかけらも感じさせない配信である。指摘する気にすらならないでいたら、案の定謝罪のメールが届いた。
 人の振り見て我が‥! 気をつけよう。

3月15日(土)

 午前中2件の市民相談に対応しつつ、午後から綾瀬市議会選挙の事前説明会に参加した。いよいよの感がある。当日は定数24に対し、28陣営が来たらしい。前回が27陣営だからほぼ同じような状況である。新人が11〜2名。そのうちの一人が松沢けんじ氏である。
 松沢けんじ氏は宮崎県出身で、高校卒業後昼間働きながら二部の大学を卒業した苦労人である。今回の立候補を決意すると同時に、長年勤めた会社も退職した。何がなんでも綾瀬市議会に送り、これまでの経験を生かして綾瀬市政に新風を送ってもらいたい。
 終了後、自宅にて松沢けんじ氏の選挙公報用原稿を作成する。とは言ってもたたき台であるが。作成するに当たり、自分の選挙公報を引っ張り出して参考にしたが、何とも懐かしい限りである。まだ3年ほどしかたっていないのだが。

3月14日(金)

 一般質問2日目。自分が登壇しない日は時間が長い。椅子にすわっているのも苦痛になってくる。まったく勝手な話しである。15人の質問が終わり、委員会付託されていた平成14年度補正予算の採決を行なう。賛成多数で可決された。
 夜、青健連門沢橋支部の運営委員会に参加。19:30からだったが、やはり平日ともあって、男性陣は支部長を含め3名だけだった。それもそうだろう。この不況下どの企業も、また自営のところも生き残りをかけて必死の思いでがんばっているのだから。
 終了後近くの居酒屋で一杯誘われたが、顔だけ出して早々に失礼させていただいた。一般質問で、なんだか疲れた。

3月13日(木)

 9時から一般質問。3番目に登壇した。全員で7名の議員が質問を行なったが、聞いていてとても参考になることが多い。各議員、この日のために懸命に調査・研究をやってきているのだから当然と言えば当然か。しかし中には‥???と思うような内容のものもある。まあ、人のことは言えないのだが。
 夜、自分の所属する地区の座談会に。途中で綾瀬の松沢けんじ氏(綾瀬市議会立候補予定者)が挨拶に来る。まったく知らなかった。松沢けんじの事務長なのに、恥ずかしい限りであるが、今は瀬谷区のかのう重雄の応援が中心だから仕方ないか。とは言っても、議会対応でなかなか瀬谷区にも入れない。
 告示まであと22日。全力でがんばろう。

3月12日(水)

 市民相談3件に対応しながら、きょうは終日一般質問と予算委員会の打ち合わせを市役所控え室で行なう。いよいよ明日が一般質問である。3年半やってきたが、最初のころほどではないにしてもやはり今でも緊張してしまう。ほどよい緊張である。この緊張感はいつまでも持ち続けたいと思う。
 夜2件の市民相談。その後一般質問の原稿を精査し、早めに休む。

3月11日(火)

 有馬中学校の卒業証書授与式に参加した。毎年参加しているが、体育館は非常に寒い。阪神淡路大震災の教訓で、避難場所の暖房対策としてジェットファンが導入されているがそれでも寒い。しかしきょうは比較的温かく感じた。小学校と違い、中学校は生徒数が多いので2時間近くかかる。寒いと非常につらいが、きょうは助かった。
 昨年9月、杉久保にお住まいの知り合いが中3の息子さんを病気で亡くされた。葬儀に駆けつけたが、まともにご両親の顔を見れなかった。お気持ちは察して余るものがあった。生存であれば、きょう卒業だった。卒業生入場の際、先頭に遺影を抱いた級友がいた。そして一番最初に、校長から亡君に卒業証書が授与された。涙をこらえるのが大変だった。
 7年前、自宅前で私は長男を交通事故で亡くした。まだ8歳だった。生きていればいま高校1年生になる。昨年の卒業証書授与式で、「生きていればここにいるんだなー」と思いながら、複雑な気持ちで参加したのを今でもはっきり覚えている。
 終了後、亡くした長男がお世話になった、当時の加藤門沢橋小校長と久しぶりにお話しをさせていただいた。昨年から教育委員会教育委員になられたが、お会いする機会がなかった。お元気そうであった。
 午後からは、職員に平成15年度予算案の説明をしてもらい、今後の委員会に備える。

