[漱石の猫の家]
 今は鴎外記念図書館になっている団子坂の観潮楼跡から本郷台地の縁沿いに、今でもひっそりと薄暗い薮下通りを歩き、解剖坂と呼ばれる階段を上がると、鴎外がその前に住んでいて、後に夏目漱石が住んだ、通称「猫の家」跡に出る。
 今は日本医科大学の敷地内にあり、石碑が立っていて題字は川端康成が書いている。
 建物は犬山の明治村に移築された。
 東京大学で教えていた漱石は、ここで彼の初めての小説となる「吾輩は猫である」を書いたが、その中で隣の落雲舘中学の学生のうるさい悪ふざけに神経を尖らせている。
 落雲舘中学とは今の郁文館中学高等学校のことで、第一回卒業生の中に柳田國男がおり、三宅雪嶺や折口信夫も教師を勤めたことがある。
 その頃神経衰弱気味だった漱石にすれば、中学生共の狼藉には耐えられなかったのだろう。
 当時は近くに東大生向けの下宿が多く、青雲舘などという、いかにも学生向けの名前の下宿屋があったりしたので、漱石はそれをもじって落雲舘としたのだろう。
 漱石先生の不機嫌が伝わってきて可笑しい。私が訪れた時も秋の学園祭の当日で、雲の数ほどの生徒のバンドが盛大に演奏していた。漱石が聞いたら卒倒しているだろう。
 司馬遼太郎も漱石の不機嫌が気になっていたらしく、「街道をゆく」の本郷編でも、このことについて触れてある。郁文館の生徒に道を訊ねたときの彼らの礼儀正しさをほめて、取り成しに努めている。これもまた可笑しい。





森鴎外が住み、その後夏目漱石が住んだ「猫の家」
今は犬山市の明治村に保存されています。

写真は明治村さんのホームページからお借りしました。
http://www.meitetsu.co.jp/meiji-vil/







現在の猫の家の跡(左側の木のある所)
日本医科大学の敷地の中で、裏が郁文館です。
この道を進んで右側に行くと、鴎外の観潮楼があります。

写真は安島喜一さんのホームページ「おたまじゃくし」からお借りしました。
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/index.htm






郁文館の学園祭
私が行った日もこんな風ににぎやかでした。

写真は郁文館さんのホームページからお借りしました。
http://www.schoolguide.ne.jp/ikubun-h/

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