[中勘助]
 中勘助が明治四十五年に書いた「銀の匙」という自伝小説がある。
神田生まれだが体が弱く、引込み思案の主人公の少年は、幼年時代はやさしい伯母さんの背中でいつも夢を見て暮らしている。この夢想家の少年を現実主義者の兄は気に入らず、蒸気機関車の動く原理をなぜ質問しないのかと怒る。
 今ではSLと呼ばれ、郷愁の対象となっている蒸気機関車が、ここでは近代の象徴として登場している。この件りを読んだ時、私は近代西洋に追いつこうと突っ走っている明治という時代の必死の形相を見てしまったような気がした。
 私は中勘助に感受性の強さ、夢想への傾きから泉鏡花に似たものを感じる。
 中勘助の場合は一高、東大と進み、その両方で夏目漱石の講義を聴くという、高等教育を受けているので、鏡花のようにあからさまな「近代西洋、我が事に非ず」と言った風ではないが、近代への違和感は強かったのだろう。
 中勘助は夏目漱石の推薦で「銀の匙」を東京朝日新聞に載せている。
 その漱石の「三四郎」では、汽車に揺られて熊本から東京に出てきた三四郎は、線路際にある野々宮君の家の留守番をしていた夜に、鉄道自殺する直前の女性の独り言を聞いている。もちろん、漱石にとっても近代は悦ばしい物ではなかった。
 一方で、石川啄木の歌や室生犀星の叙情小曲集の「上野ステエション」になると、汽車は既に望郷の甘い世界に走り込んでいる。
 泉鏡花の「風流線」は北陸線の開設工事が舞台だが、反近代の無法者達が工事の主役という、矛盾した構図になっている。
 中勘助とは相容れることの無かった兄は「銀の匙」の後編によれば、その後九州帝国大学医学部教授として活躍する。しかし、何かを暗示するかのように、まだ若いうちに過労のため脳溢血を起こし、以後は言葉を失ってしまう。















錦絵「東京名勝之図・新橋鉄道馬頭図」

画像は以下の所よりお借りしました。
 出典:電通古今東西広告館明治館
 所蔵:(株)電通
http://www.dentsu.co.jp/MUSEUM/mij_home.html


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