3月10日(月)

 所属する文教社会常任委員会の会議。相変わらず、無責任な「免除や減免」を声高に唱える会派。しかも質問内容も、だらだら15分も20分も話し続けるあたりは、もう聞く気にもならない。質問趣旨を的確に、端的にまとめる力がないのだろうか?
 終了後常任委員会の視察について話し合う。私の方から「1泊2日」を提案。これまではどうも日程ありきで、先に2泊3日を決め、その後視察箇所を決めていたように思う。やはり視察箇所ありきで日程を決めるべきだろう。しかも、現在市役所は行政改革を断行中である。我々議員も「やれやれ」だけではなく、自らもできるところは取組むべきである。2泊3日を1泊2日にしたからといって視察費が半分になるわけではないが、少しでも経費が安くすむのであれば積極的にトライすべきではないだろうか。

3月9日(日)

 中学生の息子はソフトテニスの部活をやっている。きょうは公式戦デビュー。2時間ほど観戦に行った。結果は善戦したものの残念ながら一回戦で敗退。トーナメント戦のためその後は試合なし。家にもどってから、妻と瀬谷区のかのう重雄議員の応援に!日曜日のせいもあって留守が多かった。
 大和市の妻の知り合い宅に寄って、帰宅したのが5時ごろ。夜、数ヶ月ぶりに家族でファミリーレストランに出かけた。本当に久しぶりだった。息子に試合の感想を聞きながら楽しい食事をした。
 明日から連日の議会だ。きょうは早めに休むことにする。とはいっても、今11時半。

3月8日(土)

 昨日はイラク問題を取り上げさせていただいた。きょうは北朝鮮問題を考えてみたい。昨年9月、小泉首相が北朝鮮を訪れて以来、マスコミでこの問題が取り上げられない日はない。それもそうだろう。この国のためにどれだけの人々が悲しい思いをしただろうか。それはもはやとりかえしのつかない出来事だ。
 拉致問題では、100人とも150人とも言われる被害者が取りざたされているが、現在では確証がないため何とも言えない状況にあるので明言は避けたい。
 しかし帰国事業は厳たる事実である。「地上の楽園」をうたい文句に、この事業を先導したのは他でもない日本共産党である。当時の共産党機関紙にもその記事はしっかり記載されている。「地上の楽園」どころか「凍てつく死の国」に在日朝鮮人を黙々と送り続けたのである。
 今、いわゆる脱北者が語る北朝鮮の現状は悲惨なものだったらしい。「子どもをただで大学まで行かせることができる」「病院の治療費もいらない」「日本との自由往来もできる」などまったくの架空の話しで、実際には現在報道されているとおりである。
 この帰国事業を推進したのは、日本共産党と二人三脚で取組んだ当時の日朝協会(後の朝鮮総連)である。この日朝協会は1955年に日本人団体に改組されたが、日本共産党党員を理事長にする共産党色の色濃い組織であった。
 その日本共産党はなぜ「今後対応を考える」などと訳のわからない言い訳をしながら、北朝鮮帰国事業問題を先送りし続けるのか?もっとも何も言えないだろう。気をつけなければならないのは、その時々の耳ざわりのいいことだけを大げさに言い、その責任をまったく持とうとしないしないことである。その典型が北朝鮮問題である。

3月7日(金)

