[子規庵]
 正岡子規が亡くなるまで暮らした根岸の子規庵は上野台地の下にある。
 山手線のすぐ外側、日暮里駅と鶯谷駅の間の狭い小路を入った所にあり、子規も住み始めた頃は上野駅を出入りする汽車の音の大きさに辟易している。
 今は、鶯谷から拡がってきたラブホテル街に埋もれそうになっている。
 子規庵は元々加賀前田家の借家で、本郷の藩邸が東大として接収された時、家臣達を住まわせるため本郷から移築した数十軒の長屋の一つだった。
  加賀様を 大家に持って 梅の花
は、このことを詠んでいる。伊予松山十五万石の士族の出の子規には旧大名の前田家に親近感があったのだろう。
 子規の没後も関係者の手によって保存されていた子規庵も戦災で焼けてしまったが、その後再建され、現在は公開されている。
 元は長屋だから極く小さな家だが、庭もついていて、辞世の句に詠まれた糸瓜も植えてある。ボランティアの人達で運営されていて、休日には訪れる人も多く、入れ替わりに狭い畳敷きに座って、子規に詳しい老人があれこれ説明してくれるのを聴いている。
 その人、何か子規没後の弟子といった風がしてくる。
 私は五月の晴れた日に訪ねたが、小庭の雑木の葉の緑に染まる部屋に座って話を聴いていると、子規の明治はつい先日のことだったような気がしてしまう。




子規庵保存会のページから拝借しました。
http://www.city.taito.tokyo.jp/taito-co/bunkazai/shikian.htm










根岸の子規庵

ご覧の通り小さな家です。










すぐ隣はラブホテル街です。


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