[賢坂辻の家]
 賢坂辻の道路が拡幅される前、坂の上に小学校の友達の家があった。
 その家は古くて大きな木造で、格子の門を開けて入ると木の植わった広い前庭になっており、敷石伝いに回りながら玄関に着いた。玄関の式台の奥には衝立が立ててあり、土間には大きな甕が置いてあった。もっとも、私達子供は玄関は大人たちの使うものだと思っていて、いつも横の勝手口から出入りしていた。
 前庭には手押しポンプの井戸もあった。力を入れて取っ手を上下させると水が出てくるのが不思議で面白く、何度も水を汲み出しては喜んだ。
 後ろの庭は広く、太い松の木があって、浅野川の低地を越えて卯辰山が正面に大きく見えた。私達は庭で遊んだり、大きな双眼鏡で卯辰山を眺めたりした。レンズを覗くと卯辰山の木々が目の前に迫って見えた。
 友達のお父さんは外国航路の船長さんで、家には、その頃は珍しかったオレンジが段ボール箱一杯にあったりして、良い匂いがしていた。
 あのゆったりした昔風の家も道路になり、消えてしまった。
 友達は今、川崎に住んでいる。










兼六園側から見た賢坂辻

道路を拡幅したので空も
あっけらかんと広がり、
昔の面影はありません。

表紙へ戻る