 昨夜やっと来年度の門沢橋小のPTA本部役員が決定した。いろいろあったがなんとか体制が整った。今年は選考委員会の副委員長だったが、来年は私が委員長である。スムーズに決まってもらいたいものだ。
 ところでイラク問題が緊迫度を増している。さまざまな団体が、武力行使を反対して抗議活動を行なっている。もちろん戦争の悲惨さを最も知るのは我が国日本だろう。なぜなら唯一核被爆国なのだ。毎年8月になると、広島・長崎の式典がマスコミで取り上げられる。
 以前「もう50年以上も前のことだから」と、ことさら大げさに扱う必要はないようなことを言った人がいた。原爆に限らず、過去の大戦で家族や肉親を失った人にとっては、おそらく死ぬまで忘れることのできないことなのではないだろうか。
 いったん戦争が始まると、その犠牲者の数は想像もつかないし、最弱者は子どもである。  親より子どもが先に逝く悲惨さは、私も経験者として充分認識している。その意味でも戦争はこの地球上からなくさなければならない。
 イラク問題、公明党神崎代表は今月4日から訪米し、国連や米国首脳に直談判を行なっている。折からの統一地方選。各政党は選挙戦で血眼になっている。公明党も全力で戦っているが、はたして党勢をかけたこの非常事態のときに、イラク問題を平和的に解決させるために、党首を直談判に派遣させる政党が他にあるのか?政府の対応を批判するだけで、自らは何にもやろうとせず、世論を意識して耳ざわりのいいことだけを言っている野党は、もはやフットワークの軽ささえも失った。国会等での野党のイラク問題議論は、はたしてどこまで真剣にやっているのか、行動で示してもらいたいものだ。

3月6日(木)

 3件の市民相談に対応しつつ、きょうは1日かけて一般質問の原稿をほぼ作り上げた。毎回のことだが、期日が迫らないと腰が上がらない。明日(金)には議会事務局に提出しなければならない。
 議員になりたてのころ、「なぜ事前に原稿を提出しなければならないのだろう」と思っていた。つまりこちらの手の内を見せてしまうからだ。しかし考えてみれば、こちらの質問に答弁する理事者側もすべてを掌握しているとは限らない。そうなるとぶっつけ本番で質問しても明快な答弁が難しくなる。その意味で原稿の提出となっているみたいだ。
 とにかく我々としては、原稿を提出しようがしまいが、市民要望を提案し実現できれば目的は達する。

3月4日(火)

 プリンターが故障してしまった。真ん中に黒い太い線が印刷されてしまう。写真印刷もムラや縦線が入ってしまう。インクジェット式では初期型で、型おくれの物を4〜5年前に2万円弱で購入した。よくがんばってくれた。折りから一般質問の原稿作成や予算に対する討論の原稿を作成中である。この際新品のプリンターを購入することにし、市内の家電量販店に。安価でデジカメの写真も比較的きれいに印刷できるものを購入した。これまでのプリンターと殆ど価格がかわらないのに性能は格段に向上しているのには、いまさらながら驚かされる。4〜5年したらこのプリンターも年代物の、機能の貧弱な機種として見られてしまうのだろうか。

3月3日(月)

 本会議2日目。「サラリーマン本人の医療費3割負担反対」の意見書に対し反対討論を行なう。
 中小企業サラリーマンの人が加入する政府管掌健保はもはや破綻寸前である。また大企業サラリーマンが加入する健保も全国1700余りある組合の8割近くが赤字決算である。特に政府管掌健保は最も深刻で、破綻した場合健保からの支払いができなくなり、大混乱になってしまう。もしここで負担増を見送れば、さらに大きな負担増となって国民に跳ね返ってくるのである。
 我々は、サラリーマン以外の、つまりサラリーマンの家族や自営業者、国民健康保険に加入の地域の皆さんがすでに払っている医療費
の3割負担をサラリーマンの皆さんにもお願いし、全員が平等に7割の医療給付と3割の自己負担をし、医療保険財政を安定させようとしているのである。
 特に与党には手厳しい最近のマスコミの論調を紹介する。


