[豆腐]
 今では少なくなったが、金沢では豆腐屋さんが町の中を売り歩く。
赤い箱を載せた細身の荷車をひいて小路まで入ってくる。
 呼び声は出さず、チリンチリンと小さな鐘を振って知らせる。
 その音で、豆腐屋さんが来たのだなと分かる。一日に何度も来ることがあった。
 夏休みに、風の通る座敷で、蝉の声を聞きながら寝転がっていると、遠くからかすかに鈴の音が聞こえてきた。途中で音が消えると、誰か呼び止めて買っているのだなと思う。
 また音が近づき、私の家の前を通るのが塀の下の隙間から見える。
 やがて鈴の音は遠ざかって蝉の声しか聞こえなくなった。
 私の家では、買う時は予め目印の印をつけた棒を外に出しておいた。車に載せた赤い箱の蓋を開けると、中に水が張ってあって、ブリキの容器に入った絹漉し豆腐が沈んでいた。辛子は木を薄く剥いだものに乗っていた。  絹漉し豆腐は味噌汁にも澄まし汁にも良かった。夏には冷や奴とどじょうの蒲焼きはいいご馳走だった。
 絹漉し豆腐と焼き豆腐しか知らなかった私は東京に出て初めて木綿豆腐を口にした時、その粗い舌触りに、関東とは何と食物まで荒っぽいのだろうと、驚いた記憶がある。
 極度に文字にこだわった泉鏡花は「豆腐」という字を嫌い、必ず「豆府」と書いていたという。鏡花が金沢の豆腐屋を絵で説明した葉書が残っているが、それを見ると、その頃は蓑笠を着け、赤い箱を天秤棒に担いで「とーふ」と呼びながら売っている。
 「とー」と伸ばす、と書いてある。
 彼の住んでいた下新町界隈を流していたのは、どこの「豆府屋さん」だろう。

  チリンチリン 昼寝の中の 豆腐売り



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