[百間堀]
 百間堀は、一向一揆の尾山御坊を攻め落とした佐久間盛政が、その跡に今の金沢城を築城する際に掘らせたものだという。工事に駆り集められた農民たちにしても一向宗の門徒だから、いやいや働かされたのだろう。
 明治時代の写真を見ると石川橋のトンネルはまだ出来ておらず、水を張った広く大きな堀になっている。泉鏡花の若い頃、生活苦からここに飛び込もうとしたというから深さもあったのだろう。事実、明治維新によって破綻してしまった人がよく身投げをしたという。
 鏡花もその時のことを、初期の「鐘声夜半録」から「女客」、そして最後の作品の「縷紅新草」にも繰り返し書いている。
 百間堀の桜は美しい。堀の下から見上げるので、並木の枝が高く拡がって、花のアーチになっている。まだ自動車もあまり走っていない頃、下を通るたびに、咲き始めたな、だいぶ咲いたな、今が満開かな、とうとう散り出した、と見続けていた。
 やがて花は若い緑の葉に入れ替わり、私は見上げて歩くのをやめた。

  

石川橋から見た百間堀。             百間堀から見上げたところ。右が兼六園。
左が兼六園、右が金沢城。      

「知りあいの広場」さんのホームページからお借りしました。
金沢の桜や金沢大学跡などについて載っています。
http://www.nsknet.or.jp/~k_shiba/index.htm

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