 
「健保や国保などの厳しい財政見通しを考えると、3割負担はやむを得ない。首相は予定通り実施すべきである」「厚生労働省によると、3割負担を実施すると、中小企業が加入する政府管掌健保の財政はとりあえず維持できるが、それも数年間に過ぎない。この小康期間を利用して抜本改革を実現させるべきだ」朝日新聞2月17日付社説

「負担増は誰しも嫌だ。政治もその国民感情におもねり避けられない痛みを先送りし続ける。いつまでもいつまでこのようなやり方を繰り返すのか」「負担増の凍結や反対を唱えればすむ問題ではないのだ。凍結は先行き不安を強めるだけだ」毎日新聞2月8日付社説

「議論の蒸し返しは、問題の先送りと同じだ。医療保険財政の危機的な状況を考えれば、引き上げ反対を唱えるだけで済まないことは、分かり切っているはずだ」「政府管掌健康保険は、引き上げを凍結した場合、大幅赤字となり、制度運営は難しい。世界に誇る国民皆保険制度を維持するには、負担の分かち合いとともに、医療の抜本改革が欠かせない」読売新聞2月18日付社説

 野党は引き上げ凍結法案を提出したが、目先の負担を回避するより、抜本改革を急ぎ、医療制度の効率化を徹底すべきだ」「診療報酬のマイナス改定や高齢者の患者負担増に伴い、医療費が減少しているのも事実だが、凍結すれば後で赤字が増える。小手先の甘い幻想をふりまくより、改革を断行して医療制度を安定させることが政治と行政の責任だ」産経新聞」2月16日付社説


3月2日(日)  

 午前中3件の市民相談を受ける。1件は訪問し2件は電話対応。非常に重たい相談であるが、何とか解決に向けて相談者の方と一緒に取り組んでいきたい。
 午後からは大和駅ロータリーで、浜四津公明党代表代行を迎えて、大和市選出の益田はやお県議会議員の街頭演説会へ。
 1000人近い支持者の皆様に参加していただいた。好天とはいえ日陰は寒かったが、長時間にわたり最後までご清聴をいただいた。心から感謝感謝である。
 夜はPTA選考委員会の打ち合わせ。明日の夜活動することを約し、きょうはお開き。

 
大和駅前での街頭。中央は浜四津代表代行

3月1日(土)

 きょうから3月。寒さもだんだん和らいできたきょうこの頃である。その代わりに花粉症の方には非常につらい季節になってきた。花粉症やアレルギー性皮膚炎、アトピー性皮膚炎などアレルギー性疾患はもはや国民病といえる。そして困ったことにその原因が解明されていないために特効薬もないのが現状である。そこで私たち公明党は支持者の皆様のご協力を得て署名活動を行ない厚生労働省に訴えた。
 その結果一昨年より、近くは相模原国立病院やいくつかの国立病院で、原因究明のプロジェクトが立ち上がった。これまでは民間の病院等で研究が地道に行なわれてきたが、民間の努力だけでは限界がある。そこで我々の署名活動を重視した厚生労働省は、国の責任において原因究明と治療方法の研究に着手した。
 これからも生活与党として、常に庶民の目線で政治に取り組んでいくことは言うまでもない。およそ庶民からかけ離れた、何でもかんでも反対という耳ざわりのよい言葉だけを羅列し、国民の生活になんら責任を持とうともしない政党とは、そもそも次元が違うのである。

2月28日(金)

