[鏡花と秋声]
 私の金沢の家を出て、右に行けば数分で徳田秋声の生まれた横山町になる。
 逆に左に行けば泉鏡花の生まれた旧下新町、今の尾張町になる。
 この二人、前後して東京に出て、牛込横寺町の尾崎紅葉の門に入り、文芸の道に踏み出すが、着いた所は驚くほど隔たっている。
 鏡花の文章は、私のような戦後生まれの者が読むと、言葉の意味や表現で分からない所だらけだが、次々と繰り出される表現の華麗さには圧倒される。
 それは様々の色糸で織り出した錦の能衣装のように輝いている。
 秋声の文章はそっけないことおびただしく、しかも一つの文はやたらと長く、文脈を辿るのに苦労する。それが彼なりの文章の技法というものかもしれないが、付合わされる方はたまらない。ただ我慢して読んでいると、文章の芯の強さが分かってくる。
 おそろしく地味ではあるが、以外とあっさりしている。これは技ではなく、人格が書いている。厚手の紺染めの綿布のようなものだろうか。
 二人の違いは、師の紅葉の死をどう書いているかを比べるとよく分かる。
 鏡花の場合は、紅葉の臨終の場面そのものには迫らず、遠回しにしか表していない。
 秋声は、見たもの聞いたものはそのままに書く、という気迫で、死に近い紅葉の人間的な在り様を冷静に書き留めている。それは自然主義者としての秋声の義務だろう。
 ただ、これでは鏡花と喧嘩になるのも仕方がない。
 二人はまるで浅野川の天神橋から上手と下手に歩いていったように別れてしまったが、自分の道を頑固に守り通したことでは共通している。それを北方人の粘着性と言われたりするが、二人の生地の間に生まれた私自身の性格から考えてみても、風土の理由で片付けていいのだろうかと思う。
 鏡花と秋声、どちらが好きかと聞かれれば、私ならやはり鏡花だろう。
 秋声の率直さには感心するが、鏡花の名人芸には完全に圧倒される。
 あの華麗な世界に酔った後で他の人の作品を読むと、いかにも文章が痩せて見え、物足りなくて仕方がない。
 座談の名手で、各種恐怖症の卸問屋だった鏡花、時代は違うが会ってみたい人だった。






神楽坂時代の鏡花

歌舞伎模様の派手な着物を羽織って気取っています。
「田舎江戸っ子」と云われた由縁でしょう。
この着物の複製は金沢の泉鏡花記念館に展示されて
います。

泉鏡花記念館のHPはこちらです。
http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/kankou/meisyo/higashishuhen/ikkinen/







鏡花の生家跡に建った
泉鏡花記念館

和菓子の「森八」の真裏にあります。
斜向かいが久保市乙剣宮です。

道は狭いし、蔵は大きいし、写真に撮りにくい構図でした。


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