[徳田秋声]
 泉鏡花の弟の豊春は、徳田秋声が生活のために本郷森川町の家の庭に建てたアパートに世話になり、その数日後に急病で亡くなっている。
 秋声や鏡花と同じく尾崎紅葉の弟子となり、鏡花の弟だからというので斜汀(舎弟)という筆名をもらった豊春だったが、文筆家として成功しなかった。
 そのせいもあってか有名作家となった鏡花とは以前からうまく行かなくなっていたが、その時は零落して、住んでいた所から追い出され、秋声を頼ってきたのだった。
 それを機に秋声と鏡花の長年の不和が解消されたということで、その間の事情は秋声の「和解」に書かれている。不和の原因は、鏡花が師の尾崎紅葉を神とも崇めるのに対し、秋声は距離を置こうとしたことに在るという。
 ただ「和解」の最後の部分は題名とはそぐわない。豊春の葬儀の後、世話になった秋声を土産を持って訪れた鏡花は、秋声が紅葉に十分優遇されていて文句の言う筋合いの無いことや、自分の犬嫌いのことなどを巧みな話術で一席弁じるとそそくさと帰っていった。
 「私は又何か軽い当身を食ったような気がした」の一文で終わっている。
 いかにも鏡花という人の性格が分かって興味深いが、秋声もここでこれを書かなくとも、と思ってしまう。鏡花の側にもそうせざるを得ない内的な理由があったのだろう。
 それにしても秋声は作品の最後を調和的にまとめるのを嫌う癖がある。
 「和解」の場合もそうだが、「菊見」では母の葬儀に金沢に帰るが、「一日も早く開放されることを願」ったり、「町の踊り場」では姉の葬儀に帰った時に尾張町のダンス場で踊り、爽快な気分になって、「甘い眠り」についている。これが彼の自然主義というものかもしれないが、何とも落着かない。
 そして、彼の作品を読んでいると、そのあまりの姿勢、志といったものの無さに、落着かないを通り越して、いらいらとなり、遂には猛然と腹の立つことさえある。
 夏目漱石からは「フィロソフィーがない」と不満を言われ、徳富蘆花からは「秋声君は叩き大工から仕上げた人だから巧い」と皮肉られたというが、そうだろうと思う。
 ただ、この姿勢の無さを通して迷いの無いのが秋声の姿勢であり、強さなのだろう。
 泉鏡花が、何かにつけ自分に都合よく書く癖があるのに比べて、潔さがある。
 正宗白鳥が彼の晩年の作品を酷評したのに対しての反論というのがあるが、あれこれ述べた後で、最後に「老人が生活のために書いているのだから仕事の邪魔をしないでくれ」と開き直っている。ここまで言い切るというのも凄い。




徳田秋声文学碑

金沢の卯辰山の上にあります。
谷口吉郎が設計しています。
写真は「My Walking Course」よりお借りしました。
http://www.cute.to/~tokusabu/course.htm

浅野川や犀川の桜の大きな画像が見事なページです。










徳田家の菩提寺、静明寺(じょうみょうじ)と、境内にある徳田秋声の墓碑

浅野川の天神橋際にあり、境内は木々に埋もれてひっそりとしています。
墓碑の横の壁には井上靖による碑文が貼ってあります。
静明寺の真裏は浅野川です。

何せ本堂も古いので、つっかい棒で支えてあります。

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