 きょうも恐縮であるが意見書の件。午後から議会運営委員会が開催された。もちろんこの意見書の件で。最終的には超党派を組んだ7名議員の代表が、申し合わせを無視したことに対し「詫び」を入れてきた。だったら最初からやるな!と言いたいが、反省しているかどうかは定かではないが「詫び」が入ったことで一件落着。ただし意見書は議長が受理しており生きている。3月3日の本会議で採決を行なうが、私も意見書に対する反対討論をすることになった。
 午後5時から海老名駅前の自由通路で街頭演説。同僚の先輩議員と2人で国政の問題や市政の情報等を訴えさせていただいた。
 夜は私の所属する海老名支部の会合に参加させてもらった。15分の時間をいただき、「イラク情勢」と「サラリーマン本人の医療費3割負担」の件について公明党の考えを訴えさせていただいた。特に医療費については、野党が耳ざわりのいい「3割負担凍結」法案を提出しているが、小手先の甘い幻想をふりまくより、改革を断行して医療制度を安定させることが政治と行政の責任であることをご理解いただければ幸いである。

2月27日(木)

 海老名市文化会館小ホールで行なわれた「地域ぐるみ学校安全実践発表会」に参加させていただいた。今思い出しても痛ましいあの大阪市池田小学校の事件を教訓に、全国でさまざまな取り組みがされているが、本年度文部科学省から「地域ぐるみ学校安全推進実践校」として、有馬地区の有馬小・社家小・門沢橋小の3校が委嘱を受け取り組んできたその実践報告である。
 思い起こせば一昨年の初夏。有馬中学校地区で児童・生徒を狙った暴行事件が多発した。門沢橋小PTAとしても早速委員会を開催し自分たちで取り組むことはないのか話し合うことにした。
 急な連絡にもかかわらず、多くの委員さんが集まって下さったのがとてもうれしかった。パトロールの強化等、その後も大変なご協力をいただいた。結果的には門沢橋小での被害は免れた。あの時不幸にも被害に遭ってしまった子ども達が将来トラウマとして苦しまないよう心から祈っている。
 きょうの実践発表会を聞いていて、PTA会長だったあの当時のことを思い出してしまった。幸いにもその後犯人は捕まって一安心した。
 少子化の今、子ども達は未来からの使者である。未来は彼らのためにある。その子ども達を犯罪から守るには、家庭・地域・学校が三位一体で取り組んでいかなければ!!
 そのことを痛感させられる実践発表会だった。

2月26日(水)

 定例会初日。いよいよ予算議会がスタートした。定例会初日は9:00から議会運営委員会(以下議運)が開かれ、議案に対する討論の有無や追加案件等の確認が行なわれる。
 この議運が紛糾した。昨日も記載させてもらったが、意見書提出には「全会派一致」という申し合わせがあるにもかかわらず、一致を得られないことから超党派議員が議員提案という形で提出したわけだ。その意見書がきょう追加案件で上がってきた。
 そこできょうの議運で「全会派一致」という申し合わせを無視したことについて議論を行なった。ある議員が提出者に質問した。「議運で多数決によって決定した申し合わせをどう考えるのか‥?」答えを聞いて開いた口がふさがらなかった。「多数決をとった時に私は申し合わせに賛成していない」。つまり申し合わせは多数決によって決まったが、賛成したわけではないのだから守る必要はない、と言っているのである。これほど民主主義を冒とくする行為は見たことがない。とはいっても民主主義に敵対する会派だから致し方ないのだが!
 驚いたのは、超党派に加わった女性議員の会派である。「ルールを守るのは当然である。しかしこのルールには賛成できないからこれまでも改正を訴えてきたが、認められないから今回議員提案を選択した」。ルールを無視したのは事実である。そのことを聞いているのである。ルールを無視したことを正当化する言葉など聴いているのではない。議運の席でも発言させていただいたが、まずはルール改正を全力で求める努力を続けるべきであった。それが認められないからといって、短絡的な今回のような行動はまさしく節度を欠いたものである。
 夜は綾瀬市議会立候補予定者の松沢けんじ選挙事務所の打ち合わせ。

2月25日(火)

 きょうは午前中から市民相談の対応で、ご本人と一緒に県庁に。5・10日のせいか丸子・茅ヶ崎線や保土ヶ谷バイパスが渋滞していて、9:30に出発したにもかかわらず到着したのは11:10ごろ。いやー参った。ちょうどいい機会だったので先日作成した平成14年度の収支報告書を県選管に提出してきた。
 市民相談の件も終了し、ご本人とは県庁で別れる。この後用事があるらしい。そのまま市役所に行き、昨日の意見書の取り扱いについて別会派と打ち合わせを行なう。
 なんでも、ある会派が主導して意見書提出申し合わせの「全会派一致」が得られないことを理由に、ほかの会派と超党派を組み議員提案の形で議長に意見書を提出してきたとのこと。ついに一線を越えたことになる。つまり申し合わせを無視したのだ。これで「なんでもあり」ということになってしまった。
 もちろん議員提案は法的には何ら問題ない。提出された以上、粛々と議会運営委員会で取り扱い等を協議し、本会議場で採決を行なうことになる。
 言いたいのは、そのような議員提案のことも重々承知のうえで、「意見書に関しては少数会派のことも考えて全会派一致で」という申し合わせをどのように考えているかということである。議員提案という法的に認められた手法か、それを承知のうえでの申し合わせ(紳士協定)かどちらを優先させるか意見は分かれるところであるが、「混乱」を目的とする、今回「議員提案」を主導したのはどこの会派か、皆さんの想像におまかせする。
とにかく目的は「混乱」なのだ。
 この事で、逆に我々は非常に優位な状況になった。つまり我々の意見書に反対する会派などおかまいなしに、過半数を取り付ければ海老名市議会としての意見書を提出できるのである。

 夜は富士見地区の責任者の方と支持者のお宅を訪問させていただいた。
 明日から予算議会だ!!

2月24日(土)

 今年度、門沢橋小学校PTA本部役員選考委員会副委員長をおおせつかっている。つまり来年度の本部役員人事の編成である。
 門小は本部役員が6名で、毎年3名が勇退し残りの3名が留任する。規約上任期は1年だがだいたい2年勤めていただいている。今年も3名の方が勇退するため、新たに3名の人にお願いしなければならない。これがなかなか難航している。きょうも何軒か訪問したが、いい返事はもらえなかった。
 特にお父さん達。自営・勤めを問わず、この不景気である。生きるか死ぬか、倒すか倒されるかのような状況は容易に推察できる。それを思うと無理にお願いできない。まして14年度から学校週5日制がスタートし、運営委員会も平日に開催しなければならないこともある。
 はたしてこのような社会情勢のなか、会社を容易に休めるか疑問である。確かに一般企業でも有給休暇の取得を推進している会社もあるが、まだまだのところがほとんどではないだろうか。
 昨年の卒業証書授与式でのこと。当時PTA会長だった私は、所属する議会の文教社会常任委員会とバッティングしてしまった。予算議会でもあり休めないため副会長さんに授与式をお願いしていた。ところが折りから病気療養中だった西澤校長が授与式に出席するのが困難になってしまった。校長不在、PTA会長不在ではあまりにも保護者の方や来賓の方々に申し訳ないと思い、常任委員会委員長に理由を話し半日休みをもらいたい旨申し出たところ快諾してもらった。式の直前にも委員長からTELをもらい、委員会の気遣いをいただいた。
 そこまではよかった。午後から市役所に行き、会議に臨もうとしたところ、他の委員会の議員が「そりゃ、委員会に参加するより卒業式で挨拶するほうが目立つからなー」という雑音を発しているのが聞こえた。人それぞれである。
 とにかく4月末のPTA総会までに本部役員の体制を整えなければ!! 頭がいたい。

2月23日(月)

 午前中各会派代表者会議。先日の意見書の取り扱いについて議論する。海老名市議会では、良いか悪いかは別にして意見書の提出は全会派一致の時のみ提出することを申し合わせている。この是非については幾度となく議論してきた。その理由は、海老名市議会としての意見書である以上、全会派が同意していなくてはならない、つまり一会派でも賛成できない場合は市議会としての意見書は出すべきではないということだ。最大の目的は少数会派への配慮である。
 多数決で決めるとなると、過半数をもつ会派の意見書はすべて可決されてしまう。たとえ少数会派が到底賛成できない内容でも、海老名市議会の意見書として提出することになる。  その申し合わせを不服とし別行動をしようとしている会派がある。申し合わせの目的が本当にわかっているのだろうか、疑いたくなる。ま、そういうやり方になって一番惨めな思いをするのは当人たちだが!
 午後からは海老名市総合計画審議会。さまざまな実施計画や、秋ごろから試験運行するコミニュティバスの概要が示された。
 コミニュティバスの概要については近々にこのホームページの市政情報のページで詳しくお伝えする予定である。

2月22日(日)

 平成15年度の予算が提案された。昨年度当初予算に対し、5億5000万円(1.9%)増の481億4061万4千円。
 海老名市に限らず、どの自治体でも財政難である。現状維持が精一杯ではないだろうか。
 わが市でもこれまで比較的安定していた個人市民税や固定資産税が減額すると見られている。身の丈にあった予算組みということで行政として苦労があったと思うが、3月度の定例会でしっかり審議していきたい。
なお、事業別の予算額を市政情報のページに記載させていただいた。ご高覧を!

2月21日(金)

 きょうは朝から市役所控え室の常駐当番。毎週金曜日は必ず誰かが控え室にいるように当番制にしている。とはいっても毎日誰かが控え室にはいるのだが!
 唐突な話しだが、ある雑誌に人生の師として仰いでいる人の「勇気」についての寄稿があった。
 現在、瀬谷区「かのう重雄議員」の支援で瀬谷区に入らせていただいている。かのう重雄議員は、公明空白区の瀬谷に風穴をあけ、前回地方選で公明議席を獲得してくれた同志である。調べてもらえば一目瞭然であるが、かのう重雄議員の実績は歴然である。
 議席をいただき、区民、市民のために懸命に働いて、皆様のご意見・ご要望を実現してきたかのう重雄であるが、「かのうさんは信頼があるから大丈夫よ!」などという安泰説を垂れ流している輩もいるらしい。
 話しを元にもどして、瀬谷区でかのう支持をいただいた企業にかのうの代理であいさつ回りを行なっている。まったく見ず知らずのところにたった一人で訪問するのは多少の勇気がいる。そこで「勇気」の話しだが、人生の師は我々をこのように激励されている。
 「何をするにも勇気がいる。勇気とは‥ 。怖くないから勇気があるのではない。恐れながらも一歩を踏み出す。それこそが勇気なのだ!」。創価学会池田名誉会長その人である。
 とにかくがんばろう。

2月20日(木)

 きょうは終日市役所にて、提出書類の作成を行なった。まずは確定申告。長年会社勤めであったので、議員になって初めて確定申告を作成した。今年で4回目になるが、やはり4時間程度要してしまった。もちろん途中で電話がきたり来客があったりでちょこちょこ中断するから致し方ない。
 次に県選管に提出する収支報告書。こちらのほうは収入も支出もないので30分もあれば終わってしまう。
 書類作成が終わったところで、今度はHP用のデータ作成。一番時間を要したのが「海老名市 平成15年度新規事業(案)」の作成。行政から書類をもらい、スキャナーで取り込んでいくのだがこれがなかなかうまくいかない。解像度を最高にして読み込むのだが、それでも字が化けてしまう。ま、性能が低い(安い)スキャナーだから仕方がない。ちなみに化けたところはすべて手入力(一部、時間切れで未入力のところもあるが)で行なった。
 市政情報のページに予算も含めて記載済み。ぜひ参考に一覧を!!
 なお未入力部分については早急に完成させる予定。

2月19日(水)

 午前9時より議会運営委員会。3月度定例会をスムーズに運営するために、案件の取り扱いや委員会の持ち方等を検討する。私ども公明党は、一人35分の持ち時間で3人全員が一般質問に立つ予定である。
 終了後会派代表者会議。以前行なった「議会活性化検討委員会」の報告が議長からあり、その後意見書の取り扱いについて議論を行なった。
 「イラク問題の平和解決を求める意見書」「医療制度反対を求める意見書」「有事法制に反対する意見書」の3件。
 イラク問題は、公明党も最後まで平和的解決を模索すべきであると主張している。医療制度と有事法制の意見書には賛成するわけには行かない。このことについては後日自分の考えをしっかり訴えていきたい。
 午前中に2件の市民相談の対応を行い、午後から門沢橋小学校の「学校評議員会」に参加。本年度(平成14年度)門小の評議員をやらせていただいた。きょうが最後の会合だった。教育問題についても保護者としての想いをおいおい語っていきたいと思う。
 夜は杉久保地区の座談会に参加させていただき、統一地方選の状況等を訴えさせてもらった。
2月18日(火)

 午前中は2件の市民相談に対応しながら、市役所控え室で事務作業。午後一番で一ツ橋地区の昼間の座談会に出席させてもらい、統一地方選の現状分析と支援の訴えをさせてもらった。  支持者の皆様には大変なご苦労をおかけしていると、つくづく思う。そのためにも我々統一外議員も全力で戦わなければ‥!!
 市役所にもどり、夕方まで事務作業の続きを。
 自宅にもどると、1件の市民相談。時間的にきょうの対応は無理なので、明日の対応になることを承知してもらい、その後中野地区の座談会に。
 半年前に入会した青年の話を聞いた。とても短い体験だったが感動した。終了後話しをしたかったが、忙しかったらしく出来ずじまい。今度じっくり話そうと思う。
 21:30帰宅。
2月17日(月)

 朝6時頃、自宅近くからデジカメでパチリ。まさにほぼ満月に近い月が大山に沈もうとしている瞬間。この時間はまだ薄暗く、ひときわ明るい月がなんとも幻想的だった。
 話は変わって、お隣の厚木市では市長選の結果が出たようだ。最近の新聞には、3候補の政策・主張が連日のように載っていた。中でも元県議の女性候補に風が吹くのではないかというような声も聞こえてきたが、ふたを開けたらダブルスコア。現職の壁は厚かったということか。
 厚木市もさまざまな課題が山積しているだろうが、再選された市長にはおおいにリーダーシップ発揮してもらいたいと願っている。
 夜は大谷地区の座談会に参加させてもらい統一地方選の支援を訴えさせてもらった。
            大山に月が沈む風景                 
2月16日(日)

 午後より統一地方選の事務長・出納長説明会。午前中に2件の市民相談を行い、同僚の先輩議員と横浜の開港記念会館に行って来た。
 参考までに、私はお隣の綾瀬市議会に立候補予定の、公明党公認で新人の松沢けんじ氏選挙事務所の事務長を務めることになっている。
 松沢けんじ氏は私と同い年で、10数年来の友人。同氏の地域からは4人が立候補を予定しており激戦が予想されている。なにがなんでも松沢けんじ氏を綾瀬市政に送るべく全力で取り組んでいこうと思う。
 折りから統一地方選の戦いの真っ最中。公明党の各候補予定者は苦戦を強いられながらも全力でがんばっている。特に県会の大和市選出益田はやおは超激戦。皆様のご声援をよろしくお願い致します。
2月15日(土)
 
 やっとのおもいでホームページデビューを果たせた。他市の同僚議員や公明党本部からも、「個人のホームページ開設を!」と言われ続けながらも、”忙しい”、”時間がない”などと自分に言い聞かせながら、ホームページ作成ツールを購入してから早くも半年が過ぎてしまった。
 ここにきてUPする気になったのは、ある本に「ホームページは育てていくもの、最初からすばらしいものを期待してはいけない。なぜなら個人のホームページを作るのは、そのほとんどの人がその道のプロではないのだから!!」とあったから。
 今は幼稚な構成ではありますが、しっかり育てていきたいと思います。温かく見守ってやって下さい。



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